Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

スティール・ドラム・ワークス

2011年03月31日 | 音楽
 打楽器奏者の加藤訓子(かとう・くにこ)さんのソロ・リサイタル「スティール・ドラム・ワークス」。スティール・ドラムとはドラム缶のことだ。ピアノ線を張ったり、ビスを打ったり、水を張ったりしたドラム缶がいくつも並んでいる。銀色のメタリックな光沢が美しい。

 1曲目はデヴィド・ラングDavid Langの「アンヴィル・コーラス」。昔、鍛冶屋はさまざまなメロディーに合わせて槌をふるっていた。現代では忘れられたそのエコーをイメージした曲。右手と左手と足(ペダル)が、てんでん、ばらばらに拍を刻む。気迫のこもったショットとドラム缶の鮮やかな音色が息をのむほどだ。

 2曲目は自作の「プラネット・アース」。副題は「スティール・ドラムによるサウンド・インスタレーション」。ドラム缶をはじめ、舞台に所狭く並べられた打楽器を使って、加藤さんのイマジネーションを繰り広げる曲。地の底のひびきから宇宙の果ての無音まで、あるいは流浪の民の歌まで、ありとあらゆる音の展示。

 3曲目のスティーヴ・ライヒの「エレクトリック・カウンターポイント」から4曲目のバッハの「マタイ受難曲」のコラール、そして5曲目のスティーヴ・ライヒの「ヴァーモント・カウンターポイント」までは一連のコンセプトに基づく選曲。

 「エレクトリック・カウンターポイント」は、もとは電気ギターとテープのための音楽だが、加藤さんが打楽器とテープのために編曲した。第1部はスティールパンで演奏。明るくクリアーな音がさく裂し、美しいことこの上ない。第2部はヴィブラフォン、第3部はマリンバ。なるほど、音階をもった打楽器となると、こういう選択になるのかもしれない。音色としては、漸次柔らかくなるので、第3部が妙に柔和だった。

 「マタイ受難曲」のコラールはマリンバ用に編曲。スティーヴ・ライヒの次に置かれても違和感がない。「ヴァーモント・カウンターポイント」はヴィブラフォン用に編曲。これまた鮮やかな演奏だった。

 最後は会場の手拍子に合わせて「ボレロ」。アンコールが1曲。ヴィブラフォンで演奏されたこの曲も美しかった。なんという曲名だろう。

 会場は横浜の赤レンガ倉庫一号館。1913年(大正2年)に完成したが、関東大震災で半壊。その後再建されて、日本の貿易を支えた。今では役割を終え、2002年からは文化・商業施設として再生している。外壁の赤レンガが好ましい。
(2011.3.30.横浜赤レンガ倉庫一号館)
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被災者支援コンサート

2011年03月27日 | 身辺雑記
 昨日は東京交響楽団の定期に行ってきました。予定されていたユベール・スダーンが来日できなくなり、指揮者は小林研一郎さんに変更。プログラムもガラッと変わって、モーツァルトの「レクイエム」(「涙の日」まで)とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」に。大震災の犠牲者を追悼する演奏会になりました。

 楽団長の挨拶が掲載されていました。「音楽は人々を感動させ、勇気づけ、傷ついた心を癒すことができる」、「私たち音楽家が」できることは「やはり演奏することなのだ」と書かれていました。表題は「今、わたしたちにできること」。わたしはこの演奏会をぜひとも成功させたくて駆けつけました。それも「今、わたしたちにできること」。

 東京交響楽団は本拠地のミューザ川崎が被害にあいました。半年程度は使用不可能なので、頭をかかえていると思います。小林研一郎さんは福島県いわき市出身。今の心労は並大抵ではないでしょう。自らも傷を負った人たちが集まって、被災者支援のために開いた演奏会。

 同じ日には被災地の仙台でも支援コンサートが開かれました。仙台フィルが開いた「第1回仙台フィルによる復興コンサート」。第1回と銘打ったところに並々ならぬ意気込みが感じられます。創立メンバーで初代常任指揮者、そして現副理事長であるかたが住職をしているお寺の境内で開かれました。プログラムはバーバーの「弦楽のためのアダージョ」など。ソプラノの管英三子さんが客演しました。

 チラシには「仙台市内の街かど、被災地でのコンサートを数多く開催してまいります」と書かれていました。被災地を回るなら活動資金が必要でしょう。同業者の全国各地のオーケストラはもちろんですが、わたしたち音楽好きも、バックアップする体制が組めないかと‥。

 最近、ドレスデン国立歌劇場のことが、しきりに思い出されます。2002年に中欧諸国を襲った大洪水。ドレスデンもその例外ではなく、エルベ川が氾濫して、歌劇場は被害を受けました。そのとき、たしか工場か倉庫を借りて、いち早く公演を始めました。歌劇場はそこの市民のもの。オーケストラも同じです。

 みなさん御存じと思いますが、ベルリンでは3月29日にシュターツカペレ・ベルリンとベルリン・フィルの合同コンサートが開かれます。シュターツカペレはバレンボイムの指揮でチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、ベルリン・フィルはラトルの指揮でブラームスの交響曲第4番。会場(フィルハーモニー)での募金をふくめて、売り上げはユニセフを通して被災地に届けられるそうです。
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その後の日々・・・

2011年03月20日 | 身辺雑記
 その後、安否が気になっていた知人とは連絡がとれました。伝言ダイヤルにメッセージを吹き込んでおいたら、電話がきました。あいにくその電話はとれませんでしたが、留守電に元気そうな声が録音されていました。嬉しくなって電話をしてみましたが、つながりませんでした。

 義理の妹夫婦が仙台の北の大崎市に住んでいて、いろいろなルートで無事との情報が入っていましたが、どうしているかと心配していました。先日、電話が復旧したそうで、電話が入りました。津波は免れたものの、家は全壊とのこと。農家ですので、今年の稲作が心配でした。田んぼに泥水が出たので(液状化現象のようだったそうです)、わからないと言っていました。

 地震、津波、そして原発事故。次から次へと起きる非常事態に、だれもがやれるだけのことはやっているはず。国のレベルでも、自治体のレベルでも、民間企業のレベルでも、それは同じです。「あのときああすればよかった」とか、「あらかじめこうしておけばよかった」とかの反省点はいくらでもあるでしょう。次代につなげるために、あとでじっくり時間をかけて検証しましょう。でも今はひとを叩くのは控えましょう。そして、欧米のメディアが「フクシマ50」と命名したような、現場で体を張っている人たちとともに在りましょう。

 今日は、近くの洗足池に行ってきました。その昔、日蓮上人がここで休息して、足を洗ったという故事のある池です。そのとき袈裟をかけた「御袈裟懸松」(袈裟掛けの松)が残っています。今は3代目だそうです。古い小さな山門も、その上の瓦も、大きな石燈籠も、本堂も、どれも地震の影響はなかったようです。それに比べてミューザ川崎の惨状たるや。

 わたしは、震災後しばらく、音楽をきく気を失いました。なんだか感受性が壊れてしまいました。それでもこのところ、ぽつぽつとCDをきき始めています。なにをきこうかと思って、やっと選んだのは、シューベルトのピアノ・ソナタ第19番ハ短調です。第1楽章冒頭のテーマは、津波にさらわれた人たちの怒りと無念が込められているようでした。その濁流のなかに、どこからともなく、鎮魂の歌がきこえてきました。第4楽章は、死者と生者のおもいがないまぜになって、それこそ津波のように、どこへともなく流れていくようでした。

 そのとき以来、毎日このCDをきいています。演奏はヴィルヘルム・ケンプ。今の感覚では古いタイプの演奏ですが、平常心を失っているわたしには、かえってその穏やかさがありがたく感じられます。この演奏はわたしのおもいのすべてを受け入れてくれる器のようです。
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東北地方太平洋沖地震

2011年03月14日 | 身辺雑記
 今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 また、怪我をされた方々、避難所に避難されている方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 おそらくは不眠不休で救援活動に当たっている方々、国および自治体の方々には、心から敬意を表します。

 当日わたしは職場にいました。ものすごい揺れでした。夜はその対応のために泊り込みました。幸いにも明け方には2~3時間横になることができましたが、眠れるわけもありません。お昼ころには帰宅できる状況になりました。

 午後には前日行けなかった演奏会と同じ演奏会があり、問い合わせてみたら、入れてくれるとのことなので、直行しました。でも、集中できませんでした。

 日曜日は、同僚と連絡を取り合いながら、家にいました。珍しいオペラに行く予定でしたが、気分的に落ち着かないので、見合わせました。

 いつもの散歩コースに神社と教会と寺院が集まった一角があります。被災者の方々には神道の方も、クリスチャンの方も、仏教の方もいらっしゃるはずと思いました。神社に参拝し、次に教会の椅子に座ったら、祭壇のイエスの磔刑像が、津波にのみ込まれた方々の苦痛を背負っている気がしました。寺院に行ったら、境内には紅梅と白梅が満開。極楽浄土のようでした。

 近所のスーパーに行ったら、水とお米とカップ麺が売り切れでした。東京でこういう行動をとったらどうなるのでしょう。今は必要な物資を被災地に届けることが最優先。被災地以外に住む人たちは平常の生活を維持すべきです。人の手をわずらわせないで、節電に協力し(そのための不便は甘受して)、募金をすることが、今できることです。そしてこれからはみんな疲れてきます。イライラをひとにぶつけないように気をつけて。

 わたしにも仙台市内に知人がいます。その安否が心配で、昨日の日曜日に電話をしました。当然のことながら、固定も携帯もつながりません。電話をしたことは申し訳なかったと思います。もう電話はしません。こういう電話が殺到しているから、余計に事態が悪化しているのでしょう。

 知人がこのブログを読んでいるとは思えませんが、一言だけ。お元気ですか。無事ですか。お嬢さんは無事ですか。お母様はいかがですか。今ごろは避難所生活なのでしょうか。無事なら無事で、仕事に忙殺されていることでしょう。ともかく無事でいることを祈っています。
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神々と男たち

2011年03月10日 | 映画
 フランス映画「神々と男たち」。1996年にアルジェリアで起きた武装イスラム集団による修道士7人の誘拐・殺害事件を描いたもの。昨年のカンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリ受賞作品。本年2月にはセザール賞の最優秀作品賞も受賞。

 武装イスラム集団の活動が激化するアルジェリアの山村。修道院を営みながら医療活動を続けるフランス人修道士たちは、避難すべきか、とどまるべきかで揺れる。だれもが死と向き合う。何度も繰り返される対話。その姿はベルナノスの戯曲「カルメル会修道女の対話」(これも映画の台本として書かれた。後にプーランクがオペラにした。)を想起させる。もっともベルナノスの場合はフランス人的な饒舌が続くが、本作は寡黙な静けさに満ちている。

 やがて修道士たちは一人ひとりの意思を述べる。「カルメル会修道女の対話」では一人だけ殉教に反対するが(でもすぐに撤回)、本作の場合は全員とどまることを望む。死の恐怖を抜け出した男たちの穏やかな顔。

 ある夜、武装イスラム集団らしき男たちの襲撃があり、修道士たちは拉致される(本件の真相は明らかではない。映画でも特定を避けている。)。処刑場にむかう修道士たちの姿はゴルゴダの丘にむかうイエスのようだ。

 印象的だったのは、武装イスラム集団にたいする憎しみ、あるいはイスラム世界にたいする蔑視が感じられないことだ。主人公の修道院長はもちろん、他の修道士たちも憎しみや蔑視をもっていない。命を脅かされているにもかかわらずだ。これは映画のためのフィクションではなく、事実そうだった。実在の修道院長がテロの犠牲になることを覚悟して残した遺書がある。映画にも登場する。プログラムに掲載されているので、少々長くなるが引用したい。作家の曽野綾子さんの意訳。

 「そして、私の最期の時の友人、その意味も知らず私を殺す人、にもこの感謝と別れを捧げる。なぜなら、私はあなたの中にも神の顔を見るからだ。私たち二人にとっての父である神が望まれるならば、私たちはゴルゴダの丘で最後にイエスと共に十字架にかけられながら、永遠の命を約束された盗賊たちのように、また天国で会おう。アーメン、インシャラー」

 敬虔な信仰心とはここまで行くものかと、驚くばかりだ。「その意味も知らず私を殺す人」に「また天国で会おう」と呼びかける精神力がなければ、憎悪の連鎖は断ち切れない。
(2011.3.9.シネスイッチ銀座)
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ヴォーン・ウィリアムズ「ロンドン交響曲」

2011年03月07日 | 音楽
 ヴォーン・ウィリアムズというと、ブラスバンドに熱中していたわたしのような人間には、「イギリス民謡組曲」の作曲家というイメージが浮かぶ。同曲とともにホルストの組曲第1番と第2番が入ったフレデリック・フェネル指揮イーストマン・ウィンド・アンサンブルのLPは宝物だった。

 最近では2006年にロジャー・ノリントン指揮のN響が交響曲第5番を演奏した。どこまでも澄みきった音の世界に触れて、ヴォーン・ウィリアムズとはなんであるかの啓示をうけた。前半に演奏されたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が、ノリントン流にデフォルメされた演奏だったのと(それはそれで面白かったが)正反対だった。

 先週末には大友直人さん指揮の日本フィルが「ロンドン交響曲」(交響曲第2番)を演奏した。これもまた澄みきった音の世界。全4楽章からなり、第2楽章は緩徐楽章、第3楽章はスケルツォのパターンなので、定型を踏んではいるが、そこに盛られた音楽はヴォーン・ウィリアムズならではのもの。若いころにはラヴェルに師事したそうだが、いかにもと思える透明感だ。

 演奏にも快い緊張感があった。楽章を追うにしたがって、「これはひょっとしたら重要な演奏会に立ち会っているのではないだろうか」という気がしてきた。この演奏会は日本フィルの横浜定期の一環。東京にかぎらず全国のあちこちで重要な演奏会が開かれていて、これもそのひとつ、そのひとつに立ち会っている気がした。

 大友さんは若いころ日本フィルの正指揮者をつとめた。わたしはヴォランティアで機関紙のお手伝いをしていたので、インタヴューをしたことがある。そのとき、謙虚で、まっすぐな感性に、すっかり魅了された。当時はまだイギリス音楽に傾注してはいなかったが、その後、東京交響楽団にポストを得るとともに、イギリス音楽のレパートリーを開拓した。今ではすっかりスペシャリストのイメージを確立し、今回の「ロンドン交響曲」では風格さえ感じられた。嬉しいことだ。

 休憩後、2曲目はエルガーのチェロ協奏曲だった。チェロ独奏はソロ・チェロ奏者の菊地知也さん。菊地さんは以前にも、たしかソロ・チェロ奏者就任のさいに、同曲を演奏したと記憶している(それがいつだったか……)。あのときは鮮明な印象を受けたが、今回は印象が薄かった。

 最後は「威風堂々」第1番。アンコールに「グリーンスリーヴスによる幻想曲」。くつろいだ雰囲気を楽しんだ。
(2011.3.5.横浜みなとみらいホール)
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ニクソン・イン・チャイナ

2011年03月04日 | 音楽
 日本にいながらにしてメトロポリタン歌劇場の主要公演をわずか数日後にみることができる時代になった。ジョン・アダムズの「ニクソン・イン・チャイナ」。1972年のニクソン大統領の中国訪問をオペラ化したもの。初演は1987年。

 現実に起きた事件をオペラにしたわけだから、いわゆる「時事オペラ」にはちがいないが(WikipediaのNixon in Cina(英語版)を読んでいたらCNN operaという言葉が出てきた。なるほど!)、その一言では片付けられない内容をもつ作品だ。ストーリーは事実にそっているが、それだけではなく、人間にたいする深い洞察が感じられる。

 全3幕の構成。第3幕では「自分たちはなにかをなし得たのだろうか」という徒労感が広がる。ザラッとした苦い味はオペラにはまれなものだ。ゆらゆらと揺れるような音楽が続き、サクソフォーンのけだるい音色が流れる。

 毛沢東の音楽が強烈だ。ニクソン大統領との会談にのぞんだ毛沢東は、意味不明の言説をまくしたてる。現実的な外交の話をはさむ余地はない。西洋人からみた東洋人のカリカチュアか。だが、幕間の(トーマス・ハンプソンによる)当時の駐中国大使へのインタビューによると、事実そうだったらしい。

 江青の音楽も圧倒的だ。第2幕のフィナーレ。手に「毛沢東語録」をふりかざして叫ぶ江青の姿には、思わずたじろぐものがある。江青にあおられて、中国人たちが破壊と殺戮を始める。文革の再現。音楽の暴力性を視覚化した演出だ(ピーター・セラーズの演出)。

 一方、ニクソン大統領とその夫人は、人の善さが際立った描き方をされている。第1幕冒頭で中国に降り立ったニクソン大統領の気負いは、ナイーヴそのもの。上記の毛沢東との会談での当惑は、西洋人の感情移入を容易にするだろう。

 ニクソン夫人は、優しさと気高さによって、西洋人の価値観を体現した描き方をされている。第2幕のアリアでは、両国の平和友好を願いながらも、底にひそむ虚構性に心を曇らせる。このアリアはオペラ全体の構図を要約したものだ。

 キッシンジャーはブッフォ的な描き方をされていて意表を突かれる。第2幕のバレエ(江青の革命バレエ「紅色娘子軍」)の悪役を兼務するのも奇抜な発想だ。

 周恩来は実務家としての描き方。第3幕の幕切れで「自分たちはなにかをなし得たのだろうか」と自問するのは周恩来だ。登場人物のなかでは、わたしたちに近い感覚をもつ人物。西洋人と東洋人の相互理解を託すとしたら、この人物しかいないかもしれない。
(2011.3.3.東劇)
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