Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

メッツマッハー/新日本フィル

2014年09月30日 | 音楽
 メッツマッハー/新日本フィルがツィンマーマンとベートーヴェンを組み合わせた極めて意欲的な演奏会を継続している。昨日の定期もその一環。

 1曲目は「フォトプトシス」。大オーケストラのためのプレリュードという副題が付いている。文字通り、大オーケストラが巨大な波のようにうねる。向井大策氏のプログラムノーツには「四分音をふくむ不協和な音響の運動」と解説されている。その音響が驚くほど見通しよく聴こえる。四分音を聴いていると、時々、船酔いしたような気分になることがあるが、この演奏ではそれがなかった。

 途中、ベートーヴェンの「第九」(第4楽章の冒頭の音型)が引用され、それに続いて他の音楽も引用される。ものすごく面白い。でも、その引用の意味は?と考えると、そう簡単には答えが出ない。でも、面白い。

 2曲目は「ユビュ王の晩餐のための音楽」。以前、大野和士が同じく新日本フィルを振って演奏したことがあるが、残念ながら聴き逃した。まさかこんなに早く聴く機会が訪れるとは思っていなかった。絶好のチャンスだ。

 大編成のオーケストラだが、弦はコントラバス4本だけ。ヴァイオリンもヴィオラもチェロも欠く。その代わり、多数の打楽器とジャズ・コンボが加わる。木管・金管は基本的に3管編成。こういった特殊編成のオーケストラが、原色の色彩で、かつ、はっきりした発音で、鮮烈な演奏を繰り広げた。

 メッツマッハーは、ツィンマーマンの演奏では、今、世界最高峰の一人だろうという思いを強くした。そういう指揮者を日本に居ながらにして聴くことができるとは、なんと幸運なことか。

 なお、「ユビュ王……」では日本語の語りが入った。このことは事前に告知されていたので、スコアにツィンマーマンが書き込んだというシュトックハウゼンにたいする悪態が読み上げられるのだろうと期待していた。そうしたら、今回のための書き下ろしだった。筆者の人生観かもしれないが、狂騒的なこの作品とはなんの関係もなかった。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。一言でいって、すさまじいテンションの高さに貫かれた演奏。技術論よりも何よりも、メッツマッハーが自らの生命力のすべてを注ぎ込み、オーケストラもそれを受け止めた演奏だ。メッツマッハーがハーディングとともに臨んだ記者会見で語ったことが(※)、驚くべきレベルで実行されていると感じる。
(2014.9.29.サントリーホール)

(※)飯尾洋一氏のブログ(2013年9月14日の記事を参照)
http://www.classicajapan.com/wn/2013/09/
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日本フィル横浜定期第300回

2014年09月29日 | 音楽
 日本フィル横浜定期第300回。節目の定期だが、お祝いムードはなかった。淡々といつもの定期をこなした感じ。それも悪くはないが、最後の「ローマの松」がいい演奏だっただけに、ローマ三部作でもやってくれたら華やかになったのに、と。

 指揮は三ツ橋敬子。これで2度目だ。前回の記憶はあまりないが、今回は鮮明な印象を受けた。音をきちんとコントロールしている。各楽器間のバランスがよく、トゥッティの鳴り方もよく配慮されている。指揮者としての才能の表れだ。

 ただ、今のところは(というか、今回の演奏は、というべきか)慎重すぎるような気がした。もっと自分を‘開放’してもよいのではないか。ヴェネツィア在住とのことだが、オー・ソレ・ミオ!のイタリアではなく、たとえていえばピエロ・デッラ・フランチェスカのような、精妙な構築感のあるイタリアだ。

 曲目は、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(ピアノ独奏:菊池洋子)、プッチーニの「マノン・レスコー」から第3幕への間奏曲そしてレスピーギの「ローマの松」。アンコールにレスピーギの「ボッティチェッリの3枚の絵」から「ヴィーナスの誕生」が演奏された。この曲を演奏会で聴く機会は(皆無ではないとしても)あまりない。その辺にも三ツ橋敬子の志向が垣間見えるような気がした。

 唯一、第300回らしい趣向として、プログラムに過去の演奏記録が載っていた。これは懐かしかった。翌日は、家でゴロゴロしながら、その演奏記録を眺めていた。わたしは定期会員だが、いつからだったか、はっきりしなかった。日記(といっても、メモ程度のもの)を見たら、第71回(1986年3月)からだった。

 記念すべき第1回は1973年5月だ。日本フィルが分裂し、争議に入った翌年だ。あの頃は演奏会の確保に四苦八苦だったと思う。窮余の一策だったのか――。わたしが東京定期の方の会員になったのは1974年3月だ。まだ大学生だった。

 なので、当時の空気は少しわかる。マスコミに乗って華やかだったのは新日本フィルの方だが、日本フィルを支援する人たちも確実にいた。日本フィルの楽員たちは、そういう市民と交流しながら、日本フィルを存続させてきた。

 そういう市民が今でも聴衆として残っている。若い楽員には(今の聴衆を知る意味で)当時のことも知ってほしい。
(2014.9.27.横浜みなとみらいホール)
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三文オペラ

2014年09月26日 | 演劇
 新国立劇場の「三文オペラ」。JAPAN MEETSシリーズの第9弾だ。だから、ということでもあるのだろうが、演出の宮田慶子自身が述べているように、あれこれ手を加えずに、原作通り上演する試みだ。

 結果、どうだったか。じつは疲れてしまった。役者は皆一生懸命だった。熱演だったといってもいい。でも、この作品の、乾いた感性、突き放して物事を見るスタンス、そういった味わいが出てこなかった。

 今まで宮田慶子の演出には(新国立劇場で観たかぎり)どれも感心してきた。でも、今回は初めて躓いた。今までの肌理の細かい、丁寧な仕上がりは感じられなかった。作品との相性のためだろうか。宮田演出にはもっと重厚な、奥深い作品の方が向いているのかもしれない。

 もう一つの躓きの石は‘歌’だった。歌唱スタイルや歌唱力がばらばらなのだ。一人、ものすごくうまい人がいた。本格的なクラシック歌唱だ。どういう人だろうと思ったら、新国立劇場合唱団のバスのパートリーダーだった。どうりで――。でも、この作品には必ずしもクラシック歌唱は必要ではない。

 歌の中心は娼婦ジェニーを演じた島田歌穂だった。この作品にぴったりの歌唱スタイルだった。というのも、わたしのイメージはロッテ・レーニャ(クルト・ヴァイル夫人だ)の古い録音で出来上がっていて、そのスタイルに近いからだ。宮田慶子以下制作スタッフもそのことを意識していたのだろう、「海賊ジェニーの歌」は原作通りポリーに歌わせた後、ジェニーにも歌わせていた。しかもその歌をもって(第2幕の途中だが)休憩を入れるという念の入れ方だった。

 他の歌手は概ねミュージカル風だった。それも悪くはないが、この作品には微妙に合っていない。それ以上に困ったことは、歌が苦手らしい人がいたことだ。ご本人が一番よくわかっているだろうから、あえて名前は出さないが、その人の出番になるとハラハラした。そのことも疲れた一因だ。

 昔話になって恐縮だが、ウィーンでこの作品を観たことがある。ヨーゼフシュタット劇場。ベートーヴェンがその杮落しのために「献堂式序曲」を書いた劇場だ。古い、趣のある劇場だった。まさに大人の社交場だと思った。その劇場で上演された「三文オペラ」は、原作通り、なんの手も加えずに上演されたが、実に軽妙洒脱な味わいがあった。あの公演が忘れられない。
(2014.9.25.新国立劇場中劇場)
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ブロムシュテット/N響

2014年09月22日 | 音楽
 ブロムシュテット指揮N響のCプロ。1曲目はモーツァルトの交響曲第40番(クラリネット入りの版)。厳格に構築された演奏だ。音楽から、感情とかなんとか、すべての夾雑物を削ぎ落として、‘音’だけ残したような演奏。その音を厳格に構築した演奏。

 繰り返しはすべて行われていたのではないか。えっと思うような繰り返しもあった。このように演奏されると、長大な、堂々とした音楽に聴こえる。堅固な骨格を見ているようだ。でも、どことなくこわばった、青ざめた顔色のようにも思える。

 ブロムシュテットの今を如実に伝える演奏だったと思う。この数年間感じてきたブロムシュテットの今を端的に表す演奏。感心する部分と、疑問に思う部分との、その種明かしを見るような演奏だった。

 2曲目はチャイコフスキーの交響曲第5番。音は一変した。輝きをもった暖かい音。ホッとした。やはりこういう音の方が安心して聴ける。

 ブロムシュテットらしい張りのある演奏だ。だが、そう思って聴いているうちに、いつしか、緩みを感じるようになった。第4楽章ではとくにそうだった。これはブロムシュテットの演奏というよりも、N響の演奏ではないか。ブロムシュテットはもうN響に任せてしまっているのではないか――。いつものN響のペースが(底辺のところで)感じられるようになった。

 とはいえ、N響も、ブロムシュテットも、目指すところは一致していた。闘争から勝利へというドラマトゥルギー、音の隅々をきっちり合わせるアンサンブル、そういったドイツ・モデルの演奏だ。また、曲そのものも、チャイコフスキーの中ではこれ以上見事な例はないというくらいにドイツ・モデルの作品だ。

 でも、これがチャイコフスキーだろうかという、一種のもどかしさを拭えなかった。会場は沸きに沸いたが、その興奮の渦から、取り残されてしまった。

 翌日、ドイツ・モデルから離れた、ロシアの原理原則に則ったチャイコフスキーを聴きたくなった。ナクソス・ミューッジク・ライブラリーを覗いた。「悲愴」の下記(↓)の演奏を聴いてみた。第1楽章第2主題のたっぷりした歌い方。テンポが伸び気味になる。でも、そんなことはお構いなしだ。これがチャイコフスキーではないだろうかと思った。少なくとも几帳面なドイツ・モデルからは遠い。第2楽章の中間部も個性的だ。第4楽章は推して知るべし。
(2014.9.20.NHKホール)

↓バシュメット指揮ノーヴァヤ・ロシア国立響の「悲愴」
http://ml.naxos.jp/work/999804
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小泉和裕/都響

2014年09月20日 | 音楽
 小泉和裕指揮の都響。1曲目はエロード作曲のヴィオラ協奏曲。ヴィオラ独奏は都響首席奏者の鈴木学。3楽章からなるが、その第3楽章が、昔懐かしい映画を観るような、あるいは、セピア色の写真を見るような、そんなノスタルジーを感じさせる音楽だ。

 イヴァン・エロード、どういう作曲家だろう。Wikipedia(英語版)によると、1936年ブダペスト生まれ。兄弟(単数)と祖父母は1944年にアウシュヴィッツで殺された。1956年にハンガリー動乱が起きると、オーストリアに逃れた。オペラ歌手のアドリアン・エレードは息子だ。

 アドリアン・エレード! 新国立劇場の「こうもり」で来年2月に来日予定だ(アイゼンシュタイン役)(※)。2011年にも同役で来日した。ライマンのオペラ「メデア」(ヤーソン役)やアデスのオペラ「テンペスト」(プロスペロー役)で強烈な印象を受けた。その父親か――。

 イヴァン(父親)はオペラを2曲書いている。交響曲も2曲書いている。その一つは「旧世界よりFrom the Old World」(1995)。どういう曲だろう?

 2曲目はブルックナーの交響曲第2番。ノヴァーク:1877年版による演奏。初稿は1872年に書かれたが、翌1873年に大幅に改訂された(両方の版を録音したクルト・アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管のCDが出たときには驚いた。今では懐かしい想い出だ)。その後1877年にさらに改訂された。今回はこの版での演奏。

 第1楽章の冒頭、ヴァイオリンとヴィオラの幽かなトレモロの中から、チェロが第1主題を歌いだす。木管楽器が入ってくる。第1ヴァイオリンがチェロを受け継ぐ――こういった一連の流れが、自然な呼吸感をもって、完璧なバランス感覚で演奏された。おおっと思った。これは凄い、と。

 この時点で確保された演奏スタイルが、全曲を通して(終楽章の最後まで)崩れることなく続いた。肩の力を抜いた、しかも集中力の途切れない演奏。見事だ。指揮者の成熟なくして実現しない演奏だ。精神的に成熟して、ブルックナーの広大な音楽を一身で受け止めることができるようになって、初めて実現する演奏だ。

 と同時にオーケストラとの信頼関係もはっきり感じられた。長年培ってきた信頼関係と指揮者の成熟、そしてオーケストラの好調ぶり、それら3つの軌跡が邂逅し、この演奏に結実したように思う。
(2014.9.19.東京芸術劇場)

(※)追記
 後で気が付いたが、本年10月の「ドン・ジョヴァンニ」もアドリアン・エレードがタイトルロールだ。
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ノルマンディー展

2014年09月18日 | 美術
 損保ジャパン日本興亜美術館の「ノルマンディー展」。地味な展覧会なので、人が少なく、ゆったりした時間を過ごすことができた。

 事前にホームページを見たら、作品リストが載っていた。ブーダン(1824‐1898)の作品が多い。なるほど、ノルマンディーの画家というと、ブーダンになるのか、ならば、この機会にブーダンをしっかり見てこようと――。

 でも、実際には習作や未完の作品(らしきもの)も多く、まとまった手応えは得られなかった。その中ではチラシに使われている「ル・アーヴル、ウール停泊地」(※1)が印象的だった。夕日に染まった透明な空。ターナー的だなと思った。ブーダンらしくない一瞬の空の表情だ。ブーダンはもっと安定した穏やかな空を描く画家ではなかったろうか。

 これと並ぶ作品がもう1点あるとよかったが、残念ながら、他の作品は(わたしには)力不足と感じられた。せめて国立西洋美術館の「トゥルーヴィルの浜辺」(※2)でも出展されていれば、本展はもっと引き締まった構成になったかもしれない。

 わたしにとって最大の目玉は、意外なところにあった。ヴァロットン(1865‐1925)だ。今ちょうど三菱一号館美術館でやっているヴァロットン。その個性的な作品を知ったばかりの画家だ。本展では2作品が来ている。その中の「オンフルールの眺め、夏の朝」に強烈な印象を受けた。すっかり明けきった朝の空に、何本もの樹木が曲がりくねった曲線を描いて伸びている。鮮烈な緑が目を射る。

 画像を紹介したいのだが、収蔵館(ボーヴェ、オワーズ美術館)のデータベースには登録されていなかった。他館で似たテーマの作品を見つけたが、それでは意味がないだろう。残念ながら――。

 最近展覧会を見た画家としては、デュフィ(1877‐1953)の作品も多数来ていた。デュフィらしさを楽しめる作品が何点かあった。

 でも、むしろ、未知の画家の作品で、おっと思うものがあった。1点はウジェーヌ・イザベイEugene Isabey(1803‐1886)の「トゥルーヴィルのレ・ゼコーレ」。強烈な夕日に目がくらむような作品だ。もう1点はシャルル・フルションCharles Freshon(1856‐1929)の「一日の終わり」。この世ならぬ一瞬の光。いずれも画像が見つからないので、ご紹介できないが。
(2014.9.17.損保ジャパン日本興亜美術館)

(※1)「ル・アーヴル、ウール停泊地」(本展のホームページ)
http://www.sjnk-museum.org/program/current/2139.html

(※2)「トゥルーヴィルの浜辺」
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Boudin_Beach_of_Trouville.jpg
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イドメネオ

2014年09月15日 | 音楽
 ダミアーノ・ミキエレット演出の「イドメネオ」。東京二期会のヨーロッパの‘旬’のオペラ上演を日本に紹介する路線の、これはすばらしい成果だ。2012年のクラウス・グート演出の「パルジファル」と並ぶ成功例だと思う。

 戦争から帰った兵士(本作の場合は指揮官)のPTSDというコンセプトは、プログラムの森岡実穂氏の解説で述べられているところなので、わたしなどが云々するまでもない。血塗られた指揮官=イドメネオという見方は昔からあった。それをPTSDというコンセプトで解釈し直した点が目新しい。

 驚いたのはエレットラだ。思いっ切りコミカルにしている。とくに第2幕のアリアは、今までそうだと思っていた‘穏やかな’アリアではなく、腰が抜けるほどコミカルに仕立てられていた。面白い。なるほど、こういう解釈も可能なのかと、目からうろこが落ちる思いだった。

 エレットラを歌った大隅智佳子はパワー全開だ。ワーグナーの処女作「妖精」で初めて聴いたときから注目していたが、こういうコミカルな役作りもできる歌手になるとは思わなかった。歌の実力はいうまでもなく、第3幕の怒りのアリアは迫力満点だった。

 イダマンテの山下牧子もよかった。この人のズボン役を観るのは初めてだが、期待以上のできだ。硬質の声がズボン役に相応しい。イドメネオの与儀巧は陰影のある歌だった。ただ、どういうわけか、最大の聴きどころの第2幕前半のアリアは、少し一本調子に聴こえた。わたしの聴き方がわるかったのか――。

 準・メルクルの指揮もよかった。よく指摘されることだが、本作のオーケストラ書法の充実ぶりが、手に取るように伝わってきた。なるほど、これは、当時世界最高といわれたマンハイムのオーケストラを使えるので、モーツァルトが夢中になって書いた音楽なのだなと納得できた。

 細かい点だが、第2幕の幕切れでウィンド・マシーンが使われていた。モーツァルトが書いたはずはないので、だれかの創意(か演奏慣習)だろう。もう一つ、同じ箇所でバス・ドラムが最後まで残って、遠雷を表現していた。これは効果抜群だった。

 不満があったとすれば合唱だ。このオペラは合唱の比重が大きいが、パワー不足で客席まで届いてこなかった。とくに第3幕のフィナーレの合唱は物足りなかった。もしかすると、演出との兼ね合いで、意図して合唱を抑えたのだろうかと、そんなことまで考えた。
(2014.9.14.新国立劇場)
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山田和樹/日本フィル

2014年09月13日 | 音楽
 山田和樹指揮の日本フィル。今週はヤクブ・フルシャ、下野竜也と立て続けによい指揮者を聴いたが、山田和樹も負けず劣らず(というか、ひょっとすると、もっと)よい指揮者だと感じ入った。

 1曲目はリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」から「ワルツ第1番」。じつは会場に行くまでは「ばらの騎士」組曲だと思っていた。山田和樹のプレトークで初めて「ワルツ第1番」という曲だとわかった。そういう曲があるのか――。「ばらの騎士」組曲とくらべて渋いというか、媚びたところがない。広瀬大介氏のプログラムノートによれば、オットー・ジンガーという人の編曲だが、(とくに終結部には)シュトラウス自身の手がずいぶん入っているそうだ。たしかにオペラでは聴いたことのない音の動きがあった。

 2曲目はシェーンベルクの「浄められた夜」。わたしは知らなかったが、この曲の弦楽合奏版には1917年版と1943年版があるそうだ。シェーンベルク自身は1943年版について「オリジナルの弦楽六重奏へのバランスに戻すことを重視した」と語ったそうだ(プログラムノート)。当夜はその1943年版による演奏。

 ヴァイオリン12+10、ヴィオラ6+6、チェロ6+4、コントラバス6という大編成。緊張感のある、シャープな演奏だった。名演だった。この曲が内包する微細なドラマをすべて的確に描き出した。

 この曲については、かねてから気になっていることがあるので、一夜明けた今日、ちょっと調べてみた。

 シェーンベルクがこの曲を書いたのは1899年11月~12月(プログラムノート)。では、ツェムリンスキーの妹マティルデと結婚したのはいつだったろう。調べたら、1901年10月だった。でも、その前に婚約期間があるようだ。婚約したのはいつだったのだろう。

 わたしの妄想は、この曲の作曲時期と婚約時期とが、重なっているのではないだろうか、ということだ。マティルデは結婚後の1908年、若い画家のゲルストルと駆け落ち騒動を起こしたが、婚約前にもなにかあったのでは――。

 3曲目はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」。これも名演だった。独奏チェロ(菊地知也)とヴィオラ(パウリーネ・ザクセ)がオーケストラのなかに組み込まれ、絶妙のバランスを保っていた。このバランスのよさ、音のコントロール能力の高さが、山田和樹の魅力だ。
(2014.9.12.サントリーホール)
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下野竜也/読響

2014年09月10日 | 音楽
 下野竜也指揮の読響。1曲目はハイドンの交響曲第9番。下野竜也の話によると「9月9日の演奏会でメインプログラムはブルックナーの交響曲第9番。で、もう1曲は、となって、ハイドンの9番を選んだ」とのこと(読響のHP)。どこまで本当か(笑)。

 小編成のオーケストラの軽い音が心地よい。歯切れのいいリズムで淀みなく進む。いかにも初期のハイドンに相応しい演奏だという感じ。

 この曲は3楽章構成だ。メヌエットで終わる。今の感覚でいえば、フィナーレがない。でも、当時の人々はどうだったのだろう。4楽章構成の交響曲モデルがまだない時期だ。なんでもありの状態ではなかったろうか。ハイドンにかぎらず、さまざまな試みが行われていたのだろう。

 あの膨大な数のハイドンの交響曲は‘宝の山’ではないかという気がした。他にどんな‘宝’が埋もれているのだろう。それを知らずに過ごすのはもったいないと思った。

 2曲目はブルックナーの交響曲第9番。さて、どういう演奏になるか。正直にいうと、おっかなびっくりだった。というのは、今まで聴いた第4番と第5番には少し引っかかっていたからだ。とくに第5番には‘力み’が感じられた。豪快に鳴るのだが(それは今どき珍しいほどの豪快さなのだが)、「どうしてこんなに強面なのだろう」と思うような面があった。

 で、今回の第9番だが、これは(よい意味で)予想を裏切る演奏だった。第1楽章の冒頭から息の長い第1主題の終わりまで、ゆるやかな線を描く演奏を聴くことができた。第1主題の最後の最強奏の部分では、思いっきり引き伸ばされたテヌートに度肝を抜かれた。でも、このくらいの芝居っ気はあってもいい。

 第1楽章はそのペースで進んだ。第2楽章も好調だと思った。だが、第3楽章になってテンポが遅くなった。実感からいうと、(演奏が進むにつれて)だんだん遅くなった。これはまずいパターンだ。わたしは集中力がもたなかった。

 1曲目のハイドンを振り返ってみると、下野竜也の音楽性は真正なものだと思う。それは信じて疑わない。でも、ブルックナーでは試行錯誤が感じられる。デビュー以来継続的に取り組んできたシューマン、ヒンデミットそしてドヴォルザークでは感じなかったことだ。賢明な下野竜也のことだから、こういったことはすべて承知の上で、今ブルックナーに取り組んでいるのだろう。長い目で見守りたい。
(2014.9.9.サントリーホール)
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フルシャ/都響

2014年09月09日 | 音楽
 秋のシーズン開幕(わたしにとっては)。その最初の演奏会はフルシャ指揮の都響だった。オール・マルティヌー・プログラム。

 1曲目は交響曲第4番。以前(あれはいつだったか)アラン・ギルバートがN響を振って名演を聴かせた。その記憶がまだ鮮明に残っている。今回も大いに期待したが、期待が大きすぎたのか、どうも乗れなかった。なぜだろう。たぶん‘色’が足りなかったのだ。この曲特有の色彩感が不足していた。

 そう思って振り返ってみると、リズムも今一つ重かった。重かったというと言い過ぎになるかもしれないが、弾むようなリズム感が不足していた。非対称のリズムが絡み合って沸騰していく、そんな軽さが出てこなかった。

 演奏がわるかったというわけではなく、とくに最後の第4楽章では充実したオーケストラの音を聴くことができた。でも、それがもう一段上のレベルに‘結実’しなかった。ほんらい到達すべき演奏に届かなかった。

 なんだか不満足な状態のまま2曲目を迎えた。カンタータ「花束」。そんな曲があったのかと思った。マルティヌーは多作家なので、知っている曲はその一部でしかない。そういう自分を棚に上げていうのだが、「花束」という曲名は初耳だ。

 オーケストラの音が見違えるようにカラフルになった。思わず目をみはった。透明な空気感がある。リズムも軽くなった。しかもピタッと決まっている。1曲目に不足していたすべての要素がここにはあると思った。こうでなくては――。

 おまけに、新国立劇場合唱団のすばらしいこと。‘塵一つない’と形容したくなるような完璧さだ。最近この合唱団には賛辞が絶えないので、今さらという気もするが、それにしてもさすがだ。

 4人の独唱者はチェコからの招聘。ソプラノのシュレイモヴァー金城由紀子は日本人のようだ。チェコの方と結婚しているのかもしれない。しっかりした歌だった。テノールのペテル・ベルゲルは、新国立劇場の「ルサルカ」で王子役を歌った人だそうだ(念のために同劇場のHPを見たら、ペーター・ベルガ―と表記されていた)。さすがはオペラ歌手、すごい声だ。

 この曲はマルティヌーがもっとも民族主義的な音楽に近づいた例の一つではないだろうか。マルティヌーの全体像を理解する上で重要なパーツだ。1937年の作。ヒトラーの脅威が迫っていた時期だ。そういう時代背景も影響しているのだろうか。
(2014.9.8.サントリーホール)
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親の顔が見たい

2014年09月06日 | 演劇
 新国立劇場の演劇研修所公演「親の顔が見たい」。都内の私立の女子中学校の話だ。いじめにあった生徒が自殺する。いじめグループと目される生徒たちの保護者が集められる。さて、その反応は‥。

 これは子どもの話ではなく、親の話だ。今の世相(=大人たち)の話だ。親の顔が見たいという、その‘親の顔’を見せる芝居。我が子可愛さで、いじめを否定する。口から出まかせ、なんだかんだと強弁する。みんな同調する。あれこれ責任を転嫁する。‘死’を受け止めようとする者はいない。

 ブラックユーモアの世界だろうか。いや、むしろリアルな世界だ。笑ってしまう。でも、それはいかにもありそうな話だからだ。笑った後で、ため息が出る。この現実をどうすることもできない。いったいいつからこうなったのかと、天を仰ぐしかない。

 親たちに交じって、祖父母が来ている。祖父は子ども(孫)に‘いじめ’を直視させようとする。だが、一斉に攻撃される。「正義ぶっている」と恫喝され、侮蔑されて、黙らざるを得ない。要するに‘いじめ’などなかったことにしたい。子どもを守るためには‘いじめ’はなかったことにしたいと、本気でそう思っている。

 でも、それがほんとうに子どもを守ることなのかと、そう考える者はいない。‘死’を受け止めて、子どもに苦しい道を歩ませようとする者はいない。事実に砂をかけ、考えないようにし、楽な道を歩ませようとする。そうしない者は攻撃する。

 作者は畑澤聖悟(1964‐)。現役の高校教師だそうだ。この作品は「フィクションとして構成したが、20数年の教員生活が積み重なって戯曲になったようである」とプログラムに記している。そして、こう書いている、「この馬鹿げた物語はいつになれば昔話になってくれるのか。」と――。

 演じたのは演劇研修所の第8期生たち。皆さん熱演だ。ちょっと不器用そうな人もいるが、そういう人のほうが将来伸びることだってあり得るだろう。修了生が2人助演している。また、ベテランの関輝雄と南一恵が(祖父母役で)出演している。さすがの存在感だ。なにもしゃべらなくても、そこにいるだけで、存在感がある。

 演劇研修所の公演は好きで、よく観ている。皆さんの熱演もさることながら、作品が興味深いからでもある。今回は飛びきり面白かった。こういう作品を取り上げてくれて、ありたがい。
(2014.9.5.新国立劇場小劇場)
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福島県立美術館

2014年09月04日 | 美術
 福島県の飯坂温泉に行ってきた。仕事で行ったのだが、2泊3日の最終日は仕事が早めに終わったので、帰京の途中で福島県立美術館に寄ってきた。

 時間の関係で常設展しか見ることができなかったが、それでも十分満足した。なんといっても、福島県出身の画家、関根正二(1899‐1919)の作品が目を引く。20歳で亡くなった天才画家だ。

 関根正二といえば、大原美術館に収蔵されている「信仰の悲しみ」(1918)(※1)を思い出す。この画家と出会った最初の作品だ。ハッとした。これはどういう作品だろうと思った。古代の衣装のような長衣を着た5人の女性が歩いている。手になにか持っている。死者に捧げるのか。古代の儀式のようだ。

 それ以来この画家の名前がインプットされた。他の作品もいくつか見た。でも、作品数そのものが少ないので、見る機会は限られていた。ところがこの福島県立美術館では、5点もの作品が並んでいる。地元の強みだろう。得難い機会だった。

 上記の「信仰の悲しみ」は第5回二科展(1918)に出品された。そのとき「姉弟」と「自画像」も出品された。その中の「姉弟」(※2)が展示されていた。意外に大きかった。80.5×60.5㎝のサイズ。画集で見ると、「信仰の悲しみ」とくらべてインパクトが弱かった。でも、実物を見ると、そうではなかった。夕空(のように見える)の多彩な色調が美しかった。胸にしみるようなノスタルジーがあった。記憶では、弟をおぶった姉は、ひまわり畑の上に浮いているように思っていた。実際には下方に足が伸びていた。

 「神の祈り」(1918)は明らかに「信仰の悲しみ」の姉妹作だ。「信仰の悲しみ」と同じく長衣を着た女性が2人立っている。一人は地を指さし、もう一人は手に捧げもの(果物?)を持っている。関根正二があと1年存命だったら、同じテーマの作品群が生まれたかもしれない。

 関根正二以外では、ベン・シャーン(1898‐1969)の「ラッキー・ドラゴン」(1960)が、やはり衝撃的だった。1954年にマーシャル諸島近海で操業中だったマグロ漁船、第五福竜丸が、アメリカの水爆実験に遭遇し、大量の放射性物質を被ばくした。その事件を描いた絵本「ここが家だ」(※3)でお馴染みの作品だ。

 この作品は、いつ、どういう経緯でこの美術館に収蔵されたのか――。原発事故が起きた今になってみると、運命的なものを感じてしまう。
(2014.9.3.福島県立美術館)

(※1)「信仰の悲しみ」
http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3b09.html

(※2)「姉弟」
http://www.art-museum.fks.ed.jp/collection/sekine.html

(※3)「ラッキー・ドラゴン」の画像が見つからないので、絵本「ここが家だ」の画像を。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%93%E3%81%8C%E5%AE%B6%E3%81%A0%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8-%E3%83%99%E3%83%B3-%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%B3/dp/4082990151
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