Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ヴォルコフ/読響

2018年05月31日 | 音楽
 イラン・ヴォルコフは2017年9月のサントリーホール・サマーフェスティヴァルでツェルハ、ハースなどの現代曲を振った(オーケストラは東響)。力のありそうな指揮者だと思った。わたしは注目した。そのヴォルコフが読響の定期に初登場。先日の「ウンスク・チンの音楽」(コンポージアム2018)は聴けなかったので、この定期が楽しみだった。

 1曲目はプロコフィエフの「アメリカ序曲」。そんな曲があったのか、と思ったが、1926年にアメリカの某社の依頼で書かれた由。原曲は17人の奏者のための作品で、1928年にオーケストラ版が作られた。

 プロコフィエフのモダニズムがよく表れた曲。交響曲でいえば第2番と第3番との中間の時期の作品なので、明るい活力に溢れている。ヴォルコフ/読響の演奏は、そのような曲想を的確にとらえて、この珍しい曲の紹介役を果たした。

 2曲目はバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。ピアノ独奏は河村尚子。河村尚子は2017年6月のN響定期でサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番の堂々たる演奏を聴かせた(指揮はパーヴォ・ヤルヴィ)。そのときと同様に、今回も存在感十分の演奏。大器の風格が漂った。

 だが、文句をいうわけではないのだが、2018年1月の日本フィル横浜定期での小曽根真の演奏に比べると(指揮は山田和樹)、クラシック畑の正統派であることは事実で、エンタテイメント性には乏しかった。小曽根真とは対極にある演奏。そのためだろうか、今回はこの曲のエンディングがラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」を参照しているように感じられて、それがおもしろかった。

 3曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。ヴォルコフの個性がよく出た演奏。ヴォルコフは贅肉がない細身の体型だが、その体型通りの(といったら語弊があるかもしれないが)針金のように強靭な演奏。ヒロイズムとか、苦悩とか、そんな思い入れはまったくない硬質な演奏。音の構造体が透けて見えるような演奏だった。

 そういう演奏だからか、ヴィオラのフレーズが(思いがけず)聴こえてきたり、チューバの動きが聴こえてきたりと、そんな瞬間があった。ヴォルコフがそれらのパートを強調しているわけではないので、聴き手のわたしが、何かの拍子に、それらの音に気が付いた、ということのようだ。

 ヴォルコフは1976年イスラエル生まれ。個性派指揮者だ。
(2018.5.30.サントリーホール)
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ヘンリー五世

2018年05月28日 | 演劇
 新国立劇場で「ヘンリー五世」が上演されている。2009年の「ヘンリー六世」3部作から始まり、2012年の「リチャード三世」、2016年の「ヘンリー四世」2部作と続いたシェイクスピアの歴史劇シリーズは、今回の「ヘンリー五世」でひとまず完結だろうか。イングランドの大きな歴史物語が、「ヘンリー五世」の上演で(ジグソーパズルの欠けていた一片が埋まるような形で)完成した。

 シェイクスピアの歴史劇は面白い、というのがわたしの第一印象だが、では、何がどう面白いのかと自問すると、その答えに窮する。何か一つに絞りきれないのだ。シェイクスピアの歴史観とか、権力闘争の昔と今との類似性とか、その権力闘争に振り回される庶民の苦難としたたかさかとか。

 全体的には、それらの要素が盛られた器のようなもの、という感じがする。どこを押しても、ゴムボールのような復元力があり、元の形に戻る。バランスが崩れそうで崩れない。そんな柔構造を感じる。それは鵜山仁の演出によるものか、それともシェイクスピアの歴史劇がそもそもそうなのか、そこは判断できないが。

 ともかく、面白かった。生きいきとした面白さに溢れていた。新国立劇場のこれらの上演がなかったら、わたしはシェイクスピアの歴史劇の面白さを知らないままだったろう。

 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子といった主要キャストが一貫していたことは、シリーズ上演のその全体に統一感を生むうえで大きかった。とくに王子・王様役の浦井健治の凛々しさと、ヒール役の岡本健一の男の色気とが、全体のけん引力となった。その二人に中嶋朋子を加えた3人を、ベテラン役者たちの安定した演技が支えた。

 先ほど、ジグソーパズル云々といったが、それについて補足すると、歴史的にはヘンリー四世→ヘンリー五世→ヘンリー六世→リチャード三世と続くわけだが、上演順はそれとは異なっていたので、途中の空白部分(ヘンリー五世の部分)が埋まったことを意味する。

 結局上演順はシェイクスピアが書いた順だったわけだが、そのためもあってか、シェイクスピアが最後に書いた「ヘンリー五世」で、フランスに攻め込む大義名分とか、イングランド、ウェールズ、スコットランド間の対立・融和とか、戦場の兵士たちの厭世観とかのディテールが書き込まれたことが興味深かった。

 それらのディテールには落穂拾い的な面白さがあった。
(2018.5.23.新国立劇場中劇場)
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フィデリオ

2018年05月25日 | 音楽
 新国立劇場の「フィデリオ」は、終演後(予想通りというべきか)ブーイングが飛んだが、わたしは面白かった。今まで観た「フィデリオ」の中で一番面白いと思った。その理由をまず書きたい。

 「フィデリオ」の台本で一番ひっかかる箇所は、刑務所長ドン・ピツァロが地下牢に下りて行き、フロレスタンをナイフで刺し殺そうとした時、大臣ドン・フェルナンドの到来を告げるラッパが鳴り、ピツァロはそれを聞くと、フロレスタンをほったらかして、大臣を迎えに出る箇所だ。

 生きていると(ピツァロにとって)もっとも危険なはずのフロレスタンを、ピツァロはなぜ殺さなかったのか。ピツァロはそんなに間抜けなのか。そんなに間抜けだったら、政敵フロレスタンを地下牢に閉じ込めて、用意周到に衰弱死させようとした今までのピツァロは、いったいなんだったのか。

 フロレスタンの妻レオノーレが男装してフィデリオと名のり、だれもそれを見破れないという設定は、オペラとしての約束事だから、それはそれでよい。またフロレスタンが殺されそうになるまさにその危機一髪を、大臣の到来というデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)が救うのもよい。だが、上記の箇所は、なんとも弁明のしようがない。

 演出のカタリーナ・ワーグナーとドラマトゥルクのダニエル・ウェーバーは、その個所を見つめ、かれらなりの答えを出した。それが面白い。なにもしないで台本をなぞるより、よほど刺激的だ。その答えはむしろ問題提起と思ったほうがよいかもしれない。わたしたちに台本を見つめさせ、自分ならどうする、と考えさせる。

 その演出とも関連するが、今回の上演では、序曲は「フィデリオ」序曲が使われ、大臣登場の場面の直前に「レオノーレ」第3番が挿入される形をとった。この形だと「レオノーレ」第3番でオペラの筋をもう一度おさらいすることになり、通常ならそれが難点だが、今回は「レオノーレ」第3番の演奏中にも舞台上でドラマが進行し、停滞しなかった。

 飯守泰次郎の指揮は、「フィデリオ」序曲ではリズムが平板で情けない音に終始し、第1幕に入ってからも単調だったが、第2幕では起伏が生まれ、フィナーレでは合唱の力に助けられた。任期満了の有終の美を飾れてよかった。

 歌手はステファン・グールドのフロレスタン、リカルダ・メルベートのレオノーレ、ともにパワーがあり、最後は圧倒的だった。
(2018.5.24.新国立劇場)
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下野竜也/都響

2018年05月23日 | 音楽
 下野竜也が指揮した都響のB定期。なんといっても、2曲目のコリリアーノ「ミスター・タンブリンマン―ボブ・ディランの7つの詩」が注目されたが、まずは1曲目、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」から。

 下野竜也らしい、ぐいぐい押すような、剛直な演奏。ゆったりした、絵画的で抒情的な演奏ではない。それはそれでよいのだが、音がガサガサして、荒っぽいのが気になった。どこか余裕のない鳴り方をしていた。熱演というのかもしれないが、それだけでは済まない課題があった。

 2曲目はコリリアーノの上掲曲。シンガーソングライターのボブ・ディランを詩人として捉え、コリリアーノが自由に音楽を付けたもの。ピアノ版は2000年に作られ、オーケストラ版が2003年に作られた。ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するよりもずっと前の作品。

 コリリアーノは1938年生まれ、ボブ・ディランは1941年生まれだから、同時代人といってよいのだが、コリリアーノは「だが私は自分のオーケストラの書法を磨くことに懸命で、世界中がディランの歌を聞いていたころ、私は彼の曲をまったく聞いたことがなかった。」(コリリアーノ執筆、飯田有抄訳のプログラムノートより)。本作の作曲に当たっても、完成まではディランの原曲を聴かなかったそうだ。

 なるほど、たとえば第3曲「風に吹かれて」は荘重なパッサカリアで書かれていて、ディランの原曲からは想像もつかない音楽になっている。第1曲の「ミスター・タンブリンマン」は賑やかな(でも、どこかデスパレートな)行進の音楽。

 だが、本作は、ディランの原曲との違いを楽しむ作品ではなく、コリリアーノがディランの詩から触発された音楽的なイマジネーションを楽しむ作品だろう。

 第1曲「ミスター・タンブリンマン」はプレリュード、第7曲「いつまでも若く」はポストリュードとされ、第2曲から第6曲までには緩やかなストーリー(というか、流れ)がある。第6曲までの表出力の強い音楽と、色彩豊かなオーケストレーションにたいして、第7曲になると、一転して、音楽はシンプルになり、オーケストレーションは最小限に止まる。そこがうまい。

 下野竜也指揮都響の演奏は水際立ったもの。見事の一語に尽きる。ヒラ・プリットマンの歌は、クラシックともポップスともつかない不分明の領域を拓くものだった。
(2018.5.22.サントリーホール)
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パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2018年05月21日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のCプロは、楽しみにしていたプログラム。1曲目はヴェリヨ・トルミス(1930‐2017)という作曲家の「序曲第2番」(1959)。トルミスはパーヴォの祖国エストニアの作曲家。パーヴォは以前にもトゥール(1959‐)というエストニアの作曲家を紹介した。その一環だろう。

 「序曲第2番」は急―緩―急の3部形式の曲。その急の部分が、アンサンブルがぴったり合って、スリリングな、目の覚めるような演奏だった。パーヴォとN響との一体感が印象的な快演。

 2曲目はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏はアレクサンドル・トラーゼ。オーケストラがチューニングを終え、聴衆がピアニストと指揮者の登場を待っていると、舞台の袖から大きな話し声が聞こえた。トラーゼがパーヴォに何か話している。思わず笑ってしまう。トラーゼってこういう人だったっけ?

 演奏はクリアーな音で疾走するすばらしいものだったが、わたしのイメージとは少し違っていた。トラーゼの音はもっと重量級だと思っていたのだが、重さよりも、光度の強さを感じさせる音。その音で感興にまかせて走っていく。パーヴォがそれにつけていく。ハラハラする箇所なきにしもあらず。

 第2楽章は、ショスタコーヴィチが書いた音楽の中でも、もっとも美しい音楽だと思うが、トラーゼの演奏は、もちろん美しいのだが、ショパン的な甘美さではなく、たとえば幼子イエスの誕生を見守る養父ヨゼフのような父性的な眼差しを感じさせた。

 終演後、トラーゼはまたパーヴォに何やら話しかけ、パーヴォも頷きながら、カーテンコールが続いた後に、パーヴォがトラーゼをピアノの前に座らせて、トラーゼが聴衆に何かを語ってから弾きだした曲は、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番から第3楽章。音の圧倒的なエネルギーが渦巻く名演だった。

 3曲目はブルックナーの交響曲第1番(1866年リンツ稿/ノヴァーク版)。2016年9月の第2番(1877年/キャラガン版)がすばらしかったので、期待していた。引き締まった筋肉質の音が、ブルックナー初期の“尖った”音楽にぴったり合い、寸分の隙もない演奏。

 樋口隆一氏のプログラム・ノートによると、ブルックナーはこの曲を終楽章から書き始めたようだ。ブルックナーはいつも終楽章に苦労しているように思っていたので、これは意外な事実だ。
(2018.5.19.NHKホール)
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ラザレフ/日本フィル

2018年05月19日 | 音楽
 日本フィルの第700回定期。わたしが定期会員になったのは1974年の春季からだが、それは第何回だったのだろうと、同フィルのホームページを見てみたら、第259回だった。それから400回以上も聴いてきたわけだ。

 第700回定期はラザレフの指揮。この記念すべき定期は、やはりラザレフでなければならないと、そう思う。日本フィルの中興の祖。日本フィルを建て直した恩人だ。

 1曲目はプロコフィエフの「交響的協奏曲」。チェロ独奏は日本フィルのソロ・チェロ奏者の辻本玲。堂々たる演奏だった。日本フィルの一員としてラザレフの薫陶を受けた(そして今も薫陶を受けている)身ではあるが、御大ラザレフを向こうに回して、少しも臆することなく、自己の主張を展開した。

 日本フィルとしても、記念すべき定期を、楽員をソリストに据えたプログラムで飾ることができたことは、オーケストラとして成長したという意味で、喜ばしいにちがいない。

 2曲目はストラヴィンスキーのメロドラマ「ペルセフォーヌ」。そんな曲があったのか、というのが正直なところ。ナクソス・ミュージック・ライブラリーを覗いたら、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団のCDとケント・ナガノ指揮ロンドン・フィルのCDが所収されていたので、事前に聴いてみた。

 両者の比較では、クリュイタンス盤のほうに惹かれたが、ラザレフ指揮日本フィルの演奏は、録音と実演という決定的な違いを考慮しても、音のニュアンスの豊かさ、ドラマの進行に伴う音色の変化、そして全体のメリハリのある構築感という点で、クリュイタンス盤を凌駕していたと思う。

 晋友会合唱団のハーモニーの透明感とフランス語のディクションの柔らかさは特筆もので、この演奏に華を添えた。東京少年少女合唱隊も健闘。テノールのポール・グローヴズは高音が頻出する(困難であろう)歌唱パートを情熱的に歌った。ナレーションのドルニオク綾乃は、自然な語りが好ましかった。前述の2つのCDでは、フランス語の詩の朗読で時おり耳にするような、物々しい、身振りの大きい語りが、今となっては古めかしく感じられたので、今回はどうかと、内心、戦々恐々としていた。自然な語りにホッとした。ただ、PAのエコーが過剰だったような気がするが。

 この隠れた名曲の、後世に語り伝えられるような名演は、ラザレフからの贈り物だったように感じる。
(2018.5.18.サントリーホール)
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読響の次期常任指揮者ヴァイグレへの期待

2018年05月17日 | 音楽
 読響の次期常任指揮者にセバスティアン・ヴァイグレ(1961‐)が就任することが決まったが、大方の反応はどうなのだろう。今一つ盛り上がらないような気もするが。読響の発表のし方が、ホームページに掲載しただけで、とくにサプライズの演出はなかった。それも影響しているのか。

 読響はカンブルランの後釜を探しているようだった。ヴァイグレの初登場もそうだったが、シモーネ・ヤングのときも、ファビオ・ルイージのときも、テストをしているような、お見合いをしているような、そんなニュアンスがあった。これは偶然だろうが、ヴァイグレは「家庭交響曲」、ヤングは「アルプス交響曲」、ルイージは「英雄の生涯」と、3人ともシュトラウスを振った。

 わたしはその中で(ヴァイグレに決まったからこう言うわけではないが)ヴァイグレの「家庭交響曲」が一番印象に残っている。オーケストラの音がもっとも磨かれていたように思う。でも、だからヴァイグレに決まったとは、わたしも思わない。もっと複雑な事情が絡んだ末のことだろう。

 ヴァイグレは就任後、どのような路線を打ち出すのだろう。シュトラウスとワーグナーは定評のあるところだが、オーケストラの基本的なレパートリーでは、どうか。ヴァイグレとしても、メジャーなオーケストラのシェフに就くのは初めてのことなので、新たな挑戦かもしれない。

 わたしは今まで、ヴァイグレを聴いた経験は、3度しかない。ベルリンのシュターツオーパー(リンデンオーパー)でモーツァルトの「後宮よりの逃走」、バイロイトでワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」そして読響で「家庭交響曲」。

 「後宮よりの逃走」では、音楽の流れのよさと、すっきりした造形が記憶に残っている。「マイスタージンガー」では音が粗いように感じたが、「家庭交響曲」では「マイスタージンガー」で感じたマイナス・イメージを払しょくする出来なので驚いた。そのときのヴァイグレは、触れるものをすべて黄金に変えるミダス王(シュトラウスの楽劇「ダナエの愛」の登場人物)のように見えた。

 読響はゲルト・アルブレヒト以来、スクロヴァチェフスキ、カンブルランと、実力もあればポリシーもある名指揮者に恵まれた。で、ヴァイグレはどうか。今の上昇気流を維持できるか。さらなる上昇気流に乗せられるか。

 今までとはタイプが違う指揮者なので、新たな展開があるかもしれない。そう期待したい。
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パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2018年05月14日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィが指揮するN響A定期は、プログラム前半がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はクリスティアン・テツラフ。テツラフは1993年以来、何度かN響と共演しているそうだが、わたしは初めてだろう。リサイタルも聴いたことがないので、テツラフ初体験のはず。

 1966年ハンブルク生まれだから、今年52歳の働き盛り。初めて目にするその風貌は、髭をたくわえ、長髪を後ろで束ねた、精悍なもの。芸術家風というか、ジャズミュージシャン風というか、バイク野郎風というか。もっとも、その風貌に、わたしは驚いたが、多くのファンはお馴染みなのだろう。

 演奏も一風変わっていた。囁くようなソットヴォーチェに傾きがち。多用されるその小声で聴衆の注意を惹きつけていく。そして要所々々で強く踏み込む。細部に創意工夫を凝らし、まるでテツラフ自身が遊んでいるよう。テクニックは抜群。そのテクニックで自在な演奏を展開する。

 崇高なベートーヴェンとか、ドラマティックなベートーヴェンとか、そういったものとは一味違う、肩の力を抜いた、音楽に遊ぶベートーヴェンといったらよいか。だが、誤解されるといけないのだが、ヒッピー風というわけではなく、目を見張るほど高度なプロフェッショナルの仕事だ。

 パーヴォ指揮N響の演奏も、これ以上は望めないくらい引き締まった音と、粒立ったリズムとで、テツラフの演奏と完全にシンクロする。それは冒頭のティパニの同音反復のリズムの明快さ、その音楽的な推進力からすでに感じられた。

 アンコールがあった。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番からアンダンテ。低音部の一定不変の歩み、そのリズムの明瞭さ、そこから生まれる(思いがけない)ユーモアが、テツラフの音楽性の一端を語っていた。

 プログラム後半はシベリウスの交響詩「4つの伝説」。オーケストラの鳴り方が、前半のベートーヴェンとはまったく異なり、豊麗そのもの。弦の編成が12型から16型に変わったが、それ以上に本質的な変化があった。その音でシベリウスの世界を掘り下げていく。とくに1曲目の「レンミンケイネンと乙女たち」は聴きごたえがあった。

 パーヴォは6月9日、10日、11日に指揮する予定のドレスデン・シュターツカペレの定期演奏会でも「4つの伝説」をメインに据えている(他にペルトとヴァインベルクの作品)。
(2018.5.13.NHKホール)
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ラザレフ/日本フィル

2018年05月13日 | 音楽
 ラザレフは東京定期ではロシア音楽を系統的に取り上げているが、横浜定期では自由にプログラムを組んでいる。今回はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死が取り上げられた。

 その演奏は、とくに前奏曲のほうで、ラザレフの、ワーグナーのオーケストレーションにたいする興味が窺われた。驚異のオーケストレーションと感じているのではないかと、そう思わせる演奏。一方、音楽の頂点でのオーケストラの豪快な鳴り方は、いかにもラザレフという感じ。

 あえていうなら、冒頭のチェロのフレーズに応答するオーボエに、もっと悩ましさが感じられたら、と思ったことは事実。それはラザレフとか、オーボエ奏者とか、そんなだれの責任というようなことではなく、演奏の練り上げの、より高い目標に向かっての“糊しろ”のような感覚だが。

 2曲目はシューマンのピアノ協奏曲。ピアノ独奏は阪田知樹(さかた・ともき)。フランツ・リスト国際ピアノコンクール優勝。現在24歳。音がきれいなピアニストだ。輪郭がクリアーで澄んだ音。その音で内省的な演奏をする。多くのピアニストが弾き慣れ、多くの聴衆が聴き慣れたこの曲を、初々しい感覚で弾いた。その初々しさが新鮮だ。時々見かける、そのままでCDになりそうな、完璧な演奏を志向するタイプではなさそうだ。

 アンコールにシューマンの歌曲「献呈」をリストがピアノ独奏用に編曲したものが演奏された。その演奏が、リストよりも、シューマンのほうに傾きがちに聴こえたのは、ピアノ協奏曲の余韻が残っていたからだろうか。

 3曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番。冒頭のファンファーレが、一気に吹奏されるのではなく、最後の下降音型の手前で(一瞬)ブレスを取るのに驚かされたが、それはともかく、音には張りがあり、充実の極み。全体的にスケールの大きい、地響きがするような演奏は、ラザレフならではだ。

 3部形式で書かれた第2楽章の第3部で、旋律が弦に移り、木管がオブリガートをつける箇所では、弦の音がほとんど、聴こえるか、聴こえないかというくらいまで抑えられ、木管のオブリガートが、露のしずくがこぼれるように、はっきりと演奏された。主客逆転の発想。思わずハッとするような美しさが生まれた。

 アンコールに「くるみ割り人形」からトレパックが演奏された。これも豪快だった。
(2018.5.12.横浜みなとみらいホール)
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ガルミッシュ=パルテンキルヘン

2018年05月12日 | 身辺雑記
 ある方が「ガルミッシュには私も近いうちに行きたい」と書いておられた。その方は世界中を旅しておられるので、旅のノウハウは、わたしは足元にも及ばないが、他の方で(たとえば音楽好きの方や、山好きの方で)ミュンヘンに行ったついでに、ガルミッシュにも足をのばしてみようとお考えになる方はいるかもしれない。以下は、そういう方のために、何かの参考になればと思って――。

 ガルミッシュの正式名称はガルミッシュ=パルテンキルヘンGarmisch-Partenkirchen(以下、ガルミッシュ)。ミュンヘンから電車で1時間20分ほど。電車は1時間ごとに出ている。

 ガルミッシュは作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864‐1949)のゆかりの町。ミュンヘン生まれのシュトラウスは、1908年にガルミッシュに屋敷を建てた。広大な敷地を持つその屋敷には、今もシュトラウスの子孫が住んでいるので、中に入ることはできないが、外から見ることはできる。写真(↑)は周辺の風景。岩山の右の奥がドイツの最高峰ツークシュピッツェ(2962m)。シュトラウスはこの風景を見ながら「アルプス交響曲」を作曲した。

 シュトラウスの屋敷は、民家なので、ガイドブックや地図には出ていない。場所は駅の西側のガルミッシュ地区(東側はパルテンキルヘン地区)のマクシミリアン通りからツェプリッツ通りに折れた所にある。駅から歩いて15分ほど。なお、パルテンキルヘン地区にはリヒャルト・シュトラウス博物館がある。

 ガルミッシュは児童文学作家ミヒャエル・エンデ(1929‐1995)の出身地でもある。ガルミッシュの中心部に緑豊かなミヒャエル・エンデ・クアパークがあり、「モモ」や「はてしない物語」などの物語世界を展示する博物館がある。

 前述のツークシュピッツェは、登山鉄道とロープウェイで山頂まで行ける。山頂にはレストランがあり、アルプスの山々や氷河を眺めながらビールが飲める。

 登山鉄道は、ガルミッシュ駅の西側のツークシュピッツ鉄道駅から乗る。山頂まで行く方法は二通りある。登山鉄道のアイプゼーEibsee駅で途中下車してロープウェイで行く方法と、登山鉄道の終点のツークシュピッツプラットZugspizplatt駅まで行き、そこからロープウェイで行く方法。前者の方が速いし、展望もきくので、お薦め。切符は共通なので、自由に選択できる。

 なおアイプゼーは小さな湖で、よく整備された散策路がついている。一周して2~3時間。スニーカーでも歩ける。
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高関健/東京シティ・フィル

2018年05月10日 | 音楽
 高関健らしいよく考えられたプログラム。1曲目はムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」(原典版)。原典版は、CDはもちろん、実演でも聴いたことがあるように思うが、今回ほど衝撃力のある演奏は初めて。冒頭のトランペットの刻みからして、リムスキー=コルサコフの編曲版では記憶にない音が混じっている。その後の展開でも(よい意味で)予想が裏切られる。高関健の指揮は原典版の尖った部分を強調しているかのよう。おもしろいことこの上ない。

 2曲目はニールセンの交響曲第6番「素朴な交響曲」。全6曲あるニールセンの交響曲の中で、この第6番は一風変わっている。第4番「不滅(滅ぼし得ないもの)」や第5番は、第一次世界大戦との関連で、愛国的ロマン主義の面で理解しやすいが、第6番になると抽象化が進む。それが捉えがたい。

 第6番だけではなく、その後に書かれたフルート協奏曲とクラリネット協奏曲も同様だが、それらの作品群は、抽象化が進む中で、奇妙な皮肉とか、おどけとか、突然の躁状態とか、何かそんなものが紛れ込む。

 そのように、ニールセンは最晩年になって、じつに風変わりな、前代未聞の境地に至ったと思うが、それがおもしろく、また現代においても謎の部分を残す。だから、というべきだろうが、妙に現代的でもある。

 そういう第6番は、演奏する側からすれば、難しい面があるだろう。今回の演奏は、聴いている間はひじょうに楽しんだが、聴き終わったときに、少し重かったかな、という感じがした。重かったというのは、リズムが重かったということではなくて、浮き浮きした気分に欠けていたということ。もしかすると、楽員の中には、未消化の人がいたかもしれない。もしいたとしても、それは仕方がない。経験の積み重ねの長い道程の一部だ。

 以上2曲が前半。高関健はこの前半で、オーケストラを新しい挑戦へと導き、また聴衆を未聴感の世界に誘った。そして後半は、その埋め合わせを図るように、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏は清水和音。

 清水和音の、太く、張りがあって、輪郭のはっきりした音は、一つの個性であることは確かだし、清水和音は一切ブレないので、もう何もいうことはない、という演奏。その個性というか、価値観を認めて、立派に構築された演奏を楽しもう、そう割り切った。

 アンコールに弾かれたショパンのノクターン第10番も同様の演奏。
(2018.5.9.東京オペラシティ)
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ラ・フォル・ジュルネ:貴志康一 交響曲「仏陀」

2018年05月06日 | 音楽
 今年のラ・フォル・ジュルネで聴いてみようと思ったもう一つの演奏会は、貴志康一の交響曲「仏陀」。演奏は本名徹次指揮の東京シティ・フィル。貴志康一という名前は聞いたことがあるが、その作品を聴いた記憶はなく、またその生涯も知らなかったので、願ってもない機会だった。

 演奏時間45分ほどの大曲。4楽章構成で仏陀の生涯を描く。第1楽章はモルト・ソステヌートの序奏付きアレグロ楽章、第2楽章はアンダンテの緩徐楽章、第3楽章はヴィヴァーチェのスケルツォ楽章と、ここまでは定石通りだが、第4楽章はアダージョ楽章になる。

 第1楽章の主部は、語弊のある言い方かもしれないが、映画音楽的な波乱万丈の音楽。第3楽章は某有名曲を下敷きにしていることが明らかな音楽。第4楽章にはもっと音楽的な密度の濃さが欲しい、というのが正直な感想。

 だが、誤解されるといけないのだが、わたしは大層楽しんだ。全曲を通して飽きることがなかった。その時の(この曲を書いた時の、というような意味だが)貴志康一が、やりたいことをやってのけた、そういう実感をつかめた。

 東京シティ・フィルの演奏もよかった。清新な情感に満ちた献身的な演奏だった。各パートに首席奏者を揃え、万全の態勢だった。本名徹次の指揮も真摯そのもの。

 貴志康一は1909年生まれ。主にベルリンで学び、1934年には自らベルリン・フィル(!)を振って本作を初演した。帰国直後の1937年に病没。享年28歳という若さだった。その生涯は大澤壽人(1906‐1953)と時期的に重なる。大澤壽人は主にボストンで学び、1933年にはボストン・ポップス(ボストン交響楽団)で自作を振った。貴志康一は大阪府吹田市生まれ、大澤壽人は兵庫県神戸市生まれで、ともに関西文化圏の出身。

 二人は会ったことがあるのだろうかと、ふと考えた。貴志康一の帰国は1935年、大澤壽人の帰国は1936年。貴志康一は1937年に亡くなったので、会った可能性が皆無とはいえないが、その可能性はピンポイントだろうが。

 もっとも、たとえ会ったにしても、日本的な情緒を中心に据えた貴志康一と、モダニズムを志向する大澤壽人とでは、水と油だったかもしれない。でも、貴志康一がもう少し長生きして、戦後は不遇だったといわれる大澤壽人と(戦後に)会ったら、お互いに語り合うこともあったかもしれない。
(2018.5.5.東京国際フォーラム ホールC)
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ラ・フォル・ジュルネ:グレチャニノフ「ミサ・エキュメニカ」

2018年05月05日 | 音楽
 今年のラ・フォル・ジュルネも、聴きたい演奏会がいくつかあったが、そのうち2つの演奏会を聴くことにした。昔のように、興味のある演奏会をどれもこれも、しかも連日出かけて聴く元気はなくなった。情けない。

 だが、そんなわたしでも、食指が動く演奏会が、毎年必ずある。それも複数ある。他の方のブログやツイッターを読むと、皆さんそれぞれの選択があり、わたしをふくめた多様な関心にラ・フォル・ジュルネは応えている。その許容量というか、器の大きさに感心する。

 さて、本題に入ると、わたしが選んだ演奏会の一つは、ドミトリー・リス指揮のウラル・フィル、エカテリンブルク・フィルハーモニー合唱団と4人の独唱者によるグレチャニノフの「ミサ・エキュメニカ」の演奏会。

 グレチャニノフGretchaninov(1864‐1956)という作曲家を、わたしは知らなかった。ロシアに生まれたが、ロシア革命後、晩年になってロシアを出て、いくつかの国に住み、最後はアメリカで亡くなった。そういう人生が、同時代人で晩年になってロシアを出て、最後はパリで亡くなったグラズノフ(1865‐1936)と重なって見える。

 「ミサ・エキュメニカ」はグレチャニノフの代表作らしいが、エキュメニカとはどういう意味か。片桐卓也氏のプログラム・ノートによると、「エキュメニカという名前は「エキュメニズム」から取られた。エキュメニズムとは20世紀になって起こったキリスト教統一運動のことを指す。地球上に存在するキリスト教の各宗派を統一しようとする運動である。」。

 演奏時間45分ほどの大曲。ロシアの大地を想わせる重厚な曲で、わたしは完全に惹き込まれた。合唱とオーケストラが主体の曲。その深々とした、確信に満ちた演奏がすばらしい。そのような演奏でこの曲に出会えたことを幸運に思った。

 独唱陣は、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥスまではソプラノ、アルトとテノールだけ。最後のアニュス・デイで初めてバリトンが加わる。バリトンが加わることで独唱パートの色合いがガラッと変わったことがおもしろい。

 ソプラノのアリョーナ・カルペシュAlena Karpeshという歌手に注目した。歌唱がしっかりしていて、容姿も美しい。Operabaseを検索したら、マリインスキー劇場でドヴォルジャークの「ルサルカ」のタイトルロールの予定が出ていた。
(2018.5.4.東京芸術劇場コンサートホール)
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チロル旅行日記

2018年05月03日 | 身辺雑記
 友人4人を連れてオーストリアとドイツの旅に行き、添乗員の真似事をしてきました。以下はその旅日記です。

 4月23日(月)。夕方にミュンヘン空港着。中央駅の近くのホテルにチェックイン後、皆さんとビアホールの「ホーフブロイハウス」へ。かつてはヒトラーがアジ演説をしたこともあるビアホール。ミュンヘン名物の白ビールで乾杯。ブラスバンドが陽気な音楽を演奏し、店内は耳を聾さんばかりの盛り上がりぶり。

 4月24日(火)。鉄道でオーストリアのチロル地方のブリックスレッグへ。特急は停まらないローカル駅です。そこからバスで30分ほどのアルプバッハへ。「オーストリアで一番美しい村」に選ばれたことがあるという小村。牧草地にはタンポポが咲き乱れ、遠くの山並みには白い雪がかぶっています(写真↑)。友人の一人は「平和そのものだな」と。

 4月25日(水)。真っ青な空のもと、午前中はハイキング。タンポポ以外にもリュウキンカ、サクラソウなどの花が咲き、花好きの友人は大喜び。午後はアルプバッハに戻って、各自のんびり過ごしました。

 4月26日(木)。あいにくの小雨。さて、どうするかと相談した結果、インスブルックまでの小旅行に出かけました。

 4月27日(金)。快晴。ドイツのバイエルン地方のガルミッシュ・パルテンキルヘンへの移動日。インスブルックからガルミッシュ・パルテンキルヘンまでの区間はアルプスの山々が連なる絶景路線。皆さんは写真を撮るのに大忙し。ガルミッシュ・パルテンキルヘンに到着後、ドイツの最高峰ツーク・シュピッツェへ。登山鉄道とロープウェイで山頂へ。アルプスの大展望に歓声が上がりました。

 4月28日(土)。午前中はガルミッシュ・パルテンキルヘン内を散策。町外れにある作曲家リヒャルト・シュトラウスの屋敷まで歩き、そこからツーク・シュピッツェの雄姿を眺めて「アルプス交響曲」を思い浮かべました。午後は鉄道でミュンヘンに移動し、ニンフェンブルク宮殿を見学した後、ミュンヘン大学に行き、ナチスに対する抵抗運動「白バラ」に想いを馳せました。

 4月29日(日)。午前中はダッハウ強制収容所跡へ。ナチスが作った多数の強制収容所の最初期のもの。言葉もありません。夜は2人の希望者とともにバイエルン州立歌劇場でオペラ「メフィストーフェレ」を鑑賞。今回の旅では添乗員の真似事に徹したため、オペラを観て、やっと自分を取り戻せた感じがしました。
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ボーイト「メフィストーフェレ」(バイエルン州立歌劇場)

2018年05月02日 | 音楽
 アッリーゴ・ボーイト(1842‐1918)のオペラ「メフィストーフェレ」は、数年前にフランクフルト歌劇場で観る予定だったが、舞台スタッフのストライキのため、演奏会形式の上演に変更された。演奏そのものは熱演だったが、スペクタクル的な要素の強いオペラなので、舞台上演を観るのが念願になった。

 今回の旅行はチロル地方のハイキングがメインだったが、ミュンヘンの最終日に希望者でオペラに行った。演目は「メフィストーフェレ」。会場はバイエルン州立歌劇場。希望した二人はオペラが初めてだったので、同歌劇場の豪華な内装に目を見張った。

 舞台には無数の鉄パイプが巨大なトンネルのように組まれている。ゲーテの「ファウスト」が原作のオペラだが、老博士ファウストも悪魔メフィストーフェレも現代人。プロローグの天上からのラッパの響きは、メフィストーフェレが蓄音機にレコードをかけて鳴らす。ファウストを冒険へと旅立たせるメフィストーフェレの空飛ぶマントは、空飛ぶバイク。思わず笑いが漏れる。

 演出はローランド・シュワブ。第2幕の後半のブロッケン山での悪魔たちの集会は、炎がいくつも吹き上がるスペクタクル的な演出で迫力満点。だが、それ以上にわたしが感心したのは、ギリシャ神話の人物でトロイ戦争の引き金になった絶世の美女エレナの場面(第4幕)。

 エレナはなんと老人施設の看護人、ファウストは入居者という設定。ファウスト以外にも入居者が沢山いて、みんな髪はボサボサ、だらしなくパジャマを着て、生気がない。ファウストもその一人だが、看護人エレナに恋をする。

 わたしは驚いた。なぜ?と思っているうちに、年老いたファウストが息を引き取るエピローグになった。流れが自然だ。そうか、エレナの場面(第4幕)の老人施設への読み替えは、エピローグ(年老いたファウストの死)への流れを自然にする方策だったのか、と。

 あえていうと、エレナを献身的な看護人に仕立てた結果、純情な村娘マルゲリータの悲劇(第3幕)と美女エレナ(第4幕)との対照が弱まった面があるかもしれない。でも、演出家はそれを承知でエレナの場面の解決策を提示したのだろう。

 メフィストーフェレを歌ったエルヴィン・シュロット、ファウストを歌ったジョセフ・カレヤ、ともにパワー満点。指揮のオマール・マイヤー・ウェルバーは音楽の頂点での“ため”がうまかった。
(2018.4.29.バイエルン州立歌劇場)
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