Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マーラー交響曲第3番

2010年03月31日 | 音楽
 インバル指揮の都響の3月定期Bシリーズは、マーラーの交響曲第3番。コンサートミストレスに四方恭子さん、その横のフォアシュピーラーには矢部達哉さんという豪華メンバー。そのほかにも都響のスタープレイヤーが総出だった。

 ブルックナーではその様式と自身の資質とのあいだに齟齬を――少なくとも私には――感じさせるインバルだが、マーラーではそんなことはない。水も漏らさぬ同質性がそこにはあると感じられる。

 インバルは若いころからマーラーを振っていて、いわばキャリアを通じてマーラーを振り続けているが、今に至ってついに完成の域に達したようだ。豊かに鳴る音、淀みない語り口、細部へのこだわりと大らかな旋律線の両立、緊密な構築感など。都響も懸命にインバルの要求に応えていた。

 第1楽章の序奏からテンションの高い演奏。コーダの畳み掛けるような運びはインバルらしい。第3楽章中間部はミュートをつけたトランペットによる演奏。ポストホルンの鄙びた音ではないが、このほうが無難なことは確か。第6楽章の息の長い盛り上がりはまったく弛緩しない。途中の強烈な不協和音は、なにかの崩壊ではなく、中間的な頂点として位置づけられていると感じた。

 メゾ・ソプラノはイリス・フェルミリオン。深く澄んだ声は圧倒的だった。いわばすべてがインバルのプログラミングどおりに進んでいる演奏にあって、フェルミリオンの声はその統制を超えて存在しているようだった。

 実は私はフェルミリオンとの再会を心待ちにしていた。このブログにもかいたが、今年2月にドレスデンでオトマール・シェックのオペラ「ペンテジレーア」をみたときに、タイトルロールを歌っていたのがフェルミリオン。私はそのとき魂の裸形をみる思いがして、震えるような感動をおぼえた。
 今回のフェルミリオンも期待にたがわぬ存在感だった。

 プログラム誌に載った舩木篤也さんの訳詩に感心した。明るく、センスがあり、現代感覚に裏打ちされた訳詩。それがどのようなものか、少しでも想像していただくために、第5楽章のペテロの否認の冒頭を引用してみたい。

  あるとき三人の天使が 愛らしい歌をうたっておりました
  いかにも嬉しそうに
   それは天上で浄らかな響きをふりまいていました
  天使たちは愉しげに 歓びの声をあげて言いました
  「ペテロの罪は晴れたよ!」

 私は今までこういう訳詩をみたことがない。
(2010.3.30.サントリーホール)
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神々の黄昏

2010年03月29日 | 音楽
 新国立劇場の「神々の黄昏」の再演。私は2004年の新制作のときもみている。その記憶が鮮明に残っていると思っていたのに、今回あらためてみてみると、新たな発見や忘れていたディテールがあり、やはりこれは優れた舞台だと思った。

 演出上の白眉は、ジークフリートの葬送行進曲の場面だろう。背中を槍で刺されたジークフリートが、舞台奥の「ブリュンヒルデ」に向かってよろよろと歩いていく。手には指環をもって、前方に差し出している。指環を返そうとしているのだ。しかし力尽きて倒れる。葬送行進曲が終わって、舞台前面に駆けだしてくる「ブリュンヒルデ」。ワルキューレの兜を脱ぐと、グートルーネだった。救われないジークフリート。

 そのほかにも、それこそ息をもつかせぬほど、演出上のディテールが続く。「ワルキューレ」と「ジークフリート」が比較的ストレートな演出だったのにたいして、「ラインの黄金」と「神々の黄昏」には細かい仕掛けが全篇にわたって張り巡らされている。これは4部作のそれぞれの本質を暗示していると思われる。

 それにしても、「神々の黄昏」とは、なんというドラマなのだろう。全篇これ欺瞞と裏切りのドラマ。それがいやというほど続いて、いい加減辟易とさせられたころに、ジークフリートが記憶を取り戻し、その瞬間に槍で刺される。ジークフリートの葬送行進曲、ブリュンヒルデの自己犠牲とドラマは一気に進む。「欺瞞と裏切り」が「真情」へと転換するダイナミズム。

 そこに入れ子細工のように挟み込まれているのがヴァルトラウテの場面。この場面が感動的なのは、欺瞞と裏切りが渦巻いている世界にあって、ぽっかりあいた真空地帯のように「真情」が顔をのぞかせるからだ。音楽的にはブリュンヒルデの自己犠牲のなかの「ラインの岸辺に薪を積み上げよ」が先取りされている。ワーグナーはすべて計算しているのだ。

 逆に、欺瞞と裏切りが行くところまで行ってしまったのが、ブリュンヒルデとハーゲンの場面。愚かな俗物にすぎないジークフリートならともかく、賢明なはずのブリュンヒルデがこともあろうにハーゲンとジークフリート殺害を謀る。あの場面の意味はなんだろう。私見では、あそこで母性愛を捨てたのだ。それはやがて神々の世界に引導を渡すブリュンヒルデにとって必要なイニシエーションだった。

 ダン・エッティンガーの指揮は、音楽の起伏を大きくとり、しかも呼吸感を失わないもの。しかしカーテンコールのときに一部の観客からブーイングが出た。このときジークフリート役のクリスティアン・フランツは、軽く両手を振って「よせやい(笑い)」という仕種をした。私も同感だった。
(2010.3.27.新国立劇場)
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スクロヴァチェフスキ常任指揮者退任公演

2010年03月28日 | 音楽
 3月の読売日響の演奏会は、スクロヴァチェフスキの常任指揮者退任公演となった。その最後の公演は定期演奏会。曲目はブルックナーの交響曲第8番。稿こそちがえ、前日にインバル指揮の都響で同じ曲をきいたばかりなので、どうしても比較してしまう。その演奏のなんとちがうことか。第1楽章冒頭の低弦による第1主題の提示からして、インバルの鋭角的なアクセントとは異なって、小声でそっと呟くようだ。その後の展開も、すべてがあからさまにされるインバルとはちがって、陰に隠されたものをもつ演奏。

 第2楽章の第1主題も、インバルの決然とした表情の演奏とは異なって、穏やかで伸びのある演奏。
 第3楽章は深く沈潜した演奏。私はここにきて、眼を閉じてきくようになった。きこえてくるものは――比喩的な表現になってしまうが――原初の孤独としかいいようのないものだった。宇宙のなかの孤独な存在としての人間。おそらくは人間のDNAのなかに組み込まれているであろう、究極の孤独感を感じた。
 そして第4楽章。第3楽章もそうだったが、概してテンポが速めのスクロヴァチェフスキのブルックナーにしては珍しく、やや遅めのテンポでじっくり運んでいった。オーケストラを煽らず、すべての音を慈しんでいるような演奏。私にはスクロヴァチェフスキがオーケストラとの別れを惜しんでいるように感じられた。

 演奏が終わると、会場は静寂に包まれた。その静寂を破るように、スクロヴァチェフスキが勢いよく指揮棒をおろすと、大きな拍手が沸き起こった。何度となくステージに呼び戻されるスクロヴァチェフスキ。オーケストラからは大きな花束が贈られた。花は桜のようだった。淡いピンク色がステージを彩った。
 楽員がひきあげても、スクロヴァチェフスキは2度もステージに呼び戻されていた。

 思えばこの3年間、私たちは幸せな日々を送ってきた。1923年10月生まれのスクロヴァチェフスキが、83歳から86歳までの大事な日々を、私たちとともに過ごしてくれた。ブルックナーの初期交響曲の数々、ショスタコーヴィチの交響曲第11番の名演、命のかぎりを燃焼させたベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の壮絶な演奏。

 プログラム誌に正指揮者の下野竜也さんが一文を寄せていた。そこには次のようなくだりがあった。「指揮者が指揮台に立つ時に、隠しようの無いもの。つまり、その人格、その人の背景、音楽への敬意、知識、経験などが、その指揮者から醸し出されて、その人そのものが鳴っているような感覚」があり、スクロヴァチェフスキは「どれをとっても超一流」だったとのこと。
 ほんとうにそのとおりだと思う。それを感じることができた私たちは幸せだ。
(2010.3.26.サントリーホール)
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ブルックナー交響曲第8番(初稿)

2010年03月26日 | 音楽
 都響の3月定期はプリンシパル・コンダクターのインバルの指揮。昨日はAシリーズの定期があった。曲目はブルックナーの交響曲第8番。インバルは昔から初稿を演奏しているが、この日も初稿による演奏。実は私は初稿をきくのは初めて。シモーネ・ヤングの評判のCDもきいたことがない。私としては念願の初稿初体験だった。

 初稿と改訂稿とのちがいはいまさらいうまでもないだろうが、念のためにプログラム・ノートから「特に目立った改変点」を引用しておくと、次のとおり。
(1)初稿→改訂稿「第1楽章最後の輝かしいfffによる終結部のカット」
(2)同「第2楽章のトリオの差し替え」
(3)同「第3楽章における調構成の変更」

 以上の3点は私もどこかで目にしたことがあり、記憶に残っていたが、実際に演奏をきいてみると、改訂稿とはまったくちがう曲だと思った。
 ざっくりいうと、曲のあちこちに、今まできいたことのない楽句がはさみ込まれていて、それらの構成体としての全曲を通した聴後感は、ドキッとするくらい異なる。

 また、インバルがことさらに強調していたのかもしれないが、弦、木管、金管が今まできいたことのない動きをしていて、それらを追うのも忙しかった。そのもっともショッキングで、あからさまなちがいは、第3楽章アダージョのクライマックスでシンバルが何度も(!)打ち鳴らされること。私は、正直にいうと、なにかの冗談かと思った。

 結局のところ、初稿の演奏価値がどのくらいあるのか、私にはつかみかねた。興行的な計算があるのは事実だろうが――もっと品よくいえば、聴衆の興味に応える意味は十分に理解できるが――、音楽的にはどうなのだろう。
 もっとも、昨日の演奏をきいただけで、結論めいた感想をもってしまうのは時期尚早だと思う。例のシモーネ・ヤングのCDをきけば、また異なる感想をもつかもしれない。その意味では、昨日の演奏は今後の興味のきっかけになってくれた――そう考えて、感謝すべきだろう。

 インバルのブルックナーは、昨年11月の第5番もきいたが、基本的にはそのときの印象と変わらなかった。鋭角的なアクセントをもち、弦も木管も金管も渾身の力をこめて音を絞りだす演奏。マーラーではあれほど色彩感にこだわり、総体としての音響を磨きぬくインバルだが、ブルックナーではまったく異なるアプローチをする。私はマーラーでは感心し、ブルックナーでは苦手意識をもってしまう。
(2010.3.25.東京文化会館)
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青ひげ公の城

2010年03月19日 | 音楽
 東京シティ・フィルは、2月定期では阪哲朗さん(ドイツのレーゲンスブルク歌劇場音楽監督)の指揮で、シューマンの交響曲第4番の好演をきかせてくれた。今月は常任指揮者の飯守泰次郎さんの指揮で次のプログラムが組まれた。
(1)コダーイ:管弦楽のための協奏曲
(2)バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式、字幕付き原語上演)

 コダーイの曲は日本初演だそうだ。舩木篤也さんのプログラム・ノートによれば、コダーイはシカゴ交響楽団の委嘱を受けてこの曲を書き、自ら初演の指揮をとるつもりだったが、第2次世界大戦の勃発のために断念し、亡命してアメリカに渡るバルトークにスコアを託したとのこと。生涯の別れとなったその場面が目に浮かぶ。

 曲は単一楽章の明るい民族的な音楽。シンコペーションで追い上げる部分はいかにもコダーイらしい感じがする。同時期の「ハンガリー民謡『くじゃく』による変奏曲」に比べると新古典主義的な軽さのある音楽だ。
 演奏は、金管がバリバリ鳴って、歯切れのよい演奏だったが、どこか余裕のなさを感じた。練習時間にかぎりがあったのだろうか。もしそうだとしても、安全運転で演奏されるよりはよっぽどよい。

 「青ひげ公の城」はじっくり落ち着いて、七つの扉の音楽的なちがいを描き出し、色彩的な変化を克明にたどり、また、青ひげ公の詠嘆的なアリオーソなどをあるべき場所にきちんと収めた演奏。飯守泰次郎さんはこの曲を知り尽くしている――そのことが十分に感じられる演奏だった。
 青ひげ公は小鉄和広さん。美声だが、この役にはもっと凄みがほしい。もっとも、これは気楽な立場の勝手な言い分かもしれない。プロフィールによれば、小鉄さんはこの役のためにわざわざハンガリーに行ってコーチを受けたらしい。
 ユディットは並河寿美(なみかわひさみ)さん。愛、好奇心、不安、恐怖へと揺れ動くこの役をよくこなしていた。舞台映えする容姿の人。

 私は今まで何度このオペラをきいたことか。昔は猟奇的な面にひっかかって、あまり好きにはなれなかったが、最近はだんだん面白くなってきた。多分このオペラの象徴するところがわかってきたからだと思う。
 このオペラは、人間の心の闇にかかわる物語だ。人間には残虐性、攻撃性、富や権力や美にたいする欲望などがひそんでいる。それが青ひげ公の七つの扉だ。これを開けてはならない。けれども、開けたいユディット。開けさせたくないけれども、もしかすると開けさせたいのかもしれない青ひげ公。その闘争と永遠に解決できない結末がこのオペラだと、遅ればせながら、やっとわかるようになってきた。
(2010.3.18.東京オペラシティ)
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鳴虫山

2010年03月16日 | 身辺雑記
 土曜日に日光の鳴虫山に行ってきました。標高は1,104メートル。とくに高い山ではありません。駅前から歩いて行けるので人気があり、多くのガイドブックで紹介されています。登山の好期は4月以降とのこと。まあ、3月も4月も同じようなものだろうと思って出かけました。

 駅前から歩いてしばらくすると登山口。道にはうっすらと雪がついています。登山靴をはいてきたので、雪など苦にせずに登り始めました。長い杉林の中を黙々と登っていくうちに、雪がだんだん深くなりました。ザッザッという靴音を気持ちよくききながら、中間点の神ノ主山(こうのすやま)に着きました。標高は842メートルですが、日光連山の展望がよく、目の前には女峰山(にょほうさん2,483メートル)が雄大にそびえています。その左には男体山(なんたいさん2,486メートル)も見えます。

 神ノ主山から鳴虫山へは快適な尾根歩き――のはずでしたが、雪に足をとられて思うように歩けません。コースタイムは1時間ですが、いったいどのくらいかかったことやら。そういえば、何日か前に東京でも雪が降ったので、その雪がここでも降って、それが積もっているのだと思い当たりました。
 なかなか山頂に着かずに不安になってきたころ、男性の単独行とすれちがい(この山行で出会った唯一の登山者です)、その先が山頂のようでした。真っ白い新雪におおわれた山頂。きれいですが、昼食をたべる場所がありません。わずかに雪が溶けている展望台のへりに寄りかかって、そそくさと済ませました。

 山頂からは急坂の下りです。難所につけられたロープに感謝しつつ、木の幹につかまりながら、どんどん下りました。雪の下に木の根が埋もれていることがあり、そこに乗ってしまうと足が滑ります。何度か尻餅をつきながら、やっと平地に下りたときには、さすがにホッとしました。
 いやというほど雪を見たせいでしょうか、無性にアイスクリームがたべたくなり、駅前で「蜂蜜ソフトクリーム」をたべました。その美味しかったこと!

 その日のうちに帰京できる時間でしたが、プチ贅沢をして、鬼怒川温泉で一泊しました。温泉に入って手足を伸ばしたときの気持ちのよさったら!
 夕食のときにはビールの中瓶1本とハーフワインを1本。部屋に戻ってテレビでパラリンピックの開会式を見ながら、缶ビールを飲んでいるうちに、眠ってしまいました。しばらくしたら目が覚めましたが、もう飲む元気がなく、そのまま寝てしまいました。
 翌日は朝食後、まっすぐ帰ってきました。東武特急の車内でも爆睡。いびきをかいているのが自分でもわかりました。若い人から見たら、だらしのない中年男に見えたことはまちがいありません。
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プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクトvol.4

2010年03月14日 | 音楽
 日本フィルが首席指揮者ラザレフと続けている「プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト」の第4回。同プロジェクトはモーツァルトの楽曲とプロコフィエフの交響曲とを組み合わせてプログラムを組んでいる。今回は次のとおりだった。
(1)モーツァルト:ミサ曲ハ短調
(2)プロコフィエフ:交響曲第4番

 ミサ曲ハ短調は名曲だが、生できく機会は意外に少なく、私は今まで1~2度しか経験していない。今回は合唱に東京音楽大学の合唱団が入って、若い人たちの勢いのある歌声をきかせてくれた。これは前日にプロ中のプロ、新国立劇場合唱団をきいたせいで余計にそう思うのかもしれない。
 日本フィルも意欲的な演奏でこれに応えていた。過去3回の同プロジェクトでは、モーツァルトは音を整えるのに終始して、積極性に欠ける面があったが、今回はそうではなかった。

 第4曲サンクトゥスから第5曲ベネディクトゥスにかけては、休みなくアタッカで演奏された。なるほど――ベネディクトゥスの後半ではサンクトゥスの最後のオザンナが繰り返されるので――こう演奏することによって両曲が一体のものとして感じられる。これは一般的にやられていることなのだろうか。

 この曲は未完で、第3曲クレドには後世の補筆が入っているとのことだが、どこまでがモーツァルトの直筆で、どこからが補筆なのか。思えば、まったく認識のないまま過ごしてきてしまった。

 プロコフィエフの交響曲第4番は、過去3回と同様、深く踏み込んだ演奏。前回の難曲、第3番で大きな峠を越えたのだろうか、オーケストラには馴れと、幾分の粗さが感じられた。こうなると、第1回の第1番および第7番の緊張した演奏が懐かしい。
 第4楽章に入ってしばらくのあいだ、音の密度が薄まったように感じられた。オーケストラの緊張が続かなかったのか。

 この曲には原典版と改訂版の2種類があるが、この日の演奏は改訂版のほうだった。私は記憶がすっかり薄れていたので、事前にCDをきいてみた。改訂版のほうが面白かった。

 演奏会場ではプロコフィエフの短編小説集(!)が売られていて、思わず飛びついてしまった。プロコフィエフが小説を書いていたとは知らなかった。表紙の裏の宣伝文によれば、エッフェル塔が突然歩き始めたりするらしい。面白そうだ。プロコフィエフの発想や本質のなにかがわかるかもしれない。
(2010.3.12.サントリーホール)
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ゼッダ&東京フィル

2010年03月12日 | 音楽
 アルベルト・ゼッダ指揮の東京フィル。会場の東京オペラシティ・コンサートホールはほぼ満席だった。ゼッダ人気は本物だ。
 当日のプログラムは次のとおりだった。
(1)ロッシーニ:カンタータ「ディドーネの死」
(2)ロッシーニ:スターバト・マーテル

 「ディドーネの死」の作曲年代はよくわかっていないようだが、プログラムに載っているゼッダの文章によれば、「学生時代に作曲した作品」とのこと。カンタータと銘うっているが、実質はオペラ・セリアの一場面だ。これをまだ十代の学生時代にかいたというのだから、変な言い方だが、ロッシーニは最初からロッシーニだった‥。こういうタイプの天才は珍しいのではないか。あのモーツァルトだって、こうではなかった。

 ソプラノ独唱はイアーノ・タマー。強く大きな感情表現。急病のマリーナ・レベカの代役なので、おそらく来日直前に初めてみた譜面だろうが、このクラスになると難なくこなす。

 スターバト・マーテルは、ロッシーニがオペラ業界を引退した後に、おそらく懇願されて断りきれずにかいた曲。この曲をロッシーニにかかせた人に、私たちは感謝しなければならないと思う。眠っていたロッシーニの音楽的な技量は、少しも衰えていないばかりか、一種、純化されていた。それがこの曲と、もっと後年になるが、「小荘厳ミサ曲」のなかに滲み出ている。

 ゼッダの指揮はきちっとした様式感をもったもの――正しくいうなら、ロッシーニの様式感はゼッダなどが中心になって作ってきたもの――。微妙な伸縮のなかに、職人技のような構築感と自然な呼吸感がある。
 4人の独唱者たちは歌唱スタイルがばらばら。新国立劇場合唱団は相変わらず見事だった。第9曲(最後から2番目の曲)のア・カペラの合唱から終曲のオーケストラをともなったアーメン合唱にかけては、大きな音楽的感興があった。

 多分、20世紀後半からのロッシーニの再評価は、将来の人々にとっては、音楽史的な出来事とみえるのではないか。今その渦中にいる私たちは、幸運な時代に生きているわけだ。

 余談になるが、私は2007年にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルに行くことができた。あのときにみた「泥棒かささぎ」と「オテッロ」の舞台、そして暑い日射し、光を反射したアドリア海の水の色、近傍の古都ウルビーノでみたピエロ・デッラ・フランチェスカの板絵2枚、これらは生涯忘れられない思い出になっている。
(2010.3.11.東京オペラシティ)
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パン屋大襲撃

2010年03月09日 | 音楽
 望月京(もちづきみさと)の新作オペラ「パン屋大襲撃」。2009年にルツェルン劇場で初演され、引き続きウィーンではクラングフォーラム・ウィーン(現代音楽の演奏団体)によって上演されたとのこと。今回は日本初演。

 原作は村上春樹の短編小説「パン屋襲撃」と「パン屋再襲撃」。この機会に読んでみたが、なるほど面白い。簡単にいうと、若い夫婦が、空腹のあまり、深夜に目をさます。あいにく台所にはなにもない。途方にくれた夫が、若いころに同じように空腹に耐えかねて、パン屋を襲撃した話をはじめる。パン屋のおやじは、ワーグナーを一緒にきくことを条件に、パンをくれた――。
 その話をきいた妻は、今のこの空腹はそのときの呪いなのだという。呪いをとくには、もう一度パン屋を襲撃して、パンを奪わなければならないと。
 夫婦は深夜の街にでる。(その先の展開は、ここでは控えることにする‥。)

 「パン屋再襲撃」には「ニーベルングの指輪」のパロディらしき表象が仕込まれている。私もそうだが、ワーグナー好きには面白くてたまらない。これがオペラになると、当然ワーグナーのパロディがでてくるだろうと興味がわく。さて、どういうパロディか。

 実際にパロディはでてきた。このオペラが初演されたルツェルンはワーグナーゆかりの地。同地の観客は面白さも一入だったろう。
 もっとも、全篇これパロディという作品ではなかった。基調としては、電気ギターなどを使用しながら、現代的なポップ感覚の音楽によって、若者の日常を切り取った作品といったところ。ワーグナーや、一瞬でてくるバッハなどは、おやじ世代の遺物か。

 個々の役柄では、マクドナルドの「レジの若い女」が高音域を駆け回る音楽で、私はたまたま2月にフランクフルトでみたトーマス・アデスのオペラ「テンペスト」の妖精エアリエルを思い出した。このブログにも書いたが、そこにはリゲティのオペラ「ル・グラン・マカーブル」のゲポポの流れを感じるので、この3者はつながることになる。
 また「夜番のマネージャー」はカウンターテナー役になっていて、「テンペスト」の大酒飲みトリンキュローと共通し、「ル・グラン・マカーブル」のゴーゴー侯も同じだ。
 下世話な表現で申し訳ないが、この業界にも流行があるのだろうか。

 日本人の歌手たちはみな頑張っていたが、明るく、乾いた、弾けるような感覚には欠けていた。ルツェルンやウィーンの上演では、もっとちがっていたのではないか。これはウェットな日本人のメンタリティーの故なのかと思った。
(2010.3.8.サントリーホール小ホール)
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2010年03月08日 | 演劇
 別役実(べつやくみのる)25歳のときの作品「象」の公演。1962年(昭和37年)の初演で、原爆被爆者の苦しみがそのテーマ。私はまだ小学生だったが、当時の記憶では、そのころの社会にはまだ戦後の名残があちこちに感じられた。一方、これは偶然だが、その年にキューバ危機が起きたように、核戦争の可能性が現実味をおびていた。
 そのような時代に初演された作品が、今の私たちにはどう見えるのか――今もなお当時のリアリティを失っていないか――、それが私の関心事だった。

 結果として、私のかすかな懸念は杞憂だった。この作品はそのままストレートに上演されて今なおリアリティを失っていなかった。

 背中一杯にケロイドを負って入院中の「病人」と、その甥でやはり被爆者の「男」を通して、被爆者の苦しみが描かれる。かれらをみている私たちは、その苦しみを自分のものとして感じることができるだろうかと自問する。残念ながら、できない。その心苦しさの中に芝居のリアリティがある。

 具体的にいうと――これからご覧になるかたのために、前後のコンテクストは控えるが――「病人」が客席に向かって「皆さん、拍手をしてください。お願いします」と繰り返す場面がある。客席の私たちは、拍手などできる場面ではないので、静まりかえって凝視する。そこに生まれる緊迫した空間にこそ、芝居のリアリティが担保されていると感じた。同様のことは、最後に「男」が客席に向かって「なぜ拍手をしないのですか」と問う場面でも感じた。

 ディテールになるが、強く印象に残った場面が2つ。ひとつは見知らぬ者どうしの通行人1と通行人2が、何の意味もなく言いあいになり、1が2を殺してしまう場面。これなどは現代のどこにでもありそうなリスクだと思った。

 もうひとつは「病人」の妻が「病人」をおいて実家に帰ろうとする場面。ほんとうは妻に去らないでほしい「病人」だが、最後はあきらめて妻にマフラーをかけ、帽子をかぶせてやる。私の胸には熱いものがこみ上げてきた。妻を演じている神野三鈴(かんのみすず)も同じだったのではないか。

 「病人」を演じたのは大杉漣(おおすぎれん)。圧倒的な存在感だった。
 「男」を演じたのは稲垣吾郎(いながきごろう)。私はテレビをみないのでよく知らなかったが、人気グループSMAPのメンバーとのこと。「病人」と対峙するというよりも、「病人」と現代とのあいだを橋渡しする役割を果たしていた。

 舞台美術は池田ともゆき。床一面に古着をしきつめたその舞台は、原爆の被災者のようでもあり、また「病人」と同じように後遺症に苦しむ人々のようでもあった。
(2010.3.5.新国立劇場小劇場)
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アーサー王

2010年03月01日 | 音楽
 チリ大地震の影響による津波警報のため、昨日は首都圏の交通機関もかなり乱れた。私はヘンリー・パーセルのセミ・オペラ「アーサー王」をみるために横浜に行ったが、15:00開演予定のこのオペラも30分遅れた。
 遠く海を隔てたチリで起きた地震による津波が、約一日かけて日本にも届く――地球は一つだとあらためて思った。かけがえのない地球という言葉が、妙に実感として感じられた。

 この公演は神奈川県立音楽堂主催の「音楽堂バロック・オペラ」の一環。同音楽堂は2006年にはヴィヴァルディのオペラ「バヤゼット」を上演して、バロック・オペラの楽しさを堪能させてくれた(このときはファビオ・ビオンディ指揮エウローパ・ガランテの演奏だった)。

 今回はエルヴェ・ニケ指揮ル・コンセール・スピリテュエルの演奏。気鋭のフランスの古楽団体だが、私ははじめて。なるほど、粗野な音も辞さずに、活気あふれる演奏をする。
 私は今までこの曲をガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏できいてきた(1983年の録音)。その演奏が格調の高い正統的なものだったとすれば(「正統的」という言葉がふさわしいかどうかは別として、古楽復興の歩みの中では、正統的と感じられた)、今回の演奏は今を生きる人間の活力みなぎる演奏だった。

 このオペラはセミ・オペラと呼ばれているが、その意味するところは、これが演劇主体であって、そこに音楽やダンスがつくということ。イタリアで生まれたオペラがヨーロッパ各地に広まっていくなかで派生した一形態だ。できることなら大詩人ジョン・ドライデンの筆になる演劇をふくめてみてみたいと思うが、演出家の伊藤隆浩さんのプレトークによれば、5時間くらいかかるとのこと。

 今回の公演は音楽だけを取り出したものなので、所要時間は1時間半ほど。音楽は話の筋とは関係なくつけられているので(観客を飽きさせない?ために、スペクタクルとして効果的な場面につけられている)、これだけでは話の筋は追えない。そこで演出家の出番になる。今回の演出は音楽の場面設定を簡単につたえるためのものだった。これは仕方がないと思う。ベースとなる演劇部分を上演するゆとりがないわけだし、それよりもなによりも、おそらく低予算で、リハーサルの時間も限られていたと思われるので。

 気になったのは、演出家自身この作品を鑑賞または勉強している印象があったこと。たとえば妖精のいる森の場面で、これはなにかに似ていると自問自答し、ヴェルディのオペラ「ファルスタッフ」に行きつくところなど、素直すぎて困ってしまった。
(2010.2.28.神奈川県立音楽堂)
コメント (2)
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