イングマール・ベルイマンの「叫びとささやき」。
赤い部屋の中での三姉妹を描くことで人間の人生というものを描いている。
カリーンは拒絶と憎しみに生きている人間。
母に愛されなかったこと、逆に母に愛された妹への憎しみ。
そんなことから心を閉ざしてしまった。
そして時々キレる。
夫に体を求められた時、カリーンは怒りから自分の体を傷つける。
マリーアは人間に対して奔放な女性。
過去に情事もあった。
姉のカリーナに対しては「近づきたいの。本音の話がしたいわ」と迫る。
本音で話したカリーンの言葉は次のような辛辣なものであったけれど。
「今まで黙っていたけど、あなたが嫌い。あなたの優しさっていうのもうわべだけ取り繕うのはやめなさい」
カリーンはマリーアが人から好かれるため演技している人間であることを見抜いている。例えば、他の男との情事がそう。夫にはいい妻を演じている。
アングネスは病床で死を待つばかりの女性。
カリーンもマリーアもこのアングネスの看病のためにこの赤い部屋にやって来た。
アングネスは病気の苦しみの中で叫び、人に救いを求める。
「話しかけて、触って、あたためて」
そして彼女は一方で幸せだ。
彼女は病床で日記を書く。
「姉と妹と侍女のアンナがよく看病してくれる。とても嬉しい」
まだ歩けるほど元気だった頃にはこんなことも書いていた。
「今日、姉と妹が訪ねて来てくれた。久しぶりに外に出て姉たちと散歩する。大切な人たちがそばにいてくれて笑っていてくれる。至福の時間。時間よ、止まれ」
しかし、そんなアングネスの幸せな想いも実は幻想であることをこの作家は描いてみせる。
アングネスが死に姉と妹の本音が出る。
死んだアングネスの魂は天国に行くことを躊躇い、さまよって姉たちに救いを求める。アングネスの魂は姉たちに言う。
「手をとってあたためて、ここは虚無の世界よ」
それに対してカリーンは言う。
「あなたの死に関わりたくない。あなたを愛していないから。このまま大人しく死になさい」
マリーアはうわべだけ「大丈夫? わたしは妹だもの、話を聞くわ」と言って語りかけるが、アングネスが怖ろしい形相で彼女の手を掴むと振りほどいて逃げる。
アングネスが信じていた姉と妹の愛は嘘だったのだ。
タイトルの「叫びとささやき」とは人間の生きる様を現している。
叫びは例えば、病気の苦しさであげる叫び声、夫や妹にあげる怒りの声。
囁きとは日常の声、愛を囁く声、嘘を囁く声。
そして作家はラストこういう言葉で結ぶ。
「叫びもささやきもかくして沈黙に帰した」
沈黙とは死。
人は叫び声をあげ、囁きの言葉を口にしながら死んでいく。
カリーン、マリーア、アングネス、三人三様の人生を送っているが、いずれも叫びとささやきを繰り返して生きて死ぬことには変わりがないのだと描いている。
そして問うている。
カリーン、マリーア、アングネス、いずれの生き方が幸せであろうかと。
ベルイマンに影響を受けているウディ・アレンなどは、アングネスの人生を支持している様であるが。
『たとえそれが幻想であっても、至福の時間が一瞬でもあれば人生には意味があるのだ』と。
★追記
マリーナがかつて情事のあった医者に再び情事を求めるシーンが残酷でつらい。
医者はマリーンの姿を鏡に映して言うのだ。
「目尻には人生に退屈した皺、口には欲求不満、耳からあごの線がぼんやりしている。厚化粧。正面からわたしを見つめられない。怠惰と自己満足と無関心がそうさせた」
ここには失われてしまった若さ、老いの苦しみが表現されている。
時を刻む時計も怖い。
病床で死を待つばかりのアングネスには気になってしょうがない。
自分はこの時計が何回時を刻んだら死んでしまうのだろうという想いがついてまわるからだ。
赤い部屋の中での三姉妹を描くことで人間の人生というものを描いている。
カリーンは拒絶と憎しみに生きている人間。
母に愛されなかったこと、逆に母に愛された妹への憎しみ。
そんなことから心を閉ざしてしまった。
そして時々キレる。
夫に体を求められた時、カリーンは怒りから自分の体を傷つける。
マリーアは人間に対して奔放な女性。
過去に情事もあった。
姉のカリーナに対しては「近づきたいの。本音の話がしたいわ」と迫る。
本音で話したカリーンの言葉は次のような辛辣なものであったけれど。
「今まで黙っていたけど、あなたが嫌い。あなたの優しさっていうのもうわべだけ取り繕うのはやめなさい」
カリーンはマリーアが人から好かれるため演技している人間であることを見抜いている。例えば、他の男との情事がそう。夫にはいい妻を演じている。
アングネスは病床で死を待つばかりの女性。
カリーンもマリーアもこのアングネスの看病のためにこの赤い部屋にやって来た。
アングネスは病気の苦しみの中で叫び、人に救いを求める。
「話しかけて、触って、あたためて」
そして彼女は一方で幸せだ。
彼女は病床で日記を書く。
「姉と妹と侍女のアンナがよく看病してくれる。とても嬉しい」
まだ歩けるほど元気だった頃にはこんなことも書いていた。
「今日、姉と妹が訪ねて来てくれた。久しぶりに外に出て姉たちと散歩する。大切な人たちがそばにいてくれて笑っていてくれる。至福の時間。時間よ、止まれ」
しかし、そんなアングネスの幸せな想いも実は幻想であることをこの作家は描いてみせる。
アングネスが死に姉と妹の本音が出る。
死んだアングネスの魂は天国に行くことを躊躇い、さまよって姉たちに救いを求める。アングネスの魂は姉たちに言う。
「手をとってあたためて、ここは虚無の世界よ」
それに対してカリーンは言う。
「あなたの死に関わりたくない。あなたを愛していないから。このまま大人しく死になさい」
マリーアはうわべだけ「大丈夫? わたしは妹だもの、話を聞くわ」と言って語りかけるが、アングネスが怖ろしい形相で彼女の手を掴むと振りほどいて逃げる。
アングネスが信じていた姉と妹の愛は嘘だったのだ。
タイトルの「叫びとささやき」とは人間の生きる様を現している。
叫びは例えば、病気の苦しさであげる叫び声、夫や妹にあげる怒りの声。
囁きとは日常の声、愛を囁く声、嘘を囁く声。
そして作家はラストこういう言葉で結ぶ。
「叫びもささやきもかくして沈黙に帰した」
沈黙とは死。
人は叫び声をあげ、囁きの言葉を口にしながら死んでいく。
カリーン、マリーア、アングネス、三人三様の人生を送っているが、いずれも叫びとささやきを繰り返して生きて死ぬことには変わりがないのだと描いている。
そして問うている。
カリーン、マリーア、アングネス、いずれの生き方が幸せであろうかと。
ベルイマンに影響を受けているウディ・アレンなどは、アングネスの人生を支持している様であるが。
『たとえそれが幻想であっても、至福の時間が一瞬でもあれば人生には意味があるのだ』と。
★追記
マリーナがかつて情事のあった医者に再び情事を求めるシーンが残酷でつらい。
医者はマリーンの姿を鏡に映して言うのだ。
「目尻には人生に退屈した皺、口には欲求不満、耳からあごの線がぼんやりしている。厚化粧。正面からわたしを見つめられない。怠惰と自己満足と無関心がそうさせた」
ここには失われてしまった若さ、老いの苦しみが表現されている。
時を刻む時計も怖い。
病床で死を待つばかりのアングネスには気になってしょうがない。
自分はこの時計が何回時を刻んだら死んでしまうのだろうという想いがついてまわるからだ。