Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鹿鳴館

2010年06月28日 | 音楽
 オペラ「鹿鳴館」の最終日をみた。若手主体のこの日は、与那城敬、腰越満美、宮本益光という華のある歌手たちが頑張り、実力派の安井陽子もさすがの出来だった。小原啓楼は日本語がこもるように感じられる部分があった。

 鵜山仁作成の上演台本は、三島由紀夫の膨大な台詞を、筋が追える程度にまで刈り込んだもの。その手腕はさすがというべきだが、影山伯爵邸で進行する第1幕と第2幕は、原作の推理ドラマ的な緊迫感が薄れて、単調さが否めなかった。

 池辺晋一郎による音楽は、台詞(歌詞)の途中の間合いや、ある言葉を発したときの空気の変化など、実に的確にとらえていて、台本にたいする読みの深さともども、たいしたものだと感心するばかり。

 しかし第1幕と第2幕は抑制されたトーンに終始し、発散できる部分がないのが辛かった。鹿鳴館を舞台にした第3幕と第4幕ではワルツが頻出するが、そのワルツは意図されたステレオタイプのもので、作曲者の本音はどこかに隠れていた。

 私は正直にいって、これが傑作だとは即断できなかった。なぜだろうと考えているうちに、松村禎三のオペラ「沈黙」が浮かんできた。私は1993年の初演をみて(思えば指揮者は若杉弘だった)、震えるように感動した。以後、再演のたびに出かけている。

 作曲者の関心も方法もまるで異なる「沈黙」と対比するのは、無意味で愚かなことにはちがいないが、それを承知であえていうなら、自己を賭けた切迫感が今回は感じられなかった。と、今になってそう思う。創作にたずさわった方々には申し訳ないが。

 カーテンコールでは、舞台奥に若杉弘の写真が投影された。このオペラの生みの親だった若杉弘――。私もぐっときた。思わず、若すぎ(!)る死だったと思ってしまったのは、不謹慎だった。だじゃれの大家は、もちろん神妙な顔をしていた。

 私としては、原作の結末がどうオペラ化され、かつ演出されるかが興味の的だった。結果的には原作どおり、宙に放り投げたような、どうとでもとれるものだった。あの結末をどう解釈するかは、相変わらずの宿題として残った。

 朝子は夫の影山と踊り続ける――。台詞のうえでは大徳寺公爵夫人の家に身を寄せることになっているが、ほんとうにそうするのかはわからない。朝子は影山の「政治」をうけいれたのか。あるいは欺瞞を承知で踊り続ける大人の世界の住人になったのか。
(2010.6.27.新国立劇場)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラウダ・コンチェルタータ

2010年06月26日 | 音楽
 日本フィルの6月定期は井上道義さんを指揮者に迎えて次のプログラム。
(1)伊福部昭:マリンバと管弦楽のためのラウダ・コンチェルタータ(マリンバ独奏:安倍圭子)
(2)ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲
(3)ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

 「ラウダ・コンチェルタータ」が再びきけるとは!というのが実感。私はこの曲を1990年4月の新星日本交響楽団の定期できいた。指揮は山田一雄、マリンバ独奏は今回と同じ安倍圭子さん。新星日響はその直後に初のヨーロッパ公演を控えていて、現地で演奏する曲目のお披露目だった。その演奏は今でも鮮明に覚えている。サントリーホールの空間をみたす巨大な演奏だった。私は魂が震えるような感じがした。

 この曲は新星日響の創立10周年の委嘱作品。初演は1979年9月の第36回定期で、指揮もマリンバ独奏も同じ顔ぶれだった。私はそのときはきいていないが、ライヴ録音のCDがあって、一時期毎日のようにきいていたことがある。生できいたのは前述の1990年4月が初めて。CDできくより緻密な演奏だと思った。マリンバ・パートが安倍圭子さんによって手をくわえられているとのことだった。

 ヨーロッパ公演ではベルリンのシャウシュピールハウス(現在のコンツェルトハウス)での演奏が、聴衆に大きなどよめきと感動を呼んだとされている。その演奏がライヴ録音のCDになっている。私は先ほど久しぶりに引っ張り出してきいてみた。たしかに盛んなブラヴォーが飛んでいる。演奏もたいへんな名演だ。

 新星日響は2001年に東京フィルと合併するかたちで消滅した。私は東京フィルの定期会員に移行したが、いつまでも寂しさが解消せず、数年後に退会した。その寂しさは今でも残っている。オーケストラの消滅というのは、こたえるものだ。

 今回の再演はまったく予想外だった。安倍圭子さんがご健在で、今回もソリストをつとめることは嬉しい驚きだった。指揮が井上道義さんであることも、山田一雄亡き後はこの人しかいない!という感じだ。

 安倍さんは、20年前とは同じではなかったかもしれないが、最後の熱狂的に同じ音型を叩き続ける部分をきいていて、私は感動した。年齢を重ねてきたその身体から噴出する生命のほとばしりに撃たれた、といったらよいだろうか。
 アンコールに自作のマリンバ独奏曲を演奏してくれた。柔らかいマレットと木製の柄の部分を使い分けて、2種類の音色で構成された曲だった。

 井上道義さん指揮の日本フィルも好調だった。ストラヴィンスキーのパロディー精神あふれる「ハ調の交響曲」があれほどの好演になるとは思っていなかった。
(2010.6.25.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス音楽の彩と翳Vol.17

2010年06月25日 | 音楽
 東京シティ・フィルの6月定期は首席客演指揮者の矢崎彦太郎さんの指揮で「フランス音楽の彩と翳」シリーズの第17回。今回のプログラムは次のとおりだった。
(1)サン=サーンス:交響詩「オンファールの糸車」
(2)ショーソン:交響曲
(3)ドビュッシー:ノクチュルヌ(夜想曲)
(4)ラヴェル:高貴にして感傷的なワルツ

 前回はマニャールという(私にとっては)未知の作曲家が取り上げられたが、今回は近代フランス音楽の王道を行く作曲家たち。曲目もポピュラーなものばかりだが、実際に各曲をきいていると、「これを最後にきいたのはいつだったろう」という気がしてきた。意外に演奏会できく機会は少ないかもしれない。

 サン=サーンスの「オンファールの糸車」が始まると、軽やかで繊細な弦の音が流れてきて、先月の飯守さんの音とはまったくちがうと思った。指揮者による変化はオーケストラをきく面白さの一つだ。中間の不気味な盛り上がりの部分では、あっ、こうだったっけ、と思った。中間部は忘れていたのだ。

 ショーソンの交響曲は私のなかではジャン・フルネの記憶と結びついている。フルネの演奏は移ろい行く淡い色彩をとらえたものだった。一方、矢崎さんの演奏は悲劇的なトーンをとらえたもの。第1楽章の序奏が始まると、弦の音は悲劇性を湛えて、緊張感が漲り、並々ならぬ意気込みが感じられた。

 ショーソンにくらべると、後半の2曲の演奏は密度が薄いと感じた。
 ドビュッシーのノクチュルヌは、第3曲の「シレーヌ(人魚)」の女声合唱(東京シティ・フィル・コーア)が二分割され、一方は舞台後方に配置されていたが、他方は舞台裏に配置されていた。私はこういう配置は珍しいと思ったが、どうだろうか。私の席は2階ライト側だったので、必ずしも正確な印象ではないかもしれないが、この配置によって一種のエコー効果が生まれていると思った。客席にまっすぐ飛んでくる舞台後方の合唱に、舞台裏の合唱がエコーのように添えられる部分があった。

 ラヴェルの「高貴にして感傷的なワルツ」(昔は「高雅で感傷的なワルツ」といっていたが‥)も演奏会では久しぶりにきいた。ドビュッシーとくらべてよく鳴る曲であり、またそういう演奏だった。第1曲や第7曲には後年の「ラ・ヴァルス」とそっくりな部分があり、また第3曲では「マ・メール・ロワ」によく似た音が出てきて面白かった。なるほど、こういう曲だったのか。
(2010.6.24.東京オペラシティ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MUSIC TOMORROW 2010

2010年06月23日 | 音楽
 N響のMUSIC TOMORROW 2010。今年の尾高賞は該当作品なしだったので、プログラムは過去の受賞作品をまじえて組まれた。
(1)山根明季子:水玉コレクションNo.06(2010)
(2)藤家溪子:ギター協奏曲第2番「恋すてふ」(1999)
(3)アウリス・サリネン:室内楽第8番「木々はみな緑」(2009)
(4)マルク=アンドレ・ダルバヴィ:眼差しの根源(2007)
 指揮はパスカル・ロフェ、(2)のギター独奏は山下和仁、(3)にはチェロ独奏が入ってピーター・ウィスペルウェイ。

 山根さんの曲は、ガラスが砕けるような刺激的な音響ではじまり、以下、頻出する無音の間をはさみながら、2台のグロッケンシュピールが短い音型を繰り返す。そこにオーケストラがさまざまな楽器の組み合わせで絡んでいき、刻々と音色を変化させる。
 山根さんご自身の書いたプログラム・ノートに「空間インスタレーション」という言葉があった。美術用語のこの言葉を使って自己の創作方法を説明する若手作曲家を、以前にも見かけた記憶がある。今の一つの流行なのだろうか。

 藤家さんの曲は2000年の尾高賞受賞作品。私もその曲名は知っていたが、きくのは初めて。百人一首に入っている和歌(「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」)の一節が副題になっているので、日本的な美意識の曲かと思っていたが、実際には西洋近代音楽の明るい響きをもつ曲だった。
 藤家さんのプログラム・ノートを読んで、あっ、そうかと思った。この和歌は貴人の淡い恋心を詠んだものだが、作者の壬生忠見は「実は身分の低い、貧しい生活を強いられる男」で、この和歌は「虚構」であり、その真実らしさは「芸術家のユーモア、揶揄であり、アイロニーなのである」とのこと。一筋縄ではいかない曲なのだ。

 サリネンは1935年生まれのフィンランドの作曲家。藤家さんのような屈折した面のない骨太な作品だ。編成は独奏チェロと弦楽合奏(4-4-3-2-1の編成)。曲名どおりの小さな編成だが、雄大な自然描写と厳しい精神世界を内包した曲だ。ウィスペルウェイの独奏も音楽に没入していて息を呑むほどだった。

 ダルバヴィは1961年生まれのフランスの作曲家。トリスタン・ミュライユを師とするスペクトル楽派の一人だ。フル編成のオーケストラが鮮やかな色彩を展開する曲。曲名はメシアンの「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」に由来し、その和音を引用しているとのこと。私はメシアンの和音まで感じ取ることはできなかったが、クリアーな音響には圧倒された。パスカル・ロフェ指揮のN響の演奏も見事だった。
(2010.6.22.東京オペラシティコンサートホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルメン

2010年06月21日 | 音楽
 新国立劇場の「カルメン」。2007年のプレミエだが、私はそのときみていないので、今回がはじめてだ。

 指揮はマウリツィオ・バルバチーニ。例の前奏曲の冒頭の「闘牛士の行進」が猛烈に速いテンポで演奏されたので驚いた。ただし中間部の「闘牛士の歌」は普通のテンポ。幕があいてからも普通のテンポだったが、稀に速いテンポ設定の部分があった。その好例は第2幕のカルメンの密輸仲間の5重唱。危うくアンサンブルが崩れかける一歩手前まで追い込んでいった。これは歌手やオーケストラにストレスをかけて、ルーティンになるのを防ぐためではないかと思った。

 歌手はカルメンがキルスティン・シャべス。ひじょうに肉感的な声だ。一例をあげるなら、第1幕の「セギディーリャ」では、ホセを絡めとっていく肉感性が伝わってきて、最後にホセがか細い声で重なる部分など、妙に生々しかった。
 ホセはトルステン・ケール。これも第一級の歌手だ。第2幕の「花の歌」などは、これをきいたカルメンは、ホセの心情にふれたというよりも、官能性にふれたのではないかと思われるほど。
 エスカミーリョはジョン・ヴェーグナー。どことなく疲れたような、暗い、ニヒルなエスカミーリョだった。闘牛士というものが常に生死の境に身を置いているなら、こういうエスカミーリョもありかもしれない。
 ミカエラは浜田理恵。第3幕のアリアは絶唱だった。フランス語の発音の美しさが際立っている。そういえば、たしかこの歌手はフランス在住ではなかったろうか。

 演出は鵜山仁。細かい部分はよく考えられているが、全体を通した主張は弱い感じ。歌手の自発的な役作りを待っているのかもしれない。これなら出演する歌手によってかなりちがう舞台になるのではないかと思った。

 で、今回は――。私は以前にcharisさんがコメントしてくださった「性愛につきまとう暴力性」という言葉を思い出した(本年3月29日の「神々の黄昏」にたいするコメント)。ホセのカルメンにたいする気持ちは、性愛にとらわれた人間のそれ。カルメンもそのことはよくわかっていて、結果的にどのような暴力性をもつかを重々承知している。
 カルメンはエスカミーリョとも寝たろうが、妙に冷たいものではなかったろうか。今回のエスカミーリョの役作りは、それを感じさせた。

 このような関係性がドラマの推進力になる――のだが、多分に歌手たちの個性に負う部分が大きいため、中途半端に終わった感が否めない。
(2010.6.20.新国立劇場)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーラー交響曲第2番「復活」

2010年06月20日 | 音楽
 都響の6月定期はA、B両シリーズともプリンシパル・コンダクターのインバルの指揮でマーラーの交響曲第2番「復活」。これはインバルのマーラーとブルックナーの連続演奏の一環であるとともに、同響の定期700回記念の企画でもある。

 第1楽章冒頭の低弦による第1主題から、リズムが立って、歯切れのよい演奏。そうなのだ、インバルはアグレッシヴな演奏家なのだと、今更ながら思った。鋭いアクセントは昔からの特徴だが、今はそれに加えて、揺るぎない構築感がともなっている。全体の設計からはみ出すディテールがないのが、今のインバルの老獪さだ。たとえば経過句などはテンポを大きく揺らすが、それが殊更目立つことはない。

 ただ、どういうわけか、前回の交響曲第3番のような表現の柔軟さ、あるいは色彩の豊かさが感じられなかった。押しも押されもせぬ演奏だが、同時にそこには年齢による硬直性が忍び込んでいた――のでなければよいが。私がきいたのは3回公演の3回目だが、そのことによる影響もあったのだろうか。

 会場は緊迫感に包まれていた、と思っていたが、帰り際にほかの聴衆の「隣の人のプログラムをめくる音が気になって集中できなかった」という話し声がきこえた。難しいものだ。

 都響では、前回からだろうか、演奏会の前に「指揮者が指揮棒を下ろすまで拍手はお控えください」という趣旨のアナウンスが流れるようになった。何事もやってみるにしくはない。フライング拍手はなくなったが、その代わりに演奏終了後、微妙なためらいが生じるようになった。管理された拍手。それがよいのかどうかはわからない。

 独唱者ではメゾソプラノのイリス・フェルミリオンが感動的。この人の声は、声それ自体がマーラーの音楽だ。深く、暖かみがあり、魂の底から鳴り渡ってくるような声。第4楽章の「原光」の、ひたすら救われたいと願う歌が、飾り気なく、しかもそれゆえにある種の崇高さをもって歌われた。

 私は、フェルミリオンはドレスデンのオペラ「ペンテジレーア」で、ソプラノのノエミ・ナーデルマンはベルリン・コ―ミシェ・オーパーの大晦日のガラ公演の「メリィ・ウィドウ」で、それぞれきく機会があった。これはもちろん自慢話のつもりではなくて、両人とも主要歌劇場で主役をはれる歌手ということ。そういう歌手を日常的に呼べるようになったわけだ。

 合唱は二期会合唱団。可もなく不可もなくと言ったら失礼になるだろうか。
(2010.6.19.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

影のない女

2010年06月16日 | 音楽
 先日、何気なく新国立劇場の「影のない女」をめぐるブログを見ていたら、台本にたいする否定的なご意見がいくつかあった。私は重層的な構造をもつ見事な台本だと思っていたので――シュトラウスは例によって文句たらたらだったが――、これは意外だった。

 私は5月23日の公演をみて、その翌日に演出にたいする疑問を書いたが、台本にたいして疑問をもったことは一度もない。今回の演出は台本の重層性をとらえそこなった演出だというのが私の意見。音楽はみなさん異口同音に絶賛しておられるが、台本だってその深層に底光りするものをもっていると思う。

 凝りに凝った台本なので、一義的な読み方はかえって弊害がある。多様な解釈の可能性をいかにそのまま許容するかが、自らに課すべき課題だ。その点でドニ・クリエフの演出は、バラクの妻に焦点を合わせすぎ、すべての出来事はバラクの妻の見た幻影というところまで行ってしまったので、たとえば第1幕で乳母が魔法でバラクの妻に美しく着飾った姿をみせるとき、鏡のむこうに皇后がポーズをとっていたり、第2幕で怒りを爆発させたバラクをみて、妻が抱きついて性交をはじめたりするという、身も蓋もない演出になってしまった。

 この台本はモーツァルトの「魔笛」の精神をもって書かれたとは、よく言われるところだが、私には――これは独断と偏見かもしれないが――もう一つ隠された下敷きがあるように思われてならない。それはワーグナーの諸作品だ。皇帝を導く鷹の声はジークフリートの森の小鳥そっくりだし、夫婦の営みを讃える夜番の声はマイスタージンガーの夜警に似ている。妻を罰しようと怒り狂うバラクの手に空中から剣が現れるのはいかにもパルジファル的。もはや音楽を失って台詞でカイコバートに訴える皇后は、ヴォータンに訴えるブリュンヒルデの自己犠牲のようだ。

 この調子で同様のアナロジーをあげていくと、実はきりがないくらいある。これをシュトラウスの生涯の文脈のなかに置いてみると興味深い。シュトラウスは第1作「グントラム」や第2作「フォイアースノート」のときからワーグナーのパロディーと思われるオペラを作っていて、「ばらの騎士」も「マイスタージンガー」の男女を反転させたプロットであることはよく言及される。音楽的には圧倒的な力を認めながらも、その思想には承服しかねるというのがシュトラウスの本音ではなかったろうか。そこから生まれてくるパロディー精神が「影のない女」にも見え隠れしていると思われる。

 もっとも、「魔笛」やワーグナーも一面にすぎない。なにかで割り切ってしまうのではなく、見る角度によってまったくちがうものが見える構造をそのまま楽しむのが、このオペラの楽しみ方だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タンクレーディ

2010年06月12日 | 音楽
 アルベルト・ゼッダを指揮者に迎えた藤原歌劇団によるロッシーニのオペラ「タンクレーディ」。いつもながらゼッダが振ると、どうしてこうもチャーミングな演奏になるのだろう。音の軽さ、リズムやフレージングの正確さ、バランスのよさ、それらがあいまって、つまりはこれが「芸」というものなのだろう。幸いにもゼッダはこのところ毎年のように日本に来てくれるので、私たちはその演奏にふれる機会に恵まれている。今回の「タンクレーディ」も素晴らしいできだった。

 タイトルロールはマリアンナ・ピッツォラートMarianna PIZZOLATOという歌手で、この役を持ち役にしているらしい。柔らかみのある声質と、高音から低音までの均質な声域をもっている歌手だ。
 タイトルロールと同程度に重要な役のアメナイーデは高橋薫子さん。大健闘だった。ソロはもちろんのこと、第1幕と第2幕にそれぞれ1箇所ずつあるタンクレーディとの二重唱では、柔らかみのあるメゾとクリアーなソプラノが溶け合って、見事な展開だった。
 アルジーリオは若いテノールの中井亮一さん。実は私はこの歌手には思い出があって、私が過去に一度だけ出かけたことのあるペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル(2007年)で、「ランスへの旅」に騎士ベルフィオール役で出ていた。私はそのときも若い才能の出現を嬉しく思ったが、今回はさらに成長していた。なお第2幕の冒頭のアリアがばっさりカットされていてショックを受けたが、あとで高崎保男さんのプログラム・ノートを読んだら、ペーザロでも常にカットされる習慣とのこと。
 そのほか、彭康亮Kang-Liang PENGさん、鳥木弥生さん、松浦麗さんもよくやっていた。
 これらの6人の歌手が緊密なアンサンブルを組んでいたことが、公演の成功の要因だ。ときどき外国から招聘した歌手が突出する公演があるが、今回はそのようなことはなかった。もちろんゼッダの存在が大きいはず。

 オーケストラは読売日響。序曲ではちょっと力が入っていたが、すぐに快調に滑りだした。透明感のあるハーモニーはさすがだ。ざっと見渡したところ、小編成ながら首席奏者クラスが多く入っていた。売り公演だろうが、手抜きをしないところがよい。

 全体のレベルがここまで上がってくると、合唱にはもう少し頑張ってほしくなる。とくに最近は新国立劇場合唱団のレベルが上がっているので、どうしても比較してしまう。

 演出は強い主張もなく、交通整理をした程度。場面転換では紗幕を多用していて、ことに第2幕では少々煩わしかった。前述した2007年のペーザロでは、「どろぼうかささぎ」と「オテッロ」で素晴らしく意欲的な演出にふれた。いずれ日本でもそのような時代が来るとよい。
(2010.6.11.東京文化会館)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡邉暁雄没後20年

2010年06月11日 | 音楽
 日本フィルの創立指揮者渡邉暁雄が亡くなってから今年で20年になるという。その記念コンサートが6月13日(日)に開かれるが、当日のプログラムに掲載される予定の座談会が、同オーケストラのHPにアップされた。出席者は写真家の木之下晃さん、指揮者の高関健さん、音楽ジャーナリストの岩野裕一さんだ。

 そのなかで木之下晃さんがこういっていた。
 「でも、あれは(引用者注:渡邉暁雄、朝比奈隆、山田一雄)は独特な3人だったと思う。それは、岩城、若杉、小澤の3人と全然違う。やっぱり時代を作っていった人たち、暁先生、朝比奈先生、ヤマカズさんは、一所懸命、階段を作っていったんです。その階段を、次の世代の彼らは上がっていった(笑)。さらに最近の人は、それを階段ではなくてエスカレーターで登っているなという感じがしますよ。」

 エスカレーターで登っているとはどういう意味だろうという気がするが、ともかく戦後日本のオーケストラ界を牽引してきた第1世代、第2世代の区分は、たしかにそのとおりだ。これに続く次の世代は、外国も日本も同等の感覚でとらえて、世界中どこも自分の仕事場と考えている世代になるのではないか。私は、最近、大野和士さん、上岡敏之さん、阪哲朗さんが、外国のオーケストラを振るのと同じ感覚で日本のオーケストラを振るのをきいて、これが日本のオーケストラを変えるかもしれないと思った。

 高関健さんは、オーケストラのDNAというものに触れて、こういっている。
 「私はデビューのときからずっとやらせていただいていましたけれど(引用者注:日本フィルを振ってきたという意味)、やはりほかのオーケストラと違う点というのはあって、まずひとつは、アンサンブルを自分たちで組み立てなきゃいけないという意識が強いオーケストラだと思っているんです。」

 これがどの程度のレベルでいわれているのかはわからないが、少なくとも私はオーケストラに自省を促している発言のような気がした。私は1970年代からの日本フィルの定期会員だが、アンサンブルにたいする意識は昔のほうがあったと思う。今は、極端な例になるが、ソリスト気分で叩きまくっている打楽器奏者もいて、それを許しているオーケストラ自体に疑問をもってしまう。

 岩野裕一さんは、遺伝子を受け継ぐ重要性の文脈のなかで、「ひとりの指揮者が、1年間のほとんどの定期を振るという時代じゃなくなったことは、もちろん事実としてあるわけですけれど(後略)」といっているが、今でも新日本フィルのアルミンクのような例はあるし、かつては読売日響のアルブレヒトもそうだった。やりようによっては、似たことはできるわけだ。

 渡邉暁雄没後20年――この20年で日本フィルは他のオーケストラに水をあけられつつあるのが残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上高地

2010年06月08日 | 身辺雑記
 日曜日から月曜日にかけて上高地に行ってきました。天気は快晴。新緑のシャワーを浴びてきました。

 日曜日は毎年恒例のウェストン祭の日。私は参加しませんでしたが、河童橋の周辺は多くの人で賑わっていました。梓川の向こうにはまだ雪がたっぷり残っている穂高連峰がそびえたち、最高の眺めでした。

 河童橋から明神までは観光客のかたがたも沢山歩いていましたが、明神をすぎると途端に少なくなりました。林床には白いニリンソウが群生していて、この時期の楽しみです。今年はすこし多めかもしれません。ニリンソウのカーペットの脇にはサンカヨウの白い花も咲いていて、これもまた楽しみです。もう見なれた花たちですが、今回はニリンソウの白とサンカヨウの白は同じ系統の白だと思いました。暖かみのある、清楚な白。

 夜は徳沢ロッジに泊まりました。同宿はわずか6名。夕食時にそれぞれビールやワインや日本酒を飲みながら、話の輪が広がりました。ある初老の男性は、某地で九条の会をやっているとのこと。「思想信条ということではなく、みんなでワイワイやっていることが楽しいのです」。
 もう一人の男性は定年退職した元英語教師のようでした。「昔は『日本の英語教育は会話ひとつできない』と批判されたものですが、それはとっくに変わっていて、今はS(主語)V(動詞)O(目的語)すら知らない学生がほとんどです」。
 その奥様は寡黙なかたでしたが、どうやら某国立大学で理科系の科目を教えていらっしゃるようでした。書類の作成に追われて、帰宅は毎晩11時頃とのこと。「こうなったのは新自由主義がいわれた頃からです」とご主人。

 翌朝はみなさんに見送られて7時出発。なんの木なのかはわかりませんが、強くてよい香りをかぎながら、快調に歩を進めて、徳本峠(とくごうとうげ)を目指しました。上り坂には残雪もありましたが、前日にウェストン祭があったからでしょうか、道がきれいにあけられていて、歩行にはなんの支障もありませんでした。

 徳本峠をこえて、島々谷を下山しました。ゴーッ、ゴーッという沢の音の絶えることがない新緑の山道です。途中で野ザルの群れを見かけました。なにかを食べながら遊んでいる小ザルがいて、とても可愛らしかったのですが、そのそばでは親ザルが――人間がいるので――心配そうに鳴いていました。

 午後4時に島々宿のバス停に出ました。ほんとうは温泉に一泊といきたいところでしたが、そうもいかず、まっすぐ帰京しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の痂(かさぶた)

2010年06月04日 | 演劇
 新国立劇場による井上ひさしの東京裁判三部作の再演シリーズも、あっという間に第3作の「夢の痂(かさぶた)」まで来てしまった。第1作の「夢の裂け目」が初日を開けたその翌日に作者が亡くなるという劇的なスタートを切ったが、その後の月日の速いこと‥。

 昨日はその初日だった。第2作の「夢の泪(なみだ)」のときは、はからずも追悼公演となってしまった初日の舞台は、役者さんの心情がほとばしり出て、前のめりの感もあったが、昨日はそういうことはなく、しっとりとしたアンサンブルが達成されていた。

 この第3作は先行する2作品とはだいぶちがう。先行作品は、東京裁判(第1作)あるいは戦後社会(第2作)の意味を問う、いわば認識の芝居であったが、これはなにかが起きる芝居だ。起きることは驚くべき事態で、それによって人々が浄化される――もってまわった言い方になって申し訳ないが、これからご覧になるかたも多いので、あえて具体的な内容は控えさせていただくことにする。ともかく私は、その場面にいたって、熱いものがこみ上げてくるのを抑えられなかった。

 どうやら歴史とは、起きたことと起きなかったこととの、ダイナミズムからできているらしい。それをコントロールしようとするのが政治だ。ひどいときには、謀略によってでも、あることが起きたことにし、あるいは実際に起きたことなのに、起きなかったことにしたりする。
 戦後政治もそうだった。もっともそれがすべてまちがっていたともいえない。現にこうして経済的に発展し、社会システムも整い、私たちがその恩恵を受けているのは否めない。けれどもそこには封印されたことも多いのだ。

 この芝居で起きることは、実際には封印され、起きなかったことだ。それが起きなかったことにより、いつまでもわだかまりをもち続けている人々を、この芝居は解放する。私は作者の優しさに触れる思いがした。

 先行2作品と同じように、これも音楽劇だが、音楽の使い方は控えめになっている。先行作品では認識が主題であったので、それを心情に転換する装置として音楽が必要になったが、この芝居は認識をこえたものになっているので、音楽の必要性は弱まっている。もはや三部作としてのアイデンティティを保つ意味が残っているにすぎない。

 井上さんの創作行為は、膨大な資料にあたり、苦しみぬいて言葉を刻むことだったようだ。やっとその苦しみが終わった。今は安らかに眠っておられることを。
(2010.6.3.新国立劇場小劇場)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ第1回

2010年06月01日 | 音楽
 東京シティ・フィル創立35周年記念の「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」がスタートした。常任指揮者の飯守泰次郎さんの企画。多くのメディアで取り上げられているように、往年の名指揮者イーゴリ・マルケヴィチの版による演奏がミソだ。

 マルケヴィチときいて、私は驚いてしまった。忘却の彼方から蘇ってきたような名前。しかもロシアやフランスの近代音楽のイメージが強かったその人が、ベートーヴェンの研究に心血を注いでいたとは思ってもいなかった。

 私はマルケヴィチを一度きいたことがある。まだ争議中の日本フィルに招かれて、ビゼーの「アルルの女」その他を振った。その演奏――というよりも、そのときのマルケヴィチの存在感――は圧倒的だった。同じような経験を、もう一度したことがある。チェリビダッケが初来日して、読売日響を振ったときのこと(曲目はメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲などだった)。チェリビダッケも、そしてマルケヴィチも、普通の指揮者が音楽に見いだしているものとは、全然ちがうものを見ているようだった。

 そのマルケヴィチ版の特徴は、「スタッカートの音の長さ、ダイナミクス、テンポ、フレージング、ボウイング、リピートなどの問題を、作曲の経緯および時代背景や楽器の改良の歴史も含め、ここまで徹底的に調べ上げた版は他にありません」とのこと(プログラム誌に掲載された飯守泰次郎さんの「マルケヴィチ版の使用について」より。東京シティ・フィルのHPのなかの7月15日の公演情報にも再掲されている)。

 さて、当日のプログラムは次のとおりだった。
(1)ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」序曲
(2)ベートーヴェン:交響曲第4番
(3)ベートーヴェン:交響曲第7番

 「フィデリオ」序曲は、意欲満々ながら、余裕のなさが感じられた。
 第4番は、鋭いアクセントとティンパニィの強打が、マルケヴィチのLP録音を彷彿とさせた。弦に潤いが生まれ、明るい音で、気迫のこもった演奏。
 マルケヴィチ版を使うと、演奏はマルケヴィチ流になるのかと思ったら、第7番では一転してゆったりと構えて始まった。それはそれなりに楽しんでいたら、第4楽章になるとトランペットとティンパニィの強奏が戻り、第4番と同じ感覚で演奏を終えた。

 往年の巨匠たちの重厚長大な演奏ではなく、近代的な感覚の演奏。その後時代はピリオド奏法にカーブを切ったが、これはこれで一つの可能性を秘めた方向だったと思う。
(2010.5.31.東京オペラシティ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする