Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

シュティムング

2015年08月30日 | 音楽
 「シュティムング」の演奏会が終わった。なんだか気の抜けた状態だ。夏が終わった。そんな気分だ。

 「シュティムング」はさすがに面白かった。事前の耳馴らしのためにCDを買って聴いてみた。ポール・ヒリヤー指揮のシアター・オブ・ヴォィセズの演奏。これは面白い!と思ったが、実演はもっと面白かった。

 実演だと、6人の歌手の重なり具合が――いつもとはいわないが――読経のように聴こえることがあった。日本人ならではの感性かと、自分でも可笑しかった。

 また意外に動きがあるとも感じた。CDではもっとスタティックな音楽だと思っていた。51の部分(‘モデル’と呼ばれている)のすべてではないが、ビート感のあるモデルがいくつかあり、興味深かった。もしかすると、歌手による要素もあったかもしれない。アルトの太田真紀のときにそれを感じることが多かった。

 6人の歌手はそれぞれシュトックハウゼン演奏の経験が豊富な方たちなのだろう。なかでも音楽監督として加わったソプラノのユーリア・ミハーイは、切れ味のよさで光っていた。もしもこのクラスの歌手が6人揃ったらどうなるだろうと思った。今回の演奏には約1ヵ月間の準備を積んだそうだ。それだけでも感服に値する。立派な成果を出していた。でも、この曲には恐ろしいほどの可能性が秘められているような気がした。

 CDでは分からなかったシュトックハウゼン自作の詩(2篇)の翻訳がプログラムに載っていた。それを読んで仰天した。なんともあけっぴろげな――無邪気な――性の礼賛だ。ドイツ語だからいいようなものの、日本語だったら居場所に困るような内容だ。もしこの曲を密室でやられたら変な気分になるかもしれない。そんな内容だ。

 CDのライナーノートはヒリヤー自身が書いていた。その一節をご紹介したい。

 「もし私がこの時代(引用者注:1960年代のこと)を代表する音楽作品(ポップとロックを除いて)を2つ選ぶとしたら、テリー・ライリーの『In C』(1964)とシュトックハウゼンの『シュティムング』(引用者注:1968)を選ぶ。2人の作曲家はこれ以上ないくらい異なっていた。でも、これらの2作品を通じて(私は偶然にもその2作品をほとんど同時に録音している)、現代音楽のそれぞれの道は一瞬交叉した。」

 わたしにはとても美しい文章だと感じられるのだが、どうだろう。
(2015.8.29.サントリーホール小ホール)
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テーマ作曲家<ハインツ・ホリガー>管弦楽

2015年08月28日 | 音楽
 ホリガー指揮の東京交響楽団。1曲目はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。演奏には精彩が欠けていた。リハーサル時間が足りなかったのだろうか。

 でも、そういう演奏だからこそ、ホリガーの感じ方が露わになった面もある。緩急の付け方が自在で、拍節が自由に動く。けっして機械的にならない。なるほど、こういう感じ方をしているのかと思った。

 2曲目はグザビエ・ダイエ(1972‐)の「2つの真夜中のあいだの時間」(2012)。ホリガーが高く評価している若手ということだが、正直いって、あまりピンとこなかった。なにか新しい感覚を期待したが、わたしには見つからなかった。

 3曲目はホリガー(1939‐)自身の「レチカント」(2000‐2001)。ヴィオラ独奏と小オーケストラのための曲だ。ナクソス・ミュージック・ライブラリーを覗いてみたら、この曲が入っていたので、事前に聴いてみた。ヴィオラの動きを追っていたが、オーケストラには意識が向かなかった。でも、実演を聴いたら、オーケストラの透明感に惹かれた。スイスの澄んだ空気のようだった。

 4曲目はホリガーの新作「デンマーリヒト ―薄明―」(2015)。ソプラノ独唱と大編成のオーケストラ(基本的に3管編成)のための曲だ。ホリガー自作の俳句(ドイツ語で書かれている17音節の詩)5句に付曲したもの。5句はいずれもホリガーが「1991年の大晦日の夜、東京の皇居そばの公園」で書いたものだ。

 木枯らしが吹きすさぶ(木枯らしの模倣音が鳴る)凍てつく夜のような――抑制された――オーケストラのテクスチュアに、ソプラノが文様を織り込む。あるときはオーケストラの一員になって氷の切片を加え、またあるときは大胆な曲線を描く。透徹した緊張感。一瞬の緩みもない。これは傑作ではないだろうか。日本関連の傑作の誕生か。

 ソプラノ独唱はサラ・マリア・サン。予定されていた歌手がキャンセルし、急きょ代役に立った。十分な準備時間が取れたかどうか。その分は割り引かなければならない。

 5曲目はホリガーの師匠シャーンドル・ヴェレシュ(1907‐1992)の「ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌」(1945)。バルトークの訃報に接したヴェレシュの悲嘆が息づいている。演奏にも感動した。オーケストラの緊張感は、ほんとうに優れた音楽家が指揮台に立っていることを伝えていた。
(2015.8.27.サントリーホール)
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ある若き詩人のためのレクイエム

2015年08月24日 | 音楽
 今年のサマーフェスの目玉、ツィンマーマンの「ある若き詩人のためのレクイエム」。ついにこの日が来たという想いで出かけた。

 開演時刻になると、指揮者の大野和士とプロデューサーの長木誠司が登場。プレトークだ。お二人ともトークのうまさは天下一品。この曲が初めての人にも、熟知している人にも、それぞれ得るものがある話だったと思う。

 休憩後、いよいよ演奏が始まる。冒頭の重低音の電子音は「ラインの黄金」の幕開きのようだ。ただし、直後にテープから哲学者ヴットゲンシュタインの著作の朗読や、ワルシャワ条約機構軍の‘プラハの春’弾圧を前にドゥプチェク第一書記がおこなったチェコ国民向けのラジオ演説が流れる。過酷な20世紀の記録だ。

 これらの音声を含むテープ音は、位置がクリアーで、微妙な遠近が感じられた。エレクトロニクスは有馬純寿。音響全般に繊細さが感じられた。さすがだ。

 合唱(新国立劇場合唱団)の最初の叫び「レクイエム」。音量は適量だ。2013年11月のフランクフルトでの演奏を聴いたときには、合唱は倍くらいの人数で、耳を聾さんばかりの音量だった。それはそれで意味があったと思うが、音楽としては今回のほうが納得できる。

 語り(長谷川初範と塩田泰久)がドイツ基本法と「毛沢東語録」を読み始める。テープから流れる音声は数を増す。もう判別できない。「トリスタンとイゾルデ」の愛の死(レコード録音)も流れる。そして合唱の2度目の叫び「レクイエム」。

 突然ビートルズの「ヘイ・ジュード」が闖入する。20世紀の‘今’の闖入か。オーケストラが入り、ソプラノ独唱(森川栄子)とバス独唱(大沼徹)が入る。ソプラノは高音の超絶技巧だ。テープからベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」(レコード録音)が流れる。

 音の洪水、いや、濁流だ。金管が「神々の黄昏」の‘愛の救済の動機’を吹く。奇妙にデフォルメされ、悲鳴のようだ。マーラーの交響曲第6番「悲劇的」のハンマーがそれを叩き潰す。政治デモの音声がすべてを覆う。一瞬の静寂の後、「我らに平和を与え給え」の叫びで終わる。

 大野和士の指揮は見事の一語だ。巨大な音響をコントロールし、あえて誤解を恐れずにいえば、すっきりとまとめた。この作品はやはり‘音楽’なのだと思った。フランクフルトで聴いたときには、過去と向き合うイヴェントに圧倒される想いだった。
(2015.8.23.サントリーホール)
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テーマ作曲家<ハインツ・ホリガー>室内楽

2015年08月23日 | 音楽
 サントリー芸術財団サマーフェスティヴァル2015。これがあるので、バイロイトのお誘いは断った。もうこれで3年連続だ。来年は誘ってくれないかもしれない。悔いはない。

 初日はハインツ・ホリガー(1939‐)の室内楽の演奏会。1曲目はホリガーの作曲の師シャーンドル・ヴェレシュ(1907‐1992)の「ソナチネ」(1931)。バルトークやコダーイの作風を継ぐ曲だ。ホリガーのオーボエ、菊地秀夫のクラリネット、福士マリ子のファゴットの三重奏。ホリガーはもちろんだが、日本の若手2人の演奏も達者なものだ。

 2曲目からはすべてホリガーの曲。まずピアノと4つの管楽器のための「クインテット」(1989)。冒頭、オーボエ、クラリネット、ファゴットおよびホルンが一斉にピアノを威嚇する。ほとんど聴き取れない音で耐えるピアノ。でも、そのうちにピアノが自らの音楽を奏し始める。シェへラザードのようだ。

 ライヴの面白さ満載の曲だ。音だけ聴いていたら分からない面白さ。ピアノは野平一郎、ホルンは福川伸陽。

 3曲目は「トリオ」(1966)。オーボエ、ヴィオラ(ジュヌヴィエーヴ・シュトロッセ)、ハープ(高野麗音)の編成。3楽章構成。第2楽章は9つの部分からなり、「自由につなぎ合わせたり、組み合わせたりすることが出来る」(ホリガー自身のプログラム・ノート)。いかにも1960年代の曲だ。最近こういう曲が面白くなった。もちろん演奏がよければ、だが。昨日は面白かった。

 第3楽章は未知の領域に入るような終わり方だ。息をひそめて聴いた。アフタートークでホリガーが語ったところによると、「3つのパッサカリアが同時進行」していたそうだ。そこまでは聴き取れなかった。情けない。

 休憩後はヴィオラ独奏のための「トレーマ」(1981)。目が回るような激しいアルペッジョ音型が、途中で一息つきながら、何度も繰り返される。それらの音の活きのよさ。これもライヴでなければ分からない種類のものかもしれない。

 最後は「インクレシャントゥム」(2014)。ソプラノと弦楽四重奏のための曲だが、ソプラノ歌手が体調不良でキャンセルした。代わりにホリガーが声楽パートをオーボエで吹いた(一部は語った)。弦楽四重奏(クァルテット・エクセルシオの演奏)がどう書かれているかはよく分かったが、できれば声楽で聴きたかった。
(2015.8.22.サントリーホール小ホール)
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ザルツブルク(7):メキシコの征服

2015年08月20日 | 音楽
 ザルツブルク最終日はヴォルフガング・リーム(1952‐)のムジークテアター「メキシコの征服」を観た。1992年にハンブルク州立歌劇場で初演され(指揮は今回と同じメッツマッハー)、以後も各地で何度か上演されている。

 台本はリーム自身が作成した。アントナン・アルトー(1896‐1948)の「メキシコの征服」と「セラフィムの劇場」、その他いくつかの素材に基づく。ただ、台本とはいっても、観念的で、かつ断片的な言葉が並ぶものだ。ストーリーは1521年のスペインによるメキシコ(アステカ王国)征服を基調にしている。でも、行為とか事件を具体的に描いているわけではないので、自由な解釈が可能だ。

 演出はペーター・コンヴィチュニー。当初の発表はリュック・ボンディだった。途中で降りてしまった。代役がコンヴィチュニー。これには驚いた。興味が倍増した。

 フェルゼンライトシューレの横長の舞台の左右に、廃車が山積みになっている。その中央に白い部屋。モンテスマ(史実ではアステカ王で男性だが、リームはソプラノを充てたので、女性として舞台化することができる)が恋人コルテス(史実ではスペイン人でアステカ王国の征服者。リームはバリトンを充てている)の到来を待っている。

 最初は仲睦まじく語り合う2人。でも、その内にコルテスがモンテスマの体を求め、モンテスマが拒むあたりから様子が一変する。亀裂はどんどん深まり、悪夢のような様相を呈する。

 傑作だったのは、スペイン軍がアステカ王国を破壊する戦闘の場面が、パソコンゲームの場面になったことだ。コルテスもモンテスマも、お互いの存在などそっちのけで、パソコンゲームに熱中する。フェルゼンライトシューレの大空間にゲームの映像が投影される。2人の戦いが、矮小化、相対化、異化される。

 コルテスはボー・スコウフス、モンテスマはアンゲラ・デノケ。至難をきわめる歌唱パートを(ザルツブルク音楽祭の公式ブログの7月24日の項に2人のインタビューが載っている)、体にしっかり覚え込ませた歌唱だ。

 指揮はメッツマッハー。シンプルかつプリミティヴな力を持つ音楽だが、巨大な音響のコントロールが必要なこの作品には、メッツマッハー以上の指揮者はいないだろう。見事の一語に尽きる。以前にザルツブルク音楽祭でツィンマーマンの「軍人たち」を振ったときの記憶が蘇ってきた。
(2015.8.10.フェルゼンライトシューレ)
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ザルツブルク(6):フィガロの結婚

2015年08月19日 | 音楽
 スヴェン=エリック・ベヒトルフの演出で「フィガロの結婚」。ザルツブルクのオペラは、スター歌手を集めて、料金も高額に設定する路線だが、この「フィガロの結婚」は、料金はともかく、歌手は若手を揃えた点で異色だ。

 アルマヴィーヴァ伯爵、伯爵夫人、スザンナ、フィガロの4人は、みんな若い。プロフィールによると、皆さんヨーロッパの主要劇場で歌っている人たちだが、事情に疎いわたしには、知っている名前はなかった。4人とも実力があり、活きがよく、演技も達者だ。

 今回制作の「フィガロの結婚」は、若者たちのドラマだ。身分の違いはあるにせよ、みんな同世代。羽目を外したり、ぶつかったりする。そんな若者たちのドラマだ。前史の「セヴィリアの理髪師」から数年しか経っていないのだから、それももっともだ。

 登場人物全体は3つの世代に分かれる。上記の4人は20代。マルチェリーナとドン・バルトロは親の世代。一方、ケルビーノとバルバリーナはまだ10代だ。

 ドラマの本筋は20代の4人の官能のぶつかり合いで展開するが、そこに他の世代も絡む。マルチェリーナはフィガロと結婚したがる。ケルビーノは伯爵夫人に愛を訴える。アルマヴィーヴァ伯爵はバルバリーナに手を出す。同世代の、あるいは世代を超えた官能のうずき、そしてぶつかり合いがこのオペラだ。

 ベヒトルフの演出では、そういうドラマが浮き出てきた。読み替えとかなんとか、特別なことはなにもしていない。ドラマを細かく、丁寧に、具体的に作り込む演出だ。その中から3つの世代の官能のドラマが見えてくる。わたしにはそんな登場人物たちが愛おしく感じられた。

 フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」では、フィガロが歌っている間に、伯爵もスザンナも、そしてケルビーノも部屋から出ていく。一人取り残されるフィガロ。照明も落ちる。ドキッとした。

 第3幕は台所だった。調理場があり、使用人たちの食卓がある。そういえば、チューリヒ歌劇場の来日公演でベヒトルフが演出した「ばらの騎士」でも台所が出てきた。トレードマークなのだろうか。

 指揮はダン・エッティンガー。ザルツブルクの「フィガロの結婚」を任せられたのだから御同慶の至りだ。第4幕のスザンナのアリアの最後のところやフィナーレの大詰めでテンポをぐっと落としたあたりは、以前と変わらない。また全体に音楽が重かった。
(2015.8.9.モーツァルトの家)
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ザルツブルク(5):ボルトン/モーツァルテウム管

2015年08月18日 | 音楽
 モーツァルト・マチネーでアイボー・ボルトン指揮モーツァルテウム管弦楽団の演奏会。1曲目は12の管楽器とコントラバスのための「グラン・パルティータ」。昔から大好きな曲だが、実演で聴いたのは、いつ、だれの演奏だったか。どこかのオーケストラの定期だったような気もするが、はっきりしない。ともかくひじょうに楽しみだった。

 耳に馴染んだこの曲が、CD(というよりもレコード)で培ったイメージどおりに展開した。凄みのある美しさとか、ピリオド楽器の新鮮さとか、そんなものとは無縁の演奏。穏やかな日常。これも悪くない。満足して聴いた。

 といっても、ホルン4本はナチュラル・ホルンだった。第3楽章アダージョの冒頭で澄んだハーモニーを奏でた。耳が洗われる想いだった。

 1番オーボエが主導的な曲だが、個々の奏者としては1番クラリネット奏者に感心した。大きなフレージングを持っている。また、アンサンブルのセンスもいい。時々絶妙な演奏を聴かせていた。

 最後の第7楽章は、テンポが速く、勢い込んだ演奏。それまでのおっとりした演奏から一転して、輝かしくこの曲を締めくくった。ボルトンの設計だ。満場の拍手。演奏者たちの笑顔がいい。

 休憩時にはテラスに出てみた。モーツァルトの魔笛小屋が移築されている。元はウィーンにあった小さな木造の小屋だ。「魔笛」が初演されたアウフ・デア・ヴィーデン劇場の近くにあった小屋。モーツァルトはこの小屋でシカネーダーや歌手たちと会っていた。その小屋がよく残ったものだ。

 後半はカウンターテナーのべジュン・メータの独唱で、モーツァルトのコンサート・アリアKV255と、グルックの歌劇「エツィオ」からエツィオのアリア2曲。メータの声は一度実演で聴いてみたかった。CDで聴いていた妖しい声よりも、少し暗く太い声になっていた。今の声ならエツィオはぴったりだ。

 最後はモーツァルトの交響曲第40番。手馴れたアンサンブルだ。クラリネットが入る版での演奏。「グラン・パルティータ」で注目したクラリネット奏者が第4楽章で妙技を聴かせた。それにしてもこの曲の第1楽章は独創的だと思った。水の流れのように流動的でありながら、なにも変化しない音楽。深い水底のような音楽。攻撃性がまったくない。シュトルム・ウント・ドランクの一言では片付かない音楽。今さらながら驚嘆して聴き入った。
(2015.8.9.モーツァルテウム大ホール)
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ザルツブルク(4):ピエール=ロラン・エマール

2015年08月17日 | 音楽
 ピエール=ロラン・エマールとタマラ・ステファノヴィチによるブーレーズのピアノ作品演奏会。1曲目は最初期の「12のノタシオン」(1945年)。ブーレーズは後に5曲をオーケストレーションしている。オーケストレーションの過程で作品は長くなった。原曲のピアノ曲はウェーベルン流に短い。エマールの演奏はものすごい集中力。激しく挑みかかるような演奏だった。

 この曲もそうだが、その後の曲も、演奏の前にエマールまたはステファノヴィチの短い解説が付いた。レクチャー・コンサートのような趣向だった。

 2曲目は「ピアノ・ソナタ第1番」(1946年)。エマールの唸り声が聴こえる。気迫みなぎる演奏だ。でも、曲としてはどうだろう。曲の面白さよりも、演奏の面白さで聴いてしまった気がする。

 3曲目は「ピアノ・ソナタ第2番」(1946‐48年)。なんといってもこの曲がお目当てだったが、登場したのは、エマールではなく、ステファノヴィチだった。えっと思った。正直いって、テンションが下がった。

 ステファノヴィチは美貌の女性ピアニストだ。流麗な演奏で音も美しい。最初は聴きやすかった。でも、おとなしすぎた。だんだん気持ちが離れていった。ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」を念頭に置いて書かれたこの曲だが、ベートーヴェンとの格闘の痕跡が見えてこなかった。

 休憩後は「ピアノ・ソナタ第3番」(1955‐57年)。未完の作品だが、もうすっかり現在の形で落ち着いている。演奏順はフォルマン3~フォルマン2だった。演奏はエマール。CDで聴いているとあまり面白いとも思えないこの曲が、ものすごく面白く聴こえた。部分、部分、あるいは瞬間、瞬間のドラマというか、瞬間的に選択されていく音楽の、思いがけないドラマに息を呑んだ。

 次は「アンシーズ」(1994/2001年)。演奏はステファノヴィチ。よく流れる演奏だが、エマールと違って尖ったところがない。次に「天体暦の1ページ」(2005年)。昔のブーレーズの面影はない。演奏はエマール。

 最後は2台のピアノによる「ストリュクチュールⅡ」(1956‐61年)。エマールとステファノヴィチがお互いにキューを出しながら演奏を進める。エマールが出したキューをステファノヴィチが無視したり、ステファノヴィチの選択にエマールが「おっ、そうくるか」と反応したり!
(2015.8.8.モーツァルテウム大ホール)
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ザルツブルク(3):ハイティンク/ウィーン・フィル

2015年08月16日 | 音楽
 ザルツブルク3日目は2つの演奏会を聴いた。まずマチネー公演でハイテインク指揮ウィーン・フィルの演奏会。曲目はブルックナーの交響曲第8番(1890年、ノヴァーク版)。

 冒頭、もやもやした、方向感の定まらない出だし。これでいいのだと思う。時々冒頭から明快な方向感をもった演奏を聴くことがあるが、それは後講釈だ。やがて最初の強奏に達する。もちろんここでは明確な音像を結ぶ。でも、そこに至るまでのニュアンスの揺れがこの演奏にはあった。

 経過句でホルンがただ一人残って、旋律の断片を吹くところでは、なんともいえない寂寥感が漂った。ブルックナーがザンクト・フローリアンの丘陵に立って孤独に浸っているようだ。

 第1楽章フィナーレで鳴り響く金管の強奏は、ザンクト・フローリアンの教会を揺るがすオルガンの響きだろうか。一昨日ザンクト・フローリアンを訪れたばかりなので、どうしてもその印象に引きずられがちな自分に気付く。でも、そんな自分を是認した。

 第3楽章冒頭、ぞっとするほどの孤独感だ。暗くて深い淵を覗くようだ。宇宙的な孤独――この宇宙の中で自分が唯一人でいるという孤独――を感じる。こうなるとザンクト・フローリアンの印象から離れて、ブルックナーの魂の世界を垣間見るようだ。

 第3楽章のクライマックスでのシンバルは、そっと音色を添えるような柔らかい打ち方だった。けっして主役を取ろうとする気配はない。トライアングルに至っては、ほとんど聴こえないくらいだ。絶妙のセンス。

 全体的にウィーン・フィルの演奏には安らいだところがあった。自然体の演奏。自分の音楽として、絶対の自信を持って、しかも構えずに演奏していた。それができるのは、ブルックナーだからだろう。ブルックナーは、ウィーン・フィルにとって、そういう音楽なのだろう。

 そうはいっても、ウィーン・フィルも指揮者が変われば、勝手も違ってくるだろう。今回のような演奏は、やはりハイテインクが導いたものだ。ハイティンクは、ウィーン・フィルに限らず、各オーケストラの潜在的な演奏スタイルを引き出す名匠になったようだ。

 ハイティンクがベルリン・フィルを振るのを聴いたことがある(曲目はベートーヴェン2曲だった)。小節の頭にアクセントを置いて、ひたひたと押す演奏だった。そのときはベルリン・フィルに今なお伝わるDNAのようなものを感じた。
(2015.8.8.祝祭大劇場)
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ザルツブルク(2):クラング・フォーラム・ウィーン

2015年08月15日 | 音楽
 ザルツブルクで聴いた最初の演奏会は、カンブルラン指揮クラング・フォーラム・ウィーンだった。カンブルランはいうまでもなく読響の常任指揮者のカンブルランだ。1997年以来クラング・フォーラム・ウィーンの首席客演指揮者を務めている。

 1曲目はブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」。この曲を生で聴くのは初めてだ。会場はコレーギエン教会。ザルツブルク旧市街の中心部にある教会だ。初めて中に入ったが、意外に大きな空間だ。祭壇にステージをしつらえ、その奥と天井に透明のアクリルの反響板を付けている。現代曲というとスタジオのような――残響の少ない――演奏会場を連想するので、残響の長い教会だとどうなるだろうと懸念した。

 でも、これがよかった。この曲の繊細な音響が、残響の長い空間と齟齬をきたしていなかった。すべての微細な音が明瞭に聴こえた。しかも、驚いたことに、時々発せられる声や打楽器の強いアクセントが、大空間を震わせた。オルガンならともかく、一人の独唱者や一人の打楽器奏者が教会の大空間を震わせる様は痛快だった。

 それにしてもこの曲の音響は繊細だ。ガラスの破片が砕け散るような音響だ。全9曲からなるこの曲の、どの部分をとっても、透明な結晶のような音響だ。精巧な手仕事だと思った。ブーレーズの作品が、今になってみると、手仕事の感触を持っていることに、新鮮な印象を受けた。

 と同時に、色彩感の上品さに感じ入った。シェーンベルクの「ピエロ・リュネール」を下敷きにした曲だが、「ピエロ・リュネール」の原色の色彩感に対して、この曲は淡い色彩感。とても上品だ。

 演奏も見事だった。おそらくもう何度も演奏しているだろうこの曲を――しかも何度演奏しても難しいだろうこの曲を――気合を込めて、細心の注意を払って演奏していた。信頼できる演奏だった。

 コントラルト独唱はヒラリー・サマーズ。深くて、しかも肉感的な声だ。第一声から惹きこまれた。後は声が入ってくるたびに、その声のとりこになった。

 プログラム後半はオルガ・ノイヴィルト(1968‐)の作品が2曲(※)演奏された。そのうちの1曲はザルツブルク音楽祭の委嘱作で、今回が初演。ブーレーズとは対極の激烈な音楽だ。大音響の音楽。ミキサーによる音響の増幅が縦横無尽に行われる。でも、今思い返すと――わたしの中では――まとまった音像を結ぶことはなかった。
(2015.8.7.コレーギエン教会)

(※)Lonicera Caprifolium(1993)とEleanor-Suite(2014/15)
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ザルツブルク(1):ザンクト・フローリアン訪問

2015年08月14日 | 音楽
 8月5日の夜にザルツブルクに到着。いつもなら翌日からオペラやコンサートに通い始めるのだが、今回は一日空けておいた。体調がよければ、ブルックナーのゆかりの地ザンクト・フローリアンに行ってみたかったからだ。

 到着当日はよく眠れた。翌朝、すっきりした目覚め。これなら行けると思った。

 ザルツブルクから列車でリンツに向かった。1時間程度の車窓の旅。リンツからザンクト・フローリアンへはバスで。市街を抜けると、なだらかな丘陵地帯に出た。30分程度で着いた。静かでのんびりした村だ。

 修道院は写真で見ていたとおりだ。ちょうど昼食時だったので、修道院の中のレストランで食事をした。ブルックナーもこのレストランで食事をしたり、ビールを飲んだりしたのだろうか。そう考えると楽しかった。

 昼食後、付属の教会へ。ブルックナーの遺骨が埋葬されている教会だ。ブルックナーは子どもの頃にここの聖歌隊員になり、やがて教師になり、オルガン奏者になった。その後リンツに出て、さらにはウィーンに移った。でも、亡くなるまで、折に触れてはこの教会に戻り、オルガンを弾いていた。

 教会に入ると、オルガン奏者が新旧さまざまな曲をさらっていた。だれもいない教会の中でそれに耳を傾けた。腕のよさそうな奏者だ。14:30からオルガン・コンサートがあるので、人が集まってきた。メンデルスゾーン、バッハ、ブルックナー、クープラン、そしてジグー(1844‐1925)の曲が演奏された。手慣れた感じの演奏だ。コンサートもよかったが、その前の練習のほうが面白かった。

 バスでリンツ中央駅に戻る途中、アンスフェルデン方面を示す道路標識を見かけた。ブルックナーの生地だ。駅に着いて券売機で検索してみると、アンスフェルデンという駅があった。切符を買ってインフォメーションで尋ねると、ちょうど電車が出るところだった。急いでホームに出て飛び乗った。アンスフェルデンには10分あまりで着いた。食料品店が1軒あるだけの小さな村だった。

 アンスフェルデン、ザンクト・フローリアン、リンツの3地点は、リンツを頂点とする二等辺三角形を形成しているようだ。アンスフェルデンとザンクト・フローリアンとは直線距離にしたら近いだろう。ブルックナーにとってリンツに出るのは自明のコースだった。でも、ウィーンは都会で別世界だ。ウィーンに移るのは大変なことだったろう。そんな距離感がつかめた。
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帰国報告

2015年08月12日 | 音楽
本日ザルツブルクから帰国しました。今回聴いたオペラと演奏会は、次のとおりです。
8月7日 カンブルラン/クラング・フォーラム・ウィーン
8月8日 ハイティンク/ウィーン・フィル
同    ピエール=ロラン・エマール
8月9日 ボルトン/モーツァルテウム管
同    フィガロの結婚
8月10日 メキシコの征服
各公演については後日また報告します。

また8月6日にはブルックナーゆかりの地ザンクト・フローリアンを訪れました。
一度は行ってみたかったので、念願が叶いました。
その報告もしたいと思います。
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旅行予定

2015年08月05日 | 身辺雑記
本日から旅行に出ます。ザルツブルクに6泊して、帰国は8月12日(水)の予定です。帰ったらまた報告します。
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舟越保武展

2015年08月03日 | 美術
 「舟越保武彫刻展」が開催中だ。舟越保武に畏敬の念を抱いているわたしは、身の引き締まる想いで見にいった。

 舟越保武(ふなこし・やすたけ)(1912‐2002)。代表作としては「長崎26殉教者記念像」(長崎市西坂公園に設置、1962年)、「原の城(はらのじょう)」(1971年)そして「ダミアン神父」(1975年)がある。

 本展ではそれらの代表作が一堂に会している(ただし、「長崎26殉教者記念像」は一部)。

 「原の城」(↓)は1637年10月~翌年2月に起きた島原の乱を題材とした作品だ。反乱を起こしたキリシタン農民は、無残にも弾圧された。そんな農民の一人が月夜に亡霊となって現れる。それが本作だ。粗末な兜と鎧を身に着け、弱々しく前かがみに立っている。虚ろで放心したような目。世の無常が一陣の風のように吹きすぎる。

 一方、「ダミアン神父」(↓)は実在の人物だ(1840‐1889)。ベルギー出身の修道士。ハワイに派遣されてホノルルで司祭となり、モロカイ島に渡ってハンセン病患者の看病と布教に身を捧げた。自らもハンセン病に罹患したとき、「これで『我々癩者は』と言うことができる」と喜んだそうだ。

 「ダミアン神父」の顔は異常にただれている。ハンセン病の症状だ。目は大きく見開かれている。自身に現れた症状に驚いているのか。だが、怯えてはいない。落ち着いた穏やかさがある。「原の城」の農民の空洞となった目とは対照的だ。

 本展では「原の城」と「ダミアン神父」は同じ部屋に向かい合って展示されている。壮観といえば壮観だが、両者に漂う雰囲気はかなり異なる。できれば別々の部屋で見たかった。

 初期の作品「隕石」(1940年)(↓)は初見だった。若い男性の頭部。目をつぶっている。瞑想しているようだ。マッス(塊り)としての量感のずっしりした手応えがある。この作品はなにを物語っているのだろう――と、そんなことを考えながら週末を過ごした。

 舟越保武と画家・松本竣介(1912‐1948)は同年生まれ、盛岡中学の同期生だ。東京に出てからも親しく付き合った。松本竣介は早熟の画家だ。戦争の緊張がピークに達したこの時期、暗い世相を映した鋭い絵を描いた(↓)。一方、舟越保武はじっと黙想して、自身の行く末に思いをはせた。「隕石」はそういう姿のように思えた。
(2015.7.31.練馬区立美術館)

舟越保武「原の城」
舟越保武「ダミアン神父」
舟越保武「隕石」
松本竣介「都会」(1940年)
コメント
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