近江鉄道本線は先の近江鉄道八日市線で書いたように01年10月と08年8月31日に乗車している。01年乗車時には八日市から米原まで乗り通して、その折り返しは高宮から多賀線を往復して、高宮でがちゃんこ祭りを見物して、再び本線を南下して貴生川まで乗って完乗している。その昔川島氏の全国鉄道事情大研究でびわこ京阪奈新線の計画が書かれていたが、そんなものは絵にかいた餅だろうと思っていたら、近江鉄道では地道に実現へ向けて活動が展開されていた。01年訪問時にはその走りでPC枕木化などが行われていて、“やる気あるな!!”と少し感動したものだ。さすがに7年も経てば冷めてなくなっているであろうと思っていたびわこ京阪奈新線だが、7年ぶりに乗車してみると車内の掲示などにびわこ京阪奈新線の文字があり、まだ活動は継続されていることが伺えた。滋賀県もまだまだ実現に向けてやる気があるのか、近江鉄道がやる気満々なのかはよく分からないが、積極的な施策が展開されていることは喜ばしいところだ。地方鉄道が苦境の中廃止されていく路線も多いが、生き残りだけでなく将来的な展望を持って地道に活動を展開していくことは将来何らかの実になるものと思う。
近江鉄道には一度01年10月に乗車している。ちょうど高宮で鉄道の日のガチャンコ祭りが開催されている時で、お得な550円のフリー切符を利用して(当時は確か第2土曜だったかしか使用できなかった?)近江鉄道各線を乗り潰した。近江八幡まではJR西日本の鉄道の日のフリー切符を利用して、JRは往復のみで元を取るという若干勿体ない使い方をしている。朝から動いたので、八日市線では1日1往復のみしかない快速に乗ることができた。快速だから700系あかねちゃんでも使われているのかと思っていたら普通の車両だった。八日市までノンストップ運転だったが、あまり速くないというのが快速の走りの印象だ。
八日市線に乗ったのはその一度きりで、今回乗り直しとして急遽08年8月31日に再びお安いフリー切符を利用して近江鉄道に乗った。計画していた名古屋遠征が前日の降雨により中止して、計画を変更して長年の懸案事項だった近江鉄道乗り直しを行うことになった。近江八幡までは18きっぷを使うという、前回の訪問同様フリー切符を勿体ない使い方をしている。今回は日曜日だったが、近江鉄道のフリー切符は土日発売に変更されていたので、日曜日でも使えることは事前にインターネットで確認している。最近は地方鉄道でも各社がホームページを持っており、お得な切符はそこで宣伝しているので、現地に行く前に情報を仕入れることができる。便利な世の中になったものだ。近江八幡には前回同様朝8時頃到着した。今回は快速ではなく普通で八日市まで乗り通した。JRからの乗継客が多いようで、たいていの人が八日市まで乗車している。新快速に連絡する快速を増発してもよさそうに思えるが、費用対効果でそう簡単にはいかないところもあるのだろう。近江鉄道ではびわこ京阪奈新線の実現に力を入れているようだが、八日市線は同線とはあまり関係ない。高規格路線が開業すれば高速列車が近江八幡にも乗り入れて新快速を脅かす存在になるかもしれない。それの実現には相当な費用と企業努力や自治体のバックアップが必要だろうが、びわこ京阪奈新線の沿線人口があまり多くない点や高速路線として学研都市から先はJRの既存路線への乗り入れとなるため、滋賀県対大阪を高速輸送するには少々無理があることなど難題が山積みで、実現するのは難しそうな感じがする。自治体や鉄道会社が積極的なので努力が実ればいいが、高規格路線は諦めて既存路線の活性化を行うということならば、近江八幡から新快速へ連携して京都・大阪方面への速達輸送を実施することも一考なのではないかと思う。
JR東海道本線美濃赤坂支線には04年9月5日の北陸・東海遠征の時に乗車している。学生時代からいつでも乗れるということで放置していた路線で、ついぞ学生時代には乗車しなかった。東海道本線では廃止された新垂井駅とともに秘境という感じがする美濃赤坂だが、秘境というイメージとは違い駅の周辺には人家が建ち並んでいる。走っている電車も今では313系や311系になっており、113系が走っていた頃とは様相が違う。昼間は313系2連が運用されており、恐れ多いことにも車掌が乗務しているツーマン列車だ。JR東海はお金持ちだからかどうかわからないが、他社に比べてワンマン運行が少ないように思う。同じことはJR東日本にも言え、西日本、四国、九州などに比べてワンマン運転と無人駅の少なさに驚かされる。こんなところにも駅員がまだ配置されているのかと感動する事さえある。美濃赤坂駅周辺には貨物線が走っており、時折貨物列車が走るらしいが、この時は無計画に訪れたので、貨物列車の姿は見られなかった。次は貨物列車が走る時間帯に訪問したいものだ。
JR高山本線は数回乗車しており、全線踏破も2度経験している。98年夏に18きっぷを利用して東京へ遠征して、品川から当時運転されていた臨時の大垣夜行(167系使用)に乗って岐阜へ。私が大垣夜行と呼ばれる所謂急行型を使用した夜行列車に乗ったのは後にも先にもこの1回だけだ。他はすべてムーンライトながらで、大垣駅で早くから席取りのために並ぶという経験はしていない。品川では席取りのために早くから並び、見事に席をGETした。しかし、その代償として横浜-阪神戦のナイターを途中で切り上げるという代償を払っている。横浜スタジアムで牛丼(スタンドで売り子が吉野家の牛丼を売っている)を食べながらナイターを観戦していると雨が降り出し、強くなったり弱くなったりして試合が続行できる程度の雨が降っていた。この当時は携帯はあっても、容易に天気予報をチェックするというようなこともできず、明日の天気も知らずに移動していた。大垣夜行の席が取れて一安心して眠りにつき、翌朝岐阜到着寸前まで爆睡していた。岐阜に降り立って雨がジャジャぶりなのに驚いたが、計画を変更するほどでもないということで高山本線気動車に乗り込んだ。岐阜から猪谷まで直通する列車だったと思うが、北上していくにつれて雨がどんどん強くなりついには途中で抑止を食らうことに。どれぐらい抑止を食らったか覚えていないが、1時間以上は雨が弱まるのを山間の小駅で待った記憶がある。そして雨が弱まり、運行が再開され、大幅な遅れで猪谷着。途中県境を越えたあたりから天気がまさに急変して見事に晴れ渡った。キハ120に乗り換えて富山に着いた頃にはあの雨は何だったのかという見事な晴れ空だった。
続いて高山本線に乗ったのは04年9月5日だ。前回神岡鉄道の乗り潰しについて書いたが、この時も大雨だった。猪谷で列車待ちの間からかなり降っていたが、この時も道中かなり強い雨が降っていた。抑止こそ食らわなかったが、若干の遅れが発生しており、対向の特急列車なども遅れていた。この訪問の後、台風だったかの影響で高山本線の飛騨古川~猪谷間が壊滅的な被害を受けて、全線復旧まで数年間も要している。私が訪問すると雨に祟られる高山本線だが、実際雨が多い厳しい自然条件の中を走っていることを実感できた道中だったのだと自分に言い聞かせながら、次訪れるときは風光明媚な景色がはっきり見えるよう晴れることを望んでやまない。