今の状況を見ていると、ジョージ・オーウェルの『1984』を思い出す。
この作品の支配者たちは、政権に不都合な言葉を排除し、無力化するのだ。
たとえば、<民主主義><国際協調主義><道徳><学問><正義>といった言葉。
これらの言葉をなくしてしまえば、国民は物事を深く考えることができなくなる。
<自由>という単語も、「この犬はシラミから自由である(シラミから免れている)」「その畑は雑草から自由である(雑草から免れている)」という使い方はされるが、政治的な自由、知的な自由といった概念で使われることはない。
こうして人々の意識から<自由>という概念は失われていく。
言葉の言い換えもなされる。
戦争をおこなう役所なのに<平和省>
欠乏状態にある物資や食料を配給する役所は<豊富省>
党のプロパガンダを新聞などを通じて発信する役所は<真理省>
挙げ句の果てに、党のスローガンは次のようなものである。
・戦争は平和である (WAR IS PEACE)
・自由は屈従である (FREEDOM IS SLAVERY)
・無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)
以上の3つを国民は毎日聞かされていくうちに信じるようになる。
言葉を管理され、情報統制もされているので、次第に洗脳されていく。
さて、安倍政権。
安倍政権がやっていることって、まさに『1984』の世界ではないか?
・海外に積極的に自衛隊を派兵する戦争法案なのに<平和安全法制>。
・武器輸出は、<防衛装備移転>。
・戦闘部隊に武器や物資を提供する兵站は<後方支援>。
・生物化学兵器、劣化ウラン弾、クラスター爆弾、核ミサイルは<弾薬>。
まさに言葉の言い換え。
安倍首相は広島の平和記念式典で「非核三原則」に言及しなかったが、これなどはまさに『1984』の言葉の排除ではないか。
「非核三原則」という言葉が使われず、人々の意識から薄れていけば、いずれは消滅する。
本日、発表される戦後70年談話では、当初、安倍首相は<侵略>という言葉を外そうとしたらしい。
これがまかり通ると、いずれ日本人の頭から「大東亜戦争は侵略戦争だった」という意識が失われる。
・戦争は平和である。
・自由は屈従である。
・無知は力である。
というスローガンも決して小説世界の中だけのものではない。
現在の日本では、以下のような論理が日常的に飛び交っている。
・戦争は平和である →戦争して敵を排除することによって平和は保たれる。
・自由は屈従である →国によって個人の自由が保障されているのだから、国を守るために屈従して奉仕しなければならない。他国に侵略されたら自由は失われる。
・無知は力である →知識をもって、いろいろなことを考えるから迷うのだ。何も考えず、ただ上の者の命令に従え。
というわけで、ジョージ・オーウェルが『1984』で書いたことが、まさに実現されようとしている現在の日本。
安倍政権の中枢には『1984』を読み込んだ人間がいるのではないか?
本日、発表される安倍首相の戦後70年談話。
この談話では、どのような言葉が外されるのだろうか?
この作品の支配者たちは、政権に不都合な言葉を排除し、無力化するのだ。
たとえば、<民主主義><国際協調主義><道徳><学問><正義>といった言葉。
これらの言葉をなくしてしまえば、国民は物事を深く考えることができなくなる。
<自由>という単語も、「この犬はシラミから自由である(シラミから免れている)」「その畑は雑草から自由である(雑草から免れている)」という使い方はされるが、政治的な自由、知的な自由といった概念で使われることはない。
こうして人々の意識から<自由>という概念は失われていく。
言葉の言い換えもなされる。
戦争をおこなう役所なのに<平和省>
欠乏状態にある物資や食料を配給する役所は<豊富省>
党のプロパガンダを新聞などを通じて発信する役所は<真理省>
挙げ句の果てに、党のスローガンは次のようなものである。
・戦争は平和である (WAR IS PEACE)
・自由は屈従である (FREEDOM IS SLAVERY)
・無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)
以上の3つを国民は毎日聞かされていくうちに信じるようになる。
言葉を管理され、情報統制もされているので、次第に洗脳されていく。
さて、安倍政権。
安倍政権がやっていることって、まさに『1984』の世界ではないか?
・海外に積極的に自衛隊を派兵する戦争法案なのに<平和安全法制>。
・武器輸出は、<防衛装備移転>。
・戦闘部隊に武器や物資を提供する兵站は<後方支援>。
・生物化学兵器、劣化ウラン弾、クラスター爆弾、核ミサイルは<弾薬>。
まさに言葉の言い換え。
安倍首相は広島の平和記念式典で「非核三原則」に言及しなかったが、これなどはまさに『1984』の言葉の排除ではないか。
「非核三原則」という言葉が使われず、人々の意識から薄れていけば、いずれは消滅する。
本日、発表される戦後70年談話では、当初、安倍首相は<侵略>という言葉を外そうとしたらしい。
これがまかり通ると、いずれ日本人の頭から「大東亜戦争は侵略戦争だった」という意識が失われる。
・戦争は平和である。
・自由は屈従である。
・無知は力である。
というスローガンも決して小説世界の中だけのものではない。
現在の日本では、以下のような論理が日常的に飛び交っている。
・戦争は平和である →戦争して敵を排除することによって平和は保たれる。
・自由は屈従である →国によって個人の自由が保障されているのだから、国を守るために屈従して奉仕しなければならない。他国に侵略されたら自由は失われる。
・無知は力である →知識をもって、いろいろなことを考えるから迷うのだ。何も考えず、ただ上の者の命令に従え。
というわけで、ジョージ・オーウェルが『1984』で書いたことが、まさに実現されようとしている現在の日本。
安倍政権の中枢には『1984』を読み込んだ人間がいるのではないか?
本日、発表される安倍首相の戦後70年談話。
この談話では、どのような言葉が外されるのだろうか?