Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「歴年」洋楽版

2014年08月31日 | 音楽
 「歴年」の洋楽版。率直にいって、雅楽版よりも聴きやすかった。音のちがいだと思う。夾雑物を排した‘楽音’だからだ。蒸留水のような音。雅楽の楽器はそうではない。微かな滓のようなものがある。

 でも、どちらがいいという話ではない。そんな話に収斂してはもったいない。せっかく雅楽版と洋楽版があるのだから、シュトックハウゼンがなにと格闘し、それぞれどんな可能性を提示したかという話にしたいものだ。

 視覚的にいっても、今回のほうがわかりやすかった。4人の舞人が‘千年’は能楽師、‘百年’は舞踏家、‘十年’はダンサー、‘一年’はパフォーマーと、それぞれちがう様式だったからだ。エンタテイメント的な側面が加わった。

 「歴年」を(雅楽版と洋楽版と)2度聴いて、この作品が、明るく、乾いた、醒めた作品であることがよくわかった。逆にいうなら、感動するとか、圧倒されるとか、揺さぶられるとか、そんな性格の作品ではない。そういった要素を排除した一種の‘遊び’なのだ。

 年号を表示するカウンターが、初演年の1977年に向かって刻一刻と進む。それはそう作曲されているのだから、動かしようがない。でも、目指すは2014年だ。最後にカウンターが1977年で止まったら、その後どうするのか――。4人の舞人がゴールに到着したその瞬間、2014年に早変わりした。苦肉の策か(笑)。

 後半は三輪眞弘の新作「59049年のカウンター」。舞台のカウンターは2011年を表示している。東日本大震災の年。原発事故の起きた年。この曲はそこから未来に向かって進む。「歴年」がゼロ年からスタートして2014年にゴールインするのとは正反対の発想だ。

 器楽アンサンブルが一定のパルスのような音型を連続する。核廃棄物が放射性物質を放射し続ける様子のようだ。ビニールの雨合羽を着た人々が右往左往する。人々は次々に紙片をリーダーに手渡す。リーダーはそれらの紙片を読みあげる。百人一首のようだが、ここで繰り広げられる光景は、暗く、緊迫した、近未来的なものだ。

 紙片には藤井貞和の詩「ひとのきえさり」の断片が書かれていたはずだ。プログラムに全文が載っている。すごい詩だ。衝撃的だ。でも、残念ながら、ほとんど聞きとれなかった。残響の多いこのホールで、しかもPAを使って、早口で歌われる言葉を聞きとることができるためには、どうすればいいのか。
(2014.8.30.サントリーホール)
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「歴年」雅楽版

2014年08月29日 | 音楽
 シュトックハウゼンの「歴年」雅楽版。1977年の初演当時とちがって、今はあらゆる情報がある。プログラムには詳細な解説が載っている。また初演後の連作オペラ「リヒト」への展開というパースペクティヴを持っている。そういう条件下で聴いた(観た)「歴年」はどうだったか。

 結果的にはひじょうに楽しかった。明るく、ユーモラスな作品だと感じた。元気が出る作品。人生の応援歌のような作品。そういうポジティヴな印象を受けた。

 その印象は主に天使と悪魔のパフォーマンスから来る。今では当たり前というか、なんの抵抗もなく楽しめるパフォーマンスだが、当時はどうだったのか。ともかく、このパフォーマンスが後の「リヒト」につながったのではないかと、そんな想像を楽しんだ。

 肝心の音楽のほうは、どうだったか。特別な音楽という感じはなかった。ほんらいは‘千年’、‘百年’、‘十年’、‘一年’の4層の時間を感じるべきだろうが、普通の雅楽と変わらない感じがした。分析的な耳には4層の時間として聴こえるだろう。でも、それは雅楽そのものが備えている特質ではないだろうか――。

 だが、あえていえば、多少窮屈な感じがした。それはどこから来るのか。クラスター状にうねる、その密集した音の帯から来るのかもしれない。だからこそ、その音の帯を突き破る楽筝や琵琶、あるいは篳篥のソロが強烈に感じられたのかもしれない。

 この作品は‘競技’の形をとっている。千年、百年、十年、一年、それぞれの楽人および舞人の‘競技’になっている。行司役の‘奉行’がいる。最後に優勝者を決める。その演出は意外に難しいのではないか。かといって、優勝者を決めないのは、悪しき平等主義の好例になってしまう。では、どうするか――。今回の方法も一つの解決策だろうが、もう一工夫できないか。

 プログラム後半には一柳慧の新作「時の佇い」が演奏された。「歴年」にたいする日本からの応答だ。やはり‘日本的な’音の感覚を感じる。音がシュトックハウゼンのようには詰まっていない。隙間があって風通しがいい。

 雅楽の楽器が主体だが、雅楽には使われない楽器(雅楽の成立過程で淘汰された古代楽器)として、箜篌(くごう)、軋箏(あっそう)および十七絃箏がソロ集団のように扱われ、軋みや雑音を挿入する。それらの音と雅楽の音とが共存し、一つの空間を形成する。美しいと思った。
(2014.8.28.サントリーホール)
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マリアナ・ピネーダ

2014年08月27日 | 演劇
 ガルシア・ロルカ(1898‐1936)の戯曲「マリアナ・ピネーダ」が朗読劇形式で上演された。本年11月に上演予定のオペラ「アイナダマール(涙の泉)」のプレイベントの一環。実にありがたい企画だ。

 会場は日生劇場のピロティ。ロビーでの上演だ。ロビーに椅子が並べられている。観客はそこで観る。ロビーには大きな階段がある。そこが舞台だ。舞台装置は一切なし。役者は階段を上り下りし、また観客の後ろに回り、あるいはエスカレータの陰から出てきたりする。要するにロビー全体を使った上演だ。衣装も一切なし。皆さん黒い服装。主人公のマリアナ・ピネーダ役だけが白い衣装。

 究極のシンプルな上演だ。すばらしかった。ドラマの中に引き込まれた。皆さん台本を手にしながら演じるのだが、台詞が体に入っている。とくにマリアナ・ピネーダ役の上田桃子がよかった。いつかこの人のジュリエットを観てみたいと思った。

 役者は皆さん文学座の方々。たいしたものだ。とくにこういう接近した空間で観ると、その迫力がちがう。個々の役者では、上田桃子以外では、ナレーション役その他をつとめた大野香織が印象的だった。スリムな容姿が美しく、台詞回しをふくめて個性的だ。

 演出・構成は同じく文学座の稲葉賀恵。人物の動き、ロビー全体の使い方、どれをとっても無駄がなく、また台詞のテンポもよかった。なにかの機会に(できればこのようなシンプルな上演形式で)また観てみたい。

 フラメンコ歌手の石塚隆充が歌とギター演奏で参加した。事前のチラシには記載がなかった(と思う)ので、嬉しいサプライズだった。石塚隆充は6月の「魂の詩人ロルカとアンダルシア」でフラメンコの数々を熱唱した。わたしはすっかり魅了された。そのときと比べると、昨日は抑え気味だったと思う。芝居を前面に出す配慮だったのか‥。11月のオペラ公演にも出演するので楽しみだ。

 ロルカのこの芝居は、19世紀グラナダに実在した人物を描いたもの。「自由主義への共感を罪に問われ、フェルデナンド7世治下の王政によって処刑された」(プログラムの作品解説より)。その悲劇はもとより、捕えられた主人公が恋人から見捨てられ、また大衆からも見捨てられる成り行きも悲劇的だ。

 日和見的な大衆、それはわたしのことではないかと、自省させられた。告発されているのはわたしの無為ではないか――。
(2014.8.26.日生劇場ピロティ)

↓リハーサル風景(石塚隆充のfacebook)
https://www.facebook.com/takante/photos/pcb.938340092859290/938331342860165/?type=1&theater
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パスカル・デュサパンの室内楽

2014年08月26日 | 音楽
 パスカル・デュサパン(1955‐)の室内楽。30代半ばの作品、弦楽四重奏曲第2番「タイム・ゾーン」(1988‐1990)と最新作の第7番「オープン・タイム」(2009)が演奏された。演奏はアルディッティ弦楽四重奏団。

 作品よりも先に演奏の話になってしまうが、さすがアルディッティ、その優秀さに脱帽した。リズムもなにも、すべて正確、音の重ね方も、音の引継ぎも、すべて適確(しかもニュアンス豊か)、また、アンサンブルをきっちり合わせ、ソロも奔放、それらの総体として、作品のすべての音が適切に表現されたと、そう信頼できる演奏だった。

 やっぱり演奏は大事だ、という月並みな感想に陥らないように気を付けて、話を先に進めると――。

 第2番は演奏時間40分くらいの単一楽章の曲。「24の部分からなる弦楽四重奏曲であるが、そのうちの12の部分は他の部分と連続している」(作曲者自身のプログラム・ノート)。単純平均で各部分は2分前後のミニアチュールだ。万華鏡のような変化とか、ミクロコスモスとか、そんな形容ができそうな曲だ。

 演奏も見事だったが、曲も面白かった。感覚の新鮮さがあった。作曲者が自分の聴きたい音を書いているという感じがする。その音の流れに乗ることができた。わたしは作曲者と同世代なのだが、だから、だろうか。妙に‘同世代’の共通項を感じた。

 部分的には最後の盛り上がりがバルトークのようだった。デュサパンは好きな作曲家の一人にバルトークをあげている。なので、バルトークへの敬意の表明だろうか。

 それから20年後の第7番も、「まったく休止することのないまま約40分の間、21の変奏がつづく」(作曲者自身のプログラム・ノート)。外形的には第2番と似ている。でも、20年の重みだろうか、音楽はそうとう変わっている。感覚的な洗練よりも、ドラマティックな展開に移行している。研ぎ澄まされた音よりも、ドラマを掘り下げる太い音になっている。

 途中、中間地点あたりで、バルトーク的なエネルギッシュな部分があった。第2番の最後を髣髴させて微笑ましかった。その後エネルギーは減衰して終わる。でも、正直にいうと、その過程で疲れが出て、音を表面的に追うだけになってしまった。

 なお、デュサパンはオペラも沢山作っている。メデア、ファウスト、ペンテジレーアと、その題材の選択が興味深い。
(2014.8.25.サントリーホール小ホール)
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始原楽器の進行形

2014年08月25日 | 音楽
 サントリー芸術財団のサマーフェスティヴァル第2夜、木戸敏郎のプロデュース公演で「始原楽器の進行形」。

 正倉院で見つかった古代楽器の数々。中にはルーブル美術館やカイロ博物館に収蔵されている古代エジプトの楽器と同属のものもあるそうだ。そのような古代楽器の構造を解明し、復元を試みた楽器、それを‘始原楽器’と名付けた。木戸敏郎の造語だ。

 木戸敏郎の生涯のテーマの一つとして、それらの始原楽器を製作・改良し、現代の作曲家に作品を委嘱する活動がある。始原楽器の可能性をさぐる試みだ。その成果を披露する演奏会が「始原楽器の進行形」。

 海のものとも山のものともつかない楽器、そんな楽器には興味がないと思う人も多いだろう。でも、海のものとも山のものともつかないからこそ、聴いてみようと思う人も(少数ながら)いるだろう。わたしもその一人だ。

 今回使われた楽器は、竪琴に似た「くごう」(以下、漢字は略)、その古代エジプトの同属楽器「アングルハープ」、簫(しょう)(=パンパイプ)に似た「はいしょう」、篳篥(ひちりき)の古代エジプトの同属楽器(ではないかと思う)「アウロス」、大小さまざまな金属片を吊るした「ほうきょう」。

 これらの楽器は‘試作品’の要素を残すものかもしれない。でも、だからといって、否定的には考えなかった。そんな気にはならなかった。試みとして面白かった。

 演奏された曲は、(演奏順に)一柳慧、三輪眞弘、石井真木、川島素晴、ルー・ハリソン、野平一郎の各氏の作品。もっとも古い曲は一柳慧の「時の佇い(たたずまい)Ⅱ」(1986)、もっとも新しい曲は今回の委嘱作、川島素晴の「アウロスイッチ」(2014)、その前は三輪眞弘の「逆シミュレーション音楽・蝉の法」(2003)。

 個々の作品の品定めよりも、全体を通した感想を記すと、意外に作曲家の個性が出るものだなと思った。完成された楽器ではなく、‘試作品’の要素があるからこそ、各氏の持っているイディオムで曲を書いているようだった。

 もう一つの感想は、‘古代を想像する’音楽ではないことだった。エジプト出土の壺などを見ると、楽器を演奏する人々が描かれているので、どんな音楽だろうと想像する。でも、もう復元はできない。音楽は復元できないし、復元しようとしても意味がないのかもしれない。歴史は元に戻らないということか――。
(2014.8.22.サントリーホール小ホール)
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パスカル・デュサパンの管弦楽

2014年08月22日 | 音楽

 サントリー芸術財団のサマーフェスティバル2014の開幕。まずは今年のテーマ作曲家パスカル・デュサパン(1955‐)の管弦楽から。

 1曲目はデュサパンが選んだ若手の作曲家クリストフ・ベルトラン(1981‐2010)の「マナ」。10分ほどの鮮烈な曲だ。2005年のルツェルン音楽祭でブーレーズ指揮ルツェルン音楽祭アカデミーにより初演された。たぶんそのときの音源だろう、Youtubeで聴くことができる(※1)。鋭角的な音だ。

 それにくらべると、昨日の演奏は感度の鈍い音だった。でも、Youtubeではわからないことがわかった。この曲はオーケストラが2群に分かれているのだ。指揮者を扇の要に見立て、左右に2群のオーケストラが広がっている。たとえばコントラバスは、向かって左側に4本、右側に4本という具合だ。そこから生まれる音響は、目の前でステレオを聴いているようだった。

 2曲目はデュサパンの弦楽四重奏曲第6番「ヒンターランド」。弦楽四重奏とオーケストラという特異な編成の曲だ。弦楽四重奏がオーケストラを先導する場面が多い。ソロ楽器ならぬソロ・アンサンブルだ。もっとも、オーケストラが波に乗って進み、そこに弦楽四重奏が加わる場面もある。

 だが、そのオーケストラの、中間部を除いた両端の音楽は、アップテンポのビート感があるものの、新古典的な、あまり現代とは関わっていない音楽のように感じられた。

 3曲目はデュサパンが影響を受けたというシベリウスの「タピオラ」。なるほど、短いフレーズが音響の空間に点滅するというか、息の長い音楽の層が底流にあり、そこに短いフレーズが飛び交うというか、そんな感覚の音楽が、現代のコンテクストで再検証されるような趣があった。

 4曲目はデュサパンの「風に耳をすませば」。ハインリヒ・フォン・クライストの戯曲「ペンテジレーア」(傑作だ!)を原作とする新作オペラ(来年3月にブリュッセルのモネ劇場で初演予定)(※2)からの3つの場面(メゾソプラノの独唱付き)。

 「ペンテジレーア」を原作とするオペラにはオトマール・シェック(1886‐1957)の作品がある。ドレスデンで観たことがある。クラリネットを10本も使うなど異形のオペラだ。それにくらべれば、デュサパンの作品は色彩豊かな‘現代オペラ’の音だ。冒頭の鄙びたハープの音型が最後にもう一度出てくる。印象的なテーマだ。
(2014.8.21.サントリーホール)

※1「マナ」のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=1B-DCuoXznU

※2「ペンテジレーア」の初演予定
http://www.lamonnaie.be/en/opera/430/Penthesilea
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オルセー美術館展

2014年08月18日 | 美術
 前回のオルセー美術館展は2010年、テーマは「ポスト印象派」だった。アンリ・ルソーの「蛇使いの女」と「戦争」が並ぶ豪華版だった。普段は図録を買わないのだが(図録は高価だし、我が家には置き場所もないので)、そのときばかりは禁を破って買ってしまった。

 今回は「印象派の誕生――描くことの自由――」。なので(といってもいいと思うが)、マネの作品が柱になっている。会場第1室に「笛を吹く少年」が展示されている。これはすごい。名画中の名画だ。最近‘目ヂカラ’という言葉をよく見かけるが、かりに‘絵ヂカラ’という言葉があるとしたら、この絵こそ相応しい。

 少年の赤いズボンの両側の黒いストライプ、黒い上着そして黒い帽子、これらの黒くて太い輪郭線によって、少年が浮き上がって見える。背景はなにもない灰色の空間。その抽象的な空間と少年の具象性との鮮やかなコントラスト。

 あっと驚く斬新さがあった。近代絵画の流れを変えるインパクトがあったという。それもわかる気がした。今でもそのインパクトは衰えていない。

 もう一つ、これも名画中の名画だが、ミレーの「晩鐘」が来ている。‘西洋絵画’の代名詞のような作品。さすがに美しい。凄味のある美しさだ。夕焼けに染まった雲、夕日に照らされた畑。その前で釘付けになった。その前から立ち去りがたかった。混雑した会場では叶うべくもないことだが。

 今更ながら‘名画’とはすごいものだと思った。でも、一方では、そんな平凡な感想しか浮かんでこないことにもどかしさを感じた。感想がその先に進まないのだ。自分の言葉が出てこない。‘名画’に抱かれるとか、‘名画’の深みにはまるとかは、そういうことかもしれない――。

 これら2点が本展の二枚看板であることは、衆目の一致するところではないだろうか。だが、それはそれとして、では、その次に来る作品はどうだろう。各人各様の関心や好みによって、かなり分かれるのではないだろうか。

 わたしの場合はモネの「かささぎ」だった。過去のモネ展にも来ていた作品。そのときは雪の白さと朝日の輝きに圧倒された。今回は落ち着いて見ることができた。よく見ると、手前の雪が白一色ではなかった。ピンクや青や黄の斑点がびっしり付いている。それが朝日の反映と陰影とを感じさせるのだ。驚いた。なんと手が込んでいるのだろう。モネの秘密の一端を見るような気がした。
(2014.8.15.国立新美術館)

↓各作品の画像(本展のホームページ。「展示構成」をクリックしてください。)
http://orsay2014.jp/highlight.html
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ヴァロットン展

2014年08月14日 | 美術
 フェリックス・ヴァロットン(1865‐1925)はスイスのローザンヌに生まれ、フランスで活動した画家。ナビ派の一員だ。

 ヴァロットンを知ったのはオルセー美術館展2010「ポスト印象派」だった。その直後にヴィンタートゥール美術館展でも再会した。ヴァロットンってどういう画家だろうと思った。本展はその全体像をつかむいい機会。楽しみにしていた。

 チラシ↑に使われている「ボール」(1899)はオルセー美術館展にも来ていた。印象的な作品だ。一種‘白日夢’のようでもある。2枚の(異なるアングルの)写真を組み合わせた構図。本展ではそれらの写真も展示されていた。用意周到だ。

 もっとも、そのような作風が主流かというと、そうでもなかった。生涯を通して追及した作風というわけではない。

 「ボール」と同じ制作年の「夕食、ランプの光」(1899)は今回もっとも印象的な作品だった。4人の家族が食卓を囲んでいる。黒いシルエットの人物が画家本人だ。妙に白々しい気詰まりな雰囲気が漂っている。正面の子どもはまっすぐこちらを見ている。画家に「あなたはだれ?」と問うているようだ。内心動揺する画家。

 同時期の作品に連作木版画「アンティミテ」(1897‐1898)がある。ドラマの各場面を見ているようだ。これを見て得心したのだが、「夕食、ランプの光」は‘演劇的’な作品だ。人物配置、そしてその緊張関係が、演劇のような感覚なのだ。ヴァロットンの手つきは劇作家のようだ――。

 そう思ってWikipediaを調べてみたら、ヴァロットンは8つの戯曲を書いていた。「批評的には不評だった」そうだが、絵画的には面白い。ユニークだ。このような‘演劇的’な作品は、同時期だけではなく、後年になっても現れる。「貞淑なシュザンヌ」(1922)がそうだ。3人の男女の緊張関係。だが、これも、生涯をかけて追及した作風というわけでもないようだ。

 傑作だったのは(傑作というのは‘滑稽な’という意味だが)、「竜を退治するペルセウス」(1910)。「力自慢の大道芸人のような」ペルセウス、「剥製のワニかと見紛う」竜、「中年の裸体を晒す」アンドロメダ(いずれもキャプションの言葉より)。思わず笑ってしまった。腰が抜けるような感じがした。これはいったいなんだろう。どうしてこんな戯画的な作品が生まれたのだろう。
(2014.8.10.三菱一号館美術館)

※各作品の画像(本展のホームページ)(「竜を退治するペルセウス」を除く)
http://mimt.jp/vallotton/midokoro.html

※※「竜を退治するペルセウス」(収蔵館作成のYoutube)
https://www.youtube.com/watch?v=JalyHs-Ki7o
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大いなる沈黙へ

2014年08月09日 | 映画
 映画「大いなる沈黙へ」。フランス・アルプス山中のグランド・シャルトルーズ修道院の内部を記録したドキュメンタリーだ。同修道院は中世以来の歴史を持つ男子修道院。戒律が厳しいことで知られているそうだ。

 修道士たちの日常が淡々と描かれる。カメラはひたすらその行動を追う。修道士たちは沈黙の生活を送る。会話が許されるのは日曜日の散歩の時間だけ。そのときだけは、修道士たちは和やかに会話する。あとは沈黙を守る。自分との対話、あるいは神との対話だろうか。その姿をカメラは追う。一切の説明なしに。

 この映画にはナレーションがない。インタビューもない(後述する盲目の修道士の場面を除いて)。ついでにいえば、音楽もない。音楽は、ミサのときに修道士たちが歌うグレゴリオ聖歌だけだ。そのグレゴリオ聖歌は大変美しい。そうか、グレゴリオ聖歌はこうして今の時代まで伝わってきたのかと思う。

 単調といえば単調だ。修道士たちがなにをやっているのか、わからない場面もある。そんなときはイライラする。でも、そのうち、自分が、説明されることに馴れっこになっていることに気付く。今の世の中、すべてが説明される。そういう世の中になっている。この映画はそれとは真逆の方向だ。

 修道士たちの日常を追っていると、(わからない場面もあるとはいえ)一定のリズムがつかめてくる。そんなとき、ふっと「でも、修道士たちの内面はわからない」ということに気が付く。わかるのは外面的な行動だけだ。

 最後に盲目の修道士が語る場面がある。それまでの沈黙を破る場面だ。この映画の例外的な場面。観る者のために窓を一つ開けてくれたのだ。でも、窓は修道士の数だけある。あとの窓は閉じられている。閉じられた状態のままで受け止めること、それができるかどうか――。

 監督はフィリップ・グレーニング。1959年生まれのドイツ人だ。同修道院に撮影許可を求めたのは1984年。そのときは「今はまだ早すぎる。10年か13年後であれば」といわれた。16年後(2000年)に「まだ興味を持ってくれているのなら」と電話が来た(ディレクターズノートより)。

 なぜ「今はまだ早すぎる」といったのか。思うに、内面的な成熟を待っていたのではないか。16年後になってもまだ興味を持っているなら、それは本物だと。そんな内面的な成熟を、観る者もまた求められているようだ。
(2014.8.4.岩波ホール)

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=vU9FTzbl6Z0
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リヒャルト・シュトラウス邸

2014年08月05日 | 音楽
 今回の旅ではガルミッシュ・パルテンキルヒェンに4泊した。ミュンヘンから電車で約1時間半。リヒャルト・シュトラウスが住んだアルプス山麓の町だ。

 着いた日は雨だった。土地勘をつかむために、地図を片手に歩いてみた。まず向かったのはリヒャルト・シュトラウス・インスティテュート。シュトラウスの上着や旅行鞄が展示されていた。

 だれかの邸宅らしい。でも、シュトラウスの邸宅ではないのではないか。町はガルミッシュ側とパルテンキルヒェン側に分かれる。ここはパルテンキルヒェン側だ。シュトラウスの邸宅はガルミッシュ側にあるのではなかったか。

 そう思って事務室の人に尋ねたら、やはりシュトラウスの邸宅ではなかった。シュトラウスの邸宅は別の場所にあった。親切にも地図を出して教えてくれた。ツェプリッツ通りZoeppritzstrasse42番地。ガルミッシュ側にあった。

 翌日、山歩きの帰りに行ってみた。繁華街を抜けた閑静な住宅街にあった。このへんかなと思っていると、向こうから老夫婦がゆっくり歩いてきた。ご主人がシュトラウスによく似ていた。そう思った自分が可笑しかった。

 シュトラウスの邸宅はすぐに見つかった。広大な敷地だ。白と緑に塗られた美しい邸宅だった。表札にはConstantin Straussと書いてある。個人の邸宅だ。門は開いていた。でも、中に入るのは憚られた。携帯で写真を1枚撮った。それが上↑の写真だ。

 目の前にドイツの最高峰ツークシュピッツェが聳えたっていた。だからシュトラウスはこの場所を選んだのだろう。シュトラウスは毎日この山を見ていた。作曲で疲れたときも、ナチスとの軋轢で悩んだときも――。

 山を見ながらホテルに戻る途次、頭の中では「4つの最後の歌」から「眠りにつくとき」の伸びやかな旋律と、「夕映えの中で」の微妙なハーモニーの移ろいが鳴っていた。なんて高級な音楽だろうと思った。なぜか「アルプス交響曲」は浮かんでこなかった。

 わたしの愛読書の一つに「栄光のウィーン・フィル」(※)がある。ウィーン・フィルの元楽団長オットー・シュトラッサーが書いた回想録だ。その中にウィーン・フィルのメンバーがシュトラウス邸を訪れる場面がある。1941年4月28日のことだ。本書の中でもっとも美しい頁。昔からその頁を繰り返し読んだ。今その場所に立つことができた。なるほど、こういう場所だったのか――。

(※)「栄光のウィーン・フィル」
http://www.amazon.co.jp/%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E2%80%95%E5%89%8D%E6%A5%BD%E5%9B%A3%E9%95%B7%E3%81%8C%E7%B6%B4%E3%82%8B%E5%8D%8A%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC/dp/4276217806/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1407119850&sr=1-1&keywords=%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB
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旅日記(3):ルクレツィア・ボルジア

2014年08月03日 | 音楽
 ドニゼッティの「ルクレツィア・ボルジア」。タイトルロールはエディタ・グルベローヴァ。もう、グルベローヴァが歌うなら、なんでもいいという感じだ。

 そうはいっても、このオペラは聴いたことがないので、事前にCDを聴いてみた。これは力作だ。ドニゼッティにかぎらず、どんな作曲家でも、気合の入った作品と、そうでない作品があるが、これは気合の入った作品だ。若き日のヴェルディがこれを聴いて影響を受けたという逸話があるが、わかる気がする。

 プロローグ、第1幕そして第2幕の3幕構成になっている。プロローグの後半から第1幕にかけては出ずっぱり、第2幕の後半はほとんど一人舞台だ。しかもそのなかで高音が延々と伸びていく場面もあれば、ベルカント・オペラの枠を超えるようなドラマティックな場面もある。

 グルベローヴァとしても渾身の歌唱だったろう。声の伸びは若い頃のようにはいかないが、その代わりドラマの掘り下げに凄味があった。昨年7月にチューリヒでベルリーニの「異国の女」を観たが、作品のちがいからか、今年のほうが果敢にリスクをとっていたと思う。満場の聴衆は息をのんで聴き入った。終演後は割れるような拍手が起きた。

 思いがけないセレモニーがあった。2人の男性が舞台に上がり(1人はこの劇場のインテンダントだった。もう1人はだれかよくわからなかった)、グルベローヴァを讃えるスピーチをした。今年はグルベローヴァがこの劇場にデビューして40周年だそうだ。公演数は285回。グルベローヴァもこれに応えた。劇場、共演者そして聴衆にたいする感謝から始まり、途中「でも、これで終わりではありませんよ」といったときには、拍手と笑いが起きた。

 あとは延々とカーテンコールが続いた。30分くらいは続いたろうか。世界中から集まったグルベローヴァのファンたち。皆さん(わたしも)、過去の公演の数々を思い出し、賞賛と感謝の念を拍手に込めていたのだ。

 共演者もよかった。ジェンナーロを歌ったPavol Breslikは声も姿もいい若いテノールだ。グルベローヴァの熱烈な賛美者だった。ドン・アルフォンソを歌ったJohn Relyeaの深い声(バス)もよかった。

 指揮のパオロ・アッリヴァベーニの引き締まった造形と、演出のクリストフ・ロイのシャープなドラマ作りが、現代的なベルカント・オペラの実現に成功していた。
(2014.7.27.バイエルン州立歌劇場)

↓カーテンコールとセレモニー(同歌劇場のFacebookより)
https://www.facebook.com/baystaatsoper#!/media/set/?set=a.10152568550903794.1073741913.180609043793&type=1
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旅日記(2):ばらの騎士

2014年08月02日 | 音楽
 リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」。オットー・シェンクの演出。1972年の初演なので(初演時の指揮者はカルロス・クライバー)、もう40年以上たっている。それがまだ現役で使われている。一度観ておきたいと思った。

 幕が開くとそこは元帥夫人の寝室。‘泰西名画’のような美しさだ。近くの席からどよめきが起きた。話し声も聞こえた。日本人が何人かいたので、その人たちかもしれない。ドイツ人の老夫婦が手で制したが、効果はなかった。

 第2幕ももちろん美しかった。だが、第3幕はウィーンの場末の薄汚い曖昧宿だ。そこがこのオペラの面白いところかもしれない。第1幕と第2幕が美しいので、それで十分ということだろう。人生とはそんなもの、虚構のなかにひそむ真実がこのオペラの要諦なのだから、第3幕も美しかったら、すべて虚構で終わってしまう、ということだろうか。

 演技はこまやかだった。でも、特別なことはなにもやっていないと思ったら、幕切れでファーニナルが一人でさっさと退場してしまい、元帥夫人も退場しようとすると、オクタヴィアンが駆け寄って、跪き、元帥夫人の手に接吻した。この場面ではファーニナルが元帥夫人に腕を貸して並んで退場する演出が多いと思うのだが‥。

 もちろんこの演出は‘伝統的’なものだ。‘保守的’といってもいいし、‘古風’といってもいい。それが博物館入りせずに、現役として残っている点が興味深い。一方には‘現代的’な演出があり、真に創造的な営みがあるが、同時にこういう古風な演出も残っている。その重層性がいいと思った。

 指揮はコンスタンティン・トリンクス。わたしたちには新国立劇場でお馴染みだ。初登場は2008年の「ドン・ジョヴァンニ」だった。並の才能ではないと思った。弾みのあるしなやかなリズムを持っている。1、2、3‥と機械的に拍を刻むことがない。カルロス・クライバーのようなカリスマ性はないにしても(そんな指揮者は一時代に1人か2人だ)、その音楽性は十分魅力的だ。

 歌手では元帥夫人のソイレ・イソコスキがよかった。滑らかな旋律線を描いていた。

 ゾフィーに予定されていたモイツァ・エルトマンが降りてしまい、がっかりした。しばらく立ち直れなかった。代役はゴルダ・シュルツ。でも、演奏が進むにつれて、段々よさがわかってきた。高音が美しいチャーミングな若い歌手だった。
(2014.7.26.バイエルン州立歌劇場)
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旅日記(1):オルフェオ

2014年08月01日 | 音楽
 モンテヴェルディの「オルフェオ」。ミュンヘンはこの時期オペラ・フェスティヴァルで連日賑わっている。これもその一環だ。会場はプリンツレゲンテン劇場。古い由緒ある劇場だ。国立歌劇場のほうではヴェルディの「運命の力」が掛かっていた。

 開演時間になると、客席がまだ明るいうちに、客席後方から例のファンファーレが吹奏された。ファンファーレは3回繰り返されるはずだが、このときは1回だけ。編成はトロンボーン4本とトランペット2本。拍手が起こる。やがてオーケストラはチューニングを再開する。今度は客席右サイドから2回目が吹奏された。また拍手。この分だともう一回あるなと思ったら、客席が暗くなって、指揮者が登場した。あれっ、と思ったら、今度は舞台に登場して3回目(今度は太鼓も加わった)。粋な演出だ。なんだかバイロイトの開幕ファンファーレみたいだなと思った。

 いやがうえにも期待が高まった。だが、演出にかんしては、尻すぼみになった。ギリシャの野原は、若者たちが車で乗り付ける広場になっていた。それはいいのだが、そこから先の発展がなかった。

 幕切れで登場するアポロは松葉杖をついていた。敗残兵のようだった。オルフェオはナイフで腕を切って自殺する。土に埋められるオルフェオ。若者たちと遊んでいたエウリディーチェ(生きている?)は、一緒に土のなかに入ろうとする。そこで幕。

 なんだかとってつけたような演出だ。演出とは難しいものだと思った。才能のある、なしが端的に表れてしまう。今回の演出はダーフィッド・ベッシュという人だった。

 もっとも、この公演はオルフェオを歌うクリスティアン・ゲルハーエルが目玉だった。現代の名バリトンの一人だ。さすがにパワーがあった。だが、モンテヴェルディのような古楽を歌うことはどれくらいあるのだろう。わたしには‘古楽唱法’とはちょっと異質に聴こえた。その点プロセルピーナと伝令を歌ったアンナ・ボニタティブスのほうが安心して聴けた。

 指揮はアイボー・ボルトン。ボルトンの「オルフェオ」を聴くのは2度目だ。前回はアン・デア・ウィーン劇場だった。オーケストラはちがうが、音楽作りは同じだ。ぐっと感情を込めた演奏。情感豊かな演奏にハッとする瞬間があった。

 終演後は大拍手だった。皆さん大らかに楽しんだようだ。それにひきかえ、わたしは‥。ちょっと反省した。
(2014.7.25.プリンツレゲンテン劇場)
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