平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

陰獣 江戸川乱歩

2007年03月14日 | 小説
 江戸川乱歩の「陰獣」。
 普通の探偵小説であれば、「目の前で起きた事件」と「その事件の裏に隠された真相・真実」の2つで構成されるものであるが、この作品は3つある。
 これがこの作品の面白さになっている。
 まず事件はこう。
 探偵小説家・大江春泥が小山田静子に復讐を企てる。
 送りつけられる脅迫文、そして夫・六郎の隅田川での怪死。
 これを静子に依頼された探偵役の作家の「わたし」が謎を解く。
 「わたし」が謎解きの末、たどり着いたこと(実は真相ではないのだが)とはこうだ。
 実は犯人は夫の六郎。
 サディストの六郎は静子を怖がらせるため、春泥を名乗って脅迫文を送った。
 六郎の静子を怖がらせて楽しむ快楽はエスカレートし、かつらを被って静子を驚かそうとした瞬間、屋根から隅田川に落ちて死んでしまった。
 通常の推理小説ではこれで終わりだが、さらにひねった真相が用意されている。
 このさらにひねった真相というのが素晴らしい。
 ネタバレになるので書かないが、それは謎の探偵小説家・大江春泥の正体にも関わって実に衝撃的だ。

 そしてこの作品、他の乱歩作品と同様、異常な人間心理というものを描いている。
 まずは空想と現実。
 「わたし」は静子に復讐しようとしている春泥を「空想的犯罪者」から「現実に犯罪を行う様になってしまった人間」と分析する。
 以下、引用。
「かれは一個の『空想的犯罪生活者』であった。かれは、ちょうど殺人鬼が人を殺すのと同じ興味を持って、同じ感覚をもって、原稿用紙の上に、かれの血みどろの犯罪生活を営んでいたのだ」
「かれはある小説で、次のような不気味なことばをさえもらしていた。『ついにかれは単なる小説の世界では満足できないときが来るのではありますまいか。かれはこの世のあじけなさ、平凡さにあきあきして、かれに異常な空想を、せめては紙の上に書きあらわすことを楽しんでいたのです。それが彼が小説を書き始めた動機だったのです。でも、かれは今、その小説にさえあきあきしてしまいました。このうえは、かれはいったいどこに刺激を求めたらいいのでしょう。犯罪、ああ、犯罪だけが残されていました。あらゆることをし尽くしたかれの前に、世にも甘美なる犯罪のせんりつだけが残されてしました』」
 現在では、空想の世界だけに留まらず現実の世界で犯罪を犯してしまった人間のニュースが報道されているが、乱歩の時代にこの様な人物像を描き出せたというのは画期的だ。

 次にこの作品で乱歩が描いたのは、サディズム・マゾヒズム。(現在では異常とは言えないが)
 静子は夫・六郎に乗馬の鞭で打たれていた。
 以下、引用。
「わたしはうかつにも、その時になってはじめて、彼女のうなじのみみずばれの、あの不思議ななぞを解くことができた。彼女のあの傷あとは、見る度事に位置と形状が変わっていたようである。当時は変だなとは思ったのだけれど、まさかあの温厚らしいはげ頭の夫が、世にもいまわしい残虐色情者であったとは気づかなかった」
 こんな描写もある。
 主人公の「わたし」がサディズムに魅せられる描写である。
「(彼女の)の肉体の魅力が、にわかに現実的な色彩を帯びて、わたしに迫ってくるのであった。ことにも、わたしが偶然彼女の寝室から外国製らしい小型のむちを見つけ出してからというもの、わたしの悩ましい欲望は、油を注がれたように、おそろしい勢いで燃え上がっていったのである」
 そして蔵の中で「わたし」と静子は情事を行う。
 以下、引用。
「わたしは生まれて初めて、女というものの情熱の激しさを、すさまじさをしみじみと味わった」
「ある日、静子がシャクヤクの大きな花束の中に隠して、例の小山田氏常用の外国製乗馬むちを持ってきた時には、わたしは何だか怖くさえなった。彼女はそれをわたしの手に握らせて、小山田氏のように彼女のはだかを打擲(ちょうちゃく)せよと迫るのだ」
「おそらくは、長い間の六郎氏の残虐が、とうとう彼女にその病癖を移し、彼女は被虐色情者の耐え難い欲望にさいなまれる身となりはてたのである。そして、わたしもまた、もし彼女との逢瀬がこのまま半年続いたなら、きっと小山田氏と同じ病に取り憑かれてしまったに相違ない」
 乱歩の世界にはエロティックな要素が満ち溢れている。


★追記
 こんな心理分析もある。
 真犯人の動機にあたる心理だ。
 以下、ネタバレ。

「ヒステリー性の女性はしばしば自分で自分に当てて脅迫状を送るものだそうです。つまり自分でもこわがり、他人にも気の毒がってもらいたい心持ちなんですね。あなたもきっとそれなんだと思います。同時に、あなたは年をとったあなたの夫に不満を感じていた。そして、夫の不在中に経験した変態的な自由の生活にやみがたいあこがれをいだくようになった。いや、もっと突っ込んで言えば、かつてあなたが春泥の小説の中に書いたとおり、殺人そのものに、言い知れぬ魅力を感じたのだ。それはちょうど春泥という完全にゆくえ不明になった架空の人物がある。このものにけんぎをかけておいたならば、あなたは永久に安全でいることができたうえ、いやな夫には別れ、ばくだいな遺産を受け継いで、半生をかって気ままにふるまうことができる」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする