Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

北八ヶ岳ハイキング

2012年07月30日 | 身辺雑記
 東京ではうだるような暑さが続いています。クーラーのない我が家は大変です。せめてこの週末は暑さから逃げ出そうと、八ヶ岳に行ってきました。

 中央本線の茅野駅からバスに乗って北八ヶ岳ロープウェイへ(昔はピラタス・ロープウェイといっていました)。ロープウェイを降りるとそこはもう2,000メートルをこえる別世界。もちろん日差しは強いのですが、木陰に入るとさわやかです。気合を入れて歩き始めました。

 小さなピークを二つこえて麦草峠へ。ここは車道が通じています。多くのかたが来ていました。麦草ヒュッテで休憩。アイスクリームを食べたら、これが美味しかったので、もう一つ。売店の人が喜んでくれました。なんでもこのアイスクリームは長野県で一位をとった牛乳を使っているとのことでした。

 麦草峠をこえて丸山へ。何本もの倒木が横たわり、びっしりと苔がついています。京都の名刹の苔寺を想い出しました。丸山は山全体が巨大な苔寺のようなものです。こういう山は、時間を気にせずに、のんびり歩きたいものだと思いました。昔はそのよさがわかりませんでした。年をとったのかもしれません。

 丸山をこえて高見石小屋へ。好きな山小屋の一つです。いつもはすいているのですが、この日は約50人が宿泊。こんなに多いのは初めてです。さすがに夏山シーズン真っ盛りの土曜日。それでも布団は一人一枚ありました。ほかの山小屋だったらこうはいかなかったでしょう。夕食は豚肉と玉ねぎの炒め物と湯豆腐でした!

 夜は激しい雷雨がありました。けれども朝には雨も上がりました。朝食は温かいパンとスクランブルエッグ、ハムそしてソーセージ。

 山小屋を後にして中山を登りました。この山も丸山と同じです。このへん一帯は北八ヶ岳のよさが一番残っている山域だと思います。山頂をこえたところから東天狗岳と硫黄岳が目の前にそびえて見えました。毎年登っている山です。今年はどうなるか。

 黒百合ヒュッテで休憩。寒暖計を見たら14度でした。涼しいわけです。そこから渋の湯に下山。いつもの温泉は閉鎖されていました。老朽化がひどかったからなぁ――とひとり言。それでも泉質がよくて好きでした。隣の温泉へ。こちらは加水をしていました。

 バスで茅野駅へ。いつもは売り切れることが多い駅弁「元気甲斐」がまだありました。それと缶ビール2本を買い込んで乗車。時間が早いせいか、すいていました。さっそく下山祝い。
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汚れた心

2012年07月24日 | 映画
 以前、ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスについて調べている際に、ブラジル在住の日系人のことを知った。現在約140万人がいるそうだ。サンパウロ市の中心部には日本人街もある。地球の向こう側の日系人社会の存在に想いをはせた。

 映画「汚れた心」(けがれたこころ)はそのような日系人社会の秘話を描いている。時は1945年8月15日の敗戦直後。日本から捨てられ(いわゆる棄民だった)、情報が遮断されているなかで、日系人たちの多くは敗戦を信じられなかった。日本の勝利を信じる人々は「勝ち組」、敗戦を信じる人々は「負け組」といわれた(今の語義とは異なる――)。「勝ち組」は約8割、「負け組」は約2割だった。

 そのとき「勝ち組」による「負け組」へのテロが起きた。日本は負けたのだと唱える「負け組」を殺傷した。その主な団体は「臣道聯盟」(しんどうれんめい)という国粋的な団体だった。その他の団体もあった。

 この事件はその後、日系人社会のタブーになった。けれどもブラジルのジャーナリスト、フェルナンド・モライスが取材して、2001年に「汚れた心」を公刊した。これはベストセラーになった。映画「汚れた心」はそれに触発されたフィクションだ。

 テロはもちろん許されない。この映画でもけっして美化されてはいない。けれども糾弾すればそれでよいのか。それだけでは済まない事情があった。では、なにもかも戦争が悪いといえばよいのか。そこまで一般化してもまずいだろう。日本から棄てられた日系人社会で起きたこと、その重みを沈思することから始めるしかない、という気がした。

 キャストは、写真館を営む平凡な男に井原剛志。やがてテロに走るこの男の苦悩を、寡黙な演技で表現した。わたしはものがいえなくなった。その妻に常盤貴子。これまたほとんど台詞のない寡黙な役柄だ。テロに走る夫を見つめる悲しみの眼差し。テロを教唆する退役軍人に奥田瑛二。「悪」ではあるが、「悪」として断罪すれば済むのかと、わたしに問いかけた。

 監督はブラジル人のヴィセンテ・アモリン。ナチス台頭期のドイツ社会を描いた「善き人」の監督だ。あの映画はついに見逃した。見ておけばよかった。

 登場人物すべての内面に渦巻く苦悩を表現するかのように、ヴァイオリンが激しい音楽を奏でていた。だれが弾いているのかと思ったら、宮本笑里さんだった。アイドル路線で行っている人だと思っていた。それだけではないようだ。
(2012.7.23.ユーロスペース)
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小泉和裕/都響

2012年07月20日 | 音楽
 都響定期に初登場の予定だった大植英次さんが、頸椎症を起こしてキャンセルし、小泉和裕さんが代演した。頸椎症は指揮者の職業病のようなものらしい。やむを得ない。医師の診断では安静1週間だそうだ。1週間たてばケロッと治ってしまう(?)のだから、無念のキャンセルだったろう。

 頸椎症が起きたのはリハーサル初日の後だそうだ。定期の前のリハーサルは3日間なので、残りは2日間。大植さんもそうだが、オーケストラも焦っただろう。幸い小泉さんのスケジュールが空いていた――か、どうかはわからないが、なんとかスケジュール調整をすることができた。急な代演には最適な人を確保できたものだ。

 小泉さんが2日間をまるまる使えたかどうかはわからない。使えたとしても2日間、そしてゲネプロ。曲目の一部を変更した。シュトラウスの「ばらの騎士」組曲をベートーヴェンの「エグモント」序曲とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲」と「愛の死」に変更。これはなぜだろう。ちょっと興味がある。

 「エグモント」序曲は、ずっしりとした序奏、気宇壮大な主部、ともにすばらしかった。けれどもコーダに入ると、音に響きが乗りきらなくなった。歓喜の爆発が上滑りしているように聴こえた。リハーサルがもう1日あったら――、と惜しまれた。

 「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」も、出だしの音作りは入念だったが、感情のたかまりとともに音の響きが不足していった。「愛の死」も同様だった。

 上記2曲とも小泉さんの設計は明確だった。いずれも暗譜で指揮。自信の曲目なのだろう。

 最後は、大植さんのプログラムをそのまま引き継いで、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。この曲では響きが不足することもなく、安心して聴くことができた。どこをとっても入念に準備されていた。小泉さんはこの曲も暗譜。たいしたものだ。都響も小泉さんの音楽づくりがよくわかった演奏だった。

 まずは無事終了。よかったですね、――というところだが、率直にいうと、新たな個性との出会いを期待した演奏会だったので、その意味では残念だった。大植さんとの出会いでなにが起きるかは、宿題となった。大植さんは来年1月3日に都響を振る予定だ。都響の主催公演ではなく、東京文化会館の「響きの森」の一環。曲目未定。ニューイヤー・コンサート風になるのかもしれない。聴いてみたくなった。
(2012.7.19.サントリーホール)
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下野竜也/日本フィル

2012年07月15日 | 音楽
 日本フィルの定期は「日本フィル・シリーズ」(現在39曲)から4曲を選んだプログラム。大胆なプログラムだ。指揮は下野竜也さん。こういうプログラムにはこの人しかいない、という感じがする。

 1曲目は戸田邦雄(1915~2003)の「合奏協奏曲《シ・ファ・ド》」(日本フィル・シリーズ第19作、1968年)。はじめてその作品を聴く作曲家だ。全3楽章。第1楽章はヒンデミットのような感じ(「ウェーバーの主題による交響的変容」の第1楽章のようだ)。第3楽章は最後が決まらない感じ。

 2曲目は山本直純(1932~2002)の「和楽器と管弦楽のためのカプリチオ」(第10作、1963年)。テレビでブレークする前の時期だ。冒頭、箏の音が入って、日本的な情緒が広がる。するといきなり歌謡曲のようなメロディーが出てくる。これはもう笑うしかない。以下、ハチャメチャの大暴れだ。後半は「ウエストサイド物語」からの「シンフォニック・ダンス」のパロディのようだった。

 もし山本直純が生きていたら、この演奏を聴かせてあげたいと思った。日本フィルはこの曲を大切にしていますと伝えたら、どんなに喜んだことか。山本直純は日本フィルの争議のときに袂を分かったが、それから何年もたったころ、ある人が会ったら、「日本フィルはよくやっているよ」と述懐したそうだ(当時の楽員の話)。まだ生きていれば80歳。すべてを水に流すに十分な歳月だ。

 ロビーには自筆譜が展示されていた。定規で測ったように几帳面な書き方だ。「大きいことはいいことだ」のCMからは想像できない真面目な一面にふれた気がする。

 3曲目は黛敏郎(1929~1997)の「弦楽のためのエッセイ」(第9作、1963年)。出だしは雅楽のようだが、曲が進むにつれて、やっぱり20世紀の音楽だと思った。しかもそれは今では少し懐かしい20世紀の音楽だ。

 4曲目は松村禎三(1929~2007)の「交響曲第1番」(第14作、1965年)。存在の根源に向かって突き進むすさまじいエネルギーをもった曲だ。これほど真摯に自己を問い詰めた曲は他の作曲家には書けないと思う。求道的な精神の所産。黛敏郎の「涅槃交響曲」などごく少数の傑作の名に値する作品の一つだ。

 下野さんの指揮は、パワー、緻密さ、ともにすばらしく、胸がすくようだった。日本フィルのアンサンブルもいつもより一段上だった。
(2012.7.13.サントリーホール)
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広上淳一/読響

2012年07月13日 | 音楽
 広上淳一さんの指揮で読響の定期。

 1曲目は武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト」。片桐卓也さんのプログラムノーツを引用すると、「2つの音によるユニットを細かく組み合わせ」ながら、「音楽的な素材が形を取る前の姿――旋律以前、リズム以前の状態――を音として表現」した作品だ。

 日没から夜になるまでの時間――薄明(トワイライト)――を音で描いた作品。すべてのものが日中の色を失い、モノトーンの世界に沈んでいく。けれどもまだ色は残っている。なんとなく気だるい時間。時間が止まったような感覚。

 演奏は、輪郭の曖昧な音の絡み合いが、十分に表現されないうらみがあった。音の動きが表に出てしまった。そのため、この作品がどう書かれているかはよくわかったが、武満徹が意図したであろう音のイメージは得られなかった。

 2曲目はバルトークのヴィオラ協奏曲。いつものシェルイ補筆版ではなく、ピーター・バルトークとネルソン・デッラマッジョーレの校訂版(ポール・ニューバウアー再校訂の2003年版)であることが注目の的だった。

 一番驚いたことは、第3楽章の中間部でオーボエが民俗音楽的なテーマを吹いて、独奏ヴィオラがそれを引き継いだときのその奏法が、ハーモニクス(フラジオレット)だったことだ。この影響は大きい。バルトークの草稿はどうなっているのだろう。

 一方、オーケストラ・パートはシェルイ補筆版と大きなちがいはなさそうだった。この版が校訂版であって、補筆版ではない所以だろう。

 独奏ヴィオラはベルリン・フィルの首席奏者の清水直子さん。すばらしかった。今まで聴いたこの曲の演奏のなかでは、ユーリ・バシュメットの2回をふくめて、これが一番よかった。なにがよかったかというと、透徹した造形感があった。それが死を目前にしたこの時期のバルトークにふさわしかった。

 アンコールに譜面台が2つ用意された。なんだろうと思ったら、読響の首席ヴィオラ奏者の鈴木康浩さんとのデュオでバルトークの「44の二重奏曲」から2曲が演奏された。ソロではなくてデュオ。これは楽しい趣向だった。

 3曲目はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。第3楽章までは淡々と流され、第4楽章ではぐっと踏み込んだが、全体としてはまっとうな演奏だった。申し訳ないが、あまりにもまっとうなので、途中から飽きてしまった。
(2012.7.12.サントリーホール)
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松本竣介展

2012年07月09日 | 美術
 松本竣介展が開催中だ。生誕100年記念。「えっ、まだ100年なの?」と思った。もっと前の人かと思っていた。1912年生まれ、1948年没。わずか36年の短い生涯だった。

 昔、大原美術館で「都会」(1940)をはじめて観たとき、ひじょうに惹かれた。居並ぶヨーロッパの名画のなかにあって、特別な存在感を主張していた。それ以来、今に至るまで、さまざまな作品を観てきた。いつも気になる画家だった。

 本展はその画業を辿るものだ。約120点の油彩画と約60点の素描、そして手紙、写真、雑誌等の資料が展示されている。それらを観てわかったことは、松本竣介の画業が、第二次世界大戦をはさんだ激動の時代と完全にオーバーラップしていることだ。

 松本竣介は1935年の「建物」で二科展に初入選した。これはルオーのように黒くて太い線で描かれた作品だ。が、すぐに作風が変わった。前述の「都会」(1940)をふくむ数点で頂点にたっしたその作風は、さまざまなイメージが重なり合うモンタージュとよばれる幻想的なものだ。チラシ(↑)に使われている「黒い花」(1940)もその一例だ。

 しかし時あたかも第二次世界大戦に突入する時期。作品には、人通りがなく、うら寂しい、薄汚れた街の風景が描かれるようになった。そして敗戦。驚いたことには、抽象画が生まれた。茶色い画面に黒い線を引いた作品。これはなに?と思う間もなく、病気で亡くなった。

 会場では松本竣介の生涯をたどるヴィデオが上映されていた。そのなかで「生きてゐる画家」という文章が引用されていた。松本竣介が書いて雑誌「みずゑ」の1941年4月号に掲載された文章だ。よく引用される文章だが、全文を読んだことはなかった。ふと思い立って、地下の図書室に行ってみた。

 担当者にたずねると、「みずゑ」はすべてファクシミリで保存されているとのこと。さっそく調べてくれた。「ありました」の声。行ってみると、その頁がパソコンの画面に写っていた。感動した。こまかい字でびっしり5段組み。それが4頁もある。「長文ですね」とわたし。「そうですね」と担当者。

 帰りの電車のなかで読んでみた。同誌1月号に掲載された軍人3人と美術批評家1人の座談会(時局に資する作品を求めたもの)にたいする反論だ。あの時代にあってこれがどれほど勇気ある文章であったか。身がふるえる思いがした。
(2012.7.6.神奈川県立近代美術館葉山)
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ブエノスアイレスの四季

2012年07月05日 | 音楽
 去年は期待していた公演が二つ中止になった。一つはピアソラの「ブエノスアイレスのマリア」。東日本大震災の発生(というよりも原発事故の発生)が原因だった。もう一つはゴリホフの「アイナダマール(涙の泉)」。こちらは主催者側の事情が原因だった。

 「アイナダマール」は世界のどこかでたまにやられているので、いずれ観る機会があるかもしれない。けれども「ブエノスアイレスのマリア」はどうだろう。惜しい機会を逃したものだと思っていた。

 その埋め合わせでもないだろうが、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」をメインにした演奏会が開かれた。ピアソラ晩年の五重奏団でピアニストを務め、ピアソラの音楽の生き証人のような存在パブロ・シーグレルによるもの。シーグレルが編曲し、ピアノを弾き、オーケストラを指揮する演奏会だ。

 オーケストラは臨時編成の室内オーケストラ(ホルンに日本フィルからN響に移籍した福川伸陽さんが入っていた)。シーグレルはオルフェウス室内管弦楽団とも共演しているので、その経験がいかされた演奏会なのだろう。

 だが、率直にいうと、ピアソラの音楽がストリングスで流麗に演奏されることには違和感があった。ムード音楽といっては言い過ぎだが、ピアソラの牙が抜かれて、大人しくなってしまったような感じがした。場末の猥雑さがなくなり、東京オペラシティ・コンサートホールにふさわしい上品さに変身した。

 その意味では、逆に、ピアノ、ベース、ドラムス、バンドネオンの4人のセッションで演奏された「リベルタンゴ」が一番面白かった。室内オーケストラ用に編曲されたほかの曲にはないノリのよさがあった。

 「ブエノスアイレスのマリア」のなかから「フーガと神秘」も演奏された。曲としてはこれが一番面白かった。フーガとはいっても、クラシックのフーガとはちがって、もう少しシンプルなものだ。パリでナディア・ブーランジェに師事したピアソラが、フーガを習得したうえで、タンゴに応用したもの。この曲はアンコールでも演奏された。

 「ブエノスアイレスの四季」は2011年にオルフェウス室内管弦楽団の委嘱により編曲されたものがベースになっているそうだ。ゴージャスといえばゴージャスな編曲だが、彫りが深くて、聴き応えがあった。元々は独立した4曲だ。今回は、冬、秋、春、夏の順に演奏され、演奏時間約30分の大曲になっていた。
(2012.7.4.東京オペラシティ)
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MUSIC TOMORROW 2012

2012年07月01日 | 音楽
 N響のMUSIC TOMORROW 2012。今年の指揮者はイギリス(というよりもスコットランド)の指揮者=作曲家のジェームズ・マクミラン。

 1曲目は法倉雅紀(のりくら・まさき)の「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣~オーケストラのための」。N響委嘱作品。題名の漢字12文字にぎょっとする。これは万葉集(法倉氏は「萬葉集」と表記)の額田王(ぬかたのおおきみ)の和歌だそうだ。その読み方は諸説ある。だれでもぎょっとする、その衝撃力に意味がある、という趣向だ。

 弦の激しいピチカートから始まる。破壊的なインパクトのある曲。「あっ、これはなんだろう」と思わせる。だがこういう書き方はほかの現代音楽にもあるような気がする。その先のものがあるかどうかは心許なかった。

 2曲目は尾高惇忠(おたか・あつただ)の「交響曲~時の彼方へ~」。尾高賞受賞作品。仕上げのよいテクスチュアーをもつ曲だ。デュティユーそっくり。デュティユーはデュティユーでよいが(わたしは好きだ)、さてそこを抜けたものがあるかどうか――。名門にふさわしい保守性を備えた曲、といえばいえるが、ひどくのんびりした曲に聴こえた。

 3曲目はマグヌス・リンドベルイの「パラダ」。これは音の鮮度がちがった。高橋智子氏のプログラム・ノートによると「光り輝く音のカーテン」と評されるそうだ。夜空にゆらめくオーロラ(わたしは一度だけカナダの山中で見たことがある)のような感じがした。

 三橋圭介氏によると「シベリウスの《交響曲第5番》の第1楽章にヒントを得た作品」だそうだ。なるほど、そうかもしれない、という気がした。リンドベルイ(1958~)と同世代のダルバヴィ(1961~)もそうだが、過去の音楽との断絶よりも、むしろ積極的なつながりを試みる動向があるのかもしれない。

 これはわたしたちの音楽環境と一致している。わたしたちはCDを取り換えながらシベリウスを聴いたり、現代音楽を聴いたりしている。そのような音楽環境とかみ合っているのだ。目の前の膨大な過去の作品と現代の作品。そこを肯定的に貫く方法として、意外に可能性を秘めているのかもしれない。

 4曲目は指揮者マクミランの「ヴァイオリン協奏曲」。2010年にレーピンのヴァイオリン独奏、ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団で初演されたそうだ。いかにもレーピンを想定したようなソロ・パートを、諏訪内晶子さんがアグレッシヴに弾き切った。
(2012.6.29.東京オペラシティ)
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