インキネン/日本フィルのワーグナーの楽劇「ラインの黄金」。豪華な歌手陣も目を引くが、まずはインキネンのワーグナーが興味の的だ。
演奏は、場を追うごとに調子を上げ、熱が入った。音楽に止めようのない流れが生まれた。その流れの中心にインキネンがいた。インキネンはかねてからワーグナー好きを公言しているが、それが実感される演奏だった。
インキネンのワーグナーは、まずリズムのよさが印象的だった。歯切れがよく、弾みのあるリズムだ。現代の息吹が通うリズム。往年の巨匠たちとは一線を画すリズムだ。そのリズムでワーグナーのスコアに切り込み抉った。
オーケストラは弦が16型の大編成だったが、そのオーケストラが歌手を圧しないことにも注目した。いつも、いかなる場合でも、歌手の声が明瞭に聴こえた。それはワーグナーの職人芸かもしれないが、同時にインキネンのコントロールの的確さでもあった。
チェロ、コントラバスの低音部が充実し、その基礎の上にヴァイオリンなどの高音部が乗り、さらに木管、金管が彩りを添えた。全体としては、引き締まったワーグナーだった。心地よい緊張感が持続し、しかも硬さがなかった。インキネンのワーグナーが全開した感があった。
歌手陣では、新国立劇場のトーキョー・リングでのヴォータンのユッカ・ラジライネンは、力をセーブしていたようだが、アルベリヒのワーウィック・ファイフェという歌手が健闘した。インキネンが指揮したオーストラリア・リングでもアルベリヒを歌ったそうだから(プロフィールによる)、インキネンが連れてきた歌手だろう。
日本人の歌手たちも健闘した。とくに、ロ―ゲを歌うはずだった外国人歌手がキャンセルし、その代役に立った西村悟は、びわ湖・リングでもロ―ゲを歌って大活躍したが、今回もそれを彷彿とさせる出来だった。ロ―ゲは西村悟の当たり役だ。他にはファーゾルトの斉木健詞とエルダの池田香織の名前を挙げておきたい。なお一人だけ声の調子が悪そうな歌手がいた。
演奏会形式の上演だが、歌手たちは衣装を付け、オーケストラの前で簡単な演技をしながら歌い、また照明もあった。定期演奏会としての公演だったので、定期会員にワーグナーの楽劇を分かりやすく届けたいという日本フィルの努力だったと思う。
長年定期会員を続けてきたわたしには感無量だった。
(2017.5.26.東京文化会館)
演奏は、場を追うごとに調子を上げ、熱が入った。音楽に止めようのない流れが生まれた。その流れの中心にインキネンがいた。インキネンはかねてからワーグナー好きを公言しているが、それが実感される演奏だった。
インキネンのワーグナーは、まずリズムのよさが印象的だった。歯切れがよく、弾みのあるリズムだ。現代の息吹が通うリズム。往年の巨匠たちとは一線を画すリズムだ。そのリズムでワーグナーのスコアに切り込み抉った。
オーケストラは弦が16型の大編成だったが、そのオーケストラが歌手を圧しないことにも注目した。いつも、いかなる場合でも、歌手の声が明瞭に聴こえた。それはワーグナーの職人芸かもしれないが、同時にインキネンのコントロールの的確さでもあった。
チェロ、コントラバスの低音部が充実し、その基礎の上にヴァイオリンなどの高音部が乗り、さらに木管、金管が彩りを添えた。全体としては、引き締まったワーグナーだった。心地よい緊張感が持続し、しかも硬さがなかった。インキネンのワーグナーが全開した感があった。
歌手陣では、新国立劇場のトーキョー・リングでのヴォータンのユッカ・ラジライネンは、力をセーブしていたようだが、アルベリヒのワーウィック・ファイフェという歌手が健闘した。インキネンが指揮したオーストラリア・リングでもアルベリヒを歌ったそうだから(プロフィールによる)、インキネンが連れてきた歌手だろう。
日本人の歌手たちも健闘した。とくに、ロ―ゲを歌うはずだった外国人歌手がキャンセルし、その代役に立った西村悟は、びわ湖・リングでもロ―ゲを歌って大活躍したが、今回もそれを彷彿とさせる出来だった。ロ―ゲは西村悟の当たり役だ。他にはファーゾルトの斉木健詞とエルダの池田香織の名前を挙げておきたい。なお一人だけ声の調子が悪そうな歌手がいた。
演奏会形式の上演だが、歌手たちは衣装を付け、オーケストラの前で簡単な演技をしながら歌い、また照明もあった。定期演奏会としての公演だったので、定期会員にワーグナーの楽劇を分かりやすく届けたいという日本フィルの努力だったと思う。
長年定期会員を続けてきたわたしには感無量だった。
(2017.5.26.東京文化会館)