平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

新極道の女たち 惚れたら地獄

2007年03月21日 | 邦画
「新極道の女たち 惚れたら地獄」
 この作品にはヤクザ映画の定石が踏まえられている。
★耐えて耐えて耐え忍ぶ。
 組を守るため、梅田の再開発の利権を確保できれば3000人の侠和会に対応できる組になるため、村木芙由(岩下志麻)は耐え忍ぶ。
 賭場荒らしにあったにも関わらず、若い組員の森安健(赤坂晃)の暴走の責任をとって芙由は指を詰める。
 指を詰めて手打ちしたにも関わらず、芙由の命を狙ってくる侠和会にも報復しない。(政治家を使って国税局を動かし、脱税で相手にダメージを与えるという手段は取るが、警察沙汰になるような抗争は起こさない)
★配下の組員が暴発・報復する。
 しかし芙由が耐えても、配下の組員は熱くなっている。
「出入りの指揮をとらせてくれ」とせがむ幹部たち。
 首を縦に振らない芙由。
 しかし彼らは恥をかかされて黙ってはいられない。報復に出る。
 結果配下の者が次々とやられていく。
★最後に爆発する。最後に筋を通す。落とし前をつける。
 がまんにがまんを重ねた芙由が単身乗り込んで機関銃を撃つ。
 そして、筋を通させてもらったと啖呵を切る。
「極道の女として、かくしかしようがなく、ただいまケジメをつけさせていただきました」
 このカタルシス。

 これらの定石を踏まえ、インパクトのあるシーンを積み上げていく。
★賭場荒らしをされた森安
 後日、賭場荒らしをした相手を街中で撃ち殺す。
 その気配も見せずに黙って平然と撃ち殺す。
 この「黙って平然と」という所が魅せる。
 「静」から「動」へ行く瞬間のカタルシス。
 森安は殺した男を肩に抱きかかえると、そのまま交番に行って自首する。
 その潔さもこの場面の見せ場。
★単身乗り込む権藤啓太(世良公則)
 背中の腰に銃を入れ侠和会に単身乗り込む権藤。
 しかし5人の刺客が街中で権藤を刺す。
 刺されダメージを負いながらも銃を抜き、5人の刺客を撃つ。
 刺客の血しぶきが飛び散り、権藤自身もそのまま倒れる。
 志半ばで倒れる美学、少しでも道連れにしてやろうという権藤の強い意思を感じさせる見せ場だ。 
 この様に男たちがかっこいいのが、「ヤクザ映画」だが、このシリーズは女たちも格好いい。
★手打ちに乗り込んだ芙由は、相手の不当な要求にも反論せず「ごもっとも」と指を詰める。その時に表情も変えない。
 この場面で対照的なのが、侠和会の三代目・坂本(中条きよし)の妻・英子だ。
 英子は芙由が歯向かえないのをいいことに、好き勝手な要求をする。ヒステリックに芙由をなじる。
 この英子の虎の威を借りた軽さが逆に何者にも動じない芙由を引き立たせる。
 そして芙由はただ指を詰めるだけでは終わらせようとしない。
 同行させた新谷斎子(斉藤慶子)には「パイナップル」(手榴弾)を鞄に持たせている。何かがあれば爆発させ、三代目・坂本も道連れにするつもりだ。
 女たちと言えば、権藤の妻・加奈代(川島なお美)もいい。
 自分のせいで組が潰れ自失の権藤を挑発し、体で慰める。そして自失の権藤でも自分の側で生きていてくれさえすればいいと権藤に語る。やくざの女たちの典型でもあるが、パターンとわかっていても心動かされてしまう。


★追記 
 ストーリーはこう。
「大阪・ミナミに拠点を置く御蔵組は、小さいながらも強く深い絆で結ばれていた。村木芙由は、病床の夫である組長に代わり組織を取りまとめ、組員からもその妻たちからも慕われていた。彼女は、折りからの土地再開発に便乗し、その利権でこの組織を他組織の脅威にも揺るがないほどの盤石なものにしようとしていたが、その利権をめぐってキタに拠点を持つ巨大組織・侠和会が露骨に牽制してきた。そして遂に、別荘で夫の村木と過ごした翌日、車で帰途途中ヘリコプターからの銃弾にみまわれ、村木は即死、芙由も重傷を負って病院に運び込まれてしまう。さらに組の若者の森安が、侠和会系のチンピラを殺害する事件が起こった。侠和会にとっては御蔵潰しの格好の口実となり、御蔵組でもこの戦争を受けて立とうとする。だが、芙由は今ここで抗争を起こしたら組が潰されるだけだと病院を抜け出し、幹部の新谷の妻・斎子一人を連れて侠和会に出向き、会長・坂本やその妻・英子の挑発をかわしながら和解を申し立てる。その度胸の良さに侠和会も決裂のきっかけを作れなかった。だが侠和会は密かに病院に刺客を送り出し、芙由の身代わりになった幹部・野田の妻・志津江が殺されてしまう。他の幹部たちを説得し、芙由の命令を守り抗争を避けてきた新谷ももはや手のほどこしようがなく、野田は侠和会の理事長・加納を襲い刺殺、自分も殺されてしまい、輪島や権藤も坂本を狙っていたところを警察に捕まってしまう。再開発をめぐる利権も、御蔵組の縄張りもまんまと侠和会に奪われてしまった。神戸のマンションに潜入していた芙由は、一からやり直そうと決心し新谷を呼びつけるが、途中新谷は侠和会に捕まってしまう。夫を人質に捕られた斎子は芙由を殺せと脅迫され、彼女を山中におびき寄せるが、斎子に芙由は殺せなかった。芙由は自分が殺されたふりをするが、にもかかわらず結局新谷と斎子は侠和会の罠により車ごと谷底に突き落とされる。全てを失った芙由は、侠和会先代の三回忌に忍び込み、坂本や英子らを撃ち殺して落とし前をつけるのだった」(goo映画より)

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東京タワー 最終回

2007年03月20日 | ホームドラマ
 この作品はあたりまえだが、とても重要なことを教えてくれる。
 それは多くの場合、「母は子より先に死ぬ」ということ、「母は理屈でなく子を愛してくれる」ということ。
 そんなあたりまえのことを僕たちは忘れて、毎日の生活を送っている。
 自分を愛してくれる人と過ごせる時間は実はわずかであるのに、その時間の大切さをわかっていない。
 そんなことをこの作品はストレートに語っている。
 あまりのストレートさに見ている方は逆に圧倒される。

 さて、オカン栄子(倍賞美津子)。
 彼女は自分を生きた人であった。
 息子を愛し、その愛は息子だけに留まらず、まわりの人たちをも愛した。
 結果、まわりの人たちは栄子を母だと思い、栄子はたくさんの息子、娘にめぐまれた。
 彼女は幸せであっただろう。
 なぜなら栄子の生きがいは、人に愛を注ぐことであったからだ。
 栄子はそんな自分自身を素直にストレートに生きた。
 後半、栄子の葬儀でたくさんの人が集まるが、人間の価値とはその死をどれだけ深く悲しんでくれる人がいるかで決まる気がする。

 そして栄子が与えてくれたもの。
 「愛」の種。
 愛の種を栄子に植えつけられて、各自はそれを育てていく。
 それはやがて花開き、その種はまた他の人に植えつけられるだろう。
 こうして栄子は永遠に生きていく。
 文章にしてしまうと大変気恥ずかしい内容だが、仕方がない、このストレートさがこの作品だ。

 そんな栄子だが、まなみ(香椎由宇)との関係は面白い。
 栄子は子供に対する愛に関しては達人だが、男女の恋愛に関しては無器用な感じがする。
 まなみに教えた筑前煮の作り方。
 将来の雅也(速水もこみち)の妻になることを意図している様な匂いがする。
 指輪もそう。
 雅也の妻として結びつけておきたいという匂いがする。
 栄子はオトン(泉谷しげる)との関係はあまりうまくいかなかった。
 その辺が栄子を恋愛に関して無器用にしているのだろうか?
 まなみは決して雅也のことが嫌いではないだろうが、栄子の託した思いが負担であるような表情を時折見せる。
 まなみが栄子に言う「お母さん」という言葉にもふたつ意味がある。「自分の東京のお母さん」という意味合いと「夫のなる人間のお母さん」という意味合い。その辺実に微妙で曖昧だ。
 とは言っても母親が男女関係でできることは限界がある。
 男女関係で貢献できるのはむしろ男親の方で、オトンは折に触れ「口に出して言わなければ女はわからんぞ」などとアドバイスするのだが、雅也はなかなか行動に踏み切れない。
 今後、雅也にはオトンから学ぶことが多くありそうだ。

 そしてラスト。
 雅也は道を歩く人たちを見て、こう思う。
「ここにいるすべての人がいずれは母親の死を受け入れて生きなければならない時が来る」
 すれ違う人たちは皆他人。
 だが、雅也は彼ら全員が「母親の死を受け入れなければならない人間」であることを認識して、共感している。
 こんなふうに他人と共感できる感性は素晴らしい。
 雅也は「母親の死を受け入れなければならない人間」どうしとして、他人と繋がっている。

 最後は東京タワーについて。
 我々は普段道を歩いているが、人によって見える景色は違っている。
 ある人にとっては東京タワーはただの電波塔でしかないが、ある人にとっては象徴的な意味のあるものになる。
 雅也にとっては、東京にやって来た時の感動の象徴、オカンといっしょに行こうと言っていけなかった後悔の象徴。
 まなみにとっては、写真家としてスタートを切った最初の象徴。
 この様な場所を自分は持っているだろうかと思うと寂しくなってしまう。
 同時にこんなふうに景色や物に気持ちを託して表現するというのは面白い。
 これは深読みし過ぎかもしれないが、雅也はまなみと東京タワーに行っていない。行こうとして母の病気の電話が入り中止になった。一方、雅也はオカンとも東京タワーに行っていなかったが、死後、栄子の遺影と行った。
 これは、雅也がまだオカンと生きていることを意味している。
 あの時、まなみと東京タワーに行っていたら、東京タワーは雅也にとって別の意味(恋人と来た場所といった)を持っていたかもしれない。
 雅也がまなみを東京タワーに連れて行った時、彼の新しい人生が始まるのかもしれない。


★追記
 前話の抗ガン剤治療を雅也と栄子が相談して決めるシーンには泣けた。
 治療のつらさに闘うと言っていたオカンも「やめてもいい?」弱音をはく。
 雅也もそれを「よくがんばったなぁ」と言って受け入れる。
 抗ガン剤治療をやめることは死を意味することだが、その死さえも親子の相談で決める。
 強い絆を感じる。

★追記
 栄子が亡くなる夜、病院でオカン、オトン、雅也が3人、川の字になって眠る。
 そしてこれがオカンが一番望んだことだと雅也は語っている。
 栄子の夢は家族揃って同じ部屋に寝ることだったのだ。
 栄子は夢を実現した。
 これで心おきなく死ねる。だから翌朝、息を引き取ったのだろう。

★追記
 臨終の際のオトンの「栄子!栄子!」と叫ぶシーンにも泣けた。
 火葬の際に棺に突っ伏してただ泣くだけの姿にも。 

★追記
 「オカンが死んだら開けてください」という箱の中身は、生命保険の証書、古いお札、そして手紙だった。
 手紙の内容は「雅也のおかげで何も思い残すことなく幸せに死んでいける」というものだった。
 再入院の際、椅子の上に正座をして挨拶した時といい、栄子がこの手紙を書いた時、どんな気持ちでいただろうかと考えると涙が出て来る。
 手紙の最後「ちょっと行ってきます」というのも栄子らしくていい。


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華麗なる一族 最終話

2007年03月19日 | その他ドラマ
 大介(北大路欣也)と鉄平(木村拓哉)父子の裁判。
 銭高常務(西村雅彦)が「借入表を大介に改ざんするよう命じたのは大介であること」を証言して、裁判は鉄平側が有利に。
 しかし大介には奥の手があった。
 会社更生法が適用された阪神特殊製鋼の破産管財人に帝国製鉄の和島所長(矢島健一)。和島は鉄平を馘首、大介への提訴を取り下げ。
 大逆転だ。
 そのまま真実はうやむやに。
 会社再建の夢も絶たれ、絶望の淵にある鉄平にさらにこんなことが起きる。
 大同銀行と阪神銀行の合併、三雲(柳葉敏郎)の解任。
 そして父・大介の本音。
「理性で愛そうと思っても、感情では憎んでいた。おまえが生まれていなければ、私も家族も別の人生を歩んでいたのかもしれない」
 仕事も自分の存在も、すべてを否定された鉄平。
 完全な絶望。
 そして……。

 鉄平の自殺についてはいろいろ考えてしまう。
 彼のまわりには、鉄平を愛してくれる人がたくさんいた。
 妻の早苗(長谷川京子)、母の寧子(原田美枝子)。
 阪神特殊製鋼の人たち。
 鉄平の出生で不幸になった銀平(山本耕史)ら万俵家の人たちだって、彼を愛し信頼している。
 そんな彼らに鉄平は生きて、応えるべきだったのではないか?
 鉄平の死で逆に多くの人が傷ついた。
 鉄平を信じ、すべてを話した銭高(西村雅彦)だってやりきれない。
 鉄平は技術を持っているのだから、政治などとは関係のない部分で、自分の理想を実現すべきではなかったのか?

 ラスト、鉄平は遺書の中で語る。
「人間はちっぽけだ」
「ちっぽけだから自分を大きく見せようとして、夢や理想を持つ」
「夢を持つことは苦しいことだ。でも自分は夢の実現のために闘う」
「事をなし遂げても、志を失ってはならない」
 ここまではいい。
 問題なのは次だ。
「僕はなぜ明日の太陽を見ようとしないのだろう」
 そう、そこまで気づいているのなら、鉄平には這いつくばってでも生きて明日の太陽を見てほしかった。
 理想や夢は時に権力に押し潰されるのだろうが、押し潰されても這い上がる強さを見せてほしかった。
 自分の頭を銃で撃ち抜くことは確かに怖いこと・勇気のいることであろうが、強さではない。絶望の淵に立っても生き抜くことが強さだ。


★追記
 鉄平の死後の大介は中途半端である。
 中途半端にいい人になってしまっている。
 高須相子(鈴木京香)と別れる。
 阪神特殊製鋼の煙突からのぼる煙を鉄平の位牌に見せる。
 二子(相武紗季)の閨閥の縁談を白紙にする。
 銭高は阪神特殊製鋼のもとの地位に戻したらしい。
 これらは鉄平の死が大介に教えたことで、その点で鉄平の死は意味のあるものであったが、大介には自分の背負った罪と業を最後まで背負ってほしかった。
 物語論としては破滅・自滅してほしかった。
 後半、富国銀行に合併・吸収されることを大臣の永田に匂わされるが。

★追記
 鉄平が実はB型で大介の子だったという事実は一歩間違えると物語に破綻をもたらす。
 そんな勘違い・ミス・よく調べればわかることで、多くの人の人生が狂わされたのか?
 勘違い・ミスで物語が形作られるのは、あまりよろしくない。

★追記
 鉄平と銀平の関係は面白い。
 鉄平は、大同銀行合併までのシナリオを知っていた銀平を責めない。
「つらかっただろう」と慰める。鉄平の強さでもある。
 一方、銀平は知っていながら何もしなかった自分を責めている。
 そして鉄平の遺体の前でこう言う。
「兄さんを殺したのはお父さんと僕です」


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プリズン・ブレイク 第21話

2007年03月18日 | テレビドラマ(海外)
 第21話「壁の向こうへ‥」。
 ついに脱獄へ。

 脱出ルートの全貌はこうだった。
 マイケルの部屋の裏の通路から作業室の下へ。
 作業室の下から精神病棟の建物前へ。
 ここで精神病棟で偽の火事の警報。
 精神病棟の囚人たちが出て来たところで合流、まぎれ込む。この時マイケルたちは脱色した白い囚人服を着ている。
 精神病棟の通路を通って診療室へ。
 診療室から外へ伸びる1本のケーブルを伝って塀の外へ。

 しかし計画どおりにはいかないもの。
 次の様な不測の事態がある。
★ウエストモアランドが穴を発見した看守長のベリックと格闘し腹に刺し傷が。
★ベリックを結んだ縄も解けようとしている。
★肝心の兄リンカーンは逃亡したことから隔離房へ。
★マイケルは所長を脅迫してリンカーンを診療室に移すことに成功したが、気絶させた所長がいつ意識を取り戻すかわからない。
★完全に脱色していない囚人服がある。
★シーノートは、黒人仲間から裏切り者として目をつけられ狙われている。
★診療室の鍵が開いているかどうかは医師のタンクレディ次第。
★計画を嗅ぎつけ、ヘイワイヤーも合流してしまった。
 60分の中に実に8つの障害を埋め込んでいる。
 これに加え、刑務所の荒くれ共の様々な思惑が渦巻き、点呼までの休憩時間・1時間で事をなさなくてはならないという時間的障害もある。
 これらの障害を乗り越え、荒くれ共を仕切っていかなくてはならないマイケルは大変だろう。
 まさにマイケルの意思と頭脳がなければ出来ないこと。
 今回はマイケルの部屋から塀の外への脱出を描く一本道のプロットだった(途中、副大統領やベロニカらのエピソードが挿入される)が、実に見応えがある。 
 プリズンブレイク最大の見せ場だった。

★追記
 22話・最終回では脱出の飛行機に向かうマイケルたちが描かれた。
 しかし警察に掴まることを怖れた飛行機は飛び立ち、マイケルたちは再び走って逃げることに。
 弁護士のベロニカはリンカーンが殺したはずの副大統領の兄を発見。
 副大統領は大統領の急死で大統領に。
 タンクレディはマイケルの逃走を手伝った罪の意識で薬を大量に服用し、生きているのか死んでいるのかわからない状況。
 マイケルたちから追放されたヘイワイヤーやティーバックは闇に紛れて。
 シーズン2が決まったせいだろうか、すべてが結論保留のまま最終回を迎えた。
 こんなのあり?と思いつつ、シーズン2でまた楽しめるからいいかとも思ってしまう。


 
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花より男子2 第10話・最終話

2007年03月17日 | 学園・青春ドラマ
 「花より男子2」第10話・最終話。
 つくし (井上真央) と道明寺 (松本潤) をどう結びつけるか?
 作者はふたつの障害を用意した。
 ひとつは記憶障害。
 もうひとつは海 (戸田恵梨香)。
 障害としては、前回までの「道明寺グループ全社員の生活」と「大河原滋(加藤夏希)」の方が大きかったが、残り2回で解決しなければならないのだから仕方がない。
 このふたつの障害を乗り越えるのは、類 (小栗旬) が言う「ふたりの絆」。
 なぜかつくしの泣いた顔が気になる。クッキーに恋の味がする。
 雪山で遭難したつくしを「遭難したと聞いたら体が勝手に動いた」という道明寺が助けに来る。
 これがふたりの絆だ。
 そして甦る過去の記憶。
 風邪をひいて同じ夜を過ごしたエレベーターでの出来事が現在の雪山とオーバーラップする。
 小道具の使い方もうまい。
 つくしの焼いたクッキー。いったんは海が焼いたものになり、海と道明寺がくっつく道具になるが、海が後日焼いたクッキーが違うものと分かり……。
 そしてもうひとつの小道具は土星のペンダント。
 つくしは投げて返すが、道明寺は捨てられない。
 記憶が戻った時、道明寺はこう言う。
「おまえ、川の中に拾いに行ったのかよ」

 さて、こうして元の関係に戻ったふたり。
 次の課題は楓(加賀まりこ)の説得と道明寺グループの再興だが、ここはテンポ良く解決させた。
 楓を動かしたのは、ケン内田 (鶴見辰吾) や西田(デビット伊東)の言葉。
「怒りとイライラの中にいた」司を救ったのは、つくしであること。
 欺いた内田が生きていることを喜べるまでに司を成長させたのは、つくしであること。
 豊かな愛情を持った司は立派な後継者であること。
 これが楓を動かした。
 武道館に走っていくつくしを車に乗るように言う楓。
 走って行く車の窓から出された楓の腕が印象的だ。
 楓がつくしを認めていることを意味している。
 そして道明寺グループの再興は、「つくしに助けてもらい」「司の力添えをさせてもらいたい」という画期的なソフトを開発した遠山ともう一度、大河原財閥と話をつけてくるという司の行動。
 かなりの力技だが、描く主眼が、つくしと司の恋愛であるのだからこれでいい。
 記憶障害と海の障害の解決に時間を要した分、ここはテンポ良く描くことで作品にリズムが出て来る。

 そして最後の課題は、どの様にハッピーエンドを描くか?
 武道館、何千人の観客の中でのプロポーズ。
 お姫さまだっこされて。
 おそらく女性視聴者が好きなシチュエーションであろう。
 シンデレラストーリーは永遠である。
 道明寺のプロポーズと返事を返したつくしの言葉もいい。
「このオレ様と結婚しろ」
「あたしがあんたを幸せにしてやってもいいよ」
「宣戦布告か。やってもらおうじゃないか」
 いかにもふたりらしい。
 おまけに後日、言葉足らずで道明寺がつくしの父親にプロポーズしてしまうというオチつき。
 プロポーズの武道館ではお決まりの展開も。
 滋を始め、つくしたちを取り巻く関係者がやって来てふたりを祝福するのだ。
「お祝いに来たよ~」と言う滋。
「つくし、早く乗りなさい」という使用人頭の タマ (佐々木すみ江) 。
 お約束だとわかっていてもドラマのハッピーエンドはこうでなくてはと思ってしまう。

★追記
 車がガス欠して武道館にたどり着けないというのもよくある障害だが、つくしが降りたのは国会議事堂の前。そこから九段下の武道館へはそんなに遠くないはずだが、つくしが着いたのは夜。
 ドラママニアはこういう所にこだわってしまう。



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頭文字D

2007年03月16日 | コミック・アニメ・特撮
 「頭文字D」の主人公・藤原拓海。
 実に昼行灯、ぼんやりとしたキャラクターだ。
 そんな拓海が実はすごい走り屋、そのギャップがキャラとして惹きつける。

 峠での高橋啓介との闘い(ハチロク対FD-3S)はこう。
 まず啓介のFDは350馬力にチューンアップしたもの。
 絶妙のクラッチミートのせいもあり、スタートの直線では「ハチロクのフル加速など止まっている様にしか見えない」形で引き離す。
 さらにFDは国産最強のコーナリングマシーン。
 カーブでもハチロクを引き離すだろうとみんなが思う。
 啓介も「遠慮はしねーぜ。二度とバックミラーに映ることはねえ」と思う。
 しかし拓海はガードレールのライン5センチと離れていない曲がりでカーブをクリア。
 啓介のFDとの距離を縮める。
 先入観を裏切った時、キャラが立つという見本だ。
 それは他の人物たちのリアクションで描かれる。
「すんげー、なんだ。あのハチロク!すごいスピードでケツ流しながら突っ込んできて、わけわかんない速さで抜けていく」
「見ている方がゾッとするぜ。いつすっとんでもおかしくねぇ。秋名にあんなハチロクいたっけ?」
「あいつ、つっこみ重視のとんでもねえカミカゼ走法だ。下りの恐怖を感じる感覚が欠けているんじゃないのか?あのドライバー」
 闘っている啓介も焦る。
「追いつかれた……。何が起こっているんだ。気が変になりそうだ」
 そして啓介の兄・涼介のリアクション。
 啓介よりも格上の人、ゲームで言えばラスボスだ。
 ひとしきりハチロクの戦力分析を語らせておいて、涼介にこうコメントさせる。
「だからといって啓介が負ける理由は見つからない。そんなことがあるとすれば、ハチロクのドライバーはオレの理解を遙かに超えたところにいるというわけか?」
「モンスターなのはクルマではなく、ドライバー」
 最高の賛辞だ。
 こうして賛辞をどんどん増幅させて語らせると、キャラクターが立ってくる。
 いかにリアクションを描き分けることが出来るか?
 これは作家の力量に関わる。
 描き分けが様々にできる作家がやはりヒット作を描ける。

 そんなふうにまわりがヒートアップする中、「モンスター」の拓海。
 いつもと変わらない。
 ぼんやりしている。
 拓海は前を走る啓介を見てこう思うだけだ。
「前よりスキがなくなっている。ずいぶん上手くなったな、このドライバー」
 通常なら、対戦相手やまわりが熱くなるに従って、主人公も熱くなるものだが、この主人公・拓海は変わらない。
 これが拓海を個性的な主人公にしている。
 そして、拓海は「抜かねーと、やっぱ勝ったとは認めてくれねえだろうな、あのクソおやじ。しょーがねー、アレをやるか」とボツリと言って、あっと驚く得意技で啓介を抜き去る。
 この得意技・必殺技を持っているというのもヒーロー型主人公の条件だが、やはりここで重要なのは、なかなか心に火のつかないヒーロー像だ。
 啓介との闘いを終えて、ガールフレンドと海に来ていた拓海は思う。
「前を走るRXー7がどんどん近づいてきて、気がついたらワクワクしながら追かっけていた。……クルマって結構いいよな」
 側にいたガールフレンドには「失礼だよねー、拓海くんて。こんなカワイイ子がとなりにいるのに放っておいて、自分の世界に行くぅ?」と言って注意されるが、拓海の心に火がついたのは、「……クルマって結構いいよな」程度である。
 まわりは拓海を倒すのはオレだ、と熱く燃え上がっているのに。

 主人公の立て方に定石はあるが、その定石を崩したところに新しさが生まれる。
 実に面白い。


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賭博破戒録カイジ 地獄チンチロ

2007年03月15日 | コミック・アニメ・特撮
 「賭博破戒録カイジ」地獄チンチロ編。
 ここでは人間の欲望・弱さというものを見せつける。

 借金で地下労働施設で働くことになるカイジ。
 彼は「蠢くミミズか虫けらのように地中で15年働かなくてはならない」
 「熱気と騒音、粉塵、悪臭、不衛生」の中で働かなくてはならない。
 そんなカイジの希望は「1日外出券」。
 1日外出できれば、博打で借金など返せると思っている。
 この外出券を得るためには、この地下の通貨で50万ペリカを支払わなくてはならない。
 ちなみにカイジが1ヶ月働いて得られる給料は9万1000ペリカ(1日の賃金・約350円)だ。
 カイジは給料を貯めて外出券を手に入れようとするが、誘惑が襲ってくる。
 給料を払う側も誘惑で這い上がろうとする人間をダメにしようとする。

 ビール、おつまみを販売するのだ。
 ちなみにビールは5000ペリカ、柿ピーは1000ペリカ。
 カイジは最初抵抗するが、次第に誘惑に負けていく。
 この過程がエキサイティングだ。

 まず給料を使わせようとする班長は「初月給のお祝いだ」と言って、ビールをただで渡す。
 体に染み込む冷たいビールの快楽。
「犯罪的だっ!うますぎるっ!労働のほてりと部屋の熱気で暑苦しい体に1ヶ月ぶりのビール。染み込んできやがる!体に!」
「本当にやりかねない!ビール1本のために強盗だって」
 と言って、底に残ったビールを手のひらに落としペロペロ舐める。
 こういうせりふや描写、この作品の作者・福本伸行さんはすごくうまい。

 カイジはさらなる快楽を求めるようになる。
 隣でさきイカを食べてビールを飲んでいる男を見て、「あんなものでビールが飲めたら、さぞっ」と思う。
 頭の中で計算を始める。
 1ヶ月の給料が9万ペリカ。
 9万×6ヶ月=54万ペリカ。
 外出券は50万ペリカ。
 ということは54-50=4万ペリカは自由に使えると計算する。
 ビールを1本だけ買うカイジ。
 そして自分に言い訳する。
「考えてみれば、1ヶ月我慢した、今日は特別な日だ」
 すると販売員が「せっかく飲むんだったら、素ビールじゃ味気ないって」と言ってつまみを誘惑する。
 カイジが負けて、柿ピーを買うと、今度は班長が誘惑する。
「欲望の発散のさせ方が下手だなぁ。カイジくんが本当に欲しいのは焼き鳥。だけど、それはあまりにも値が張るから、こっちのしょぼい柿ピーでごまかそうって言うんだ。その妥協は痛まし過ぎる。かえってストレスが溜まる」
 実に巧みだ。
 飢えて乾ききった人間にはそんな理屈を素直に受け入れてしまう。
 作者は再度、別の言い方で表現する。
「食えなかった焼き鳥がチラついてさ、全然スッキリしない。心の毒は残ったままだ。自分へのご褒美の出し方としちゃ最低さ。カイジくん、贅沢ってやつはさ、小出しはダメなんだ。やる時はきっちりやった方がいい。それでこそ次の節制の励みになるってもんだ」
 誘惑に負けてしまう弱い人間心理の動きと誘惑の的確なせりふ(それも違う形で繰り返して)、実にうまい。

 そして最後にはこう班長に語らせている。
 誘惑に負けて給料のほとんどを使ってしまったカイジを見ながら班長は言う。
「ヤツはこう考えるだろう。明日から節制だ。その考えがまるでダメ。「明日からがんばろう」という発想からは、どんな芽も吹きはしない。明日からがんばるんじゃない。今日、今日だけがんばるんだ。今日をがんばった者、今日をがんばり始めた者にのみ。明日が来るんだよ」
 実に深い。
 こんな班長のせりふもある。
「世の中には利用する側とされる側、この2種類しかいないんだ」
 厳しい現実認識だ。
 そして主人公たちが日常のベールに覆われていない、過酷な状況に置かれているからこそ言えるせりふでもある。


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陰獣 江戸川乱歩

2007年03月14日 | 小説
 江戸川乱歩の「陰獣」。
 普通の探偵小説であれば、「目の前で起きた事件」と「その事件の裏に隠された真相・真実」の2つで構成されるものであるが、この作品は3つある。
 これがこの作品の面白さになっている。
 まず事件はこう。
 探偵小説家・大江春泥が小山田静子に復讐を企てる。
 送りつけられる脅迫文、そして夫・六郎の隅田川での怪死。
 これを静子に依頼された探偵役の作家の「わたし」が謎を解く。
 「わたし」が謎解きの末、たどり着いたこと(実は真相ではないのだが)とはこうだ。
 実は犯人は夫の六郎。
 サディストの六郎は静子を怖がらせるため、春泥を名乗って脅迫文を送った。
 六郎の静子を怖がらせて楽しむ快楽はエスカレートし、かつらを被って静子を驚かそうとした瞬間、屋根から隅田川に落ちて死んでしまった。
 通常の推理小説ではこれで終わりだが、さらにひねった真相が用意されている。
 このさらにひねった真相というのが素晴らしい。
 ネタバレになるので書かないが、それは謎の探偵小説家・大江春泥の正体にも関わって実に衝撃的だ。

 そしてこの作品、他の乱歩作品と同様、異常な人間心理というものを描いている。
 まずは空想と現実。
 「わたし」は静子に復讐しようとしている春泥を「空想的犯罪者」から「現実に犯罪を行う様になってしまった人間」と分析する。
 以下、引用。
「かれは一個の『空想的犯罪生活者』であった。かれは、ちょうど殺人鬼が人を殺すのと同じ興味を持って、同じ感覚をもって、原稿用紙の上に、かれの血みどろの犯罪生活を営んでいたのだ」
「かれはある小説で、次のような不気味なことばをさえもらしていた。『ついにかれは単なる小説の世界では満足できないときが来るのではありますまいか。かれはこの世のあじけなさ、平凡さにあきあきして、かれに異常な空想を、せめては紙の上に書きあらわすことを楽しんでいたのです。それが彼が小説を書き始めた動機だったのです。でも、かれは今、その小説にさえあきあきしてしまいました。このうえは、かれはいったいどこに刺激を求めたらいいのでしょう。犯罪、ああ、犯罪だけが残されていました。あらゆることをし尽くしたかれの前に、世にも甘美なる犯罪のせんりつだけが残されてしました』」
 現在では、空想の世界だけに留まらず現実の世界で犯罪を犯してしまった人間のニュースが報道されているが、乱歩の時代にこの様な人物像を描き出せたというのは画期的だ。

 次にこの作品で乱歩が描いたのは、サディズム・マゾヒズム。(現在では異常とは言えないが)
 静子は夫・六郎に乗馬の鞭で打たれていた。
 以下、引用。
「わたしはうかつにも、その時になってはじめて、彼女のうなじのみみずばれの、あの不思議ななぞを解くことができた。彼女のあの傷あとは、見る度事に位置と形状が変わっていたようである。当時は変だなとは思ったのだけれど、まさかあの温厚らしいはげ頭の夫が、世にもいまわしい残虐色情者であったとは気づかなかった」
 こんな描写もある。
 主人公の「わたし」がサディズムに魅せられる描写である。
「(彼女の)の肉体の魅力が、にわかに現実的な色彩を帯びて、わたしに迫ってくるのであった。ことにも、わたしが偶然彼女の寝室から外国製らしい小型のむちを見つけ出してからというもの、わたしの悩ましい欲望は、油を注がれたように、おそろしい勢いで燃え上がっていったのである」
 そして蔵の中で「わたし」と静子は情事を行う。
 以下、引用。
「わたしは生まれて初めて、女というものの情熱の激しさを、すさまじさをしみじみと味わった」
「ある日、静子がシャクヤクの大きな花束の中に隠して、例の小山田氏常用の外国製乗馬むちを持ってきた時には、わたしは何だか怖くさえなった。彼女はそれをわたしの手に握らせて、小山田氏のように彼女のはだかを打擲(ちょうちゃく)せよと迫るのだ」
「おそらくは、長い間の六郎氏の残虐が、とうとう彼女にその病癖を移し、彼女は被虐色情者の耐え難い欲望にさいなまれる身となりはてたのである。そして、わたしもまた、もし彼女との逢瀬がこのまま半年続いたなら、きっと小山田氏と同じ病に取り憑かれてしまったに相違ない」
 乱歩の世界にはエロティックな要素が満ち溢れている。


★追記
 こんな心理分析もある。
 真犯人の動機にあたる心理だ。
 以下、ネタバレ。

「ヒステリー性の女性はしばしば自分で自分に当てて脅迫状を送るものだそうです。つまり自分でもこわがり、他人にも気の毒がってもらいたい心持ちなんですね。あなたもきっとそれなんだと思います。同時に、あなたは年をとったあなたの夫に不満を感じていた。そして、夫の不在中に経験した変態的な自由の生活にやみがたいあこがれをいだくようになった。いや、もっと突っ込んで言えば、かつてあなたが春泥の小説の中に書いたとおり、殺人そのものに、言い知れぬ魅力を感じたのだ。それはちょうど春泥という完全にゆくえ不明になった架空の人物がある。このものにけんぎをかけておいたならば、あなたは永久に安全でいることができたうえ、いやな夫には別れ、ばくだいな遺産を受け継いで、半生をかって気ままにふるまうことができる」


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ガンダムの世界 読み解く美術展

2007年03月13日 | コミック・アニメ・特撮
ガンダムの世界 読み解く美術展 京都市(神戸新聞) - goo ニュース

 面白い試みだ。
 例えば、第2次大戦のイラストであってもそれなりのインパクトはあるだろうが、「ガンダム」であれば、子供たちを含めより多くの人の耳目を引くことができる。人を集めることができる。
 そして「ガンダム」という世界を別のアーティストが自分の切り口で描いていることが素晴らしい。
 記事で紹介されている内容から抜粋すると
★中でも印象深いのが、会田誠の「ザク(戦争画RETURNS番外編)」だ。太平洋戦争中に描かれた藤田嗣治らの戦争画を下敷きに、未来の戦場の死闘を画面いっぱいに重厚に描写。ロボット型の量産兵器の“群像図”によって、死と破壊に覆われた戦争の現実を見つめる。
★小谷元彦の写真作品「胸いっぱいの愛を」も、荒涼たる戦野に、兵士の遺体やドクロを積み重ね、戦争が生み出す「死」の側面を強調。その厭戦(えんせん)的な表現の一方、画面中央に軍服姿の美女を“死の女神”のように象徴的に配し、死とエロスの甘美な誘惑も暗示している。
 実際に目にしていないので詳しく述べられないが、会田誠の「ザク(戦争画RETURNS番外編)」はアニメでも描かれていたものを1枚の絵で強調・誇張したもの。「胸いっぱいの愛を」はアニメでは描かれていなかった“死の女神”が新しくアレンジされているところが素晴らしい。
 音楽ではリスペクトとして、尊敬するアーティストの楽曲を別のアーティストが歌子とがあるが、絵画でも同じ様なことがという感じだ。
 また1枚の絵の迫力ということもある。
 映像ではどうしても展開やストーリーを見てしまい、流されることが多い。
 しかし一枚の絵画であれば立ち止まって見ることができる。
 また作家は一枚の絵であるがゆえに自分の想いを集約できる。

 面白い試みだ。
 ぜひ東京でもやってほしい。

★追記
 ギリシャ神話や聖書の世界は、西洋の画家たちによって絵にされてきた。
 ということは「ガンダム」もギリシャ神話や聖書の様なものになったということか?ガンダムはついに伝説になった。



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華麗なる一族 第9話

2007年03月12日 | その他ドラマ
 エンタテインメントとは?
★対決すること
★勝利すること(あるいは敗北すること)
★真実が明らかにさせること
 「華麗なる一族」第9話は、鉄平(木村拓哉)と万俵大介(北大路欣也)の父子対決。
 「突貫工事に危惧を抱いて20億の追加融資を撤回した」という嘘と「阪神特殊製鋼を倒産に追いやり、100億の融資を行った大同銀行の三雲を辞職させ、大同銀行を吸収合併する」という真実を明らかにするという話。
 この点で豊かなエンタテインメントになっている。
 思えば推理ドラマなどもそう。
 犯人の隠蔽した真実を明らかにして逮捕する。

 キャラクターが立つ時はどんな時か?
★理想を語る時
★葛藤を重ねて本音を語る時
 鉄平は裁判で理想を語る。
「製品で世界に対抗する。そんな製品を作るために突貫工事を行った。企業の志が否定されるなら、この国に未来はあるのか?」
 一子(吹石一恵)は本音を吐露する。
「お父さんのためにみんなが我慢をしているから、この家はおかしくなるのよ。二子も鉄平兄さんのために佐橋総理との婚約をしたのに、今は閨閥結婚でしかない」
 一子の発言に反論した相子(鈴木京香)に寧子(原田美枝子)は言う。
「一子さんの言っていることは間違っていない」
 抑えに抑えていたものが爆発する時、キャラクターは立つ。

 キャラクターが立つ時については、さらにふたつ。
★自分自身である時
★自分を見出した時
 理想を信念として語る鉄平はまさに自分自身である人。
 無一文になっても鉄平についていくという妻・早苗(長谷川京子)は「私は万俵鉄平の妻です」と言って、自分自身を確認した。
 先程の一子と寧子もそう。一子は美馬についていけず家を出た。父に意見した。寧子も相子に意見した。
 そして今回のキーマン銭高常務(西村雅彦)。
 理想に燃えて鉄平と融資先をまわり、高炉建設が決まって喜びを分かち合った思い出を呼び起こす。それは保身のために自分を偽っている姿より自分らしい姿。自分が世の中に誇れる姿。
 葛藤の末、銭高は自分自身を見出した。
「私だって鉄鋼マンのはしくれですから」
 彼は阪神銀行ではなく、鉄鋼マンに自分自身を見出した。
 そして大介の指示で偽装を行ったと証言した。

 この様に壮大なスケールでエンタテインメントを描いてきた「華麗なる一族」。
 次回は「真実を偽り」「大川や鉄平、そして家族を切り捨ててきた」大介の生き様が問われることになりそうだ。
 予告を見る限り、おそらく大介は勝利するのであろう。
 しかし勝利して彼が得たものとは?
 楽しみだ。

 最後にかっこいいと思ったのは、銀平(山本耕史)。
 グデングデンに酔っぱらって批判を言う。
 その批判はふがいない自分に対してのもの。
 これは鉄平の強さとは180度違う弱さ。
 しかしかっこいい。
 弱さを吐露してこんなにかっこいいキャラはそうそういない。


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