土曜日は演奏会の連荘だった。まず3時からNHKホールでN響の定期。ブロムシュテットの指揮でブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第4番。今のN響はブロムシュテットのときが一番緊張感のある音が出ると思っているので、これは期待の演奏会だった。
でも、こちらの期待値が高すぎたのだろう、満足感に欠ける演奏だった。なぜかというと、期待したような緊張感のある音ではなかったからだ。たとえば前回(?)来日したときのマーラーの交響曲第9番のような緊張しきった音ではなかった。
これは今回の最終公演だからだろうか、と思った。A、B、Cすべての定期を振り、ブラームス・チクルスをこれで終える、その安堵感というか、一種の解放感があったからではないか、と思った。そのいい面もあったかもしれないが、わたしの期待とはすれ違っていた。
ヴァイオリン独奏はフランク・ぺーター・ツィンマーマン。今まで何度も感心したことのあるヴァイオリン奏者だが、今回は第1楽章と第2楽章で少し慎重すぎる気がした。見事なまでに正確な演奏なのだが、そこから先に出てこないもどかしさがあった。これはオーケストラも同じだった。第3楽章になって、オーケストラともども、温まってきたが、前2楽章の印象を帳消しにするには至らなかった。
アンコールとしてバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番のプレリュードが演奏された。これは文句なしの演奏だった。あのNHKホールの巨大な空間がヴァイオリン一本の音で満たされる、その驚きは格別だった。
演奏会終了後、横浜みなとみらいホールへ移動した。日本フィルの横浜定期。ほんとうはこういうことはしたくないのだが、両方とも定期会員なので、仕方がない。こちらのほうは小林研一郎(以下、親しみをこめて、コバケンさんと呼ばせてもらう)の指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と交響曲第4番。
いつもにくらべて入念な音づくりが特徴的な演奏だった。過剰な思い入れやデフォルメが消え、客観性を維持しようとする演奏だった。これが今のコバケンさんのスタイルとは即断できないが、わたしは好ましく感じた。
ピアノ独奏は清水和音。コバケンさんと同様、入念な音づくりだった。やはりこの人はたいへんなテクニシャンなのだと思った。アンコールにプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」の行進曲。
(2013.9.28.NHKホール&みなとみらいホール)
でも、こちらの期待値が高すぎたのだろう、満足感に欠ける演奏だった。なぜかというと、期待したような緊張感のある音ではなかったからだ。たとえば前回(?)来日したときのマーラーの交響曲第9番のような緊張しきった音ではなかった。
これは今回の最終公演だからだろうか、と思った。A、B、Cすべての定期を振り、ブラームス・チクルスをこれで終える、その安堵感というか、一種の解放感があったからではないか、と思った。そのいい面もあったかもしれないが、わたしの期待とはすれ違っていた。
ヴァイオリン独奏はフランク・ぺーター・ツィンマーマン。今まで何度も感心したことのあるヴァイオリン奏者だが、今回は第1楽章と第2楽章で少し慎重すぎる気がした。見事なまでに正確な演奏なのだが、そこから先に出てこないもどかしさがあった。これはオーケストラも同じだった。第3楽章になって、オーケストラともども、温まってきたが、前2楽章の印象を帳消しにするには至らなかった。
アンコールとしてバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番のプレリュードが演奏された。これは文句なしの演奏だった。あのNHKホールの巨大な空間がヴァイオリン一本の音で満たされる、その驚きは格別だった。
演奏会終了後、横浜みなとみらいホールへ移動した。日本フィルの横浜定期。ほんとうはこういうことはしたくないのだが、両方とも定期会員なので、仕方がない。こちらのほうは小林研一郎(以下、親しみをこめて、コバケンさんと呼ばせてもらう)の指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と交響曲第4番。
いつもにくらべて入念な音づくりが特徴的な演奏だった。過剰な思い入れやデフォルメが消え、客観性を維持しようとする演奏だった。これが今のコバケンさんのスタイルとは即断できないが、わたしは好ましく感じた。
ピアノ独奏は清水和音。コバケンさんと同様、入念な音づくりだった。やはりこの人はたいへんなテクニシャンなのだと思った。アンコールにプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」の行進曲。
(2013.9.28.NHKホール&みなとみらいホール)