Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

シュトゥットガルト:サロメ

2016年01月31日 | 音楽
 シュトゥットガルト歌劇場の今シーズンの新制作「サロメ」。2015年11月22日の初演だ。演出はキリル・セレブレニコフKIRILL SEREBRENNIKOV。プロフィールによると演劇畑の人のようだが、オペラ演出もしている。目立ったところでは、オーストリアの現代作曲家オルガ・ノイヴィルト(1968‐)の「アメリカン・ルル」をベルリンのコーミシェ・オーパーで演出したそうだ。

 会場に入ると、舞台ではすでに演技が始まっている。オフィルビルの広々とした部屋。中央に大きなソファーがある。スーツ姿の男たちが座っている。奥にテレビの大画面。ニュースの映像が刻々と流れている。世界各地で起きる暴動、それを弾圧する治安当局、難民たちの群れ、困惑するメルケル首相等々。男たちはくつろいだ格好で眺めている。

 やがて照明が落ち、そのままオペラが始まる。ヘロデはこの会社の社長、ヘロディアスは社長夫人、サロメはその連れ子だ。部屋の一角には小部屋があり、ヨカナーンが監禁されている。

 ヨカナーンは2人によって演じられる。ヨカナーンの声(歌手)と体(俳優)。声はいうまでもなく朗々と鳴り響くが、俳優が演じるヨカナーンは、男たちになぶられ、暴力を受けて、怯えきっている。見るからに中東の男だ。

 オペラが進行するにつれ、前述のテレビには黒い服を着たイスラム国の男たちが映し出される。浜辺に一列に並んでいる。各人の前にはオレンジ色の服を着た捕虜が跪かせられている。やがて処刑が始まる。首を切り落とされる捕虜たち。

 サロメがヨカナーンの首を求める。ヨカナーンはオレンジ色の服を着せられ、階下の部屋に連れて行かれる。モニターテレビが黒いビニールシートの上で首を切り落とされるヨカナーンを映し出す。妙に生々しい映像だ。

 サロメを歌ったのはグン=ブリット・バークミン。2015年12月のデュトワ/N響の「サロメ」で同役を歌った人だ。でも、今回の印象は少し違った。デュトワ/N響のときは、軽々と遊戯的に歌い、サロメの歌唱パートがどう書かれているかを教えてくれたが、今回はパワーで押したような感じだ。思えばN響のときは、デュトワの指示があったのかもしれない。

 指揮はロランド・クルティッヒ。当歌劇場の指揮者陣の一人だが、少なくともこの公演ではオーケストラを野放図に鳴らし、締まりがないように感じた。
(2016.1.21.シュトゥットガルト歌劇場)
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ギルバート/都響

2016年01月28日 | 音楽
 旅行中に観たオペラの記録を書く順番だが、帰国したその夜にアラン・ギルバート指揮都響の演奏会に出かけたので、まず先にその感想から。

 多くの方と同じように、わたしも2011年7月の初共演に強い感銘を受けたので、この演奏会を楽しみにしていた。1月26日の定期は(旅行中なので)聴けないため、同プログラムの翌日のチケットを買っておいた。

 1曲目は武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト」。この曲はモートン・フェルドマンの追悼曲なので、その作風を反映しているのだろう、ゆったりとして、動きの少ない、あえていえば地味な曲だと、今までは思っていた。でも、ギルバートの指揮だと、がっしりした骨格があり、劇的なインパクトがある曲のように聴こえた。

 面白いものだと思った。日本人の指揮だとこうはならない。幾筋もの繊維がもつれ合うような、あるいは何かがたゆたうような、そんな演奏になると思う。彼我の感性の違いだろうか。

 武満徹は今年が没後20年だ。生前は国際的に成功した日本人で初めての作曲家というイメージが強かったが(そしてそれは正しいのだが)、今から思うと日本的な感性を人一倍秘めていた作曲家なのかもしれない。その面に反応するか、別な面に反応するか。それによって演奏の性格が分かれてくるのかもしれない。

 2曲目はシベリウスの交響詩「エン・サガ(伝説)」。前述の初共演のときの記憶が蘇ってくるような豊かな鳴り方だ。大柄な演奏。でも、大味ではない。恰幅のいい演奏といったほうがいいかもしれない。ギルバート/都響のコンビの個性が早くも現れているようだ。

 最後のクラリネットの長いソロに惹かれた。首席奏者のサトーミチヨ氏の演奏。同氏は次のワーグナーでも名演を聴かせてくれた。

 3曲目のワーグナーは「ニーベルンクの指輪」からの抜粋をオーケストラ曲にまとめたもの。演奏時間は約52分(プログラムの表記による)。「ワルキューレの騎行」から始まって最後の「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」までストーリーどおりに進む。特徴的なのは1曲1曲をたっぷり聴かせてくれることだ。かいつまんで編集する方針ではない。

 「神々の黄昏」の序奏(「夜明け」)から「ジークフリートのラインへの旅」に至る部分が、しなやかに、うねるように演奏された。都響の弦の、まばゆい光沢のある音色に、思わず身を乗り出した。
(2016.1.27.東京オペラシティ)
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帰国報告

2016年01月27日 | 身辺雑記
 本日無事に帰国しました。今回観たオペラは次のとおりです。
1月21日シュトラウス「サロメ」(シュトゥットガルト歌劇場)
1月22日ヤナーチェク「イェヌーファ」(同上)
1月23日ロッシーニ「チェネレントラ」(同上)
1月24日リーム「ハムレットマシーン」(チューリヒ歌劇場)
1月25日フィオラヴァンティ「村の歌い手」(フランクフルト歌劇場)

 ヴォルフガング・リーム(1952‐)の「ハムレットマシーン」(1987)の新演出を観ることが目的でした。旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラー(1929‐1995)の問題作「ハムレットマシーン」をオペラ化したものです。もっともリームは、オペラではなく、ムジークテアターと呼んでいます。リームはこの後、ムジークテアターの概念をさらに進めて「メキシコの征服」(1989)を書きました。「メキシコの征服」は2015年のザルツブルク音楽祭で上演されたので、わたしも観ました(指揮はメッツマッハー、演出はコンビチュニー)。「ハムレットマシーン」もぜひ観たいと思っていたら、こんなに早くその機会が訪れました。

 さて、その前後になにを観ようかと調べたところ、シュトゥットガルトでカンブルランが振る「イェヌーファ」があったので、それにしました。今のこの歌劇場の日常を見てみたいと思ったので、その前後の公演も観てきました。

 帰国の途次、フランクフルトでの飛行機の乗り継ぎを1日ずらして、フィオラヴァンティ(1764‐1837)の「村の歌い手」LE CANTATRICI VILLANE(1799)という珍しいオペラを観てきました。この公演は、歌劇場ではなく、ボッケンハイマー・デポという古い赤レンガの倉庫で行われました。現代オペラや珍しいオペラの公演で使われる会場です。雰囲気があるので、わたしは好きです。

 各々のオペラの感想は、後日また報告させていただきます。

 3都市とも暖かいのが意外でした。道に雪は付いていませんでした。シュトゥットガルトからチューリヒへは列車で移動しました。途中シュヴァルツヴァルト(黒い森)を通ったときに美しい雪原を見かけましたが、雪を見たのはそのときくらいです。

 シュトゥットガルト中央駅のホーム側は大工事中でした。いったい何年かかるのだろうと思うくらいです。フェンスには世界各国の駅の写真が貼ってあり、日本の駅も新宿と原宿と金沢がありました。
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旅行予定

2016年01月20日 | 身辺雑記
1月20日から旅行に出ます。シュトゥットガルト、チューリヒ、フランクフルトを回って1月27日に帰国します。帰国したらまた報告します。
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鈴木秀美/東京シティ・フィル

2016年01月18日 | 音楽
 鈴木秀美が客演指揮した東京シティ・フィルの定期。実兄の鈴木雅明はすでに何度か同フィルを指揮しているが、鈴木秀美は初めてだ。バロック・チェロ奏者としての名声を確立し、また近年はオーケストラ・リベラ・クラシカの指揮者としても活動しているが、さて、既成のオーケストラを振るとどうなるか。

 1曲目はハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」。鈴木秀美が登場し、拍手を受けて、指揮台に上ろうとしたそのとき、ティンパニの派手なソロが始まった。ソロが終わるのを待ってから序奏が始まった。愉快な演出だ。

 熱い演奏。ハイドンで「熱い」という表現は違和感があるかもしれないが、鈴木秀美も東京シティ・フィルも渾身の熱演だった。

 演奏が終わって、鈴木秀美がティンパニ奏者に拍手を受けさせた。ところが、2階右側のわたしの席からは、奏者が見えない。だれだろうと思って身を乗り出した。元読響の菅原淳氏だった。どうりでピシッと決まった演奏だった。センスの良さが抜群だ。楽器はバロック・ティンパニだった。

 言い忘れたが、弦楽器の配置は、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンの順で、コントラバスはステージ正面の一番奥(木管楽器の後ろ)だった。当然コントラバスの動きが目立つ。しかもそれを意識しているのだろう、時々コントラバスの動きをはっきり浮き上がらせていた。

 2曲目はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。驚いたことに、第1楽章の提示部を繰り返した。それだけではない。第4楽章の提示部も繰り返した。それでなくても長いこの曲が、否が応でも長くなる。もちろんこれがシューベルトの指定なのだろう。

 シューマンのいう「天国的な長さ」とは、曲想に由来するというよりも、物理的な長さを意味するのかもしれない。そんな即物的なことを考えながら聴いた。身も蓋もないことかもしれないが。

 では、長さに耐えるだけのニュアンスの豊かさとか、何かそんな繊細さがあったかというと、残念ながらそうとはいえない。ハイドンと同様に熱演だったが、反面、荒削りな演奏でもあった。それがオーケストラのせいか、指揮者のせいかは、即断できないが。鈴木秀美の指揮には初めて接したが、――変なたとえで恐縮だが――兄の鈴木雅明がA型的な指揮だとすれば、鈴木秀美はB型またはO型的だと思った。
(2016.1.16.東京オペラシティ)
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ソヒエフ/N響

2016年01月16日 | 音楽
 トゥガン・ソヒエフは1977年生まれ。まだ30代だが、トゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団の音楽監督、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者、ボリショイ劇場の音楽監督(同劇場管弦楽団の首席指揮者を兼務)の3ポストを占める。まさに働き盛り。多忙を極めるにちがいない。

 そのソヒエフが振ったN響の定期。1曲目がブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、2曲目がベルリオーズの「幻想交響曲」。2013年6月にソヒエフがウィーン・フィルを振ったときのプログラムと同じ(もっとも同月の定期ではなく、ソワレ・コンサートのプログラムだが)。

 ソリストも同じ。ヴァイオリンがウィーン・フィルのコンサートマスター、フォルクハルト・シュトイデ、チェロが同フィルのソロ・チェロ奏者、ペーテル・ソモダリ。

 冒頭、オーケストラから張りのある音が出る。さすがに今が旬、現役バリバリの指揮者の音だ。やがてソロが入ってくる。情熱的に、前へ前へと弾いていく。

 だが、いつとはなく、わたしの気持ちは離れていった。2人のソリストはともかく、オーケストラに面白味を感じなくなった。もしこれがウィーン・フィルの演奏会なら、お馴染みの奏者がソロを努めているので、応援しながら聴いただろう。でも、N響という別の土壌に移植された2人だ。そんな聴き方はできなかった。

 2曲目の「幻想交響曲」が始まると、冒頭の弦の音から、明確な音のイメージをもって演奏していることが伝わってきた。前曲とは格段の差だ。それは最後まで持続した。ハイレベルの演奏が続いた。「幻想交響曲」など演奏し慣れているN響の団員だが(それはN響に限らずどのオーケストラでもそうだが)、真剣に、真新しい気持ちでこの曲に取り組んでいることが感じられた。

 そういう演奏だったからだろう、わたしも真新しい気持ちで聴くことができた。もう何十年も聴いている曲なので、今頃こんなことに気付くのはどうかと思うが、第1楽章から第3楽章まではトロンボーン3本とチューバ2本は出番がない。第4楽章、第5楽章でやっと出番がある。悪夢の世界のどぎつい色彩を加える。

 この曲が初演されたのは1830年。ベートーヴェンが亡くなってから3年しか経っていない。当時の人々は4人の奏者がティンパニを叩くのを見て仰天しただろう。もしもベートーヴェンが見たら大喜びしたかもしれない。
(2016.1.15.NHKホール)
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ボーダー/読響

2016年01月15日 | 音楽
 ミヒャエル・ボーダーが初めて読響を振った。ボーダーは地味な存在かもしれないが、キャリア、実力とも十分な指揮者だ。さて、読響との初共演はどうなるか。

 プログラムは後期ロマン派の作品で組まれた。先に曲目を記すと、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、リストのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はスイス生まれの若手ピアニスト、フランチェスコ・ピエモンテージ)そしてツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」。なかなか濃いプログラムだ。

 ボーダーの指揮は新国立劇場とベルリン国立歌劇場(リンデン・オーパー)で聴いたことがあるが、それらのオペラ公演では、がっしりした構成と重みのある音という印象があった。でも、今回の演奏では、がっしりした構成はそのとおりだが、音は軽いというか、フワッとした感触で、膨らみのある鳴り方をしていた。

 1曲目の「ドン・ファン」は音のまとまりが今一つだった。前述の特徴はすでに現れていたが、オーケストラ全体がしっくりまとまるには至らなかった。焦点が定まらないまま終わった。

 2曲目は協奏曲なので、オーケストラにはあまり期待していなかったが、どうしてどうして、音がしっくりまとまってきた。ピアノ協奏曲の第1番と比べて、紆余曲折が多く、一直線には進まないこの曲だが、その道筋を丁寧に辿っていた。

 ピアノ独奏のピエモンテージは、鳴らし過ぎず、オーケストラとよく絡んでいた。優秀なピアニストだと思う。アンコールにリストの「巡礼の年」第1年「スイス」から「ヴァレンシュタットの湖畔にて」を演奏した。波の揺らめきのような音型の柔らかさ、そこから浮き出る旋律線の明瞭さ、ともに快い。

 3曲目の「人魚姫」も好調に始まった。前曲と比べて彫りの深い音楽なので、それを反映して演奏に明暗の対比が加わった。全3楽章からなる曲だが、第2楽章に入るとオーケストラはしなやかに、かつ滑らかにドラマを語った。煌めくような箇所では、オペラ「フィレンツェの悲劇」を想い出した。帰宅後、調べてみたら、作曲年代には開きがあるが(「フィレンツェの悲劇」のほうが12~13年後だ)、通底するものがあるようだ。

 ボーダーはさすがにオペラ指揮者だ。まるでオペラのような演奏をした。オーケストラ曲なので、声はないが、声の部分もオーケストラに取り込んだような曲。そんなふうに聴こえた。
(2016.1.14.サントリーホール)
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山田和樹/N響

2016年01月11日 | 音楽
 山田和樹がN響定期を初めて振るとあっては、否が応でも期待がふくらむ。さて、どんな名演が生まれるか――。

 プログラムにテーマ性があって、いかにも山田和樹らしい。1曲目はビゼーの小組曲「こどもの遊び」。昔(たぶん高校生の頃)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管のLPでこの曲を知った。すぐに好きになった。わたしのあの頃の秘蔵の曲だった。

 プロのオーケストラには易しい曲だろうが、こういう曲でもN響がやるときっちりした演奏になるものだと思った。折り目正しい演奏。ハンカチの四隅を合わせて丁寧に畳んだような演奏。皮肉でいっているのではなく、素直にそう思った。

 2曲目はドビュッシーのバレエ音楽「おもちゃ箱」。プログラム・ノートを読んでいて気が付いたのだが、この曲は「遊戯」の後に書かれた。ドビュッシーの最後の曲の一つだから、それはそうだが、それにしても、モネの最晩年の絵のように抽象化が進んだ「遊戯」の後に、こんなに具象的な音楽が書かれたとは――。

 松嶋奈々子のナレーションが入った。お陰で舞台の動きがよく分かった。このバレエは「カルメン」を下敷きにしたようだ。人形の女の子が落とした花を、人形の兵士が拾ってうっとりする。兵士は女の子に恋をする。しかし女の子は人形のプルチネルラを好きになる。兵士はふられる。女の子はカルメン、兵士はドン・ホセ、プルチネルラはエスカミーリョ。ところがこのバレエでは、女の子はプルチネルラに捨てられて、兵士と結婚し、幸せな人生を送る。ハッピーエンドの「カルメン」。

 演奏は、といいたいところだが(※)、じつは松嶋奈々子に見とれてしまった。意外に長身だ。すらっとしていて美しい。髪型をアップにしているので、普段見慣れている写真とは印象が違う。わたしは小心なので、こういう美女をまっすぐ見ることができない。といいながら、オペラグラスでちらちら見てしまった。

 3曲目はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」。1911年版なので4管編成。ステージいっぱいに陣取ったオーケストラが壮観だ。山田和樹らしいバランスのとれた緻密なアンサンブルを聴くことができた。

 でも、正直にいうと、あまりにも素直で、安定し過ぎてはいなかったろうか。日本フィルを振るときには、もっと思い切りのいい、踏み込んだ演奏をすることがある。それに比べると、今回は安全運転気味だったような気がする。
(2016.1.10.NHKホール)

(※)大事なことを書き忘れていた。ピアノは長尾洋史だった。さすがのセンス。キラリと光っていた。もちろん「ペトルーシュカ」も。
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大植英次/日本フィル

2016年01月10日 | 音楽
 大植英次が日本フィルを振るのは初めてだそうだ。いかにも相性がよさそうな両者なので、意外な気がする。さて、初顔合わせの両者がどんな火花を散らすか。期待をこめて出かけた。

 1曲目はヴィヴァルディの「四季」。「春」の冒頭では晴天の青空を思わせるような澄んだ音が出た。日本フィルは好調かなと思った。ヴァイオリン独奏はソロ・コンサートマスターの木野雅之。明るく艶のある音色で呼応していた。

 「夏」になると演奏にドラマが加わった。振幅の大きい激しい表現。最後の部分では木野雅之の切れ味のいいソロに息をのんだ。「秋」では穏やかな表現に戻ったが、「冬」では再び劇的な表現が繰り広げられた。

 通奏低音のチェロを受け持ったソロ・チェロ奏者の辻本玲の太く逞しい――語弊があるかもしれないが‘ドスのきいた’――演奏に瞠目した。たいへんな才能だ。今年7月にはドヴォルジャークのチェロ協奏曲を弾く予定なので(指揮はラザレフ)楽しみだ。

 2曲目はドヴォルジャークの「新世界より」。木野雅之がコンサートマスターに入った。逞しい。こういうノリはいい。

 第1楽章の序奏は、波のような曲線を描く、大きくデフォルメされた演奏。これには驚いた。言葉は悪いが、まるで一つ目小僧が出るような物々しさだった。第1主題になったら普通の演奏になったが、第2主題が出る手前でまたデフォルメされた。

 以下、このデフォルメされた表現が度々顔を出した。これはなんだろうと思った。わたしの脳裏に浮かんだのは、晩年のバーンスタインがイスラエル・フィルを振って入れた「新世界より」のCDだ。あの演奏もこんな独特な部分がなかったろうか。

 大植英次を聴いたのは数年ぶりだが、前はもっとストレートな表現だった記憶がある。今回もし前のようなストレートな表現だったら、日本フィルとの出会いはもっと鮮烈になったような気がする。

 もっとも、わたしはこの演奏を楽しんだ。他の方々も楽しんだようだ。演奏後の拍手は盛んだった。でも、オーケストラの団員はどうだったろう。いつものコ○○ンとは違うスタイルを楽しんだろうか。

 アンコールはなんだろうと思ったら、「アメイジング・グレイス」だった。会場には小さなどよめきが起こった。意外な選曲。しかも「新世界より」との相性もいい。しみじみとした気分に浸った。
(2016.1.9.横浜みなとみらいホール)
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プラド美術館展

2016年01月09日 | 美術
 三菱一号館美術館で開催中の「プラド美術館展」は、小さい作品を集めている点でユニークだ。明治時代の事務室(三菱一号館)を復元した同館の特性を活かした企画かと思ったら、2013年にプラド美術館で、また2014年にはバルセロナで開催された企画展の再構成だそうだ。

 プラド美術館には行ったことがないが、もし行ったら大作の数々に圧倒され、‘小さい作品’には目が届かないだろう。そんな見落としがちな作品に目を向ける意味でも、また小品を見る目を養うという意味でも、興味深い展覧会だ。

 作品総数は102点。かなりの数だ。第1室には板絵が数点展示されている。本展の‘目玉’扱いのヒエロニムス・ボス(1450頃‐1516)の「愚者の石の除去」(1500‐10頃)もここにある。板絵を見る機会はあまりないので、本当はいつまでも見ていたいのだが――。

 以下、概ね年代順に展示されている。気に入った作品があったら、じっくり見る。そんな‘お気に入り’を探す小旅行のような気分で見ていった。

 気に入った作品は次の2点だ。年代順に記すと、まずファン・バン・デル・アメン(1596‐1631)の「スモモとサワーチェリーの載った皿」(1631)。聞いたこともない画家だが、ハッとするほど瑞々しい作品だ。金属製の皿にスモモとチェリーが山盛りになっている。左上方から光が差し込んでいる。その光がスモモの濃紺の皮を照らし、またチェリーの赤い実を透き通らせている。皿にはスモモとチェリーの影が映る。

 本作のサイズは縦20㎝×横28㎝。もしプラド美術館で見たら、こんなにじっくり見ただろうか。見ても、気に留めなかったかもしれない。いや、うっかり見落としていたかもしれない。そんな自問自答をしながら歩を進めた。

 もう1点はゴヤ(1746‐1828)の「トビアスと天使」(1787頃)。中央に天使が立っている。背中から2枚の翼が大きく広がっている。翼も衣服も真っ白いレースのようだ。帯だけが淡いピンク色。天使は両手を広げている。その右手の下にトビアスがひざまずいて天使を見上げている。トビアスは橙色の衣をまとっている。手には魚を持っている。トビアスの足元には川が流れている。

 透明な叙情の世界。天使の祝福が感じられる。本作は縦63.5㎝×横51.5㎝。本作だってプラド美術館で見たら、こんなに心に染みたかどうか。
(2016.1.6.三菱一号館美術館)

上記の各作品の画像(本展のHP)
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ブーレーズ追悼

2016年01月08日 | 音楽
 2015年のザルツブルク音楽祭では、ブーレーズの90歳を祝って、ブーレーズの作品が集中的に演奏された。その中にシルヴァン・カンブルラン指揮クラング・フォーラム・ウィーンの「ル・マルトー・サン・メートル」の演奏会があった。それを聴きたいと思ったのがきっかけで、ザルツブルク音楽祭に出かけた。

 演奏会は旧市街の真ん中にある大きな教会で行われた。残響が長い教会でこの作品がどう聴こえるか、一抹の危惧があった。

 予想外だったが、すべての音が明瞭に聴こえた。どんなに微細な音でもきれいに聴こえた。時々発せられる強い音は、教会の大空間を震わせた。それは痛快でさえあった。

 その演奏を聴きながら、わたしはこの曲の音響がつかめたような気がした。ガラス細工のように繊細な音響。触れれば壊れてしまうような繊細さだ。しかもひじょうに上品な色彩。こういう音楽だったのかと思った。また、意外なことだが、手作りの感触があった。精巧な手仕事だと感じた。わたしの中のブーレーズのイメージが一新した。ブーレーズの核心に触れたような気がした。

 ブーレーズの作品は、若い頃のアンファン・テリブルのイメージとは裏腹に、ヨーロッパの伝統的なアルティザンの系譜につらなる側面を持つ作品として、将来は聴かれるのではないかと思った。

 ブーレーズはその演奏会に姿を見せなかった。かなり衰えているという噂が流れていたので、やはりそうなのかと思った。ザルツブルク音楽祭ではもう一つ、ピエール=ロラン・エマールのブーレーズのピアノ曲の演奏会も聴いたが(不確定性の要素を含んだピアノ・ソナタ第3番が殊の外面白く、わたしはこの作品に開眼した)、そこにも姿を見せなかった。そうとう具合が悪いのだろうと思った。

 なので、訃報に接しても驚かなかった。安らかな死であってほしい。ブーレーズの作品は今後も残るだろうことを、わたしは疑わない。その音の瑞々しさは、群を抜いている。あんな音を書いた人はいない。

 そして、指揮者としてのブーレーズ。若い頃から巨匠時代まで、どの録音を聴いても、卓抜した耳のよさが感じられる。多くの人がそれぞれの想い出を持っているだろうが、わたしには今、ベルクの「ルル」(チェルハ補筆版)とシェーンベルクの「モーゼとアロン」が想い出される。どちらもそれまでの演奏とは位相が違っていると感じた。今後これらのオペラの演奏の出発点になるのではないかと思った。
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八丈島の年末年始

2016年01月03日 | 身辺雑記
 年末年始に八丈島に行った。八丈富士と三原山(伊豆大島の三原山が有名だが、八丈島にも同名の山がある)に登るのが目的。12月30日に着いて、その日のうちに八丈富士に登り(山頂では風が強くて吹き飛ばされそうだった)、翌日の大晦日には三原山に登った(下山路では雨に降られたが、たいした降りではなかったので助かった)。

 さて、元旦。どう過ごすか。八丈島というと流人の歴史を想い出す。前日に観光協会を覗いたところ、歴史民俗資料館があって、元旦でも開いているとのことだったので、訪ねてみた。旧・八丈支庁舎の古い木造の建物を使った資料館。建物自体から島の歴史が感じられる。

 流人の歴史は、思いがけず、はっきりしていた。流人の第1号は宇喜多秀家(うきたひでいえ)という武将。関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦った。戦いに破れて捕えられ、八丈島に流された(じつはその間に入り組んだ経過があるが、省略させてもらう)。

 流人は1,900人を数えたそうだ。権力闘争に敗れた者、不条理な扱いを受けた者など、一人ひとりにドラマがあったと察しられる。

 流人は江戸やその他の文化や技術を伝えた面もあるようだ。島の人々から尊敬された流人もいたようだ。人生の哀歓を感じさせる話だ。人間、どんな目にあっても、今その場での生き方を大切にしなければいけないと自戒した次第だ。

 歴史民俗資料館を出て、さて、どうするか。ふと思い出したのが團伊玖磨だ。團伊玖磨は八丈島に別荘を持っていたはずだ。それはどこだったろう。観光協会に行ってみると、場所はすぐ分かった。三原山から下山してバスに乗った場所の近くだ。あのあたりだったのか――。商店が一つあるだけの小さな集落。「バス道路から奥に入った、目の前に海が見えるいい所ですよ」と。今では空き家になっているが、きちんと管理されているそうだ。

 そういえば、ホテルのロビーには、團伊玖磨の名前が付いたコンサートのチラシが貼ってあった。そのコンサートはすでに終わっていたが、島の人々から誇りに思われている様子が窺えた。ついでながら、空港のロビーのBGMには「花の街」が含まれていた。

 1月2日に帰京した。家に帰ったら、家の中はすっかり冷えていた。やはり八丈島は暖かかった。海風が心地よかった。セーターなどいらなかった。日差しが強くて、樹木の緑が鮮やかだった。南国の植物が生い茂っていた。さっそく懐かしくなった。
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