Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎&東京シティ・フィル「第九」

2010年12月29日 | 音楽
 気がついてみたら、今年も年末になってしまった。この時期になると、(もう何年も前のことだけれども)年末年始を利用して、ベルリンに行ったことを思い出す。ベルリンにはオペラ劇場が三つもあるし、オーケストラも、東京ほどではないにしても、いくつもある。大晦日にはそれぞれ個性的なオペラやコンサートをやっていた。そのなかでマレク・ヤノフスキ&ベルリン放送交響楽団の「第九」を聴きに行った。モノラル録音で聴く往年の巨匠のような演奏。会場のコンツェルトハウスを埋めた聴衆の熱狂がすごかった。ヤノフスキのベルリンでの人気はひじょうに高いそうだが、実感としてわかった。

 さて、昨日は仕事納め。去年は夜遅くまで飲んだが、今年は飯守泰次郎&東京シティ・フィルの「第九」の演奏会があるので、途中で抜け出した。普通より少し遅めの19:30開演だったので助かった。

 演奏はヤノフスキと似ていなくもなかった。あらゆる演出を排して、虚心坦懐にスコアと向き合ったもの。功名心など微塵もなく、ただただベートーヴェンの音楽に肉薄しようとする演奏だった。

 この演奏会はベートーヴェン交響曲全曲シリーズの第4回でもあった。第1回から続けているマルケヴィチ版による演奏。すでに明らかなように、マルケヴィチ版による演奏とは、膨大な校訂報告を伴うマルケヴィチ版と向き合うことによって、飯守さんが自らのベートーヴェン解釈を洗い直していることと同義だ。言い換えるなら、私たちは飯守さんの総決算に立ち会っているわけだ。

 弦は16型(第一ヴァイオリンから順に16-14-12-10-8の編成)。木管は倍管(原譜は2管編成だが、これを各4人にする編成)だった。そのわりには鳴っていなかったのはなぜだろう。

 第1楽章冒頭は時間が止まったような感覚。この演奏は悠然とした遅いテンポかと思いきや、むしろ速めのテンポで進んでいった。第2楽章も速いテンポ。第3楽章は遅めのテンポだったと思うが、粘らないので、あまり遅さを感じなかった。第4楽章もことさら面白く聴かせようとはせず、スコアをそのまま鳴らそうと努めていた。全体に淡々とした印象だが、終わったときには、感動がこみあげてきた。多分この演奏がしっかりドイツ語で語っていたからだ。手垢にまみれた日本の歳時記の「第九」とは一線を画していた。

 これで今年も終わり。では、皆さま、よいお年をお迎えください。

(2010.12.28.東京芸術劇場)
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カンディンスキーと青騎士展

2010年12月26日 | 美術
 カンディンスキーと青騎士展。ミュンヘンのレンバッハハウス美術館が改修中なので、所蔵作品が日本にきた。こういう機会でもなければ、同館を離れることはなかったと思われる作品も。

 その代表はフランツ・マルク(1880~1916)の「虎」だ。1912年の作。当時のマルクの集大成といってもよい作品。同館の至宝だ。
 マルクは、生涯、動物を描き続けた。馬、鹿、牛、虎。その絵をみると、マルクの、動物にたいする信仰のような愛着が感じられる。マルクにとっての動物とは、邪心のない無垢な存在。動物といるときにだけ、マルクの心は開放された。マルクの絵をみることは、その傷つきやすい、繊細な神経に触れることだ。

 「虎」にはキュビスム的な構成が顕著だ。画面右上から左下にかけての対角線上に、紫色の岩と虎の背中のラインがつながり、それを青い草が受け止めている。虎の下半身はプリズム的な構成のなかに溶解しているが、頭部は具象の境界にとどまっている。眼光が鋭い。これは動物の尊厳を表すとともに、マルクの心からの称賛でもある。

 もう何年も前のことになるが、同館を訪れたときに、この絵の前で初老の女性がスケッチ帳を広げて模写をしていた。部屋には私たち二人だけ。女性はいつまでも、いつまでも、模写をしていた。私も時間がたつのを忘れた。

 マルクの盟友アウグスト・マッケ(1887~1914)の「遊歩道」もきている。1913年の作。樹木の生い茂る遊歩道を人々が歩いている。画面上部には葉のかたまりを表すシャボン玉のような緑がいくつも浮かんでいる。中央の女性のパラソルの白がそのなかに映える。木に寄りかかっている男性。その身体はもう一本の木のようだ。

 解説パネルによると、マルクとマッケが出会ったのは1910年。同年にはマルクとカンディンスキー(1866~1944)も出会っている。これらの若い前衛画家たちが1911年に第1回「青騎士」展を開いた。若い情熱が一気に噴出した。しかし1914年には第一次世界大戦が勃発した。同年、一番若いマッケが戦死。カンディンスキーはロシアに帰った。1916年にはマルクが戦死した。

 本展の大半はカンディンスキーとガブリエレ・ミュンター(1877~1962)の出会いと愛を中心に構成されている。二人の関係は、人間のドラマとしても興味をかきたてられるが、長くなるので、ここでは控えたい。ともかく、抽象絵画に突入するこの時期は、カンディンスキーがもっとも輝いていたころだ。
(2010.12.24.三菱一号館美術館)
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フルシャ&都響(Aシリーズ)

2010年12月21日 | 音楽
 ヤクブ・フルシャのもう一つのプログラムは、リストの交響詩「レ・プレリュード」、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:ニコライ・ルガンスキー)、マルティヌーの交響曲第3番というもの。前半2曲は名曲コンサートのようだが、後半にマルティヌーをもってくるあたりが渋い。しかも、リスト、ショパン、マルティヌーを並べると、故郷を失った作曲家という側面がみえてくる。

 リストの「レ・プレリュード」では、演奏にも、作品にも、とくに新しい発見はなかった。

 寺西基之さんのプログラムノートには、興味深い話がのっていた。この曲は従来からラマルティーヌの詩(人生は死への前奏曲であるという趣旨)にもとづいて書かれたといわれてきたが、実はまったく別の出自だそうだ。元々はジョセフ・オートランという人の詩にもとづく合唱曲「四大元素」の序曲として作曲されたらしい。それがあたかもラマルティーヌの詩の解題のようにきかれてきたわけだ。なにか足元をすくわれた気がして、音楽の危うさを感じた。

 ショパンのピアノ協奏曲第1番では、ルガンスキーの甘さ控えめの演奏もさることながら、フルシャの指揮に感心した。頻出するテンポ・ルバートにぴったり合わせる柔軟性と、オーケストラの細かい表情付けは、並みの指揮者ではない。協奏曲のバックになると途端に不器用になる指揮者がいるが、フルシャはそうではない。

 マルティヌーの交響曲第3番では、この曲のあらゆる意味を明らかにする演奏が展開された。1944年という作曲年代を反映して、戦争の暗い影が落ちている曲だが、第1楽章の緊張した楽想のなかには、マルティヌー特有の泡立つような音型が入り込んでいるのがよくききとれた。
 第2楽章では冒頭の弦による主題が、チャイコフスキーの交響曲第5番の「運命の動機」のようにきこえた。この曲だけならそうは思わなかったかもしれないが、Bシリーズの「リディツェへの追悼」では、はっきりとベートーヴェンの交響曲第5番の「運命の動機」が引用されていたので、この曲にも引用あるいは暗示の可能性が考えられた。
 第3楽章では、闘争的な前半部分にたいして、喪失感が広がり、慟哭を抑えた後半部分に引き込まれた。コーダでは、明るく終わりそうなのに、小声でつぶやくような疑念がはさみ込まれ、強い警告で終わるのが印象的だった。

 私にはフルシャ&都響は、この曲の、私にとっての初演者として、生涯記憶にとどまると思われた。
(2010.12.20.東京文化会館)
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田中一村記念美術館

2010年12月20日 | 美術
 マイレージが少し貯まっていて、2年余り放置しているので、有効期限が気になった。そこで、週末を利用して、奄美大島に行ってみた。こういう機会でないと、少なくとも私には、なかなか行けない場所だ。もう一つは、田中一村記念美術館に行ってみたい気持ちもあった。

 奄美大島は暖かかった。空港の周辺にはサトウキビ畑が広がっていて、のどかな別天地だ。頬をなでる風が気持ちよい。タクシーで近くの海岸に行った。エメラルドグリーンの海をみながら歩いていたら、うっすらと汗が出てきた。

 田中一村(たなか・いっそん)は、1908年に栃木県に生まれ、1977年に奄美大島で没した画家。幼少のころから画才を発揮し、1926年には東京美術学校(今の東京藝術大学)に入学したが、同年6月に中退。同期には東山魁夷らがいた。
 1953年と54年に日展に出品するが落選。1957年と58年には院展に出品するがこれも落選。失意のまま1958年に奄美大島に渡った。大島紬の染色工をしながら細々と生活し、独自の作風を探求した。

 同美術館は、子供のころの作品から、独自の作風の完成まで、その生涯の変遷をたどる構成になっていた。アダンやソテツや不喰芋(クワズイモ)といった熱帯の植物に満たされた構図が、実は戦中から戦後にかけての千葉在住の時期にも(植物はちがうが)みられることが興味深かった。同質の構図が、奄美大島に渡って、熱帯の植物に出会ったことで、その意味を明らかにした。植物に埋もれて自然と一体化し、生命が解放されることが、その意味だ。

 一村は1947年に川端龍子(かわばた・りゅうし)主催の青龍展に入選した。しかし翌年の「秋晴」が落選し、袂を分かった。その「秋晴」も展示されていた。金地に描かれた力作。なぜ落選したかはわからない。もし入選していたら、と考えてしまった。入選していたら、画壇に地歩を築くきっかけになったかもしれない。そうなったら、失意に苦しむこともなく、奄美大島に渡ることもなかったろう。

 市内には一村終焉の家が残っていた。小さくて粗末な家だ。失礼ながら、掘立小屋という表現がふさわしい。一村はこの家を借りて一人暮らしをした。1977年、炊事中に倒れて亡くなった。家は別の場所から移築された。取り壊されなくてよかった。

 今年、千葉市美術館などで「田中一村展」↑が開かれた。ご覧になったかたも多いと思うが、私は行けなかった。これで溜飲が下がった。
(2010.12.19.田中一村記念美術館)
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フルシャ&都響(Bシリーズ)

2010年12月15日 | 音楽
 都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任したヤクブ・フルシャをきいた。1981年生まれのチェコの若手。2008年5月に客演したが、そのときはきけなかった。今回のプログラムはチェコ音楽の王道をいくもの。

 1曲目はドヴォルジャークの序曲「フス教徒」。この曲と次のスメタナの交響詩「ブラニーク」とは同じ素材が使われている。フス教徒の聖歌。これはスメタナの交響詩「ターボル」にも使われている。連作「わが祖国」のなかでは、第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」に共通する素材だ。今回、シテュエーションが変わって、「フス教徒」と「ブラニーク」に共通するものとしてきくと、たいへん新鮮だった。美術館でも、作品の展示を変えると、同じ作品がまったく別のものにみえるのと似ている。

 演奏にはスケールの大きい構築感があった。そこに明るい活気がみなぎっている。クライマックスに向けて追い込んでいく呼吸は特筆ものだ。都響もまったく乱れずについていった。よく鳴っていたが、それがうるさくないのが見事。

 3曲目はマルティヌーの「リディツェへの追悼」。リディツェとは、ナチス・ドイツが村ごと地上から消滅させようとして、大虐殺をおこなったチェコの村だ。第2次世界大戦では無数の悲劇が生まれた。これもその一つ。マルティヌーは当時アメリカに亡命していた。報道で事件を知り、本作を書いた。シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」のような激しい告発ではなく、暗澹たる想いに落ち込むもの。

 この曲でもスケールの大きな歌い方が目を引いた。たとえていうなら、ステージの広大な空間に、暗い旋律が大きな弧を描くようだった。

 休憩をはさんで、最後はヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」。個々のフレーズは短くて断定的。それらが一貫した流れになり、ほかのだれにも似ていない、まったく独自の音楽となって現出する。部分的には、「シンフォニエッタ」はもちろんのこと、「利口な女狐の物語」や「死の家から」のエコーがきこえる。これはヤナーチェクの語法の集大成であるとともに、類例のない、ある種の絶対的な高みにたっした作品だ。

 演奏のスケール感と活気は前出の3曲と同じ。ヤナーチェク晩年の透明感というよりも、むしろ若いエネルギーが充満していた。独唱陣はチェコとスロヴァキアから招いた歌手たち。合唱は晋友会合唱団。大健闘。
(2010.12.14.サントリーホール)
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シラノ・ド・ベルジュラック

2010年12月13日 | 音楽
 新国立劇場が名作路線をいくなかで、東京オペラ・プロデュースは埋もれた作曲家や作品を発掘して存在感を保っている。今回はアルファーノ作曲のオペラ「シラノ・ド・ベルジュラック」。

 アルファーノというと「トゥーランドット」を補筆した人というイメージがある。プッチーニの絶筆となったリューの死の後にあっけらかんとした二重唱を書いた人、というわけだ。だがWikipediaによると、私たちがきいているのはアルファーノが書いた400小節弱のうち、トスカニーニによって100小節以上カットされた版とのこと。そこには楽壇政治的な事情をふくめて、さまざまな背景があったようだ。アルファーノは激怒したらしい。岸純信さんのプログラムノートによれば、「後々まで引き受けたことを悔やみ、心の傷を抱えていた」そうだ。

 「シラノ・ド・ベルジュラック」の音楽は、これとは驚くほどちがう。台本がフランス語のせいもあるが、イタリア・オペラ的ではない、というのが第一印象だ。

 第2幕第2場、窓辺のロクサーヌに、シラノが(クリスチャンに代わって)愛の言葉を語るうちに、自らの真情が迸りでる場面では、「トリスタンとイゾルデ」や「ペレアスとメリザンド」に通じる官能の波が、ひたひたと押し寄せる。
 第3幕、ロクサーヌが戦場に現れ、クリスチャンからの手紙(実はシラノが代筆)への感動を歌い上げる場面では、唯一イタリア・オペラ的なアリアがでてくる。これはクリスチャンの心に生まれる違和感を表現するためだ。
 第4幕冒頭では、オーケストラがフランス印象主義的な音楽を鳴らす。その色彩感は眩いほどだ。

 声楽陣の充実ぶりが際立った。シラノを歌った内山信吾さんとロクサーヌを歌った大隅智佳子さんが、さすがの力量だ。脇を固めた歌手では、シラノの親友ル・ブレを歌った峰茂樹さんがよい味をだしていた。

 指揮は時任康文さん。このオペラを味わうに申し分なかった。オーケストラは東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団。フリーランサー中心かもしれない。文句なし。演出は馬場紀雄さん。第3幕幕切れの戦闘の場面では、まず隊長カルボンが敵の刃に倒れ、シラノがそのかたきを討つ、という具合に細かく演出されていた。

 エドモン・ロスタンの原作はもちろん素晴らしいが、オペラも上出来だ。好きなオペラがまたひとつ増えるとともに、アルファーノという作曲家にも興味が湧いた。
(2010.12.12.新国立劇場中劇場)
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インキネン&日本フィル

2010年12月11日 | 音楽
 12月の在京オーケストラには2人の若い首席客演指揮者が登場する。日本フィルのピエタリ・インキネンと都響のヤクブ・フルシャ。ともに個性を反映したプログラムを組んでいる。昨日はインキネン指揮の日本フィルの定期。インキネンは今シーズンから来シーズンにかけてマーラーを取り上げる。前プロがシベリウスというのがユニークだ。

 1曲目はシベリウスの組曲「クリスティアン2世」。この曲はシベリウスの親友のアドルフ・パウルという劇作家の劇にシベリウスがつけた音楽とのこと。交響詩「フィンランディア」や交響曲第1番と同時期の作品だ。第1曲「ノクターン」は、ヴァイオリンの息の長い旋律と、ヴィオラの舞曲調の動きの応答で始まる。いかにも若き日のシベリウスの音楽だ。以下、第5曲「バラード」まで性格的な音楽が続く。私たちはシベリウスのさまざまな曲に親しんでいるつもりだが、実はごく限られた曲しか知らないことがよくわかる。未知の曲がたくさんあり、私たちの発見を待っているのだ。

 インキネンの指揮は、オーケストラを煽らず、アンサンブルを整え、音楽と一体になったもの。若い伸びやかな音楽性が、曲に浸透し、濾過され、湧出してくる。

 日本フィルの演奏には、やはり伝統があるのか、と感じさせるものがあった。渡辺暁雄さんが亡くなってから20年になり、メンバーの大半は入れ替わったが、それでもなにか絶対的なものを感じた。もしかするとそれは私の幻想だったかもしれない。でも、そうあってほしいという願望は裏切られなかった。

 2曲目はマーラーの交響曲第1番「巨人」。第1楽章冒頭のフラジオレットの最弱音から、シベリウスと同様、このオーケストラの日常のレベルをこえた演奏になることを予感させた。デフォルメされたところのない、端正で、清冽な演奏。いつもの大雑把さが影をひそめていた。

 インキネンをみていると、まだ20代だったころのビエロフラーヴェクの日本フィル初登場を思い出す。音楽的な筋のよさが抜きんでていた。しかも個性を主張するに性急ではなかった。インキネンとビエロフラーヴェクではレパートリーがちがうが、資質的には似ている。

 日本フィルは、今はまだリハビリ中だ。インキネンが振ると、生まれ変わったような演奏をする。この水準を維持して、聴衆が戻ってくるのを待つしかない。ラザレフも契約を5年延長したそうだ。ラザレフともども、日本フィルを託したい。
(2010.12.10.サントリーホール)
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国際イプセン演劇祭

2010年12月08日 | 演劇
 国際イプセン演劇祭が催された。日本では初の試み。ノルウェー、ベトナム、ドイツ、日本の各国から1団体ずつ参加。文字どおり「国際」の名にふさわしい内容になった。ノルウェー国立劇場の「人民の敵」とベルリン・ドイツ座の「野がも」をみた。

 「人民の敵」はノルウェーの田舎町が舞台。町の経済をささえる温泉が汚染されていることに気づいた医師が、温泉のため、そして町のために、事実を公表しようとする。けれども、実兄である町長をはじめ、町の保守層から圧力がかかる。そのうち、最初はリベラルにみえた中間層も離れていく。最後には急進的な左派からも攻撃される。孤立無援の医師は「人民の敵」というレッテルをはられる。

 喜劇仕立ての芝居だが、喜劇の枠内には収まりきらないものがある。会場で配布された駐日ノルウェー王国大使館の「イプセン・ハンドブック」には、イプセン自身の次のような言葉が紹介されていた。

 「これを喜劇と呼ぶべきなのか悲劇と呼ぶべきか、まだ迷っています。喜劇的性格にあふれていますが、底流に横たわる主題は真面目なものだからです。」

 この言葉にある「悲劇」に着目するなら、この芝居にはギリシャ悲劇の「アンティゴネー」的な側面があると感じる。自ら信じる真実を主張すれば、社会から煙たがられ、ついには抹殺される、そういうドラマを、ギリシャ悲劇は骨太の悲劇として描き、近代劇のイプセンは喜劇として描いた、ということではないだろうか。

 演出は1970年生まれのルーナル・ホドネRunar Hodne。舞台にはなにもなく、ガランとしている。普段着の役者たちが入ってきて、稽古でも始めるように始まる。音楽もない。あるのはPAから流れてくるビート音だけ。原作は長大だが、ディテールをばっさり切り落として、1時間40分の舞台に凝縮していた。

 「野がも」は「人民の敵」の次の作品。長くなるので作品紹介は控えるが、主題は似ているといえなくもない。「人民の敵」は社会派だが、「野がも」は家庭劇なので、心理的な側面が強くなっている。そこに詩的な要素が加わっているのが特徴だ。

 演出は1965年生まれのミヒャエル・タールハイマーMichael Thalheimer。舞台の中央には巨大な白い円筒がある。抽象性の高い舞台だ。役者たちはほとんど直立したまま台詞をしゃべる。台詞には明確な緩急と、沈黙の間がつけられている。作品のシンボルである野がもは、役者の口笛で表現される。口笛のかすかな音が今でも耳に残っている。この演出も大胆に切り詰めて、1時間40分ほどに凝縮していた。
(2010.11.17「人民の敵」&26「野がも」.あうるすぽっと)
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ラ・カリスト

2010年12月06日 | 音楽
 東京室内歌劇場のオペラ「ラ・カリスト」。作曲は17世紀イタリアの作曲家フランチェスコ・カヴァッリ。

 このオペラはいつかみたいと思っていた。バイエルン州立歌劇場がピーター・ジョナス前監督の時代にモンテヴェルディとヘンデルのオペラを盛んに上演していて、そのなかに「ラ・カリスト」も入っていた。人気の演目だったらしく、再演もされた。ぜひみたいと思っていたが、日程の関係で無理だった。

 今思うと、モンテヴェルディとヘンデルをつなぐ作品として「ラ・カリスト」が入っていたのだろう。1637年にヴェネツィアで商業劇場がオープンし、お金を払えばだれでもオペラをみることができるようになった(それ以前のモンテヴェルディの時代はいわゆる宮廷オペラ)。そのとき活躍したのがカヴァッリだ。「ラ・カリスト」の初演は1651年。時代がくだって、約50年後にはヘンデルの時代が来る。

 私にとっては念願のオペラだが、結果的には志半ばに終わった。まずは演出と字幕を担当した伊藤隆浩さん。碩学の士にこういうことをいうのは気が引けるが、字幕についてはどう考えるか。プログラムノートにご自身で書いておられるが、当時の歌詞には二重の意味があって、たとえば「唇を水に濡らす」という言葉にはエロティックな含意があるそうだ。伊藤さんのとった方法は、含意のほうを字幕に出すこと。その結果、字幕にはそのものズバリの言葉が並び、うっとうしかった。このやりかたは、歌詞の表面だけを追って含意を理解しないことと同じくらい正しくない。字幕はあくまでも歌詞のとおりにして、含意は演出で表現すべきだ。肝心の演出は非力で、最後は単調になった。

 歌手にはムラがあった。よかったのはタイトルロールの末吉朋子さん。ノンヴィヴラートの声がよく通り、発音も明瞭だった。プロフィールによるとモーツァルトがレパートリーの中心のようだが、バロックオペラも期待できる。エンディミオーネ役の彌勒忠史さんもよかった。カウンターテナーの人材が育ってきている。ベテランの野々下由香里さん(ディアーナ役)はいうまでもない。

 指揮は濱田芳通さん、演奏は手兵のアントネッロ。プレトークで長木誠司さん(監修を担当)が「濱田さんには『ジャズっぽくやってよ』とお願いした」という趣旨のことを語っておられた。たしかに第1幕最後の熊の踊りなど、濱田さん自身が客席を向いてコルネットを吹奏し、スゥイング感たっぷり。
 リアライゼーションも濱田芳通さん。原譜は2本のヴァイオリンと通奏低音らしいが、これに木管、金管、打楽器などを加えてカラフルな音色にしていた。
(2010.12.4.渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール)
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カンブルラン&読売日響

2010年12月02日 | 音楽
 読売日響の11月定期は、常任指揮者カンブルランの指揮で実に凝ったプログラムを組んだ。古今のあらゆる音楽を知り尽くし、ありきたりのプログラムでは済ませないカンブルランらしいプログラムだ。

 1曲目はドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」をコンスタンが編曲した「ペレアスとメリザンド」交響曲。たとえばワーグナーの「ニーベルンクの指輪」を管弦楽曲に編曲したものがいくつかあるが、そういう作品に感じる継ぎはぎの印象がまったくない。コンスタンには同オペラを2台のピアノのために編曲した室内オペラ「ペレアスの印象」という作品があるそうだが、本作も同様の名前で呼ばれるべきものだ。演奏は、スリムで透明な音による、緊張感をはらんだもの。カンブルランの常任指揮者就任以来まだ1年もたたないのに、読売日響は今までにない個性を発揮し始めている。

 2曲目はコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はヴィヴィアン・ハーグナー。遅めのテンポで始まったこの演奏は、甘いメロディーできかせるのではなく、抑えた表現で音の構造を明確にたどるものだった。こういう演奏できくと、渡辺和さんがプログラム・ノートで指摘している第2楽章中間部の「無調風な楽想」がことのほか面白い。

 3曲目はマーラー(ブリテン編曲)の「野の花々が私に語ること」(原曲:交響曲第3番第2楽章)。ブリテンがマーラーの編曲をしているとは知らなかった。同じく渡辺和さんによると、「マーラーの弟子でもある出版者エルヴィン・シュタインの意を受け、ベンジャミン・ブリテン(1913~76)がこの巨大作品をほぼ半分の二管編成への編曲を行った」そうだ。ブリテンとマーラー、さらにはその先のベルクとのつながりを示す傍証的な作品。演奏からはカンブルランのマーラーへの適性が感じられた。

 最後はシューマンの交響曲第4番。ただし第1稿だ。シューマンはクララとの結婚の翌年のいわゆる交響曲の年に、交響曲第1番「春」とともにこれを書いた。ただ、出版はされなかった。後年デュッセルドルフに移ってから、交響曲第3番「ライン」の完成後、これを改訂した。私たちが普通にきいているのは改訂版だ。

 第1稿と改訂版との大きなちがいが数か所あり、新鮮な感じがするが、それに触れると長くなるので、今は控える。全体としてはオーケストラの音が明瞭なことに驚いた。ブルックナーの作品と同様に、改訂版は後年になってからの巨匠の筆致で厚塗りされている。ブルックナーの場合は一概にいえないが、シューマンのこの曲では断然第1稿を支持したい。演奏は気迫みなぎるもの。第1稿のよさがわかったのも演奏のおかげだ。
(2010.11.29.サントリーホール)
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パリ:画家マティス

2010年12月01日 | 音楽
 最終日はパリに移動して、ヒンデミットのオペラ「画家マティス」をみた。

 マティスは20世紀フランスの画家ではなく、ドイツ・ルネッサンスの画家。没後、忘れ去られ、その後マティアス・グリューネヴァルトという名で知られるようになった。20世紀に入ってからこれは誤りだったことが判明。正しくはMathis Gothart Neithart。

 デューラーやクラナッハと同時代人だ。マインツ大司教につかえたものの、教会や領主に立ち向かった農民戦争のさいにルター派につき、職を追われた。以後、絵筆を折って人知れず生きた。

 ヒンデミットは「イーゼンハイム祭壇画」などの諸作品をみて感銘を受け、さらにはその生涯に自らの境遇を重ね合わせて、自ら台本をかいた。作曲は1934年。当時のドイツではナチスが猛威をふるい、ヒンデミットは迫害されていた。オペラには焚書の場面が出てくるが、これは1933年に起きたナチスの焚書事件を想起させる。

 このオペラにまつわる「ヒンデミット事件」については、多言を要さないだろう。ナチスに抗してヒンデミットを擁護した指揮者フルトヴェングラーの論文は、今でも「音と言葉」のなかで読める。

 オペラの幕切れで、現実に苦悩するマティスは、農民戦争の旗を捨て、完成したばかりの絵を捨て、愛のかたみのリボンを捨てる。すべてを失ったマティスの姿は、当時のヒンデミットの心境を伝えるものだ。

 ヒンデミットに特徴的な線的書法が、このオペラでも顕著だ。随所で音楽が自らの論理で動きだし、止めようのない運動体となって進んでいく。その一方では、他の作品ではあまり記憶にないが、荘重な音楽がある。全7景で構成され、そのほとんどが荘重な音楽で閉じられている。全体的には、エモーショナルな音楽ではないが、張りつめた緊張感がある。ヒンデミットとしてもこれは当時でなければ書けなかった音楽だ。

 指揮はエッシェンバッハ。線的な部分の押しの強さもさることながら、各景を閉じる荘重な音楽に強い思い入れが感じられた。マティスを歌ったのは名バリトンのマティアス・ゲルネ。苦悩を内に秘め、それにじっと耐える表現が見事だった。

 演出はフランス人のオリヴィエ・ピィOlivier Py。各景をそれぞれ特徴的に描き分ける手法をとっていた。たとえば前奏曲ではダンサーが登場し、その踊りが「イーゼンハイム祭壇画」を模した構図に収斂したのには驚いた。上記の焚書の場面(第3景)ではナチスの親衛隊が跋扈して、暗い歴史を思い出させた。最後の第7景では無数のろうそくが美しく灯っていた。
(2010.11.22.バスティーユ歌劇場)
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