Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

B→C 北村朋幹

2020年09月30日 | 音楽
 東京オペラシティのB→C(バッハからコンテンポラリーへ)シリーズに北村朋幹(きたむら・ともき)が登場して、プリペアド・ピアノ、トイピアノ、普通のピアノ、チェンバロの4種類を弾き分けるプログラムを組んだ。

 プリペアド・ピアノはピアノの弦に「大小のボルト、ねじ、ナット、プラスチック片、ゴム、消しゴム」(有田栄氏のプログラム・ノーツ)などを挟んで音色を変えた楽器だが、そのプリペアド・ピアノを使った演奏曲目は、ジョン・ケージ(1912‐92)の「ソナタとインターリュード」(1946‐48)。ケージはピアノの弦の約半数にそれらの異物を挟むよう指定しているので、ピアノは変調された音と普通の音との複合的な楽器になる。本作は16曲のソナタと4曲のインターリュードからなるが、変調された音が主体の曲ではガムラン音楽のような音色とリズムが出現し、普通の音の曲では近代的な西洋音楽となる。両者のハイブリットな曲もある。

 北村朋幹の演奏は水際立ったものだった。変調された音にも普通の音にもじっと耳を澄まし、その音の個性を聴き尽くそうとする集中力があり、そのためテンポが遅いようにも感じられたが、それが苦にならず、わたしも演奏者とともにその音を追うような体験をした。リズムは鋭敏で、柔らかく、(わたしは北村朋幹の演奏を聴くのはこれで3度目だが)演奏家として一皮むけた感じがした。

 「ソナタとインターリュード」は4分割して演奏され、その合間にトイピアノ(玩具のピアノだが、玩具の枠をこえて、素朴な、澄んだ音がする)、普通のピアノ、チェンバロの各種の曲が演奏されたが、とくに印象的だったのは、バッハの「主よあわれみたまえBWV244」(「マタイ受難曲」のペテロの否認の場面のアリア)を高橋悠治がピアノ版に編曲したものと、武満徹のチェンバロ曲「夢見る雨」と、藤倉大のトイピアノ曲「milliampere」が続けて演奏されたときだ。それらの3つの楽器が歴史的な時間性をとっぱらい、同一平面上に並んだような感覚になった。

 その他には、ケージの「トイピアノのための組曲」、バッハの「前奏曲、フーガとアレグロBWV998」(チェンバロ)、マーク・アンドレ(1964‐)の「iv 11b」(2011/17)が演奏された。その中のマーク・アンドレの曲に触れておくと、本作は「iv 11」のa、b、cの中のbの部分で、普通のピアノで演奏されるが、鍵盤をたたいて音を出さず、ピアノの胴体をたたき、ペダルを踏んで音を出す。今回のプログラムの中では、「普通のピアノ」のアンチテーゼ、あるいはユーモアのように感じられた。演奏会全体は実験的で、かつ「ソナタとインターリュード」の名演という筋が通っていて、わたしには忘れられない演奏会になった。
(2020.9.29.東京オペラシティ小ホール)
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高関健/東京シティ・フィル

2020年09月27日 | 音楽
 高関健指揮の東京シティ・フィルの定期。高関健がプレトークでいっていたが、「2月の飯守泰次郎先生の定期のとき以来の、日にちもプログラムも変更のない定期」。なるほど、そういわれてみると、たしかにそうだ。10月以降はそうもいかず、すでに11月はプログラムの一部変更が発表になっているが、今回はその間隙をぬった変更なしの定期だ。

 1曲目はバッハ(エルガー編曲)の「幻想曲とフーガ ハ短調」。原曲はBWV537のオルガン曲だが、それをエルガーが編曲した。エルガーのバッハ編曲というのは珍しいが、最晩年の作品のようだ。幻想曲の部分は、寂しげな沈んだ音調で、いかにもエルガーらしい。柴田克彦氏のプログラム・ノーツによると、「6/4拍子から3/4拍子に変更」されているそうだから、その影響もあるのかもしれない。フーガの部分はド派手な編曲で、びっくり仰天だ。これがエルガーかと、エルガーのイメージが揺らぐ。

 2曲目はジョゼフ・ジョンゲン(1873‐1953)の「オルガンと管弦楽のための協奏的交響曲」(1926)。ジョンゲンは3曲目に演奏されるフランク(1822‐1890)と同郷のリエージュ生まれのベルギーの作曲家。わたしには未知の作曲家だったが、この曲は日本でも時折演奏されるらしい。4楽章構成で、演奏時間約40分の堂々たる曲だが、基調にはラテン系の明るさがあり、親しみやすい曲だ。

 演奏されないことはないのだろうが、その頻度は多くはないのは、この曲をレパートリーにもつオルガン奏者の確保が難しいからかもしれない。約40分の演奏時間のほとんどが弾きっぱなしのうえ、第4楽章は、本来速い動きが苦手なはずのオルガンが、目が覚めるような壮絶な動きをする。演奏効果満点だ。今回オルガン奏者をつとめた福本茉莉は1987年生まれの若い奏者だが、パワフルかつダイナミックな演奏を聴かせた。現在はドイツのワイマールの音楽大学で常勤講師をしている。世界に通用する大型奏者だろう。

 3曲目はフランクの「交響曲 ニ短調」。冒頭の低音の動きがオルガンの音のように聴こえた。1曲目と2曲目でオルガンを強く意識していた影響もあるだろう。その冒頭から一貫して音のニュアンスへの配慮が感じられ、全曲を通してフランクのこの曲への敬意と誠実さが感じられる演奏となった。わたしは、フランクはとくに好きな作曲家のひとりなので、じつはかえって、演奏前には、一抹の不安もあったが、それはきれいに払しょくされた。東京シティ・フィルが高関健のもとで音のパレットを豊かにしていることが実感される演奏になった。

 ホルンの谷あかねさんが見事な演奏をした。この曲はこんなにホルンが活躍する曲だったのかと、新発見をした思いだ。
(2020.9.26.東京オペラシティ)
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国立西洋美術館のスルバラン「聖ドミニクス」

2020年09月24日 | 美術
 国立西洋美術館で開催されている「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」に行ったことは前回書いたが、同展に行った理由の一つは、同美術館の常設展で展示されている2019年度新規収蔵作品のフランシスコ・デ・スルバラン(1598‐1664)の「聖ドミニクス」(1626‐27頃)(※1)を見るためもあった。

 スルバランはリベラ(1591‐1652)、ベラスケス(1599‐1660)、ムリーリョ(1617‐1682)らとならぶスペイン・バロック時代の画家だ。スルバランの作品には深い宗教性を感じさせるものが多い。その一方で、あれは何年前だったか、「プラド美術館展」が開かれたときに日本にきた「ボデゴン」のようなリアルな静物画もある。

 「聖ドミニクス」はドミニコ会修道院の創設者の聖ドミニクスを描いた作品だ。201.5㎝×135.5㎝の縦長のカンヴァスに(現実の人間と等身大の)聖ドミニクスが立っている。白と黒の僧服に身を包み、恍惚とした表情で虚空を見上げている。足元には大きな犬が横たわり、口に松明をくわえている。松明の片端は聖人の足に隠れている。その先端には火がともっているようだ。聖人の背後から聖人の影が浮かんでいる。背景は漆黒の闇なのだが、そこにぼんやりと影が浮かんでいるわけだ。

 いかにもスルバランらしい題材の作品だ。その新規収蔵を喜びたいが、瑕疵があることも事実だ。同美術館の広報誌「ゼヒュロス」No.83に掲載された主任研究員・川瀬佑介氏の紹介文によると、「作品の周囲には後代の補修によるカンヴァスが付け加えられるなど、状態が改変されている(後略)」とある。その付加部分は肉眼でも見分けられる。

 だから、というわけでもないのだが、わたしがフランスのリヨン美術館で見た「聖フランチェスコ」(1645頃)(※2)と比べると、もったりした感がなくもない。「聖フランチェスコ」は198㎝×106㎝なので、縦はほぼ同じ長さだが、横が30㎝くらい違う。その約30㎝のうちのかなりの部分は後代の付加部分だろう。

 だが、それにもかかわらず、スルバランの作品が収蔵されたことは画期的なことだ。2003年度に新規収蔵されたジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール(1593‐1652)の「聖トマス」に次ぐ快挙ではなかろうか。前述の川瀬佑介氏の紹介文に「(前略)本作は常設展の核をなす作品として今後展示していく予定です。」とあるが、むべなるかな、だ。

 ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールの「聖トマス」の新規収蔵のときは、それを記念して大規模な「ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール展」が開催された。できれば今回も「スルバラン展」の開催を期待したいものだ。
(2020.9.18.国立西洋美術館)

(※1)「聖ドミニクス」の画像
(※2)「聖フランチェスコ」の画像
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ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

2020年09月20日 | 美術
 ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行った。大型企画展に行くのは久しぶりだ。最近は会場内の混雑が嫌になったので、大型企画展は敬遠していたが、今回行く気になったのは、チラシ(↑)に使われているカルロ・クリヴェリの代表作の一つ「聖エミディウスを伴う受胎告知」(1486年頃)が来たからだ。実物を見ると、207×146.7㎝の大画面だ。クリヴェリの一部の作品と同様に、異様なまでに発色がよい。まるで洗浄した後のような艶やかさだ。ちなみに常設展では「聖アウグスティヌス」(1487/88年頃)が展示されているが、それはその時代にふさわしい褪色ぶりを示しているので、「聖エミディウスを伴う受胎告知」の鮮やかさが際立つ。

 大画面の堅牢な構成に圧倒されるが、その堅牢さが過剰なようにも感じられる。この種の過剰さはクリヴェリの他の作品にも感じることで、たとえば聖母マリアを描いた作品に過剰な妖艶さを感じることがある。その過剰さが息苦しくもあるが、またそれがクリヴェリという特異な画家の魅力のような気もする。

 本展でもっとも気に入った作品は、パオロ・ウッチェロの「聖ゲオルギウスと竜」(1470年頃)だ。初期ルネッサンス特有の透けるような空気感がある。その空気感はどこからくるのだろう。おそらく聖ゲオルギウスの乗った白馬の淡い色と、竜が王女を閉じ込めていた岩屋の桃色がかった淡い灰色とが、それぞれ画面の左右を存在感豊かに占めているからではないだろうか。

 同作は構図の面でもおもしろい。聖ゲオルギウスの槍と竜の左翼とが2本の平行線をなして右上から左下に向かい、一方、竜の右翼と岩屋の縁とが同じく2本の平行線をなして左上から右下に向かう、V字型の構図だ。V字型の谷間にあたる部分は遠近法の消失点にむかって抜けていく。

 本展の展示作品の画像はホームページで公開されているので(※)、クリヴェリの色艶と過剰さも、ウッチェロの空気感と構図も、いずれもホームページで見ていたはずだが、わたしは実物を見て初めて気がついた。

 もう一点、とくに印象深い作品をあげると、それはゴッホの「ひまわり」(1888年)だ。ゴッホの「ひまわり」は全部で7点あるそうだが(損保ジャパン美術館の収蔵品もその一つだ)、本作は背景の黄色の、あまりにも明るい色に、一種の危うさを感じた。そこから先に行くとなにかが壊れそうな、そんなギリギリの緊張感がある。そう感じるのは、ゴッホとゴーギャンのその後の経緯を知っているからかもしれないが、それだけではなく、やはり作品そのものからくる張りつめた雰囲気のなせる業だろうと思う。
(2020.9.18.国立西洋美術館)

(※)本展の展示作品
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プリーモ・レーヴィと石原吉郎

2020年09月17日 | 読書
 わたしは時々「神はこの人を選んで、あえて過酷な体験をさせたのではないだろうか」と思うことがある。音楽でいえば、耳が聞こえなくなったベートーヴェンだ。ベートーヴェンがどんなに絶望したかは、想像に余りある。その絶望があったからこそ、たとえば後期の弦楽四重奏曲のような音楽が生まれたのではないか。語弊を恐れずにいえば、そのような音楽を書かせるために、神はベートーヴェンに過酷な試練を課した、と。

 ショスタコーヴィチもその一人だ。スターリン統治下で粛清の恐怖に晒された。その恐怖があったからこそ、晩年の比類のない音楽が生まれたのではないか。底知れない深淵を覗いた音楽は、わたしにはベートーヴェンに比肩すると思われる。

 文学に関していえば、アウシュヴィッツ強制収容所を経験したプリーモ・レーヴィと、シベリア抑留を経験した石原吉郎がその好例だ。二人の経験には、過酷な労働、飢餓、劣悪な衛生状態、暴力そして死などの共通項が多い。しかしそれ以上に本質的な共通項は、二人が生涯をかけてそれらの経験を反芻し続けたことだろう。

 アウシュヴィッツやシベリアからの生還者は他にもいた。だが、戦後社会を生きながら、その経験を考え続けた人は稀だ。普通の人たちは忘れようとする。そのような人々は、アウシュヴィッツやシベリアにかぎらず、どんな惨事にも見受けられる。

 だが、忘れずに考え続ける人々もいる。プリーモ・レーヴィや石原吉郎がそうだった。それは過酷な仕事だった。アウシュヴィッツやシベリアでの体験を、もう一度繰り返すことにほかならなかった。アウシュヴィッツやシベリアでは、肉体的には過酷だったが、生き延びることがすべてに優先するので、本能のままに生きた。だが、生還後、その経験を反芻することは、精神的にこたえた。それは選ばれた人にしかできなかった。プリーモ・レーヴィや石原吉郎がその選ばれた人だったと思う。

 プリーモ・レーヴィは自宅のある集合住宅の4階から落ちて亡くなった。自死だと考えられている。一方、酒に溺れた石原吉郎は、自宅の浴槽で亡くなった。飲酒したうえで風呂に入ったと考えられている。二人とも精神的に限界だったのかもしれない。そんな代償を払ってまでも、二人はそれぞれの経験を反芻し続けた。

 ホッとする共通項もある。プリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツでアルベルトという友人を得た。石原吉郎はシベリアで鹿野武一(かの・ぶいち)という友人を得た。そのような友人がいることが二人を支えたと思われる。だが、アルベルトも鹿野武一も、その実像は二人の著述とは違っていたという研究もある。もし違っていたなら、それはむしろ収容所にあっても友人を見出せる精神力が、二人を生き延びさせる要因だったと考えるべきかもしれない。
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石原吉郎「望郷と海」

2020年09月13日 | 読書
 アウシュヴィッツ強制収容所をはじめとする「強制収容所」は、人間が生きるもっとも過酷な条件の一つだった。そこでは、生きるために、人間の本性がむき出しになった。人間が人間であるギリギリの線、その線を越えると人間の姿をした別のものになる場所がそこだった。そんな「強制収容所」から生還した人々がいる。それらの人々が書いた回想録は人間の本質とは何かを考える教材のようなものだ。

 そのような回想録でわたしがまず思い浮かべるものは、アウシュヴィッツ強制収容所から生還したプリーモ・レーヴィ(1919‐1987)の「これが人間か――アウシュヴィッツは終わらない」(1947)と「溺れるものと救われるもの」(1986)だ。それらの2作はわたしがいままで出会った書物の中でももっとも大切なものだ。他にはフィリピンのレイテ島で捕虜収容所に収容された大岡昇平(1909‐1988)の「俘虜記」(1949)と、シベリアに抑留された石原吉郎(1915‐1977)の「望郷と海」(1972)とが思い浮かぶ。

 以上の著作はどれも第二次世界大戦を背景としている。わたしが自分のルーツを探るとき、言い換えるなら、わたしとは何ものか、どんな時代に生まれたのか、というようなことを考えるとき、父母の生きた時代に目が向くのは当然の成り行きかもしれず、その時代に目を向けると、否応なく第二次世界大戦と向き合わざるを得ないのだ。

 上記のレーヴィの2作品と大岡昇平の「俘虜記」については、すでにこのブログで書いたことがあるので、今回は石原吉郎の「望郷と海」について書いてみたい。石原吉郎は敗戦時に満州にいた。ソ連軍に捕らえられ、シベリアへ送られた。しかも(シベリアの中でももっとも過酷といわれた)シベリア鉄道の支線「バイカル・アムール鉄道」(通称「バム鉄道」)の建設現場へ送られた。厳しい労働、飢餓、劣悪な衛生状態、そして死が支配するその地は、アウシュヴィッツと似た環境にあった。そこで何があったのか。その意味は何かを考察した著作が「望郷と海」だ。

 「望郷と海」は13篇のエッセイと1篇のシュールな短編小説、そしてノートの断片からなる。短編小説以外はみな容赦なく自分を問い詰める内容だ。他者を責めるのではなく、自分を問い詰める。そこに本書の特徴がある。その考察の、あまりにも求道的でストイックなために、わたしはしばしば息が詰まり、しばし本を閉じた。

 「望郷と海」に収められたそれらの文章のほとんどは、1969年から1971年にかけて書かれた。凝縮した集中的な仕事だ。石原吉郎は1953年に日本へ帰還した。帰還後、シベリア抑留の経験を考え続けた。そして自らの内部に地下水のように溜まったものが、その3年間で突如吹き上げたように見える。それは蒸留水のように濁りがなく、怜悧で、透徹したものになった。わたしはその言葉を前に声も出ない。
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尾高忠明/読響

2020年09月09日 | 音楽
 尾高忠明指揮の読響の9月定期は、1曲を除いてプログラムが変更になった。その1曲が冒頭に演奏されたグレース・ウイリアムズ(1906‐77)の「海のスケッチ」(1944)。弦楽合奏による全5楽章の曲だ。海の諸相の描写音楽。弦の澄んだ音色が美しい。編成は12‐10‐8‐6‐4。その弦がよく鳴った。読響の実力だが、もう一つはソーシャル・ディスタンスの配置により、舞台いっぱいに広がった奏者たちの、その広がりからくる効果もあったろう。同じ編成でも、通常の(密にかたまった)配置による音と、ソーシャル・ディスタンスの配置による音とでは、客席に届く音の印象が変わるようだ。

 2曲目以降は当初のプログラムから変更になった。2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏は小曽根真。ジャズ風に崩すとか、そんなことはなく、至極まっとうなモーツァルトだったが、軽く舞うようなリズム感が一貫していたのは、やはり小曽根真らしい演奏だろう。第1楽章のカデンツァの遊び心は特筆ものだ。

 アンコールにコントラバス奏者とのデュオで「A列車で行こう」が演奏された。クラシックの演奏会でジャズが演奏されるとどうしてこう楽しいのだろう。ノリのよいピアノを楽しんだが、気がつくと、読響の楽員たちもニコニコ、ニヤニヤ、楽しそうな顔をしていた。仲間のコントラバス奏者が慣れないジャズを演奏している。その苦闘ぶりが面白くてしかたないらしい。楽員たちのその顔を見ると、こちらもなお一層楽しくなった。

 休憩後の3曲目はアルヴォ・ペルト(1935‐)の「フェスティーナ・レンテ」(1986)。弦楽合奏にハープが加わる。飯尾洋一氏のプログラム・ノーツによると、ハープは任意らしいが、ハープが入ると、静謐な弦の音色が連綿と続く、その息の長いラインの強拍にアクセントがつくので、聴きやすくなる。

 興味深かった点は、第2ヴァイオリンの一人が絶えず音を細かく刻んでいたことだ。それが全体の音に、震えるような、かすかな緊張感を与える効果を生んでいた。

 4曲目はオネゲルの交響曲第2番。弦楽合奏の曲で、最終楽章(第3楽章)のコーダでトランペットが加わる。この演奏はオネゲルが彫琢したあらゆるニュアンスを描き尽くす名演だった。聴きごたえ十分。演奏会の掉尾を飾るにふさわしい演奏だった。コロナ禍のいまでなければメイン・プログラムに据えられることは稀な曲だが、じつはその曲にはこんなに豊かな内容があったのだと、思い知らされる演奏だった。

 全体として、思いがけなく印象的な演奏会になった。コロナ禍を逆手にとった意欲的なプログラムが功を奏した格好だ。
(2020.9.8.サントリーホール)
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山田和樹/日本フィル

2020年09月05日 | 音楽
 山田和樹指揮日本フィルの定期演奏会は、ステージ上の密を避けるために、曲目の一部を変更して開催された。その変更がよく考えられていて、指揮者とオーケストラの努力の跡がうかがえた。

 1曲目と2曲目は当初予定通りで、1曲目はガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム」変奏曲。ピアノ独奏は沼沢淑音(ぬまさわ・よしと)。ピアノの音が乾いて聴こえた。オーケストラにも余裕がなかった。

 2曲目はミシェル・ルグラン(1932‐2019)のチェロ協奏曲。ルグランは「シェルブールの雨傘」などの映画音楽で有名だが、「80歳代になってから」(小沼純一氏のプログラム・ノーツより)ピアノ協奏曲とチェロ協奏曲を書いた。そのチェロ協奏曲が日本初演された。チェロ独奏は横坂源。

 これは大変おもしろかった。全5楽章からなるが、最初の3楽章は急‐緩‐急の普通の協奏曲形式。とくに第3楽章はダイナミックで格好良い。そのまま大団円に突入するかと思いきや、突如動きが止まり、なんと(!)ピアノ伴奏のチェロ・ソナタになる。それはどこか懐かしい音楽だが、それにしても、大オーケストラをバックにしたチェロ協奏曲に、なぜチェロ・ソナタが挿入されるのか。そこにはなにか隠された物語があるのではないかと考えた。

 チェロ・ソナタの部分が第4楽章なのだが、その後でカデンツァがくる。カデンツァの後で第3楽章の音楽が再開するのかと思うと、「レントよりゆっくりと」(同)と指定された第5楽章になる。「レントよりゆっくりと」というと、ドビュッシーの同名曲を思い出すが、ドビュッシーの曲がゆっくりしたワルツで、ノスタルジックな音楽であるのに対して、この曲はもっと内省的な音楽だ。

 横坂源の演奏は堂々として逞しかった。オーケストラの演奏も引き締まっていた。全体として気合の入った名演だった。第4楽章のチェロ・ソナタでは沼沢淑音がピアノ伴奏を務めた。横坂源と沼沢淑音はアンコールにフォーレの「夢のあとに」を演奏した。しみじみと「いい曲だな」と思った。

 当初の予定では3曲目に水野修孝の交響曲第4番が組まれていたが、上記のように、これが変更され、3曲目には五十嵐琴未(いがらし・ことみ)という若い作曲家の新作「櫻暁」(おうぎょう)が演奏され、4曲目にはラヴェルの「マ・メール・ロワ」(バレエ音楽版全曲)が演奏された。五十嵐琴未の新作はこの演奏会のために急遽委嘱された。チェロ独奏の高音で始まる。ゲスト奏者の伊東裕の美音が光った。「マ・メール・ロワ」は徹底したピアニッシモを追及していた。
(2020.9.4.サントリーホール)
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