平成最後の日の東京は、朝方、雨模様だった。4月からリタイア生活に入り、午前中は近くの図書館で過ごすことが多いのだが、今日はなにか感じるところがあって、CDを聴きたくなった。では、なにを聴くか。フッと思い浮かんだのは、ベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」だった。演奏は? 大家の録音が目白押しだが、あまり重くないほうがいい。そう思って、1954年オランダ生まれのロナルド・ブラウティハムの盤にした。
その演奏では、モダン・ピアノではなく、フォルテピアノが使われている。古雅なその響きを聴いているうちに、ベートーヴェンが弾く姿が目に浮かんだ。ボサボサの髪を振り乱して、猛烈な勢いで弾いたのではないか、と。
「ディアベリ変奏曲」を選んだのは、33曲もの変奏の迷宮に心を遊ばせたくなったからだ。平成最後の日の過ごし方として、それはふさわしく思えた。
平成という時代区分にどれほどの意味があるのか、その議論は別にして、今上天皇への想いはたしかにある。それをはっきり意識したのは(いや、わたしの想いがなんであるかを、はっきり理解したのは)、一昨年、政治学者で音楽評論家でもある片山杜秀氏と宗教学者の島薗進氏の「近代天皇論――「神聖」か、「象徴」か」(集英社新書)を読んだときだ。
一言でいうと、今上天皇は象徴天皇制をだれよりも深く、突き詰めて考え、それを実践してきた、という論旨だったと思う。退位の意向をにじませた「お言葉」は、その帰結であり、総仕上げのようなものだと、本書がそこまで明言していたかどうかは、今、記憶がないが、少なくともわたしはそう理解した。
「お言葉」が発表されたとき、日本の保守層からは猛反発が起きた。わたしのような者でも、当時、保守層の某シンポジウムを傍聴する機会があり、その反発の大きさに驚いた。その「お言葉」は、はからずも、今上天皇がなにと闘ってきたかを可視化した。今振り返ってみると、そう思う。
象徴天皇の威力が、もっとも望ましい形で、最大限に発揮されたのは、東日本大震災に当たって発表されたビデオメッセージではなかったろうか。大震災の発生後まだ間もない時期に、人々が深い喪失感のうちにあったとき、今上天皇の国民に寄りそうデオメッセージは、国民の心を一つにした。
ペリリュー島への慰霊の旅も印象的だった。海に向かって頭を下げる天皇皇后両陛下の姿は、わたしたちに「戦争を忘れてはいけない」と語っているようだった。それは戦後民主主義の(その価値観の)体現のように見えた。
その演奏では、モダン・ピアノではなく、フォルテピアノが使われている。古雅なその響きを聴いているうちに、ベートーヴェンが弾く姿が目に浮かんだ。ボサボサの髪を振り乱して、猛烈な勢いで弾いたのではないか、と。
「ディアベリ変奏曲」を選んだのは、33曲もの変奏の迷宮に心を遊ばせたくなったからだ。平成最後の日の過ごし方として、それはふさわしく思えた。
平成という時代区分にどれほどの意味があるのか、その議論は別にして、今上天皇への想いはたしかにある。それをはっきり意識したのは(いや、わたしの想いがなんであるかを、はっきり理解したのは)、一昨年、政治学者で音楽評論家でもある片山杜秀氏と宗教学者の島薗進氏の「近代天皇論――「神聖」か、「象徴」か」(集英社新書)を読んだときだ。
一言でいうと、今上天皇は象徴天皇制をだれよりも深く、突き詰めて考え、それを実践してきた、という論旨だったと思う。退位の意向をにじませた「お言葉」は、その帰結であり、総仕上げのようなものだと、本書がそこまで明言していたかどうかは、今、記憶がないが、少なくともわたしはそう理解した。
「お言葉」が発表されたとき、日本の保守層からは猛反発が起きた。わたしのような者でも、当時、保守層の某シンポジウムを傍聴する機会があり、その反発の大きさに驚いた。その「お言葉」は、はからずも、今上天皇がなにと闘ってきたかを可視化した。今振り返ってみると、そう思う。
象徴天皇の威力が、もっとも望ましい形で、最大限に発揮されたのは、東日本大震災に当たって発表されたビデオメッセージではなかったろうか。大震災の発生後まだ間もない時期に、人々が深い喪失感のうちにあったとき、今上天皇の国民に寄りそうデオメッセージは、国民の心を一つにした。
ペリリュー島への慰霊の旅も印象的だった。海に向かって頭を下げる天皇皇后両陛下の姿は、わたしたちに「戦争を忘れてはいけない」と語っているようだった。それは戦後民主主義の(その価値観の)体現のように見えた。