平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「家政婦のミタ」論~壊して再生すること

2011年11月16日 | ホームドラマ
 「家政婦のミタ」を見ていて思うのは、<壊す>ということ。

 母親が自殺した原因が、恵一(長谷川博己)の浮気にあることがわかって壊れていく阿須田家。
 子供達は恵一に「家を出て行け」と言い、恵一もそれに従う。
 まさに家族の崩壊。

 だが、この<壊すこと>が阿須田家にとって、まず必要なことだったのだろう。
 なぜなら、それまでの阿須田家はウソに溢れていたから。
 恵一は、子供や家族を愛せない自分を偽り、<いい父親>を演じていた。妻の自殺の原因が自分にあることを隠していた。
 結(忽那汐里)を中心とする子供達はバラバラ。それぞれに悩みを抱えているが、それをおもてに出せずに他の兄弟に当たり散らしている。
 子供達をかろうじて結びつけているのは、末っ子の希衣(本田望結)の存在とトラブルメーカーのうらら(相武紗季)や隣のおばさんへの反発。

 こんな家族を再生させるには、まず<壊す>しかない。
 壊して、家族とは何かをそれぞれが考えるしかない。
 なぜなら失って見えて来るものがあるからだ。
 あるいはウソにウソを重ねて取り繕っても残るのは<空虚さ>だけだからだ。

 家政婦の三田(松嶋菜々子)は、まずこの<壊す>行為に手を貸す。
 そして<家族の再生>を計る。
 第四話の希衣(本田望結)の誘拐、第五話の長男・翔(中川大志)の警察事件、これらを通してバラバラだった家族はひとつになった。
 隣のおばさんの家に書いた落書きを家族全員で拭いてきれいにしたし、恵一は父親らしく義父・義之(平泉成)に思う所を述べた。
 三田の行動はすべて極端だが、家族のこうしたリアクションが起こることを想定して行われているように思える。
 三田が行おうとしているのは<家族の再生>なのだ。

 <壊す>ということ。
 これは現在の日本に一番必要なことなのかもしれない。
 たとえば年金問題。
 完全に崩壊しているのに、今あるものを部分修正して、問題を先送りにして、何とか取り繕っている。
 これは三田が来る前の阿須田家と同じだ。
 大阪市長選挙も橋下さんの独裁体質は気になるが、大阪府と大阪市が並立しているという状態は完全なムダで<壊す>べきだと思う。

 <壊して再生すること>

 「家政婦のミタ」はこんなテーマを描いているように思える。


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注目の女優! 忽那汐里さん、剛力彩芽さん!

2011年11月15日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 仕事の合間に何となくテレビをつけたら「野ブタ。をプロデュース」の再放送をやっていた。
 初々しいですね、堀北真希さんも戸田恵梨香さんも。
 今では、おふたりともドラマの主役を張る人気女優だけれど。

 実際、この世代の女優さんは百花繚乱。
 他にも、綾瀬はるかさん、上戸彩さん、井上真央さん、榮倉奈々さん、上野樹里さん、多部未華子さん、長澤まさみさん、黒木メイサさん、新垣結衣さん、吉高由里子さん、北川景子さん、相武紗季さん、満島ひかりさんなど、すごいメンバー。
 彼女たちよりひとつ下の世代も、志田未来さん、武井咲さん、成海璃子さん、川島海荷さん、夏帆さん、福田麻由子さんなど、層が厚い。

 さて、最近目を惹いた女優さんと言えば、まず忽那汐里さん。
 <くつなしおり>とお読みするらしい。
 既に「BECK」や「名探偵コナン」などの作品で注目されていた方もいらっしゃるでしょうが、僕は「家政婦のミタ」と「江~姫たちの戦国~」でインパクトを受けた。
 目が大きくて大変きれいな方だが、個性もある。
 調べてみると、オーストラリア出身で英語もペラペラらしい。
 アイドル顔やモデル顔が溢れている今の時代、ただきれいだったり、可愛かったりでは通用しない。
 その意味では、忽那さんはインパクトがある。一度見たら忘れない。
 帰国子女であることや役柄のせいで感じるのか、芯の強さも感じる。
 
 一度、見たら忘れないといえば、剛力彩芽さんもそうだ。
 <ごうりきあやめ>とお読みするらしい。
 僕が注目したのは「アスコーマーチ」。武井咲さんの主人公に批判的な女の子を演じていた。
 一時は髪を伸ばしていたようですが、髪をショートにして個性やインパクトが出た。
 以前、つんく♂さんが、<髪型でごまかさず、おでこを出して勝負できるのが真のアイドルだ>みたいなことをおっしゃっていたが、剛力さんは、しっかりおでこを出して十分にきれいだ。
 それは忽那さんもそうだし、上記の女優さんたちもそうだ。
 なので、僕は最近テレビで女性を見る時、おでこを出しているかいないかをチェックするようにしている。
 「僕とスターの99日」のキム・テヒさんなんかもしっかりおでこを出していますよね。

 というわけで、百花繚乱のテレビの世界。
 まさに目の幸せ。眼福。
 <美しさ+個性>が必要とされている中で、今後もどんな方が出て来るか?

※追記
 忽那汐里、剛力彩芽……名前もインパクトがある。
 蓮佛美沙子さんなんかもそうだが、どう読んだらわからないような名前が今後のトレンド?

※追記
 そう言えば、昨日の「HEY HEY HEY」では、「海賊戦隊ゴーカイジャー」の小池唯さんが出ていた!
 小池さんは完全なアイドル顔ですが、実は結構注目している。
 笑顔が上品。敵と戦う時のキリリとした表情もいい。


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江~姫たちの戦国~ 第44回「江戸城騒乱」

2011年11月14日 | 大河ドラマ・時代劇
 大坂夏の陣の後日談。
 どう描き込み、決着をつけるか?

★まずは淀(宮沢りえ)。
 淀の思いを江(上野樹里)への手紙で表現した(一部抜粋)。

 「おのれの思いのため、死にゆく私を許してほしい。やるべきことをやったまで。いくさを引き寄せたのはすべて私。私が死んで太平の世が来るのならば、それで良しと思うておる。私にはそなたに願いがある。それは徳川を憎むなということじゃ。それが私の最後の願い……」

 少しきれいごと過ぎて、淀が<いい人>過ぎる気がする。
 理不尽な徳川に対して、恨みつらみがあっても……。
 江や秀忠(向井理)に対しても一言あっても……。
 だが、きっと死を前にして、淀は<清浄な気持ち>になったのであろう。
 清らかな気持ちで、江が悩み苦しむことを心配し、こう語ったのだろう。
 死に方としては、恨みや憎しみを抱いて死ぬよりはずっといい。
 死ぬ瞬間に何を思うか。
 淀でなくても大事なテーマですよね。

★次に秀忠。

 「あの時に、おのれの何かが死んだ。私を憎むがよい。いかに憎まれようとも、私に悔いはない。誰ひとり傷つけることなく、太平の世を築くなど絵空事に過ぎぬ。私は何があろうと天下を泰平にする。それが私に出来るただひとつの償いじゃ。血を流すのはこれが最後だ」

 このせりふは「いかに憎まれようとも、私に悔いはない」に尽きる。
 これは秀忠の覚悟。
 憎まれても自分の理想を成し遂げるという覚悟。
 今までの秀忠はただ批判しているだけで、覚悟がなかった。
 人間、基本的には憎まれたくないし、いい人でいたいですからね。
 しかし覚悟なき理想は、うわっつらのきれいごとに過ぎない。
 その意味では、秀忠は<オトナ>になり、<権力者>になった。

 ただし、この考え方も行き過ぎると、戦争や殺戮を正当化する理屈になるんですけどね。
 世界をテロの脅威から守るために、いくら憎まれても戦争を行うみたいな。
 本当に生きるというのは難しい。

★そして江。
 上記の淀と秀忠の言葉に対して、江が語ったのは「私はどうしてよいのかわかりませぬ」。
 まあ、確かにすぐに納得してしまうのも不自然だし、こうリアクションするしかないのだろうが、主人公のせりふとしては、上記のふたりと比べてあまりにも物足りない。
 その後、江がどう描かれるのかと思って見ていたら、既に竹千代の問題に移っている。
 要は時間が江の気持ちを整理し、解決したということか?

 江には葛藤がない。
 淀や秀忠には葛藤があって、自分なりに結論を出しているのだが、江にはその描写がない。
 これは作家の怠慢であろう。
 ここで江の心の中を掘り下げなければ。
 江は徳川家や、秀忠、家康に対してどう思っているのか?
 やりきれない気持ちに対してどう決着をつけたのか?
 許したのか? 仕方がないと思ったのか? 秀忠同様、鬼になる覚悟を持ったのか?
 よくわからない。

 これは「江」という作品を通して言えることだが、作家は最後の最後まで、江という人物を把握することが出来なかった。
 だから江はいつも蚊帳の外で、他の人物の方が魅力的に見えてしまう。

 ラストの竹千代の化粧のことだって、江はその場から逃げてしまう。母親なのに。
 このリアクションは違うと思うのですが、田渕先生、どうでしょう?


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AKB48コント番組「びみょ~」 コメディエンヌ・横山由依

2011年11月11日 | アイドル
 AKB48のコント番組「びみょ~」、ゆいはんこと、横山由依さんが面白い。

★昨日(11/10)、放送されたコント「家政婦の三田」。(三田は<ミタ>でなく、<サンダ>と読むらしい)
 浮気をした夫(宮澤佐江)を殺してしまった妻(高城亜樹)の罪を隠蔽しようとする家政婦の三田(横山由依)。
 その隠蔽工作は次の様なもの。
 倒れている夫のそばに、しゃけの切り身を置いて、熊の足形を絨毯にスタンプする。
 そして、「熊がしゃけの切り身を狙って家に侵入し、夫を襲って殺してしまったこと」にする。
 これに対する妻のツッコミ。「ここは渋谷区よ!」
 三田の工作は続く。
 今度は馬の足形をスタンプして、「暴れ馬が入ってきて蹴り殺した」ことにする。
 これらのやりとりを現在放映中のドラマ「家政婦のミタ」の松島菜々子さんばりに無表情にやる横山さん。
 以前も書きましたが、僕は横山由依さんには、役者の才能があると思っていて、今回も上手くハマっていた。見事だった。
 なぜなら、このコントは、せりふまわしと間がポイントの作品。
 これが下手だったら全く笑えない。
 この点、横山さんは上手かった。

★「祇園戦士ホンマヤン」(10/27放送)も横山さんの主演コントだった。
 横山さんが演じるのは、<誰も信じられない時代ゆえに人を疑ってしまう戦士・ホンマヤン>。
 「後ろに怪人がいる!」と指摘されても、「ウソやろ?」と疑い、振り向いて「ほんまやん!」と驚く(笑)。
 戦いで「怪人が死んでしまった」と指摘されると、「死んでいない」と疑い、脈を確かめて「ほんまやん!」と叫ぶ(笑)。
 この「ホンマヤン」、横山由依さんのおっとりした性格が加味されて、実に味のあるスーパー戦士になっている。

★「篠山峯紀信」(11/3放送)は峯岸みなみさんの主演コントだが、横山さんが弄られた。
 設定は、天才カメラマン・篠山峯紀信が横山さんを始めとするAKB48メンバーを撮影し、様々な笑顔を要求されるというもの。
 たとえば
 「怒りながら笑顔」
 「変顔しながら笑顔」
 「五木ひろしふうの笑顔」
 「美川憲一ふうの笑顔」
 「知り合いだと思って声をかけたら違っていて、恥ずかしい思いをした時の笑顔」
 「前田敦子の笑顔」といった要求。
 これらのムチャブリにメンバーがどんな顔をして表現するのか、というのが面白さのポイントだが、こんなのがあった。

 「総選挙で泣きすぎて立てなくなった横山由依の笑顔」(笑)。

 これは台本にない、峯岸さんのアドリブだったようだが、このフリに横山さんがどう演じたかは必見!

 というわけで、横山さんには、このコント番組で、どんどん新しい自分を見出していってほしいですね。
 <コメディエンヌ・横山由依>に期待です!

 
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相棒10 「ライフライン」~ありがとうございました……。

2011年11月10日 | 推理・サスペンスドラマ
 「何であんなことをしたのか。もう見ていられなかった。自分を見ているようで。楽にしてやりたかった」

 こんな動機もあるんですね。
 善意の動機。
 殺された運送会社の社長・帯川勉(林和義)も、会社をつぶせば、社員やその家族は困ることを考えて、闇金の取り立て屋をやっていた。

 しかし、一時の激情にとらわれて、死んだり、犯罪に手を染めてしまったらおしまい。
 別の形の闘い方があるはず。
 右京(水谷豊)たちがしたように、闇金摘発に動くとか。弁護士に相談するとか。
 <法や警察>は、そのためにある。
 作品中にあった<互助会>というのも、困った時に助け合う見事なシステム。
 しかし現在は、<互助会>がそうであったように、<法や警察>も十分に機能していないんでしょうね。
 ひとつを摘発しても、次々と新しい悪が生まれてくる。
 法はいくらでもくぐり抜けられる網の目だらけだし、警察も「相棒」がこれまで描いてきたように官僚化し、機能不全。
 それにお金を右から左に動かして、儲けるという商売も、どうなんだろう?
 金融業は経済の血液というけれど、行き過ぎて、不況を招き、社会の癌になりつつある。

 印象的だったのが、神戸(及川光博)のせりふ。
 「あの奧さん、お金のことばかりでしたね」
 夫が殺されて、あんなに泣いていたのに、しばらくすると保険金のこと、お金のことを心配している。
 あの号泣は演技でウソだったのか?とも思ってしまう。
 いずれにしても彼女もお金に囚われ、お金の奴隷になっている。
 お金は生きるために必要なものだが、こだわり囚われたら、大事なものが見えなくなる。

 携帯電話にあった、新潟の住所の写真は余韻。見事なオチ。
 作劇上のミスリードにもなっているが、真相は、ふるさとに思いをはせた被害者・帯川社長の想いだった。
 それは幸せだった時代への郷愁か?

 生きることは厳しく、哀しくつらい。
 殺されて、「ありがとうございました」と言うなんて。
 一方で、今回の闇金や今シリーズ第1話で描かれたような、濡れ手に粟のどうしようもないやつらがいるのだが。
 持てる者はますます富み、持たざる者はますます貧しくなる。
 そんな時代が来ている。


 
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ソウル1945~愛と血を吐くような魂の叫び。

2011年11月09日 | テレビドラマ(海外)
 韓流ドラマ「SEUOL(ソウル)1945」を見ている。
 舞台は、太平洋戦争前の日本統治下の朝鮮から1945年の終戦、1950年の朝鮮戦争まで。
 壮大なドラマ。群像劇。

 この作品を見ると、日本統治下の朝鮮がどの様な状態だったかがわかる。
 統治者である日本に取り入り、日本化して、出世するムン・ジョングァン(キム・ヨンチョル)。
 彼は鉱山を経営する資本家でもあり、労働者を酷使する。
 その労働者を酷使する兄に反対し、日本からの祖国独立を目指す弟のムン・ドンギ(ホン・ヨソブ)。
 彼は共産主義革命にその活路を求める。
 また、過酷な労働に拠って愛する姉を失ったチェ・ウニョク(リュ・スヨン)。
 姉を殺された恨みから資本家を憎むウニョクはドンギの共産主義思想に共鳴し、共に活動する。
 一時、裁判官の試験に受かり、父や母、妹たちのために立身出世の道を選ぶが、運命は彼にそれを許さず、革命のための厳しい道を歩ませる。
 そして、ジョングァンの娘で、著名なピアニストのムン・ソッキョン(ソ・ユジン)。
 彼女は恵まれたお嬢様だが、自立心が強く、ウニョクのことが好きになり、シベリアを越えて、ソ連のレニングラードまで彼を追いかけていく。
 「私は芸術と愛の神に愛されたの。私は愛を選ぶ」と語るソッキョンは激しい情熱家だ。
 また、そのソッキョンの侍女で、聡明なキム・ゲヒ(ハン・ウンジョン)。
 彼女は自分が使えるソッキョンのことだけを思い、自分の置かれている境遇に何の疑いもなく生きてきたが、妹たちと父親を殺されて、世の中の矛盾に気づいていく。
 そして、最後には名前をキム・ヘギョンと変え、自分たちを苦しめたジョングァンの一族を没落させる決意をする。

 この作品を見ると、なぜ当時の人々が共産主義に共鳴し、行動していったかがわかる。
 貧しい生活、理不尽な扱い、受け入れてもらえない人として当然の主張や要求、不当逮捕、拷問……、すべての矛盾は資本家、資本主義という体制にあることを人々は理解するのだ。
 現在の立場で、つまり現在の北朝鮮の状態やソ連の崩壊を見てみると、共産主義とは何だったのだろう?と思ってしまうが、当時の人々にとっては矛盾を一気に解決する思想、社会体制だったのだろう。

 この様に、「ソウル1945」は激動の歴史物として抜群に面白いものだが、何よりもその登場人物たちが魅力的だ。
 前述した人物たち以外の人々も、それぞれ自分の人生を背負い、血を吐くような言葉を叫んで生きていく。
 皆、自分の信念や愛する者のために、必死に闘っている。
 それらの言葉は、資本家、労働者という枠を越えて、どれも胸を打つ。

 以下は、現在見ている14話~17話にあった登場人物達の叫び。

 「私はあなたへの愛にすべてを賭けたの! すべてを捨ててきたの! 私を受け入れて!」
 「貧困や貴賤のない世界を作りたい。そのために先生や多くの人は命を賭けている」
 「君の痛みは君の芸術に深みを与える」
 「人の恨みをかう者はいつか報いを受けるのさ。栄華は永くは続かない」
 「私は恩も恨みも必ず返してきた男だ。この恩は必ず返す」
 「私は築いてきたものを壊したくない。娘の破滅を見たくない」
 「私は君を恨んでいない。幼なじみが名士になって誇りに思っていた。君のために死んだ娘たちのことも運命だと思って諦めていた。だが、ゲヒだけは助けてくれ! 子供の頃からの友達じゃないか!」
 「お父様は結局、自分の人生を守りたいだけなのよ」
 「今度会ったら絶対にパク・チャンジュを殺してやる!」
 「心で血を流しながら耐えてきました。この人(夫)の看病があるから死ねなかった。この人がいたから生きてこれた。でも、死んでしまったので、もはや生きる未練はありません」

 どれもが激しい魂の叫びだ。
 この作品を見ていると、日本の薄味大河ドラマが物足りなくなる。時には薄味もいいが、やはりフルコースの肉料理を食べたい。
 作品は全71話という長さ。
 71話を通して、面白く見せる構成力(まだ僕は途中ですが)も見事!
 現在、韓国と北朝鮮は敵対して、休戦状態ですが、この作品を見ると、相互理解に繋がるかもしれない。
 両者は、同じように苦しみ、必死に生きてきた同胞なのだときっと理解するはず。


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ランナウェイ~愛する君のために 「プリズンブレイク」と比較してみる。

2011年11月08日 | 推理・サスペンスドラマ
 遅くなりましたが、「ランナウェイ~愛する君のために~」について。
 同じ逃走ものとしては「逃亡弁護士」がありましたが、ジャンルとしては未開拓の分野で新しい。
 ただ、両者とも有名な海外ドラマを意識している感じがする。
 「逃亡弁護士」は「逃亡者」。
 「ランナウェイ」は「プリズンブレイク」。

 そこで、今回は「ランナウェイ」と「プリズンブレイク」の比較。
 共通点は、
 ・主人公、あるいは主人公に関わる人物が無罪であること。無罪を晴らすための逃亡でもあること。
 ・主人公、あるいは主人公に関わる人物の犯したとされる犯罪の背景に何らかの陰謀があること。
 ・逃亡先に大金が埋められていること。

 両作品にはこのような共通点があるが、「ランナウェイ」の方がスケールが小さい感じは否めない。
 まず、陰謀。
 「プリズンブレイク」の場合は、国家的陰謀。一方、「ランナウェイ」はおそらく警察官の不祥事と隠蔽。
 完全にスケールダウン。セコい。
 まあ、制作費の問題があるし、日本では、<国家的陰謀>というのはリアリティが感じられないので仕方がないのですが。
 次に、埋められている大金。
 「ランナウェイ」では4カ所に埋められているという作劇上の障害を作ったが、先週の第2話で簡単にそのひとつが見つかってしまった。
 一方、「プリズンブレイク」では手が込んでいる。
 何と大金が埋められている場所に家が建てられているのだ。
 まさか家を壊してお金を掘り起こすなんてことは出来ないのだが、主人公のマイケルは驚くべき方法で埋められた大金を手にする。

 作品の面白さは、ある意味、アイデアである。
 大きな障害を、視聴者が予想もしない方法でクリアするから面白い。
 この点、簡単に掘り起こしてしまった「ランナウェイ」はいささか残念。

 もっとも第1話でフェリーに乗ろうとして、検問に引っかかった時は面白かった。
 検問の警察官は明らかに、アタル(市原隼人)たちを疑っている。「免許証を見せろ」と言う。絶対絶命。
 すると、一緒に連れてきた、両親から虐待を受けていた少女・宮本サクラ(熊田聖亜)が機転をきかせる。
 アタルをお父さんと呼び、免許証は前の車のお母さんのバッグに入っていると語る。
 警察官はまさか逃亡犯が子供連れとは思っていないから、アタルたちを通過させる。
 これは制作費のかからない、上手いアイデアだと思う。

 ということで、もう一度繰り返すと、作品はアイデア。
 こういう作品だと画期的なアイデアを積み重ねていくことが要求される。
 第1話の<立てこもっている家に警察が踏み込んだら偽装だった>というアイデアや、第2話の<居場所を特定していた携帯電話をコンテナに入れて警察をダマした>なんてアイデアは、視聴者が予想できてしまうからイマイチ。

 作家はもっと頭を使うべき。
 さて、今後はどうなる?

※追記
 第5話(11/24放送)では、埋められたお金の上に家が!
 対処の仕方も似ているし、これって、完全にパクリでしょう!
 作り手には節度とプライドを持ってほしい。
 独自のアイデアを出せないようなら、作らないでほしい。


 
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江~姫たちの戦国~ 第43回「淀、散る」

2011年11月07日 | 大河ドラマ・時代劇
 大坂城落城。
 その煙を京都の地から見つめる高台院(大竹しのぶ)。
 豊臣家の終わり。諸行無常。
 僕はこういうシーンに惹かれる。

 淀(宮沢りえ)のシーンもよかった。
 「私は母上のように逝きたい。誇りを持ってな」
 <誇り>のために死ぬというのは、僕はあまり好きではないのですが、淀はさらにこう付け加えた。
 「誇りではなく、意地で選んだ道やもしれぬな」
 <誇り>というと格好いいが、<意地>だと実に人間的だ。
 格好いい死などない。きれいな死などない。
 この<意地>のせりふを付け加えた脚本・田渕久美子さん、今まで田渕さんの批判ばかりしてきましたが、このせりふはお見事!

 「蔵に鉄砲を一斉に撃ち込め!」
 この秀忠(向井理)の変心は何だろう?
 秀忠はまず大坂城の天守閣を焼いた。
 大坂城は豊臣家の象徴。
 これを焼くことで、豊臣家が無くなったことを世に知らしめたかったのだろう。
 「この世を太平にするために避けて通れぬいくさがある」
 この高台院の言葉に触発されたのだろうが、<徳川と豊臣の二大権力が並び立つことは出来ない。それは源平や南北朝などの過去の歴史を見ても明らか。ならばいくさの元になる豊臣を滅ぼすしかない。火種は消しておかねばならない>、こう秀忠は考えたのだろう。
 
 では、淀と秀頼(大河)を死に追いやったのはなぜか?
 これは次回、詳細に語られるだろうが、おそらくふたりの気持ちを尊重したのだろう。
 淀の人となりを考えたら、死を望んでいるだろうし、前回の秀頼の「城を出れば、私は死ぬのです」という発言もある。
 淀は秀頼を生きながらえさせたかった様だが、秀頼は母親想い、とても母親だけをひとり死なせることなど出来ないはず。
 そんなことを秀忠は考えたのではないか。
 結果、淀と秀忠は母と子として、片時も離れることなく死ねたわけだし。

 いずれにしても<鬼>となった秀忠。
 <やさしさ>(見方を変えれば<甘さ>)だけでは、世の中を治めることなど出来ないと理解した様子。
 秀忠は権力者の顔になった。
 こうした<鬼>に徹する覚悟がなければ、権力者になどならない方がいい。
 やさしく、善良に、平穏に暮らしたいのなら、権力や世の中を捨てて生きるしかない。

 さて、江(上野樹里)。
 今回は写経しているだけの出番だったが、次回は福(富田靖子)との対決になりそう。
 おそらく、江は淀の死で<徳川、豊臣と分かれて争い、憎み合うことの愚かさ>を知り、豊臣憎しに囚われている福を諫めるのだろう。
 さて、どう描かれるか? 主人公としては最高の見せ場ではあるが。


※追記
 もうひとつ秀忠。
 家康が豊臣家を滅ぼしていく様を半ば批判しながら見ている今までの秀忠は、<歴史の流れに流されている>。
 一方、淀達の意思を尊重し、自らの意思で豊臣を滅ぼした秀忠は、<流されながらも歴史に流れに乗った>と言える。
 ここには生きる姿勢として大きな違いがある。


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サワコの朝~対談の名手・阿川佐和子さん

2011年11月04日 | バラエティ・報道
 阿川佐和子さんは対談の名手である。
 そんな阿川さんの対談をテレビで、映像として見られる。
 土曜日、朝7時30分、TBS系(みのもんたさんの『サタデー、ズバッと!』の後)で放映されている『佐和子の朝』だ。
 対談番組がテレビから消えて久しい。
 『徹子の部屋』は健在だが、台本があって作られ過ぎている感じは否めない。
 『笑っていいとも!』や『さんまのまんま』は、対談というよりはバラエティ。
 僕が見たいのは、人間の隠れた本質をえぐりだすような対談番組。
 それを満たしてくれるのが、『サワコの朝』だ。

 さて、先週(10/29)に登場したのが、小説家の綿矢りささんだった。
 「インストール」、芥川賞を獲った「 蹴りたい背中」でお馴染み。
 まだ26歳。美人!
 この綿矢さんに阿川さんが切り込む。
 高校時代に書いた「インストール」については、「こういう(エッチな)ことを頭の中で考えていたの?」と訊き、「物静かな男性が好きで、そういう人といっしょにいると自分がしゃべってしまう」という綿矢さんの発言には、「現実にそういう男性がいたのかしら?」とズバリ!
 綿矢さんが<美人作家>だと言われることには、「(実物を見て)ウソ? これが? と言われるのが嫌で、そういうわれるのって好きじゃないんです」といった発言を引き出す。
 テレビに出ることになれていない、おそらくは内向的であろう作家にここまでしゃべらせてしまうとは大したもの。
 まさに阿川マジックである。
 ちょっと聞くと、かなり不躾な、ズケズケした感じのする質問だが、阿川さんの人となりがそれを感じさせない。
 ユーモアもある。
 「この作品を書いてから、なんて思ってると、どんどん年月が経って、結婚できなくなるわよ」などと自分をネタにして、笑わせる。

 創作論については、高校時代の綿矢さんが「腐った食べ物は……」というモチーフで、作品を習作していたことに対して、阿川さんも自分のエッセイストとしての経験をもとに、こう同意する。
 「たとえば、<野菜のナス>という題材を与えられたら、それについて面白おかしく原稿用紙に書けるようでないとプロの作家ではないと私も思っている」←なるほど!

 というわけで、まさに縦横無尽に相手に切り込む阿川さんの対談。
 休日の始まり、土曜日の朝に見るには、ちょうどいい深さの内容とユーモア。
 テンションもこれくらいがいい。
 ぜひ明日、朝の7時30分、ぜひご覧になって下さい。 


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相棒10 「晩夏」~複雑な人間心理を丹念に描いた秀作

2011年11月03日 | 推理・サスペンスドラマ
 人間の心理というのは複雑ですね。
 (以下、ネタバレ)

 たとえば、歌人の師匠・浅沼幸人(小林勝也)が高塔織絵(三田佳子)の恋人を毒殺した理由。
 <弟子・織江の歌人としての才能を開花させたかったから>
 その裏には、<織江を自分のものにしたい>という思いもあったのだろうが、あまりにも観念的な殺害動機。
 動物なら、食べるため、生きるためと実に単純明快だが、人間の場合はあまりにも複雑怪奇。

 織絵の心理も複雑。
 <恋人を殺されて嬉しかった><犯人が浅沼であってほしいと思っていた>
 <犯人が浅沼であることを確かめる>ために、<自分が浅沼に愛されていることを確かめる>ために、42年前の小瓶の毒殺を再現して、浅沼を試した。
 そして、すれ違いの勘違いなのだが、<犯人が浅沼でなく、自分は愛されていなかったこと>を知って、絶望して自殺する。

 こんな複雑な人間心理を1時間で、描いてしまう「相棒」の手腕って、やはりすごいですね。
 丹念に織り込まれた見事な織物のよう。←そう言えば、彼女の名前は<織絵>だ。
 しかも<人生の皮肉>も描かれている。

 織絵が浅沼を試した42年前の毒殺の再現。
 浅沼は、42年前の罰を受ける意味で、毒薬入りのコーヒーを煽る。
 織江は、自分が彼に愛されていることを確かめるために、コーヒーに毒を入れたのに。
 何というすれ違い!
 おまけに先述のとおり、織絵は勘違いし、絶望して自殺してしまう。
 何という人生の皮肉!
 ほんの少し人生の歯車がうまく噛み合っていれば、織絵の自殺はなかったかもしれないのに。

 それにしても運命の神は非情だ。
 織絵の自殺の真相を右京(水谷豊)から聞かされて、悲痛な叫びをあげて畳に倒れ込む浅沼。
 運命の神は、こうした皮肉な結末を突きつけることで、浅沼に42年前の殺人の罪を償わせたのだ。
 右京も倒れ込んだ浅沼に言葉をかけない。黙って空を見つめる。
 地面に転がって死んでいる蝉が何を意味しているのだろう?

 今回も誰も救われないつらい物語でした。
 「相棒」は刑事ドラマの新しい領域に向かっている。


※追記
 毒杯を煽らせて、犯人を特定するという方法は、ウイリアム・アイリッシュの短編「晩餐後の物語」(創元推理文庫)にある。
 今回のエピソードは、そこから着想を得たのか?

※追記
 織絵が毒杯を煽って死んだことで、「ロミオとジュリエット」を思い出した。
 「ロミオとジュリエット」もまた、すれ違い、勘違いで毒杯を煽って死んでしまう物語だった。

※追記
 織絵の最期の句は次のようなもの。
 「罪あらば 罪ふかくあれ 紺青の空に背きて 汝(なれ)を愛さん」
 実にせつない。
 これも人間心理の複雑さ。


コメント (2)
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