Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

藤岡幸夫/東京シティ・フィル(無観客ライブ配信)

2020年06月28日 | 音楽
 東京シティ・フィルが無観客ライブ配信で6月の定期を開催した。指揮は藤岡幸夫、曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。配信が始まると、楽員がステージに散在して、自分のパートをさらっている。やがて開演時間の7時になると、いったん全員が引っ込む。代わりに藤岡幸夫が登場して、プレトークが始まった。

 プレトークのゲストに常任指揮者の高関健が登場して、藤岡幸夫(首席客演指揮者)と無観客ライブ配信にいたった経緯や、ベートーヴェンの交響曲第7番の演奏上の難しさなどを語り合った。

 その経緯だが、東京シティ・フィルは6月18日に本拠地のティアラこうとうでソーシャルディスタンスのオーケストラ配置とその試演をおこなった。そして同日、楽員とスタッフ、合計72名の抗体検査を実施した。その結果、5名に陽性反応が出た。陽性とはいっても、それが新型コロナの(過去または現在の)感染を示すものとはかぎらないので、その5名にPCR検査を実施した。その結果が6月19日と22日に出た。全員陰性だった。その時点で6月26日の定期演奏会を無観客ライブ配信で開催することに決めた、と。

 高関健と藤岡幸夫は、その間ずっとオーケストラとともにいたそうだ。新型コロナウイルスで各オーケストラが苦境に立たされている今、頼りになる日本人指揮者の存在が見直されているように思う。その典型だろう。

 プレトークが終わり、楽員が登場。前後左右の間隔をあけて、ステージいっぱいの配置になっている。弦楽器は、第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ5人、コントラバス4人。管楽器をふくめて、皆さんの顔が懐かしい。コンサートマスターは戸澤哲夫さん。特別客演コンサートマスターの荒井英治さんが第2ヴァイオリンのトップに座る。チェロの客員首席の大友肇さんも入っている。

 指揮者の藤岡幸夫が登場。ベートーヴェンの交響曲第7番が始まる。音と映像のズレが気になる(音のほうが先に来る。それは第3楽章の途中で解消された)。第2楽章のヴィオラの旋律が胸にしみる。2月下旬以降の4か月間の苦しみと悲しみが滲んでいるようだ。第4楽章のフィナーレではエネルギーが渦巻く。東京シティ・フィルらしい演奏になった。

 演奏終了時点で視聴者数は1214人。大成功だったのではないか。アンコールにエルガーの「夕べの歌」。アンコール終了後、藤岡幸夫が戸澤哲夫、荒井英治とひじタッチ。楽員が退場し始める。ヴィオラセクションとチェロセクションが最後まで残って、ひじタッチを繰り返している。それが感動的だった。
(2020.6.26.東京オペラシティ)
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トランペット協奏曲あれこれ

2020年06月24日 | 音楽
 オーケストラの演奏活動が再開している。わたしが定期会員になっている5つのオーケスの中では、今のところ一つのオーケストラが7月に定期演奏会を再開する見込みだ。

 2月下旬以降の4か月間に中止または延期になった演奏会には、2曲の珍しいトランペット協奏曲が含まれていた。一つは日本フィルの3月定期で予定されていたアレクサンドル・アルチュニアン(1920‐2012)のトランペット協奏曲、もう一つは読響の5月定期で予定されていたオスカー・ベーメ(1870‐1938)のトランペット協奏曲。ともに作曲家の名前も聞いたことがない曲なので、どんな曲か、NMLで聴いてみた。

 アルチュニアンの曲は楽しい曲だった。アルチュニアンはアルメニアの作曲家。アルメニアというとハチャトゥリアン(1903‐1978)を思い出すが、ハチャトゥリアンと似た民族性が感じられる。NMLで聴いたのは、フィリップ・スミス独奏、クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、スミスは同フィルの首席奏者のようだ。

 一方、オスカー・ベーメの曲はいかにもドイツ・ロマン派の曲。ドイツ・ロマン派のトランペット協奏曲というと、他にどんな曲があるか、見当がつかない。ベーメという人の生涯は興味深い。ドレスデン近郊に生まれ、ライプツィヒ音楽院でトランペットと作曲を学んだ後、ブダペスト歌劇場を経て、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場でトランペット奏者となった。ロシア革命の渦中で数奇な運命を辿った。NMLで聴いたのは、ジュリアーノ・ゾンマーハルダーの独奏、ハイコ=マティアス・フォルスター指揮ウェストファリア・ニューフィルハーモニア管の演奏。ゾンマーハルダ―は若手の名手のようだ。

 その他にもトランペット協奏曲をあれこれ聴いてみた。ハイドンの有名曲はいうまでもないが、それ以外にもおもしろい曲がいろいろあった。

 まずミエチスワフ・ヴァインベルク(1919‐1996)のトランペット協奏曲。全3楽章からなり、第1楽章と第2楽章は盟友ショスタコーヴィチを彷彿とさせる。一方、第3楽章は驚きの音楽だ。初めてこの曲を聴く人は唖然とするだろう。NMLで聴いたのは、チモフェイ・ドクシツェル独奏のメロディア盤だが、その後メロディア・レーベルはNMLから脱退した。

 もう1曲は細川俊夫(1955‐)のトランペット協奏曲「霧の中で」。わたしは2013年9月にイエルーン・ベルワルツの独奏、準・メルクル指揮東京フィルによる初演を聴いた。そのベルワルツがピアノ伴奏版で録音している。近年の細川俊夫の雄弁さがよくわかる曲だ。
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わたしの「コロナの日常」

2020年06月20日 | 身辺雑記
 まだリハビリ中ながら、元の日常生活がジワリと再開しそうな気配だ。この先どうなるか。だれもが新型コロナの第2波、第3波が来るとはいうが、それと元の日常生活の再開と、どういう関係になるか、いまひとつはっきりしない。

 緊急事態宣言とか何とか、そんなお上のいうことは別にして、わたしたちの日常生活はその前から緊急体制に入っていた。ちなみに、緊急事態宣言が発令されたのは、7都府県に対しては4月7日、全都道府県に対しては4月16日だったが、わたしの実感からいうと、2月下旬から緊急体制の日々だった。それがいま解除されたとはいっても、解除されたのは緊急事態宣言だけで、緊張した気持ちはまだ解除されていない。でも、それはともかく、緊急体制が続いたこの4か月間を振り返り、そこで起きたことを記憶することは、けっして無駄ではないと思う。むしろそこで感じた棘のような違和感が大事だという気がする。

 「棘のような違和感」は、大から小までいろいろあった。例のアベノマスクや動画はいわずもがなだが、自粛警察というのもあった。それもいわずもがなとして、では、もっと個人的なレベルではどうだったろう。

 6月9日の日経新聞のコラム「春秋」は、次のように書いている。『「愛してる 家族のために 距離をあけ」。地下鉄の駅で「コロナ対策東京かるた」なるポスターを見かけた。「でかけない 密にならない 作らない」「のんびりと おうち時間を 楽しもう」。万事こんな具合で、つまり「新しい生活様式」の念入りな呼びかけだ。いささかお節介な東京都のキャンペーンなのだが、(以下略)』

 「いささかお節介」だが、「かるた」を作っている当人には、その認識がない。世のため人のためと思っている。ステイホームでストレスのたまっている人を元気づけようという善意からきている。だが、掛け声をかける人はいいが、掛け声をかけられる人は疲れる。それは東日本大震災のときに学習済みのはずだが、もうすっかり忘れて、同じことを繰り返している。

 某オーケストラはツイッターで連日、手洗いを呼びかけた。それはいまも続いている。たとえば6月18日のツイートでは「引き続きにこにこ30秒手洗い&うがい&換気をお忘れなく!」と書いている。このようなツイートが3月以降ずっと続いている。書いている当人はよかれと思ってやっているのだろうが、それが連日続くと辟易する。

 新型コロナは、ホームレスの人々、風俗で働くシングルマザーなど、社会の隅々の問題を浮き彫りにした。それらの問題が今後のGo Toキャンペーンで忘れ去られはしないかという懸念がある。そうならないためにも、小さな違和感も忘れないほうがいい。
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大岡昇平「俘虜記」

2020年06月16日 | 読書
 大岡昇平の「俘虜記」は12章から成る。各章は順次文芸誌に発表された。第1章(以下、本作には通し番号は付いていないが、便宜的に付番する)の「捉まるまで」は「文学界」1948年2月号に発表。それ以降、第11章「俘虜演芸大会」が「人間」1951年1月号に発表されるまで、約3年間にわたって書き継がれた(最終章の第12章「帰還」は「改造」1950年10月号に発表)。

 3年間で文体は変化していないが、俘虜体験の時系列に応じて、各章のトーンは変化する。第1章「捉まるまで」の極限的な緊張感は、「野火」で全面的に展開するテーマの萌芽だ。第2章「サンホセ野戦病院」から第4章「パロの陽」までは、第1章の「捉まるまで」の緊張感を引きずりながら、俘虜の状態への適応過程を反映する。第5章「生きている俘虜」から第12章「帰還」までは俘虜の弛緩した状態を描く。

 わたしが感銘を受けたのは第1章から第4章までだが、第5章「生きている俘虜」以下も興味が尽きない。それはわたしが子どもの頃に見ていた大人たちの肖像画、いや、その集団肖像画という感じがした。

 わたしが生まれたのは多摩川の河口の町だ(1951年に生まれた)。一帯には町工場がひしめき、けっして品のいい町ではなかった。わたしが子どものときに見た大人たちは、第5章「生きている俘虜」以下と重なるものがあった。敗戦の体験は大人たちに何の反省ももたらさなかったらしい。だが、たとえば平成生まれの人たちは、本作を読んでどう感じるのか。わたしと同じ思いを抱くなら、それはすなわち、わたしの世代も、わたしの子ども時代の大人たちと変わらないことになる。

 もう一つ、本作を読みながら考えたことは、プリーモ・レーヴィの「これが人間か(アウシュヴィッツは終わらない)」と「溺れるものと救われるもの」との比較だ。レーヴィの場合はナチスの強制収容所での体験、大岡昇平の場合はアメリカ軍の俘虜収容所での体験だが、共通点がある一方で、根本的な相違点もある。

 たとえば「溺れるものと救われるもの」で印象的に指摘された「灰色の領域」(特権的な被収容者の存在)は「俘虜記」にも見られる。それが収容所というものの基本的な性格かもしれない。その一方で、「これが人間か(アウシュヴィッツは終わらない)」で描かれた飢餓、奴隷労働そして死は、「俘虜記」の場合は飽食、軽い労働そして生に置き換わる。

 同じ日本人でもシベリアに抑留された人々もいた。その人たちはアウシュヴィッツと似た環境にあった。「死」はアウシュヴィッツの場合は目的、シベリア抑留の場合は結果だが、飢餓と奴隷労働は似ている。「俘虜記」の場合とは天国と地獄の差だ。
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小川典子のラフマニノフ「ピアノ協奏曲全集」

2020年06月12日 | 音楽
 ラフマニノフのオペラ「アレコ」の演奏会形式上演が予定されていた日本フィルの5月の定期では、前プロにラフマニノフのピアノ協奏曲第1番が予定されていた。第2番と第3番は定番中の定番だが、第1番は聴いた記憶がないので、ナクソス・ミュージックライブラリー(以下「NML」)で聴いてみた。

 「アレコ」のCDを聴いた直後だったので、ピアノ協奏曲第1番の流麗さに驚いた。成熟したラフマニノフの書法だ。いかにも習作らしい「アレコ」のぎこちなさ(それはそれでおもしろい)が微塵もないのだ。ピアノ協奏曲第1番も(「アレコ」と同様に)モスクワ音楽院時代の作品なので、不思議に思って調べてみると、後年(第2番と第3番のピアノ協奏曲の作曲後に)改訂されていることがわかった。それで納得したのだが、そうなると、改訂前の原典版を聴きたくなる。CDがあるのかどうか。モスクワ音楽院時代のもう一作、交響曲(通称「ユース・シンフォニー」)がやはり習作の面影をとどめているので、ピアノ協奏曲第1番の原典版も現行の版とはそうとう違っていたと思う。

 NMLで聴いたピアノ協奏曲第1番は、日本フィルに出演予定だった小川典子の演奏だ。小川典子といえばドビュッシーと武満徹が思い浮かぶので、ラフマニノフは意外だったが、ロシア情緒たっぷりの演奏だ。録音が鮮明さに欠けるのは、マイクの位置が遠いからか。

 オーケストラはオウェイン・アーウェル・ヒューズOwain Arwel Hughes指揮のマルメ交響楽団。上記の録音の問題を割り引くにしても、オーケストラは非力かもしれない。指揮者のヒューズはロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団を振ってラフマニノフの交響曲全集を録音している。それも聴いてみた。バランスのとれた秀演で、録音も問題ない。

 ピアノ協奏曲第1番にはラフマニノフ自身の録音がある(オーケストラはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)。それも聴いてみたが、テンポがまるで違う。速いのだ。NMLの表示によると、小川典子が28分35秒、ラフマニノフが24分47秒。他の演奏家では、アシュケナージが小川典子と同じくらい、ゾルタン・コチシュがラフマニノフと同じくらいで、それ以外の演奏家はその中間におさまる。

 小川典子もラフマニノフも、それぞれラフマニノフのピアノ協奏曲全集を録音しているので、ついでに全部聴いてみた。どの曲も小川典子が最長時間のグループ、ラフマニノフが最短時間のグループに属する。極端な例は第3番だ。小川典子は43分50秒、ラフマニノフは33分47秒。カットの有無は確認できないが、感覚的には、テンポがまったく違う。それを聴きながら、ラフマニノフのピアノ協奏曲は、現代ではラフマニノフが考えていたよりもそうとう遅く演奏されているのではないかと思った。本来は、情緒纏綿とした曲ではなく、明暗のコントラストが強く、エキサイティングな曲だったかもしれない。
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大岡昇平「野火」

2020年06月08日 | 読書
 大岡昇平の「野火」は読んだことがなかった。それを今回読んだのは、太平洋戦争での南方戦線の状況を知りたかったからだ。読んだ感想は、久しぶりに文学らしい文学を読んだというものだった。文学でなければ描くことのできない人間の真実、極限状態におかれた人間の裸像を描いた作品だと思った。

 名作なので、すでに多くのかたが読んでいるので、ネタバレなど気にせずに感想を書けばよいのだが、(わたしのように)これから読む人もいるわけだから、そのような人が初めて読む楽しみを奪わないように、気をつけて以下を書きたい。

 ネタバレを気にするのは、この作品がアッと驚く展開を見せるからだ。テーマと構成とその両面で驚くべき展開を見せる。意外なテーマが現れ、予想外の構成に衝撃を受ける過程は、文学の楽しみそのものだ。

 文学の楽しみとはいったが、これは明るく楽しい作品ではない。時は太平洋戦争末期の1944年11月。場所はフィリピン諸島のレイテ島。「私」こと田村一等兵は喀血をして野戦病院に送られる。だが、わずかな食糧しか持っていないため、3日後に病院を追い出される。止むを得ず中隊に戻る。だが、中隊でも「病院に戻れ。入れてくれなかったら、何日でも座り込め。それでだめだったら死ね。手りゅう弾は無駄に受領しているのではない」と追い返される。田村一等兵は行き場を失い、山中での敗走の日々が始まる。食料はすぐに尽きる。山で出会う日本の敗残兵は米兵よりも危険だ。そんな陰惨なサバイバル物語がこの作品。

 テーマは何かと正面から問えば、多層的な読み方が可能だというのが正解だろうが、あえていえば、究極のテーマは信仰の問題だろう。生きるか死ぬか、いや、むしろ絶対的に避けがたい死を先延ばしにしながら、本能そのものと化して敗走を続ける主人公に、信仰も何もないのだが、その主人公が、無意識のうちに、何かが自分を見つめていると感じる。その感覚は何か。その感覚はどこから来るのか。そのテーマが中盤から低く鳴り始め、実体がわからないまま、終盤にかけて大きく鳴り響く。

 それが信仰の問題だとわかるためには、物語の構成上、驚くべき仕掛けが必要だったことが、最後にわかる。その仕掛けを考案した大岡昇平に心からの称賛を捧げたい。

 信仰の問題はアイデンティティを揺さぶる。平時はともかく、何か究極の体験をしたときに、思いがけず、自らの内なる信仰心を感じる。その見事な例がドストエフスキーの作品に見出されると思うのだが、それがどの作品のどこだったか、残念ながら思い出せない。日本文学では大岡昇平の本作がそのもっとも本格的な作例だろう。
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ラフマニノフのオペラ「アレコ」

2020年06月04日 | 音楽
 ラザレフ指揮日本フィルの5月の定期では、ラフマニノフのオペラ「アレコ」の演奏会形式上演が予定されていた。一度も観たことのないオペラなので(しかもラザレフの指揮なので)期待していたが仕方がない。せめてナクソス・ミュージックライブラリー(以下「NML」)で聴いてみようと思ったが、その前にどうせならプーシキンの原作を読んでからにしようと、岩波文庫の古本を買った(いまは絶版なので)。

 原作は「ジプシー」。劇詩だが、たいして長くはない。頁数でいうと52頁。黒海の北岸、いまはウクライナ共和国の一部となっている地域を舞台とするロマの物語。ロマの娘ゼムフィーラは、アレコという男を連れて帰る。アレコはロマではなく、街の裕福な男だが、街の生活にうんざりして、自由なロマの生活を望んでいる。ゼムフィーラの父は許す。ゼムフィーラとアレコは幸せに暮らす。ところが、ある日、ゼムフィーラはロマの若い男と恋に落ちる。アレコは嫉妬し、その男をナイフで刺し、またゼムフィーラも刺す。ゼムフィーラの父はアレコにいう、「わしらには法律はない。だから罰しはしない。だが人殺しとは住めない。立ち去ってくれ。」と。アレコは一人静かに去る。

 ラフマニノフはこれを一幕物のオペラにした。演奏時間は約1時間で、途中に間奏曲が入る。同時代のオペラ、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1890年初演)やレオンカヴァッロの「道化師」(1892年初演)と似ている。「アレコ」の初演は1893年。モスクワ音楽院の卒業作品だ。

 序奏のメランコリックな抒情、エキゾチックなバレエ音楽「ジプシーの女の踊り」、間奏曲の短いモチーフの繰り返しと、そこから生まれる息の長い音楽、さらに全体的なロシア情緒といった点にラフマニノフの個性が現れている。

 卒業作品といえば、ショスタコーヴィチの交響曲第1番も卒業作品だ(こちらはレニングラード音楽院。1925年初演)。そこには皮肉や風刺の棘が仕込まれている。両者を比較すると、ラフマニノフはスマートな秀才、ショスタコーヴィチは早熟な天才という感じがする。

 なお、余談だが、プーシキンの「ジプシー」に基づくオペラはもう一つ存在する。レオンカヴァッロの「ジプシーたちZingari」(1912年初演)だ。これはYouTubeで聴くことができる。「道化師」とよく似たヴェリズモ・オペラ。ラドゥー(=アレコ)はフレアーナ(=ゼムフィーラ)と幸せな日々を送っているが、フレアーナは幼馴染のロマの男タマールと親しくなる。ラドゥーは二人が逢引している小屋に火を放つ。

(※)NMLには「アレコ」の音源が複数収録されているが、音楽の流れのよさの点で、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の録音がよいと思う。
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