「ルドンとその周辺―夢見る世紀末」展。ルドン(1840~1916)はモネ(1840~1926)と同年生まれだ。実はそのことを本展で知って、意外な感じがした。もっと後のような気がしていた。印象派のど真ん中にいたモネと同時代人だと考えると、ルドンの特異性が際立つ。
ルドンは色彩あふれる幻想的な画家のイメージがあるが、当初は木炭や石版画(リトグラフ)で黒一色の作品を作っていた。テーマは、宙に浮かぶ眼とか、人間の顔をもつ植物とか、奇妙なものが多かった。それが50歳頃を境にガラッと変わった。色彩豊かな宗教画や物語画が描かれた。
本展はそのような作風の変化を辿るとともに、ルドンの周辺の象徴主義の画家たちを概観するものだ。展示総数140点。驚くべきことには、1点を除き(その1点が三菱一号館美術館の「グラン・ブーケ(大きな花束)」だ)、全部が岐阜県美術館の収蔵品。これは質量ともにたいへんなコレクションだ。本展は「グラン・ブーケ」のお披露目の企画だが、岐阜県美術館のコレクションの紹介の意味もある。
音楽好きには、ルドンは武満徹と結び付く名前だ。ルドンの「眼を閉じて」に触発されて、武満徹はピアノ曲「閉じた眼」を作曲した。日本語表記はちょっとちがうが、フランス語表記はともにLES YEUX CLOSだ。
その「眼を閉じて」も展示されていた。実物を観るのは初めてだ。水平線のかなたに巨大な女性の顔が出現する不思議な作品。想像していたよりも美しかった。油彩画もあるが、本展はリトグラフ。武満徹が観たのもリトグラフだ。
話が横道にそれるが、この週末はCDで「閉じた眼」を聴いた。藤井一興、岡田博美そして高橋アキのCD。三者三様、それぞれまったく異なる演奏だ。もちろん譜面の読み方のちがいだが、おそらく3人ともルドンの作品を観ているので、ルドンになにを感じたかのちがいでもあると思われた。高橋アキはモニュメンタルな存在感を、岡田博美は穏やかな瞑想を感じたのではないか(藤井一興はよくつかめなかった)。わたしが一番面白かったのは高橋アキだ。
さて、話を戻して、本展の目玉の「グラン・ブーケ」。なにしろ大きい。縦248.3cm、横162.9cm。これが狭い展示室にドンと置かれている。正直にいうと、窮屈な感じがした。もとはフランスの貴族の城館の大食堂を飾るための作品だ。作品とそれを展示する空間との密接な関係を考えさせられた。
(2012.2.24.三菱一号館美術館)
ルドンは色彩あふれる幻想的な画家のイメージがあるが、当初は木炭や石版画(リトグラフ)で黒一色の作品を作っていた。テーマは、宙に浮かぶ眼とか、人間の顔をもつ植物とか、奇妙なものが多かった。それが50歳頃を境にガラッと変わった。色彩豊かな宗教画や物語画が描かれた。
本展はそのような作風の変化を辿るとともに、ルドンの周辺の象徴主義の画家たちを概観するものだ。展示総数140点。驚くべきことには、1点を除き(その1点が三菱一号館美術館の「グラン・ブーケ(大きな花束)」だ)、全部が岐阜県美術館の収蔵品。これは質量ともにたいへんなコレクションだ。本展は「グラン・ブーケ」のお披露目の企画だが、岐阜県美術館のコレクションの紹介の意味もある。
音楽好きには、ルドンは武満徹と結び付く名前だ。ルドンの「眼を閉じて」に触発されて、武満徹はピアノ曲「閉じた眼」を作曲した。日本語表記はちょっとちがうが、フランス語表記はともにLES YEUX CLOSだ。
その「眼を閉じて」も展示されていた。実物を観るのは初めてだ。水平線のかなたに巨大な女性の顔が出現する不思議な作品。想像していたよりも美しかった。油彩画もあるが、本展はリトグラフ。武満徹が観たのもリトグラフだ。
話が横道にそれるが、この週末はCDで「閉じた眼」を聴いた。藤井一興、岡田博美そして高橋アキのCD。三者三様、それぞれまったく異なる演奏だ。もちろん譜面の読み方のちがいだが、おそらく3人ともルドンの作品を観ているので、ルドンになにを感じたかのちがいでもあると思われた。高橋アキはモニュメンタルな存在感を、岡田博美は穏やかな瞑想を感じたのではないか(藤井一興はよくつかめなかった)。わたしが一番面白かったのは高橋アキだ。
さて、話を戻して、本展の目玉の「グラン・ブーケ」。なにしろ大きい。縦248.3cm、横162.9cm。これが狭い展示室にドンと置かれている。正直にいうと、窮屈な感じがした。もとはフランスの貴族の城館の大食堂を飾るための作品だ。作品とそれを展示する空間との密接な関係を考えさせられた。
(2012.2.24.三菱一号館美術館)