Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

MUSIC TOMORROW 2016

2016年06月29日 | 音楽
 今年のMUSIC TOMORROWは手応え十分だった。演奏は下野竜也指揮のN響。

 1曲目は権代敦彦(1965‐)の「Vice Versa―逆も真なり―」(2015)。オーケストラ・アンサンブル金沢の委嘱。音楽監督の井上道義から詳細な「注文書」が付されたそうだ。どんな内容だったか、プレトークで作曲者が読んで聞かせてくれた。微に入り細に入り、詳細を極め、しつこく、しかも奇抜なアイディアを含んでいる。「却下」したアイディアもあったが、基本的には井上道義の注文(挑発といった方がよいかもしれない)に応えたとのこと。

 痛みを伴うような音楽、自らの傷口に指を突っ込むような音楽、言い換えれば、安穏とした世界に身を置くことを潔しとしない音楽、そんなふうに聴こえた。

 2曲目は大胡恵(だいご・けい)(1979‐)の「何を育てているの?」「白いヒヤシンス」(2016)という曲。N響の委嘱。未知の作曲家で、予備知識もなかったが、大変面白かった。今年のMUSIC TOMORROWの大きな収穫だ。

 シリアの悲惨な状況が念頭にあったそうだ。日本にいて作曲に打ち込んでいる自分になにができるだろうかと自問自答し、「砂埃の中で瓦礫に触れるように、楽器を通して音に触れ、そこから私なりの前向きな創造をすること」に辿りついた。

 不思議な光に満ちた曲。幾筋もの光が多方面から射して、プリズムのように乱反射している曲。たまたま東京ではドキュメンタリー映画「シリア・モナムール」が公開中だが、そこで描かれているシリアの過酷な現実の、その上空ではこういう光の世界があるのだろうか、命を失った人々の魂は、このような光の中を通って天に昇るのだろうか、などと考えた。

 わたしは1951年生まれなので、大胡恵は息子の世代だ。もし大胡恵がわたしの息子だったら、異星人を見るような思いがするだろう。わたしがその中で生きてきた音楽とはまったく違う音楽をやっている。でも、その音楽に惹かれる自分を見出すだろう。

 3曲目のエイノ・タンベルク(1930‐2010)の「トランペット協奏曲第1番」(1972)では名手セルゲイ・ナカリャコフの演奏を楽しんだ。4曲目の北爪道夫(1948‐)の「地の風景」(2000)でまた‘世代’を考えた。北爪道夫はわたしと同世代。オーケストラの鳴らし方が堂に入っている。滑らかな口調で雄弁だ。
(2016.6.28.東京オペラシティ)
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ポンペイの壁画展

2016年06月28日 | 美術
 会期末が迫ってきた「ポンペイの壁画展」に行ってきた。気になっていた展覧会なので、行けてよかった。東京会場は7月3日で閉幕するが、その後、名古屋、神戸、山口、福岡に巡回する。

 今から20年以上前になるが、ポンペイに行ったことがある。9月下旬だったが、暑くて、暑くて、汗を拭きながら歩いた。夾竹桃の紅色の花が記憶に残っている。あとは近くのレストランで飲んだ白ワイン。「ラクリマ・クリスティ(キリストの涙)」という名前に感心した。その後日本でも見かけるようになった。

 本展の壁画は、ナポリ国立考古学博物館などの収蔵品。いうまでもないが、ポンペイでは見られない。ポンペイは遺跡なので、風雨に晒されるため、博物館などに移して保管されている。

 これらの壁画は、裕福な家や、レストランや、その他の生活の場のためのもので、今でいう芸術とは少し違う。ヴェスヴィオ山が噴火した紀元後79年8月24日時点の人々の生活を伝えるものだ。

 「カルミアーノ農園別荘、トリクリニウム」が、スケールの大きさからいっても迫力があった。平面図が掲示されているが、中庭をはさんだコの字型の大きな建物で、そこでは葡萄酒を製造していた。葡萄の圧搾室などを備えている。3枚の壁画は食堂の三方を飾っていたもの。残りの一方は中庭に面した開口部だった。当時を彷彿とさせる展示を見ていると、客人を招いた宴のにぎやかな声が聞こえるようだ。

 一方、芸術性の高い壁画もあった。「赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス」と「ケイロンによるアキレウスの教育」。ともにポンペイ近郊のエルコラーノで発見されたものだ。皇帝崇拝の場(アウグステウム)を飾っていたというから、特別の壁画だったのかもしれない。力のみなぎる構成は、他の壁画とは一線を画す。前者は初来日。本展の目玉だ。

 もう1点だけ挙げると、「有翼のウィクトリア」に惹かれた。ウィクトリアは勝利の女神のはずだが、本作では男性として描かれているのだろうか、堂々たる体躯だ。まるで石膏像のような円錐形で描かれている。背景の青色も印象的。どこか近代的な感覚がある。

 なお、本展のキャプションで知ったのだが、ポンペイの朱色には、当初は黄色で火砕流の高熱によって変色したものがあるそうだ。元々の朱色と変色した朱色とは専門家でも見分けが難しいそうだ。意外な事実‥。
(2016.6.27.森アーツセンターギャラリー)

主な壁画の画像(本展のHP)
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カンブルラン/読響

2016年06月25日 | 音楽
 今回の定期はカンブルランの多彩な持ち味を堪能できるプログラムが組まれた。まず1曲目はベルリオーズの序曲「宗教裁判官」。こんな曲があるとは、わたしは知らなかったが、ベルリオーズの若き日の作品だ。奔放な音楽はすでに表れているが、一方、ロマン派オペラの要素も共存している。途中でティンパニとバスドラムが、何者かがノシノシと歩いてくるようなリズムを打ち始める。未完のオペラの一場面を想定していた残滓だろうか。

 演奏は非の打ちどころがない。ベルリオーズはカンブルラン得意のレパートリーの一つだと、あらためて思った。ベルリオーズとか、メシアンとか、そういった音楽は本当にうまい。

 2曲目はデュティユーのチェロ協奏曲「遥かなる遠い世界」。チェロ独奏はジャン=ギアン・ケラス。人気抜群のチェリストなので、この人を目当てに来た人も多かったろう。本作の初演者ロストロポーヴィチのように太い音でグイグイ弾くのではなく、繊細な音でオーケストラのテクスチュアの一部となって弾く。

 この曲はこういう演奏が正解かもしれないと思った。プログラムにはチェロ協奏曲と表記されていたが、スコアには「遥かなる遠い世界」Tout un monde lointain…と書いてあるだけで、チェロ協奏曲という表記はないそうだ。もちろん一般的にはチェロ協奏曲として通っている。でも、デュティユーが考えていたのは、ロストロポーヴィチのような演奏ではなく、今回のような演奏かもしれないと思った。

 いずれにしてもケラスとカンブルランの叡智と洞察力と、お互いに対する信頼感がなければできない演奏だった。

 余談ながら、「遥かなる遠い世界」とはボードレールの「悪の華」所収の詩「髪」の中の詩句だが、その詩は恋人ジャンヌ・デュヴァルを謳った官能的な詩だ。ところがデュティユーにかかると、官能的というよりは、神秘的な、どこか夢の世界のような音楽になる。第4楽章(この曲は全5楽章からなる)には直截的に官能を表した詩句が引用されているが、その第4楽章でさえ、神秘的で、緊張した音楽なのが面白い。

 3曲目はブルックナーの交響曲第3番(第3稿)。弦を主体にして木管やホルンが彩りを添えるテクスチュアは、誤解を恐れずにいえば、ラヴェルのようだ。金管の咆哮はもちろんその範疇には入らないが‥。わたしは感心した。一瞬たりとも気が逸れることはなかった。
(2016.6.24.サントリーホール)
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あわれ彼女は娼婦

2016年06月23日 | 演劇
 沃野のように豊かなエリザベス朝演劇の作品群の一つ、ジョン・フォード(1586受洗~1639頃)の「あわれ彼女は娼婦」。シェイクスピア(1564~1616)の「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたと思われる作品だが、本家本元とは違ってドロドロしている。

 ロミオとジュリエットに相当するカップルが、ジョヴァンニとアナベラの兄妹。兄妹は愛し合い、アナベラは身ごもる。世間体を取り繕うため、修道士ボナヴェンチュラはアナベラを貴族ソランゾと結婚させる。事態は込み入り、悪化する。

 ジョヴァンニとアナベラの純愛物語と捉えられないこともないが、幕切れで、自ら刺殺したアナベラの心臓を剣に刺し、狂気の態で現れるジョヴァンニの姿を見ると、これはそんな口当たりのいい芝居ではないことが分かる。むしろ露悪趣味が行き着く先のカタストロフィが本質ではないかと思えてくる。

 ジョヴァンニ役は浦井健治。シェイクスピアの「ヘンリー六世」3部作の大成功(2009年)以来、早いものでもう7年経つが、ピュアな感性は失われていない。アナベラは蒼井優。身体の切れがよく、また舞台姿が美しい。多少頭は弱いが、憎めず、そしてどこか哀しいバーゲットを野坂弘が好演した。

 演出は栗山民也。今回もぎゅっと凝縮した舞台だ。焦点が合っている。栗山民也の演出には失望したことがないが、本作も優れた舞台の一つ。舞台美術もすばらしい。赤く焼けた鋼鉄のような壁面、床に交差する赤い十字路、その他赤が主体の舞台美術。担当は松井るみ。すっかり感心してプロフィールを見たら、井上やすしの「雨」もこの人だった。「雨」は今でもよく覚えている。「雨」の和風のテイストと、今回のイタリア的な赤と、いずれも鮮烈だ。

 音楽はマリンバ1台(舞台右脇に配置)。中村友子(桐朋学園大学非常勤講師)が、出すぎず、引っ込みすぎず、絶妙な間合いでドラマを彩る。舞台裏から微かに聞こえてくる中世またはルネッサンスの教会音楽の合唱が、ドラマに陰影を添える。

 全体としてじつに現代的な舞台だ。約400年前のエリザベス朝演劇だとは、観劇中一度も感じなかった。

 本音を言うと、うらやましかった。演劇ではこんなに現代的な舞台が作れるのに、(こう言ってはなんだが)どうしてオペラではそうならないのだろうと。とくにこの数年間はその傾向が感じられる。
(2016.6.22.新国立劇場中劇場)
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大野和士にエールを送る

2016年06月22日 | 音楽
 大野和士が新国立劇場のオペラ部門の芸術監督を引き受けるのは、もう少し先だと思っていた。なので、今回のニュースには驚いた。多くの方々が喜びの声を上げているので、今更屋上屋を重ねるまでもないのだが、大野和士にエールを送りたいので、一言だけ仲間に入れてほしい。

 わたしが一番嬉しいのは、大野和士がまさに働き盛りの時期に、日本のポストを引き受けてくれることだ。大野和士には他のオファーもあったろう。自分のキャリアのためにはヨーロッパの劇場やオーケストラのほうが有益だったかもしれない。でも、日本のポストを引き受けた。それは自分のためというよりも、自分が生まれ育ったこの国のためだろう。あえていえば、この国にいるわたしたちのためではないだろうか。

 この点が偉大なる先輩と違う点だ。その先輩は世界の頂点を極めた。才能だけではなく、努力も、人脈もあったろう。その先輩が働き盛りの時期を過ごしたのはボストンだった。ボストンの人々のために仕事に打ち込んだ。

 音楽家とはそういうものだと、その姿を見て思った。音楽家は土地に根付く。その先輩はボストンに根付いた。大野和士は東京を選んだ。これは新しい時代の到来だと思った。その先輩は常々「日本人の自分が世界でどこまで通用するか、これは実験だ」と言っていた。大野和士にはそんな気負いはない。世代が変わったのだ。

 新国立劇場のオペラ部門は(こう言ってはなんだが)2代続けて低調な時代が続いた。危険水域まで来た。その時期に大野和士が引き受けた。この劇場の低迷ぶり、そして世界的なステータスの低さを承知の上での決断だったと思う。

 もちろん、大野和士一人が頑張っても、どうなるものでもないだろう。途方もない妥協が必要なときがあるかもしれない。オペラ人口の層の薄さ、官僚の関与、芸術監督というポストが持つ権限‥。でも、そんなことはすべて承知の上だろう。

 そういう大野和士を、わたしも支えたい。大野和士を支える一人に加わりたい。みんなで支えようではないかと、柄にもなく呼びかけたいと思う。

 なお、今回の人事では、演劇部門の芸術監督に小川絵梨子が選ばれた。これにも驚いた。新国立劇場で演出した「OPUS/作品」と「星ノ数ホド」はわたしも観た(翻訳を担当した「ウィンズロウ・ボーイ」も観た)。でも、まさか芸術監督になるとは思っていなかった。どんなことをやるのか、まったく未知数。興味津々、見守りたい。
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アシュケナージ/N響

2016年06月19日 | 音楽
 アシュケナージ指揮N響のCプロ。なんといっても、リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲を吹いたフランソワ・ルルーが圧倒的だった。

 1945年に作曲されたこの協奏曲は、わたしは今まで、戦争が終わって、ともかくホッとしたシュトラウスの心境を反映した曲だと思っていた。でも、そんな生易しい曲ではないのかもしれない‥と、この演奏を聴いて思った。

 第1楽章が雄弁極まりない演奏だった。平穏な、ちょっとロココ的な演奏ではなく、あえて言えば、室内オペラのような演奏。プリマドンナはもちろんオーボエ。独奏オーボエがオーケストラを相手に語り続ける。シュトラウスは「カプリッチョ」(1940~41年)を最後に、オペラはもう書かなかったが、オペラを断念したわけではなく、オペラ的な書法がこの曲に引き継がれ、そして1947年のクラリネットとファゴットのための二重協奏曲に結び付く‥と、そんな線が見えた。

 第2楽章の最後では、オーボエのモノローグと、その背後で鳴るホルンとの他には、すべての楽器が黙し、音楽がほとんど止まりそうになる瞬間に、1948年の「四つの最後の歌」の、とりわけ「夕映えの中で」の最後のフレーズ「これが死というものだろうか」を連想した。これはそれを先取りした音楽か‥。

 ともかく、第1楽章では翻弄され、第2楽章の最後ではうっとりとその音に聴き入った。今まで何度も聴いた曲だが、これは桁違いの演奏だった。5月の読響の定期でエマニュエル・パユが吹くハチャトリアンのフルート協奏曲に度肝を抜かれ、またアンコールで演奏された武満徹の「エア」を今でも鮮やかに記憶しているが、それに匹敵する演奏を、1か月しか経たないうちにまた聴いてしまった。

 パユにしても、ルルーにしても、楽器をマスターするということはこういうことかと、目を開かされるというか、実感から言うと、びっくり仰天した。楽器が自分の体と一体化している。しかもその体の持つエネルギーが凄い。

 さらに嬉しい出来事があった。アンコールにグルックの「精霊の踊り」が演奏されたのだが、そのときピアノが持ち出され、アシュケナージが弾いた。会場にどよめきが起きた。ピアノを弾くときのアシュケナージは千両役者だ。ルルーも敬意を表していた。

 なお、当日のプログラムは、1曲目がシュトラウスの「ドン・ファン」、3曲目がブラームスの交響曲第3番だった。
(2016.6.18.NHKホール)
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灰色のバスがやってきた

2016年06月17日 | 身辺雑記
 ドイツのジャーナリストで作家のフランツ・ルツィウスが書いた「灰色のバスがやってきた」(山下公子訳、草思社)を読んだ。ナチス・ドイツの障害者への「安楽死」の事実を描いた本だ。

 場所はドイツ中部のエッセンの郊外にある障害者施設フランツ・サーレス・ハウス。実在の施設だ。身体障害者および精神障害者の教育・養護施設で、運営主体はカトリック教会。

 その施設から、1940~43年の間に、787名が他の施設に移送された。移送とは‘死’を意味する。ガス殺、あるいは注射による薬殺。本書の中ではガス殺と薬殺のどちらが効率的かで、ナチスの高官や医師らの間で議論があったことが描かれる。お互いのプライドや権力闘争があるので、どちらも引かない。リアルなエピソードだ。

 フランツ・サーレス・ハウスの職員たちは抵抗する。所長のシュルテ=ペルクム、主任医師のへーゲマン、事務補助員のカスタイ、そして多くのシスターたち。カトリック教会も動く。でも、結局はナチスの行動を止められなかった。多くの障害者たちが殺された。中には生体実験に供された人もいる。背筋が寒くなるような話だ。

 本書はノンフィクション・ノヴェルのスタイルで書かれている。事実関係の調査に基づく著作ではあるが、そこに前述の事務補助員カスタイと恋人ドリスとの恋のエピソードや、司祭ヴォルパースの‘死’の施設への潜入のエピソードなどが盛り込まれる。不器用な恋の成り行きに胸を痛め、危険な潜入にハラハラする。あえて誤解を恐れずにいえば、映画を観ているように面白い。不謹慎な言い方で申し訳ないが‥。

 本書がドイツで刊行されたのは1987年、日本語訳が出たのは1991年。ドイツでの刊行後、時を経ずに日本語訳が出たことになる。以来かれこれ四半世紀の間、ずっと読み継がれている。

 障害者「安楽死」政策は‘T4作戦’と呼ばれ、本部はベルリンの中心部にあった。今ではその場所にベルリン・フィルの本拠地‘フィルハーモニー’が建っている。付近の路上にはプレートが立っている。わたしも見た記憶がある。でも、正直にいうと、それが何を意味するのかは知らないでいた。恥ずかしいかぎりだ。

 ユダヤ人、障害者、さらにはロマ、同性愛者、ホームレス、アルコール中毒者、政治的敵対者、その他社会の異分子にたいする不寛容と迫害は、ファシズムの根幹にある。今の日本の不寛容にその芽がないかどうか、少し心配だ。
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ラッヘンマンを聴くvol.2

2016年06月15日 | 音楽
 現代ドイツの作曲家ヘルムート・ラッヘンマン(1935‐)の作品を集めた演奏会「ラッヘンマンを聴くvol.2」。vol.1はいつあったのか、うっかりして気が付かなかった。

 今回演奏された曲は3曲。どれも演奏者が素晴らしい。以下、演奏順に記すと、1曲目はピアノ独奏のための「セリナーデ」。演奏はラッヘンマン夫人の菅原幸子。福井とも子氏のプログラムノーツによると、「残響のコントロール」の技術が「徹底的に実践、拡張されている」作品。その一環なのだろうか、鍵盤を叩かずに、ペダルを強く踏むだけでピアノ線を震わせる(微かな音が出る)部分があった。

 でも、長大なこの作品を(30分位かかる)、集中力を途切れさせずに聴くことは、わたしには難しかった。その理由は、2曲目、3曲目を聴くうちに、だんだん分かってきた。

 2曲目は2本のギターのための「コードウェルへの礼砲」。演奏は山田岳と土橋庸人。おのおの正面を向いた2人のギター奏者が丁々発止の演奏を繰り広げる。沈黙の空隙に激しく打ち込まれる2人の音が、どうしてピッタリ合うのか、驚くばかりだ。

 本作ではイギリスの小説家・記者のクリストファー・コードウェル(1907‐1937)の詩が、2人のギター奏者によって朗誦される。「君たちの自由と呼ぶものは、ただ社会の一部であって、完全な自由ではない。」という書き出し。ラジカルな思想だ。

 3曲目はソプラノとピアノのための「Got Lost」。ソプラノはシュトゥツトガルト歌劇場のソリスト角田祐子。わたしは同地で「ペレアスとメリザンド」のイニョルドや「イェヌーファ」のヤーノを観たことがある。元気一杯の大活躍だった。今回東京で聴くことができて嬉しい。ピアノは菅原幸子。

 これは楽しかった。音楽(または演奏、あるいは楽器)の根底を問うといった作曲姿勢のラッヘンマンからは想像もできないエンターテインメント性を感じた。ラッヘンマンの意外な一面を見た思いがする。振り返ってみると、そのエンターテインメント性は「コードウェルへの礼砲」でも感じられた。でも、「セリナーデ」にはなかった‥。

 演奏も水際立っていた。超難曲にちがいないが、それを見事に歌い、しかも聴衆を楽しませた角田祐子に、心からの賞賛を捧げたい。ピアノの菅原幸子も歌にピッタリつけて完全に一つの音響体を構成していた。
(2016.6.14.東京オペラシティ・リサイタルホール)
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小泉和裕/日本フィル

2016年06月11日 | 音楽
 小泉和裕が客演指揮した日本フィルの定期。プログラムはシューマンの「マンフレッド」序曲、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」、ブラームスの交響曲第2番というもの。きわめてオーソドックスなプログラムだ。そのオーソドックスなプログラムという点に意味がありそうだと思った。

 どの曲も誠実かつ丁寧な演奏だった。曲の規模からいって、やはりブラームスの交響曲第2番がもっとも聴き応えがあった。どっしりと構えて、しかも重くならず、情感豊かな演奏になった。端的にいって、指揮者の内面的な充実が感じられる演奏だった。円熟といってもいいかもしれないが、ともかく、あの若々しくて颯爽としていた小泉和裕が、こんなふうに成熟を遂げつつあるのかと思った。いい年の取り方をしている。わたしよりも2歳年上だが、ほぼ同世代。我がことのように嬉しい。

 日本フィルがこの指揮者に今回このようなプログラムを任せたのは、その成熟ぶりに信頼を寄せたからではないだろうか。それが実って、立派な成果を上げたと思う。

 たしかに地味なプログラムだ。小泉和裕も、どちらかというと地味なキャラクター。なので、満席とはいかなかった。わたしが座っている2階席後方には空席もあった。でも、演奏が進むにつれて、客席に集中力が増すのが感じられた。舞台と客席との一体感が生まれたと思う。

 演奏中の(そして演奏後の)派手なパフォーマンスで人気を取る日本人指揮者もいる。先日もその指揮者の演奏会を聴いた。それに比べると、小泉和裕のこの演奏会の後味の良さが際立つ。

 小泉和裕と日本フィルとの関係も良好のようだ。少なくとも演奏を聴くかぎりでは、しっかり噛み合っていたと思う。日本フィルのアンサンブルもよかった。ラザレフとインキネンの効果が蓄積されているようだ。

 個別の奏者では、ブラームスの交響曲第2番でのホルンの1番奏者を挙げたい。日橋さんがトラで入っていた。古巣に帰った日橋さん。さすがの演奏で聴き惚れた。

 終演後にオーケストラ全員で一礼するのは日本フィルの流儀だが(東京シティ・フィルもやるが)、当夜は小泉和裕もオーケストラの中に入って一緒に一礼した。インキネンもそれをやる。でも、客演指揮者がやるのは珍しい。些細なことだが、これも小泉和裕の自信の表れ――演奏の面でもオーケストラとの関係の面でも――と感じられた。
(2016.6.10.サントリーホール)
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大野和士/都響

2016年06月10日 | 音楽
 ブリテン、ドビュッシー、スクリャービンと並んだプログラムは、いかにも大野和士らしい濃いプログラムだ。

 1曲目はブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」。解像度が抜群に高い演奏。リズミカルな第2曲「日曜の朝」では、メインのリズムに絡む細かな音型が克明に聴こえた。ドラマティックな第4曲「嵐」では、振り幅の大きいダイナミックな演奏に揺さぶられた。

 2曲目もブリテンで「イリュミナシオン」。テノール独唱はイアン・ボストリッジ。たぶん現代最高のブリテン歌いだろう。この歌曲集の隅々まで自由自在に表現しつくす名演だった。

 最後の「出発」でハッとした。イメージの氾濫のようなそれまでの8曲の後に出てくるこの第9曲は、シーンと静まり返った短い曲。「十分に見た、幻影はどこの空にもあった。」という歌いだしのこの曲は、二十歳そこそこで詩を捨てたランボー(1854‐1891)の、詩への訣別の歌のように感じられた。

 いうまでもないが、ランボーの「イリュミナシオン」は、ランボーがヴェルレーヌに託した40数編の詩の原稿だ。それらの順番は決められていない。その中の「出発」を歌曲集の最後にもってきたのはブリテンの選択だ。じつに巧妙な選択だったと思う。そのことによって、「出発」に特別な意味が付与された。もっともそれを詩への訣別だと感じたのは、わたしの感じ方にすぎないが(この詩には、ヴェルレーヌとの関係の訣別だという解釈もあるようだ)。

 3曲目はドビュッシーの「夜想曲」から「雲」と「祭」。ニュアンス豊かで正確な演奏だったと思う。交響詩「海」とは違った地味な音色は曲のゆえか。

 4曲目はスクリャービンの「法悦の詩」。フィナーレの音圧がすごかった。スクリャービンがやりたかったことはこれだったのかと納得する想いだ。そこに至るまでの焦燥感にあふれる楽想は、このカタルシスに到達するための過程にすぎないと感じた。

 以上、ブリテン、フランス音楽(ドビュッシー)、爛熟のロマン派(スクリャービン)と大野和士の各々の適性が窺えるプログラムだが、聴いた後の満足感は今ひとつだった。ブリテンならブリテンに焦点をあてて、もっと掘り下げた演奏がほしかった。大野和士の都響音楽監督就任は、わたしにとっては待望の登場だったが、少し前のめりの姿勢が感じられてならない。
(2016.6.9.サントリーホール)

追記
音楽評論家の山田治生氏のツィッターによると、大野和士は5月末にバルセロナで腰を痛めたようだ。そのため、当日は調子が悪かった可能性がある。そうだったかもしれないなと思う。
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「樹をめぐる物語」展

2016年06月05日 | 美術
 「樹をめぐる物語」展は、損保ジャパン日本興和美術館の展覧会らしく穏やかな風景画で構成されている。コローやモネのようなビッグ・ネームもあるが、名前を知らない画家の絵も多い。でも、どの絵も親しみやすい。

 ‘樹’をキーワードにして、フランスのバルビゾン派から印象派、新印象派、ナビ派、さらにはフォーヴィスムまでを辿っている。どの絵にも樹が描かれている。面白いもので、こういう展覧会だと、絵を見るときに、自然に樹に目が行く。

 目的意識のはっきりした絵も多い。荒野に直立する一本の樹とか、威厳を感じさせる古木とか‥。また、画面を引き締める役割を、樹が担っている絵も多い。森の中の風景を描いた絵の、中央にある高木とか‥。あるいはデフォルメ(ないしは図案化)の素材として樹を使っている絵もある。曲がりくねった樹をさらに画家が変形している(と思われる)絵とか‥。

 ‘樹’は意外に面白いテーマだと思った。一見平凡そうだが、じつは奥深い。今後、風景画を見るときは、樹に着目して見ることも一方法だと思った。風景画は分かりやすいので、何気なく見て、それで終わってしまうことも多いが、樹は絵の中にもう一歩踏み込むための手がかりになりそうだ。

 個々の画家では、ロベール・アントワーヌ・パンション(1886‐1943)という画家が、わたしにとっては発見だった。なによりも色がきれい。色に一種の強さがある。フォーヴィスムに近い画家かもしれない。でも、ヴラマンクのような野性的な色遣いではなく、もっと上品だ。

 パンションの絵は3点来ている。みんな気に入った。本展のホームページに画像が載っている「ブランヴィル=クルヴォンの谷」は、実物を見るともっと明るい。カンディンスキーの、抽象画に入る前の、色が踊っているような風景画に似ている。

 あとの2点は、雪が降った翌朝の道を描いた「道、雪の効果」と、小川のほとりの道を描いた「曳船道」。前者はピンク色に染まった朝の雪道が美しく、また後者は道端の木立の濃い緑が美しい。

 本展は、虚心に絵を見て、気に入ったら画家の名前を見る、という見方が相応しいと思う。そうやって見ていると、気に入った絵がいくつもあった。一つだけ例を挙げると、フレデリック・コルデ(1854‐1911)という画家の「柴の束」が、美しい紅葉の山里を描いた繊細な絵だった。
(2016.6.3.損保ジャパン日本興和美術館)

本展のHP
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ローエングリン

2016年06月02日 | 音楽
 大変失礼な話で申し訳ないが、今回の「ローエングリン」は指揮者がリスクかもしれないと思った。というのも、昨年の「ラインの黄金」では飯守マエストロの指揮に精彩がなかったからだ。でも、結論からいうと、それは杞憂だった。今回は音楽が弛緩しなかった。

 一例を挙げると、第2幕冒頭のオルトルートとフリードリヒとの対話の場面(多くの方々と同じく、わたしも一番の聴きどころだと思う場面だが)、そこにうごめく暗い情念の音楽が、遅すぎず、緩みもせず、意味深長に演奏された。心底ホッとした。

 タイトルロールのフォークトは期待通りだ。第1幕の登場の場面は空中から舞い降りる演出になっているが、小舟を曳いてきた白鳥をねぎらう第一声が、驚くほど柔らかく聴こえた。舞台に降り立つフォークトを見て分かった。あの第一声は後ろ向きで歌っていたのだ。その声が舞台装置を反響版にして客席に届いていた。なるほどと思った。

 フォークトの軽くてピュアな声は、ワーグナー歌手の歴史を塗り替えるのではないかと思うほどだ。容姿にも恵まれている。高貴で、無垢で、少年のような純粋さが感じられる。

 2005年11月の「ホフマン物語」のタイトルロールを聴いた時は、当時まったく無名だったこの歌手の信じられないような軽い声に驚嘆した。「フォークトってだれ?」と思った。でも、まさかワーグナー歌手になるとは、夢にも思わなかった。

 フォークト以外の歌手もよかった。オルトルートのペトラ・ラングは、歌はもちろんだが、ローエングリンやエルザを見据える目の演技がきまっていた。フリードリヒのユルゲン・リンは、オルトルートに従属する男を巧みに演じていた。エルザのマヌエラ・ウールは、以前ベルリンで「ダナエの愛」のタイトルロールを聴いたことがある。特徴のある声は記憶通りだが、演技は今回の方が繊細だった。ハインリヒ王のアンドレアス・バウアーは立派な声の持ち主だ。

 合唱は物量作戦に走ったきらいがある。残念ながらいつものこの合唱団のレベルには届かなかったと思う。

 演出のシュテークマンは目新しいことは何もしていない。このプロダクションはロザリエの美術・光メディア造形・衣装を楽しむためのものだ。ロザリエの舞台はデュッセルドルフでラモーの「カストールとポリュックス」を観たことがある。抽象的かつ近未来的な舞台は同じだが、「ローエングリン」の方が洗練されている。
(2016.6.1.新国立劇場)
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町内会

2016年06月01日 | 身辺雑記
 町内会の班長を頼まれた。よその班では2年交代の輪番制で回している班もあるそうだが、わたしの班ではその辺が曖昧なので、後任を引き受けてくれる人がいないかぎり、ずっとやらなければならない可能性もある。なので、躊躇したが、今の班長さんも長いので(10年くらいやったか?)、仕方なしに引き受けた。

 5月28日(土)に総会があったので出席した。総会後に懇親会があるというので、地域の人たちと顔馴染みになるよい機会だと、軽く考えていた。

 午後6時半に始まった総会は、議題が決算と予算なので、形式的な手続きで終わるのだろうと思っていたら、あに図らんや、議論百出というか、喧々諤々というか、なにやら根深い不満や(誰にたいする不満か?)、人間関係の悪さがあるようで、収拾がつかなかった。

 長らく会社勤めをしているので、隣近所しか知らず、地域とは無縁だったわたしは、心底驚いた。思わず腰が引けてしまった。9時近くになって終わったが、懇親会に出る気も失せて、早々に会場を去った。

 ところで、決算報告の中で、一つだけ気になることがあった(もっとも、質問はしなかったが)。日本赤十字社の「社資増強」に何十万円かのお金を出している点だ。町内会の会費が年間180万円程度なので、けっして小さな金額ではない。町内会として支出するなら、皆さんの了解を得ているのだろうか。そもそも、皆さんに説明しているのだろうか‥。

 そんなことが気になったのは、他の町内会の出来事が耳に入っていたからだ。その町内会では、熊本地震のための日赤の募金を、町内会の人が集めに来たというのだ。住民の一部には、なぜ日赤の募金を町内会が集めに来るのかと、疑問や不信がくすぶっているそうだ。わたし自身も、すでに何度か募金しているので、その上、町内会から募金が回ってきたらどう思うか‥。

 なんだか変だなと思った。もし今度の総会でそんなことが提案されたらどうしようと思っていた。幸いにもそういう提案はなかった。もしあったら、わたしも募金を集めに回らざるを得なかった。それってなんだろう‥。

 総会の翌日、町内会の広報担当から紙片が届き、古紙の回収にたいする区からの報奨金が何十万円か入るので、そこから今年も日赤の「社資増強」に充当する旨が書いてあった。区からの助成金も町内会の大事な財源のはずだが‥。直接会費から支出することを避けるための先人の知恵かもしれない、とは思ったが。
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