「花は散るのではない。解き放たれるのじゃ。
人も花と同じじゃ。解き放たれて旅立つ。お前を惜しみなく降り注ぐ場所に」
こうして文(井上真央)は、家と松下村塾から解き放たれて、ひとり歩んでいくことになった。
彼女は新たに自分の居場所を探さなくてはならない。
それは安らぎや甘えのない苦難の道。
覚悟する文。
桜の花はさまざまなイメージで使われますね。
『花神』では、花を咲かせる人~明治維新をつくった人。
『八重の桜』では、八重の人としての開花。
『秀吉』では、散る桜の中での大往生で、豊かな世の中をつくったことと死を表現。
それで、今作では、散ること~解放ですか。
父・百合之助(長塚京三)は最後まで<土の人>でしたね。
地に足をつけて、カブを掘っていた。
あとは家族が帰ってくれば風呂。
そこには生活があり、変わらぬ営みがある。
杉家の人たちは、思想やイデオロギーといった頭の中の世界とは別の世界に生きている。
<地に足をつけた世界>と<頭の中の世界>
思想・イデオロギーが生活より高級だというのは間違いですね。
思想・イデオロギーは、しばしば争い事を引き起こす。
<尊皇攘夷>か? <佐幕開国>か?
高杉(高良健吾)たちと椋梨(内藤剛志)の戦いはまさにそれだった。
椋梨と美鶴様(若村麻由美)には同情を禁じ得ない。
何しろ藩を危機に追いやったのは、久坂玄瑞(東出昌大)や高杉たちで、椋梨はその後始末をしただけ。
首謀者の首を差し出さなければ藩は潰されていただろうし、高杉たちが過激だったから、力には力をで、押さえつけた。
現に椋梨は文にこう語っている。
「政(まつりごと)とは変わらぬ営みを守ることじゃ」
文は「久坂も同じだった」と返したが、藩を危機に追いやったのだから、それは違うだろう。
もっとも大きな目で見れば、結果的に明治維新がなって外国の植民地化から免れたのだから、「変わらぬ営みを守った」のかもしれないが。
蛇足だが、山口県出身の安倍首相には、長州のメンタリティがあるのかもしれません。
外国からの脅威から国を守るためには、既存の考え方である憲法9条は邪魔で、集団的自衛権を通さなければならない。
外国に弱腰な民主党は幕末における幕府と同じ。
でもな~。
歴史から学ぶのは大切だが、幕末のモデルをそのまま現代に当てはめるのはどうだろう?
それに明治維新がならなかったらならなかったで、別のもっと良い歴史があったかもしれないし。
いずれにしても高杉たちは、安倍首相が「日本を取り戻す!」と言って政権についたように、「長州を取り戻す!」と言って藩の実権を握りました。