Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

クレー展

2011年07月27日 | 美術
 東京国立近代美術館で開催中のパウル・クレー展。会期末が迫ってきたので、今回は無理かなと諦めかけたが、なんとか行くことができた。閉館まであと1時間を切っていて、しかも結構混んでいたので、ゆっくり見ることはできなかった。でも、さすがはクレー、一夜明けた今でも、頭のなかはクレーでいっぱいだ。

 本展の特徴は、制作過程を追う試みである点だ。プロセス1~4に分けて、さまざまな制作過程を追っている。しかもユニークなのは、その展示方法だ。各プロセスは街区を形成し、中世の旧市街のように入り組んでいる。鑑賞者はまるで狭い路地に迷い込んだような感覚になる。

 もし、もっと時間があり、すいていれば、時間をかけてこの展示方法を呑みこむ喜びを味わえただろう。残念ながらそうはいかず、駆け足になってしまった。

 それでも、手持ちの画集でいつも観ている「綱渡り師」の実物に出会え、黒く滲んだ描線の制作過程を理解することができた。クレーは、(1)まず一枚の素描を描き、(2)次に黒い油絵の具を塗った紙を裏返して、(3)それを白い紙の上に置き、(4)それら二枚の紙の上に素描を重ね、(5)素描の描線を針でなぞって一番下の紙に転写し、(6)水彩絵の具で彩色する、という制作過程をとったそうだ。

 また、思いがけず、吉田秀和さんのエッセイ「絵画・運動・時間」と「クレーの跡」で馴染んでいる「嘆き悲しんで」に出会えたことも喜びだった。吉田さんは1961年(昭和36年)のクレー展でこの作品をご覧になった。わたしは今までモノクロの写真でしか観たことがなかったが、実物を観て、モザイク状の斑点が、一定の秩序のもとで、薄い茶、青、橙に彩色されているのがわかった。落ち着いた、深みのある作品だ。

 本展は何年も前から準備されたものにちがいないが、それと関係があるのかないのか、あるいはちょうどタイミングが合ったのか、ともかく同館は昨年「山への衝動」を収蔵した。もちろん今回も展示されている。意外に大作だ。サイズは95×70。死の前年、クレーの創作力が爆発した1939年の作品だ。ナチスにたいする抵抗が、痛いほどに感じられるが、同時に自らをドン・キホーテになぞらえているとも感じられ、それがいかにもクレーらしい。

 クレーの定義は難しいが、今秋同館で個展を開催するイケムラレイコさんの言葉を見つけたので、ご紹介したい。「彼は作家としてモニュメントをつくるのではなく、眼だけを残して去っていった。クレーの眼はいろんなものを見た。いろんな時代を見た。」
(2011.7.26.東京国立近代美術館)
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下野竜也&読響

2011年07月24日 | 音楽
 読響の7月定期も楽しかった。指揮は正指揮者の下野竜也さん。下野さんの実力は言わずもがなだが、一方ではコメディアン的なセンスもお持ちで、この定期はその両方が発揮された演奏会になった。

 1曲目はヒンデミットの「〈さまよえるオランダ人〉への序曲」。副題に「下手くそな宮廷楽団が朝7時に湯治場で初見をした」とある。原曲は弦楽四重奏だが、それを下野さんが弦楽合奏用にアレンジした。

 ホールに入ると、Pブロックの客席の後ろに「読響温泉」と書かれた大きな看板が立っていた。なるほど、ここは「湯治場」というわけか、と思わず笑みがこぼれた。看板の横には大きな時計があった。う~ん? しばらくして気が付いた。そうか、この時計が「7時」になると、演奏が始まるわけか。

 7時になると、ステージの後ろからガヤガヤと声がして、楽団員が出てきた。みなさん、うちわを持って、扇ぎながら。男性は上着を脱いで、ワイシャツ姿。なかには温泉マークの法被を着ている人もいる。ステージに出てからも私語が絶えない。下野さんが出てきて、「さあ、さあ、みなさん、お待たせしました。よろしくお願いしますよ」というようなことを言いながら、譜面を配った。「初見」というわけだ。

 出てくる音楽は、音がずれ、音程が狂った、調子っぱずれの「さまよえるオランダ人」序曲。おそらく、古今東西の作曲家のなかで、ワーグナーほどパロディの対象になった作曲家はいないが、これもその一つだ。

 こうして大爆笑のうちに演奏が終わった。

 2曲目からは真面目になって、ヒンデミットの「管弦楽のための協奏曲」。1925年に作曲された新即物主義の初期の作品で、日本初演。全4楽章から成り、どの楽章もきびきびした音の動きが面白い。プログラムノートによると、フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮した1950年の録音があるそうだ。1950年といえばフルトヴェングラー最晩年。ヒンデミットとは浅からぬ縁のあったフルトヴェングラーだ。その録音を聴いてみたい。

 3曲目はブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(ハース版)。これは今の下野さんの充実ぶりを示す、壮麗で、きっちり構築された演奏だった。しかも、どんなときでも、自然な呼吸感を失わなかった。そういうなかで、あえていえば、第2楽章の前半が薄味だった。まだ若い下野さん。今後の熟成が楽しみだ。
(2011.7.19.サントリーホール)
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アラン・ギルバート&都響

2011年07月23日 | 音楽
 「都響スペシャル」として、ニューヨーク・フィル音楽監督のアラン・ギルバートが都響を振った。ギルバートは若いころよくN響を振っていたが、なかでも2007年12月に聴いたマルティヌーの交響曲第4番は感銘深かった。それ以降、日本のオーケストラは振っていないはずだ。都響とは今回が初めて。

 1曲目はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。後で振り返ってみると、この曲からすでに都響に変化が表れていたのだが、まだこのときは半信半疑だった。音がきれいで、バランスがいつもとはちがうと感じたが、それがほんとうに起きていることなのか、この曲だけなのか、確信がもてなかった。

 2曲目はベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」。ヴァイオリン独奏はフランク・ペーター・ツィンマーマン。オーケストラの音色は暖色系の色彩感にあふれ、多彩な色彩が流動する緻密なテクスチュアの上に、独奏ヴァイオリンが明瞭な図柄を織り込む、という演奏だった。

 第2楽章後半で、バッハのコラールが引用されてしばらくしたころに、ツィンマーマンがオーケストラのなかに入っていき、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの間に立った。ハッとして聴いていると、この箇所では独奏ヴァイオリンとコンサートマスターが、ときには同じ音型を弾きながら、絡み合っていくのだった。なるほど、ここはこうなっているのかと、目からうろこが落ちる思いだった。

 アンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番から「サラバンド」が演奏された。これもいうまでもなく、すばらしかった。ホール全体が楽器となって鳴っていた。

 3曲目はブラームスの交響曲第1番。これはもう前の2曲で予感したとおり、緻密で、バランスがよく、しかも曲の性格からいって、ダイナミックで、アグレッシヴな面にも欠けていない演奏だった。

 この曲に至ってよくわかったが、わたしがこの演奏会で聴いたのは、都響の変貌だった。音にふくらみがあり、網の目のように絡み合い、どんなに強音が鳴らされても、アンサンブルが損なわれない――そういう1個の有機体のような演奏だった。

 プログラムに載った奥田佳道さんの記事によると、アラン・ギルバートは若いころフィラデルフィア管弦楽団のヴァイオリン奏者だったそうだ。なるほど、と思った。
(2011.7.18.サントリーホール)
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スザンナ・マルッキ&N響

2011年07月22日 | 音楽
 旅の記録を書いている間に、興味ある演奏会がいくつかあった。多少旧聞に属するかもしれないが、N響、都響、読響の感想を。

 まずは『N響「夏」2011』。スザンナ・マルッキが指揮をするのが注目の的だった。

 スザンナ・マルッキはフィンランド生まれの女性指揮者。現在はパリのアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督をしている。東京では2009年にシュトックハウゼンの難曲「グルッペン」でN響を指揮した。あの曲はオーケストラが3群に分かれていて、3人の指揮者が振るが、その中心的な役割を担っていたのがマルッキだ。

 今回は、演奏会の性格上、ポピュラーな名曲が並んだ。

 1曲目はベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。各パートのリズムがぴったり合っていて、見事な、というよりも冷徹な、といったほうがよいリズム処理だった。こういうリズム処理はどこかで聴いたことがある気がして、ぼんやり考えているうちに、往年の名指揮者アンセルメがスイス・ロマンド管と入れた各種のLP、たとえばシャブリエの狂詩曲「スペイン」を思い出した。

 もっとも、アンセルメのような色彩感には欠けていて、浮き立つような感じが出てこないのが、もどかしかった。これはマルッキのせいというよりも、N響サイドに共感の不足がありそうだった。

 2曲目はラロのスペイン交響曲。ヴァイオリン独奏は樫本大進。楽章を追うごとに調子が出てきて、最終楽章など滑らかで流麗な演奏だった。でも、あえていうと、ラテン的ではなかった。それはマルッキも同じだった。なお、この演奏では、第3楽章が省略されずに、全5楽章で演奏された。今の耳には、このほうが面白い。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。リズム処理の冷徹さは1曲目と同じだが、この曲ではさらに、音楽の根幹を形成する男性原理に挑む、といった姿勢が加わった。マルッキは、容姿はチャーミングだが、女性らしさを売りにする指揮者ではなく、そこが好ましい。

 アンコールにシベリウスの「悲しいワルツ」が演奏された。これは一転してテンポを揺らし、センシティヴな歌い方だった。ベルリオーズやベートーヴェンには現れなかった一面を覗くことができた。

 N響は、プロ中のプロとして、必要十分な仕事をしたとは思うが、マルッキの新しい才能を楽しむ気配はうかがえなかった。
(2011.7.15.NHKホール)
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ミュンヘン:アッシジの聖フランチェスコ

2011年07月21日 | 音楽
 最終日はミュンヘンに戻って、メシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」を観た。ケント・ナガノがこの歌劇場の音楽監督になったときから、いつかはこの作品を取り上げてほしいと思っていた。そのときはなにがなんでも駆けつけよう、と。それが実現したわけだ。

 オペラが始まる前に、何十人もの観客が舞台に上がって、物珍しそうにぶらぶら歩きまわり始めた。そのうち、音楽が始まって、目隠しされた白衣の男が、十字架にかけられて運び込まれた。男を取り囲む何人もの男女(アクショニストというらしい)が、男の口に赤い液体、つまり血を流し込んだ。血は白衣をつたって流れ落ちた。

 以上が第1景。この場面では聖フランチェスコと弟子レオーネが宗教的な問答をするのだが、それとこのパフォーマンスとはどう関わっているのか。

 舞台上の観客たちは第1景が終わると立ち去ったが、十字架と血のパフォーマンスはその後も延々と続き、プロジェクターによる映像も加わって、どんどん過激になった。

 演出はヘルマン・ニッチュHermann Nitschという前衛芸術家。1938年ウィーン生まれで、第二次世界大戦後、一貫して前衛芸術を展開してきたそうだ。その芸術活動をウィーン・アクショニズム(独語Wiener Aktionismus)というらしい。

 要するに本公演は、メシアンのオペラとウィーン・アクショニズムとのコラボレーションというわけだ。メシアンのオペラはオペラで存在し、それと関係があるのか、ないのかはともかく、ウィーン・アクショニズムが展開されたわけだ。

 言い換えるなら、本公演には演出は存在しない。演出不在の公演だ。これがわたしには一番困った点だった。既存のパフォーマンスが展開されるだけで、オペラにたいする解釈は存在しなかった。

 歌手では天使役のクリスティーネ・シェーファーが、透明感あふれる声で、まさに適役だった。聖フランチェスコ役のPaul Gayは、もっと苦悩が表に出てほしかった。無表情な歌と演技は、だんだん単調に感じられた。もっともこれは「演出」担当のニッチュの要請だったかもしれない。重い皮膚病をわずらう人役のJohn Daszakも同様だった。

 指揮のケント・ナガノは、この作品を知り尽くしている様子で、切れ味のよい指揮ぶりだった。オーケストラもよくこなしていた。
(2011.7.10.バイエルン国立歌劇場)
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カールスルーエ:ダントンの死

2011年07月20日 | 音楽
 翌日はカールスルーエに移動して、アイネムのオペラ「ダントンの死」を観た。実はこの日は他にもいろいろ選択肢があったが、迷わずこれに決めた。

 原作はビューヒナーの同名の戯曲。昔、ベルクのオペラ「ヴォツェック」の原作を読んでみようと思って、ビューヒナーの戯曲「ヴォイツェック」を読んで、ついでに「ダントンの死」も読んだ。そのとき、作品に渦巻く異様な興奮に圧倒されたのを、今でも覚えている。また、若いわたしが漠然と抱いていた革命(本作はフランス革命の内部闘争を描いている)にたいする理想主義的なイメージが、無惨に打ち砕かれたのも、そのときだった。

 オペラの存在は前から知っていた。原作を読んだ後、CDを見つけて、どういう音楽かもわかった。だが、生の舞台を観るのは望み薄だと思っていた。

 今回の公演では、本作の前に、現代ドイツの作曲家リームの新作「ある通り、リュシールEine Strasse,Lucile」が上演された。これは原作の最終場面をテキストに使ったモノオペラだ。同じ場面がアイネムにも出てくるので、その先取りの性格になっていた。

 リームの音楽は、ベルクのような無調音楽に、街の音楽がコラージュ的に挿入されるものだった。演奏時間は10~15分くらい。ビューヒナーの戯曲の最後の台詞、「国王万歳!Es lebe der Koenig!」が叫ばれるところで、断ち切られるように終わり、そのままアイネムのオペラが始まった。

 アイネムの音楽は、一言でいうと、新古典主義的な作風にジャズのイディオムを取り入れたもので、1947年のザルツブルク音楽祭における初演時には、新時代の到来を告げる(あるいは、過去の悪夢を吹き飛ばす)破壊力があったようだ。けれども、今の耳で聴くと、楽天的な感じがしなくもない。

 リームの音楽は、そういうアイネムの音楽を批評するとともに、当時の破壊力を思い起こさせる異化効果もあった。

 また、これは演出上のアイディアだろうが、最後の台詞が「国王万歳?Es lebe der Koenig?」と呟くように発せられたのも面白かった。これは、リームの場合と対比させることにより、ビューヒナーの台詞の解釈を問うものと感じられた。

 指揮者も歌手も演出家も、おそらくこの劇場の専属メンバーだろう。観客には顔なじみのようだった。合唱も大迫力で拍手喝さいだった。
(2011.7.9.カールスルーエ歌劇場)
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シュトゥットガルト:時と悟りの勝利

2011年07月19日 | 音楽
 シュトゥットガルトの2日目はヘンデルの「時と悟りの勝利」。これはもともとオラトリオだが、ビエイトの演出でオペラとして上演された。

 本作はヘンデルのイタリア滞在中の作品。当時のローマではオペラ禁止令が出ていたので、多くの作曲家はオラトリオに仮装して、劇的表現をおこなった。本作もその一つ。

 これはもう何年も前のことだが、チェチーリア・バルトリがアーノンクールと組んで本作を上演した。その記事を読んで以来、いつかは生で、できればオペラとして、聴いてみたいと思っていた。

 本作は全2幕。第1幕では「快楽」(快楽の擬人化)が「美」(美の擬人化)に快楽の世界を見せる。ビエイトの演出では、無数のカラフルな紙テープが舞い降りてきて、子供たちがそれを集めて遊ぶ。楽しい演出だった。

 一方、第2幕では「悟り」(悟りの擬人化)と「時」(時の擬人化)が「美」に真実の世界を見せる。やがて死すべき定めを想い、現世の虚飾を捨てよ、という教えだ。ビエイトの演出では、何人もの老人たちが出てきて、下着姿で(紙おむつを付けている人もいる)ウロウロと、亡霊のように歩き回る。

 「美」は真実に目覚めて、虚飾を捨て、本作は静かに終わる――はずだが、ビエイトの演出では、突然、冒頭の明るく、活気のあるシンフォニアに戻り、老人たちが回転ブランコに乗って、歓声をあげた。老人になっても楽しいことはあるし、ばか騒ぎもする、というわけだ。なんとも元気の出るメッセージだ。隣に座っていた初老のご婦人は、わたしに「Good idea!」といって微笑んだ。

 これがビエイト演出の要諦だ。死を想い、虚飾を捨てよ、というのは当時の教皇庁の教えだが、今では(ひょっとすると当時も)そこには収まりきらない生のエネルギーが、庶民にはある(あったはず)。これをおざなりにせずに、救い出したわけだ。

 思えばビエイトは過激な演出で頭角を現したが、その本質には意外なほどヒューマニズムがあるようだ。

 指揮はSebastien Rouland。以前ミンコフスキーの助手をしていたそうだ。なるほど、音楽づくりから、指揮の身振りまで、ミンコフスキーに似ていた。歌手のなかでは「時」のCharles Workmanに注目した。レパートリーにはグルック、モーツァルト、ロッシーニからプフィッツナーの「パレストリーナ」まで入っている。
(2011.7.8.シュトゥットガルト歌劇場)
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シュトゥットガルト:さまよえるオランダ人

2011年07月18日 | 音楽
 翌日はシュトゥットガルトに移動した。今や欧州きっての売れっことなったカリスト・ビエイトCalixto Bieito演出のオペラを2本観るのが目的。

 まずは「さまよえるオランダ人」。1841年の初稿による上演だ。ダーラントは「ドナルド」、エリックは「ジョージ」、マリーは「メアリー」となっている。楽器編成ではハープが使われていない。数年前にブルーノ・ヴァイルのCDが出て、わたしもそのときは驚いたが、今ではそれが舞台に載っているわけだ。

 もっとも、この公演は、幕切れに救済がない点を除いては、ことさら初稿を意識した上演ではなかった。言い換えるなら、ビエイトは、仮に改訂稿であったとしても、同じ演出をしたのではないかと思えるほど、これはもう動かしようのない、絶対的な演出だった。

 ビエイトの演出なので、性、暴力、酒、その他ありとあらゆる猥雑なディテールが氾濫しているが、感心したのは、散らかり放題ともいうべきそれらのディテールの基底には、ある一つのコンセプトがあることだった。

 それはお金だ。ドナルド(ダーラント)はもちろんのこと、水夫たちも女たちも、お金を求めて、「成功」を夢見ている。オランダ人もその一人にちがいないが、かれだけは人生に虚無を感じている。ゼンタはそういう異質な存在のオランダ人に惹かれる。一方、ジョージ(エリック)は「成功」から見放された男だ。お金にたいするアンチテーゼは、オランダ人ではなく、ジョージ(エリック)だ。

 こういう構図でとらえたとき、ジョージ(エリック)がくっきりした輪郭をもつ登場人物となることが、喜ばしい発見だった。いつもはエリックの個性が弱くて、ドラマの弱点になっていたが、それが克服され、弱い部分がなくなった。

 指揮者も歌手もオーケストラも、みな元気いっぱいだった。以前にベルリンのコーミシェ・オーパーで「後宮よりの逃走」を観たときも同じだった。あのときも、舞台に負けるな、という元気があった。ビエイトの演出は、観客を挑発するのと同時に、演奏家も挑発するのではないか。

 指揮はTimo Handschuhという若い人。来シーズンからウルム歌劇場のGMDに就任するそうだ。ゼンタはBarbara Schneider-Hofstetterという人。ものすごいパワーだった。オランダ人はYalun Zhangという中国人。渡辺謙に似た風貌だ。ドナルド(ダーラント)はこの劇場のベテラン、韓国人のAttila Jun。ジョージ(エリック)はフランクフルト歌劇場などで歌っているFrank van Aken。
(2011.7.7.シュトゥットガルト歌劇場)
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ミュンヘン:ローエングリン

2011年07月17日 | 音楽
 ミュンヘンに着いた翌日、バイエルン国立歌劇場で「ローエングリン」を観た。今年9月には日本にも来るプロダクションだ。2009年のプレミエ。演出はリチャード・ジョーンズ。

 わたしの経験の範囲内だが、リチャード・ジョーンズの演出には、大きく分けて二つの方向がある。一つは、ドラマを深くえぐり出す、正攻法の方向。数年前に新国立劇場が上演した「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が好例だ。2004年にバイエルン国立歌劇場で観た「ペレアスとメリザンド」もそうだった。マクベス夫人は具象的な舞台美術だったが、ペレアスは抽象的だった。あのペレアスは、わたしが今までに観たペレアスのなかで、もっとも美しい舞台だった。

 もう一つの方向は、読み替えの演出だ。ベルリンのコーミシェ・オーパーで観た「ヴォツェック」は、終始一貫、豆の缶詰工場内で起きる事件に読み替えていた。これが妙につじつまが合っていて面白かった。今回の「ローエングリン」も同様だ。

 本プロダクションは、もうすぐ日本でも上演されるので、ディテールの描写は控え、感想だけを記すと、レンガ職人としてのローエングリンは、なるほど面白いが、本来は壮大なはずのこの物語が、こじんまりとまとまってしまったと感じた。前記の「ヴォツェック」のときにも似た感じがした。

 もっとも、一度こういう舞台を観ると、白銀の甲冑に身を包んだローエングリンなど、今さら信じられなくなるのも事実だ。

 ケント・ナガノの指揮は、ガラス細工のように繊細で、光沢のある音を紡いでいた。しかもその音が、静的に存在するだけではなく、必要な場合には一気にテンポを上げて、激しく追い込むことにも欠けていなかった。

 もちろん、重厚かつ長大な、うねるような演奏ではなかった。現地では大きな拍手が送られていたが、日本では好き嫌いが分かれるかもしれない。わたしはケント・ナガノの可能性に注目しているので、否定する気にはなれなかったが、戸惑ったのはたしかだ。

 歌手では、オルトルート役のヴァルトラウト・マイヤーが圧倒的な存在感だった。ローエングリン役のペーター・ザイフェルトもさすがの声だ。これらの二人に比べると、エルザ役のエミリー・マギーは、詰めが甘かった。新国立劇場の「影のない女」に登場したときには、これはたいした素材だと思ったが、世界の超一流の壁は、気が遠くなるほど高いようだ。
(2011.7.6.バイエルン国立歌劇場)
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「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」最終回

2011年07月14日 | 音楽
 旅の記録を書きたいと思っているが、その前に、昨日は東京シティ・フィルの定期を聴いたので、とりあえずその感想を。

 昨日の定期は、3月17日に予定されていた定期だ。東日本大震災の発生により「延期」された。当時は多くの演奏会が「中止」になるなかで、「延期」の対応をしたのは異色だった。そこには、社会状況が落ち着いたら、どうしてもこの演奏会をやりたい、という意気込みが感じられた。

 それもそのはずで、この演奏会は、昨シーズン、飯守泰次郎&東京シティ・フィルのコンビが続けた「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」の最終回だった。往年の名指揮者マルケヴィチの校訂版に取り組むことにより、自らのベートーヴェンの交響曲演奏をもう一度洗い直そうという試みだった。

 昨日の1曲目には「コリオラン」序曲が演奏された(これはマルケヴィチ版ではないが)。この曲からして、もう飯守さんの個性が全開だった。冒頭でずっしりした重厚な音が響いたときには、今どきこういう鳴らし方をする指揮者は少なくなった、と思った。それとは対照的に、第2テーマは、テンポを大きく落として、たゆたうように演奏された。昔の巨匠の演奏が連想され、飯守さんの晩年の様式が始まったのかと思った。

 もっとも、次の交響曲第2番になると、いつものきびきびした、インテンポの演奏に戻った。弦は12型になり、明るく、軽めの音で演奏された。実はわたしは若いころから、この曲の、とくに第1楽章が好きで、昨日も情熱のこもったその演奏に感動した。ただ、残念ながら、第2楽章以降は平板になった。

 最後は交響曲第5番「運命」。弦が14型に増えて「コリオラン」序曲と同様に重厚な音になり、堂々とした構築感があった。加えて、気合の入ったアタックが随所にあった。

 東京シティ・フィルは立派だった。いつものことながら、飯守さんの音楽を真正面から受け止め、それを表現しようという真摯な姿勢があった。在京オーケストラは数あれども、飯守さんの音楽を理解し、その表現に向けて努力を惜しまないのは、このオーケストラを措いて他にはないと思われた。

 昨日の演奏会もそうだったが、今シーズン進行中のチャイコフスキーの交響曲の連続演奏でも、わたしたちは、飯守さんの音楽の集大成に立ち会っているような気がする。昨日もそういうオーラが感じられた。
(2011.7.13.東京オペラシティ)
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帰国報告

2011年07月12日 | 身辺雑記
本日帰国しました。今回観たオペラは次の5本です。
ミュンヘン:ローエングリン
シュトゥットガルト:さまよえるオランダ人
シュトゥットガルト:時と悟りの勝利
カールスルーエ:ダントンの死
ミュンヘン:アッシジの聖フランチェスコ
感想は後日また報告させてもらいます。
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旅行予定

2011年07月04日 | 身辺雑記
 7月5日(火)から旅行に行ってきます。ミュンヘン、シュツットガルト、カールスルーエを回って12日(火)に帰国予定です。帰ったらまたオペラの報告をさせてもらいます。

 閑話休題。東京室内歌劇場の公演、ゴリホフのオペラ「アイナダマール」(※)が中止になったんですね。この秋一番の楽しみだったので、ショックです。ホームページには「財政上の理由」となっています。今後もこの種の、あまり一般的ではないオペラの上演は、難しくなるのでしょうか‥。

(※)「アイナダマール」は、スペインの詩人ロルカが、ファシストによって殺害された事件を描いたオペラです。
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鈴木雅明&東京シティ・フィル

2011年07月02日 | 音楽
 バッハ・コレギウム・ジャパンを率いる鈴木雅明さんが、東京シティ・フィルを振ってマーラーの交響曲第5番を演奏した。

 鈴木雅明さんが東京シティ・フィルの定期を振るのは、わたしの知るかぎりでは、これが4回目だ。最初の2回はバロックから古典派、そしてロマン派のメンデルスゾーンまでだった。それらの演奏も、オーケストラが見違えるように清新な音を出して、すばらしかったが、3回目になる昨年10月はマーラーの交響曲第1番「巨人」を取り上げて注目された。そして今回、満を持しての第5番だった。

 激しい身ぶりで全身全霊をこめた、渾身の演奏だった。しかも、鈴木さんらしいというべきか、感情に余分なものがなく、格調の高い、正統的なフォルムを構築する演奏だった。その指揮姿を見ていると、圧倒されるほどの動きだが、目を閉じて聴いていると、魂のこもった音が理路整然と積み重なっているのがわかった。

 オーケストラはトランペットやホルンにハラハラさせられることはあったが、それでもそんなことは枝葉末節のこと、そこに展開されている音楽への情熱をこそ、わたしたちは受け止めるべきだと思った。一言でいって、技術的な瑕疵はあったとしても、この演奏は一流だと思った。

 それは多分、飯守泰次郎さんが1997年から14年間の長きにわたって常任指揮者をつとめてきた成果だ。飯守さんの指揮は、素人目にも器用とは思えないが、音楽にたいする真摯な姿勢は比類がない。その、飯守イズムとでもいうようなものが、オーケストラに根付いたのだ。

 当日、会場で飯守さんの姿を見かけた。自分が振らない演奏会にも来てくれるのは、ありがたいことだ。常任指揮者といえども、そこまでしてくれる人は、なかなかいない。

 飯守さんのことに傾斜してしまったが、話題を鈴木さんに戻すと、当日、演奏を聴いた後で、これなら次は第9番を聴いてみたいと思った。そして今日、東京シティ・フィルのホームページを見ると、鈴木さんの動画がアップされていて、子どもの頃にバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのマーラーの第9番を聴いた感動が語られていた。まさに、我が意を得たり、だった。

 なお当日は、冒頭に、東日本大震災の犠牲者を悼んで、鈴木さんのオルガン独奏でバッハが2曲演奏された。そのうちの1曲は「我らが苦難の極みにある時も」というコラールだった。
(2011.7.1.東京オペラシティ)
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おどくみ

2011年07月01日 | 演劇
 青木豪さんの新作「おどくみ」。始まったばかりなので、ネタばれにならないように気を付けながら、感想を。

 これは横須賀のお惣菜屋さんの話。時がはっきり設定されているのがユニークだ。第1場は昭和62年8月11日(火)午後1時頃、第2場は昭和63年2月23日(火)午後4時頃、第3場は昭和63年2月24日(水)午前11時15分頃と夕方、第4場は平成5年4月10日(土)午後4時過ぎ、という具合。

 要するに、昭和の終わりの日々と、それから数年後の平成のある日だ。青木さんは昭和42年(1967年)生まれなので、昭和の終わりの頃は20歳前後。一般的には人生でもっとも多感な年頃だ。その時期に遭遇した「昭和」という時代の終わりは、青木さんに重くのしかかったのかもしれない。

 とはいっても、この芝居は重い芝居ではなく、お惣菜屋さんを舞台にした家庭劇(ホームドラマ)だ。テンポのよい会話が飛び交う、明るい、ユーモラスな芝居だ。

 横須賀でお惣菜屋さんを経営する夫婦がいて、妻は働き者だが、夫は怠け者。妻はそんな夫にイライラしている。もっと問題なのは夫の弟。夫に輪をかけた怠け者で、そういう弟の面倒をみてやる夫に、妻はさらにイライラする。夫婦には子供が二人いて、長男は大学で映画研究部に所属し、天皇暗殺を狙うテロリストの映画を作っている。その他、妹、従業員、長男の友人2人。

 これらの登場人物による複数のストーリー、あるいはシチュエーションの謎解きが並行的に進み、ときどき思いがけず絡み合ったりする。

 長男が作っている映画(その題名が「おどくみ」だ)のストーリーをめぐって、みんなが意見をいって、二転三転するのが面白い。そのうち、天皇制についての解釈が出てくる。それも、井上ひさしの芝居のように、真正面から取り組むのではなく、サラッとした調子で出てくる。これが意外に鋭い。

 「鳩」が象徴的に使われているが、残念ながら、どういう意図かは、よくわからなかった。もしかすると、ヒントになる台詞があって、それを聞き落としたのかもしれない。図像的にはルネ・マグリットの鳥の絵に似ていたが。

 なお、これは小さいことだけれど、厨房で使われているザル、その他の調理器具が、ピカピカで真新しいことが、ちょっと興ざめだった。これらの小道具は使い古したものを用意してほしかった。
(2011.6.30.新国立劇場小劇場)
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