平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

終戦記念日~70年間、戦場でひとりも殺されなかったし、殺さなかったという歴史は誇りである

2015年08月16日 | 事件・出来事
 終戦記念日。
 昨夜、TBSの特番で久米宏さんが「どうして8月15日よりもっと前に戦争をやめられなかったのか?」と言っていたが、僕もそう思う。
 戦争指導者がもっと早く決断していたら、広島・長崎の原爆投下はなかった。
 4人にひとりがなくなったという沖縄戦もしなくて済んだかもしれない。

 戦争指導者が戦争をやめられなかったのは<国体の護持>と<自らの保身>のためである。
 戦場の兵士には「生きて虜囚の辱めを受けず」と、捕虜にならずに自殺することを強要してたのにね。
 国体の護持に関しても、大日本帝国はなくなったけど、新しく日本国はうまれた。
 国家とはそういうものである。
 そして、時として国家は、国民に国のために命を捨てろ、奉仕しろと強要してくる。
 法を無視し、個人の人権を否定しようとする。
 ですから、やたら「国」「国」という政治家は信用しない方がいいです。
 そう言えば、自民党とかいう政党には、法を無視していいという首相補佐官や人権や国民を否定する政治家がいましたね。
 危ない、危ない。

 昨日は靖国神社に多数の政治家が参拝した。
 閣僚からは、高市早苗総務相、有村治子女性活躍担当相。自民党の幹部からは稲田朋美政調会長や古屋圭司前拉致問題担当相など。
 靖国に関しては、僕は昭和天皇と同じ考えだ。
 少なくとも戦争指導者(=A級戦犯)が祀られている場所に参拝など行けない。
 先にも述べたとおり、戦争指導者がもっと早く終戦を決めていれば、広島・長崎はなかったし、そもそも無謀な戦争を始めなければ、多くの兵士が死ぬことも空襲で市民が死ぬこともなかった。
 彼らの責任は大きい。
 もしA級戦犯が戦勝国の東京裁判によって一方的に押しつけられたものだというのなら、戦後70年、われわれ日本人の手で改めて裁判をやりましょう。
 ただし、あの戦争は誰も悪くない。戦争を支持したすべての国民が悪かったという一億総懺悔的な結論はナンセンス。

 戦後70年。
 70年間、戦場でひとりも殺されなかったし、殺さなかったという歴史は誇りである。
 ところが現在、それを誇りにしない勢力が出てきている。
 戦場で血を流すことが、美しい国だと考える連中がいる。
 安倍首相とその取り巻きはやばいな。
 戦争法案もやばいな。
 以下はSEALDsという戦争法案に反対する学生グループが言っていることですが、心から共感する。

 戦後100年を迎えた時も、日本は戦場でひとりも殺されなかったし、殺さなかったと言える国であってほしい。

コメント
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