日常で起こる何気ない出来事の謎を解き明かしていく北村薫さんの落語家・円紫さんシリーズ。
そのミステリーパートも魅力だが、主人公の女子大生の人物造型も読む者を引き込む。
「空飛ぶ馬」では、主人公はこんな童話談義をする。
「あたし、子供の時、アンデルセンって大嫌いだったんだ。『みにくいあひるの子』が白鳥になるなんて許せなかったのよ。それだったら何の苦しみもありゃあしない。あたしはあのあひるの子はどこかで泥まみれになって野垂れ死にしたって思うのよ。その死ぬ間際に見た夢が、最後の白鳥になる部分。あれは、ただ一瞬の幻想なのね」
主人公の友人・正ちゃんの言葉。何とも現実的だ。
これに対して、口を挟む気になった主人公はこんな童話体験を話す。
「頭に残ってる話なら、私にもあるわ。小川未明の短い話。題は忘れちゃったけど、子供が綺麗な鳥を採ろうとして木に登るのよ。鳥は結局採れないで、<美>というか<夢>というか、とにかくそれを求めたためにその子は木から落ちて一生腕だか脚だか動かなくなるの。童話でそういうのってないでしょう。ぎょっとしちゃった。ちょっと忘れられないわよ」
現実とはこの小川未明の童話のようなものかもしれない。
大人になろうとしている主人公はそんなふうに思っている。
だが、一方でこんなふうにも現実を見ている。
ある時、ご近所のトコちゃんという幼稚園児のクリスマス会のビデオ撮影を頼まれる主人公。
トコちゃんの通う幼稚園は主人公もかつて通っていた所だ。
久しぶりに母校の幼稚園に入って主人公はこんなふうな感想を持つ。
「幼児の頃はもうはるかに遠い昔で、大袈裟に言えば私にとって飛鳥時代も同様である。それなのに建物は昔のままであり、ジャングルジムなどの遊び道具も配置こそ変わっているが、中には残っているものがある。ただ総てが魔法の薬でもかけたように小さくなっていた」
ここで面白いのは<魔法の薬でもかけたように小さくなっていた>と主人公が感想を抱く所だ。
あるいは主人公はクリスマスの飾りつけをした幼稚園の部屋を見て空想の中でタイムスリップする。
「思いは瞬時に十数年の時を越えた。秘密めいたその部屋の、真ん中に仕切られたアコーディオン・カーテンの向こうに胸をときめかせた子供達がいた。くすくすと興奮のあまり笑い出しそうになっているのは男の子より強いみさちゃんだ。風邪気味のよっちゃんはコンコンとせきをしている。おしゃれなまきちゃんは靴下や襟元を気にしている。けいちゃんは太鼓のばちでポンポンと肩をたたいている。そして、列のはじっこに唇をきゅっと結んだ無口な女の子がうつむいている」
主人公はこんなふうにファンタジックな日常を生きている。(ちなみに<列のはじっこに唇をきゅっと結んだ無口な女の子>とは主人公のことだ)
実に魅力的な主人公だ。
彼女のファンタジックな日常はラストのこんな描写にも現れる。
それは謎が解明されて帰宅する途中、牡丹雪が降ってきた時のこと。
「勤め人風の人がコートの襟を立てて速足に過ぎていく。明日は一面の銀世界となるのかもしれない。私は手を上げ、白い踊り子を再び宙に舞わせた。そして思った。人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る。私の馬よ。その瞳よ、たてがみと、蹄よ。素直に、愛しく幻想を抱くことが出来た。私が生まれたのは真夜中近くだったという。家に着くのがちょうどその頃だろうか。今夜は丁寧に髪を洗おう。いよいよ数を増す白銀の天の使いに、私はそっと呼びかけた。それまでは、雪よ、私の髪を飾れ」
何という豊かな感性。
牡丹雪が降る現実世界が、主人公の目にはこう見えている。
こういう表現に触れるとワクワクしてくる。
これが小説を読む愉しみだ。
そのミステリーパートも魅力だが、主人公の女子大生の人物造型も読む者を引き込む。
「空飛ぶ馬」では、主人公はこんな童話談義をする。
「あたし、子供の時、アンデルセンって大嫌いだったんだ。『みにくいあひるの子』が白鳥になるなんて許せなかったのよ。それだったら何の苦しみもありゃあしない。あたしはあのあひるの子はどこかで泥まみれになって野垂れ死にしたって思うのよ。その死ぬ間際に見た夢が、最後の白鳥になる部分。あれは、ただ一瞬の幻想なのね」
主人公の友人・正ちゃんの言葉。何とも現実的だ。
これに対して、口を挟む気になった主人公はこんな童話体験を話す。
「頭に残ってる話なら、私にもあるわ。小川未明の短い話。題は忘れちゃったけど、子供が綺麗な鳥を採ろうとして木に登るのよ。鳥は結局採れないで、<美>というか<夢>というか、とにかくそれを求めたためにその子は木から落ちて一生腕だか脚だか動かなくなるの。童話でそういうのってないでしょう。ぎょっとしちゃった。ちょっと忘れられないわよ」
現実とはこの小川未明の童話のようなものかもしれない。
大人になろうとしている主人公はそんなふうに思っている。
だが、一方でこんなふうにも現実を見ている。
ある時、ご近所のトコちゃんという幼稚園児のクリスマス会のビデオ撮影を頼まれる主人公。
トコちゃんの通う幼稚園は主人公もかつて通っていた所だ。
久しぶりに母校の幼稚園に入って主人公はこんなふうな感想を持つ。
「幼児の頃はもうはるかに遠い昔で、大袈裟に言えば私にとって飛鳥時代も同様である。それなのに建物は昔のままであり、ジャングルジムなどの遊び道具も配置こそ変わっているが、中には残っているものがある。ただ総てが魔法の薬でもかけたように小さくなっていた」
ここで面白いのは<魔法の薬でもかけたように小さくなっていた>と主人公が感想を抱く所だ。
あるいは主人公はクリスマスの飾りつけをした幼稚園の部屋を見て空想の中でタイムスリップする。
「思いは瞬時に十数年の時を越えた。秘密めいたその部屋の、真ん中に仕切られたアコーディオン・カーテンの向こうに胸をときめかせた子供達がいた。くすくすと興奮のあまり笑い出しそうになっているのは男の子より強いみさちゃんだ。風邪気味のよっちゃんはコンコンとせきをしている。おしゃれなまきちゃんは靴下や襟元を気にしている。けいちゃんは太鼓のばちでポンポンと肩をたたいている。そして、列のはじっこに唇をきゅっと結んだ無口な女の子がうつむいている」
主人公はこんなふうにファンタジックな日常を生きている。(ちなみに<列のはじっこに唇をきゅっと結んだ無口な女の子>とは主人公のことだ)
実に魅力的な主人公だ。
彼女のファンタジックな日常はラストのこんな描写にも現れる。
それは謎が解明されて帰宅する途中、牡丹雪が降ってきた時のこと。
「勤め人風の人がコートの襟を立てて速足に過ぎていく。明日は一面の銀世界となるのかもしれない。私は手を上げ、白い踊り子を再び宙に舞わせた。そして思った。人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る。私の馬よ。その瞳よ、たてがみと、蹄よ。素直に、愛しく幻想を抱くことが出来た。私が生まれたのは真夜中近くだったという。家に着くのがちょうどその頃だろうか。今夜は丁寧に髪を洗おう。いよいよ数を増す白銀の天の使いに、私はそっと呼びかけた。それまでは、雪よ、私の髪を飾れ」
何という豊かな感性。
牡丹雪が降る現実世界が、主人公の目にはこう見えている。
こういう表現に触れるとワクワクしてくる。
これが小説を読む愉しみだ。
Nolly Changさんも読んでいらっしゃいましたか。
いいですよね、北村薫さんは。
あまりに女性の気持ちの描写が的確なので、北村さんは薫という名前のせいもあり、女性だと勘違いされたそうですが、本当に上手い。
はっとする文章がたくさんある。
僕は、スキップ、リセット、ターン三部作はまだ読んでいないんです。
美味しい食べ物は後に残しておこうみたいな感じで。
円紫さんシリーズ、まだ1冊読み残しているのがあるので、読みたくなりました。
みずみずしい文章ですよね。
覆面作家シリーズの軽快さや、スキップ、リセット、ターン三部作もいいです(ターンはまだ読んでないけど)