8月12日 木曜日 晴れのち雨
台風模様の雨が早めに降って来始めました。
イマイチ元気になれないので、美容院へ行ってカットして戴こうかと思いました。
ただ2時からほのぼの編集会がありますから、遅くとも1時40分には家に居ないといけません。
電話をしたのが12時55分。45分しかありません。
でも美容師さんは「直ぐお出で下さい」と言って下さいました。間に合わせて下さるそうです。
メンバーのかたが来られても入れるように玄関はノーロックで出掛けました。
玄関が空いて居てわたしの姿がなかった時、トイレやお風呂場も探しに行ったというので、
今日は玄関の上がり口に、帰宅時間と行き先を書いておきました。物騒な事です・・・。
美容院まで徒歩1分程ですから、エプロンをしたまま飛び出し、時間通り帰宅出来ました。
冒険、大成功!!!大満足!!!
ほのぼの43号の2度目の編集会ですから、まだ原稿が半分ほどしか集まっていません。
オイリュトミーの集会参加のため、編集長はスイスに行ってこられましたので、
そのお土産話に華が咲き、編集会はまだまだ序の口ですから和やかでした。
発行間際になりますと結構密な仕事になりますが・・・。
*****
昨日の読書会の報告を書いてい無い事に気がつきました。
テーマ本はイザベラ・バード著「日本奥地紀行」でした。
そもそも何故この本に辿り着いたのか、先ずその説明をしたいです。
4月に田邊聖子著「姥盛り花の旅笠 小田宅子の東路日記」を読んだ事から、
6月に清河八郎著「西遊草」を読む事になり、8月にこの「日本奥地紀行」に辿り着いたのです。
江戸時代後期から明治11年頃の旅日記ばかりです。
4月の本は商家の女将さんたちの女旅、伊勢参りから日光まで足を伸ばしています。
6月の本は幕末の志士、清河八郎が母親孝行旅です。庄内から出発します。
この2つの日記と、全く違ったコースを歩きましたイギリス女性の目線で書かれています。
景色の描写は克明で読んでいますと情景が浮かんできます。
日本人を賛美していますが、ひたすら「蚤」の事を書いています。驚きました。
何処へ行っても蚤に困惑させられたようなのです。
東路日記にも西遊草にもそのような事はチラッとも書かれていません。
日本人は蚤の存在に慣れていたから、記述が無かったと言う事なのか・・・と言う意見も出ましたが、
西遊草の著者は裕福な家柄ですし、東路日記の著者も裕福な商家です。蚤には慣れて居ないはずです。
イザベラ・バードが未開の農村を旅をしたから蚤に悩まされたのか等々、意見はいろいろでした。
ただイザベラ・バードは脊椎の病気を持っていて、旅の途中も何度か痛くて動けなくなったようです。
それでも雨に濡れ、駄馬に落とされたり、大水の出ている激流を渡ったりと凄い気力の持ち主です。
函館から室蘭に行きアイヌ村に入りアイヌの生活習慣や宗教、言葉などを調べ、詳しく書いています。
日本人とアイヌ人との違い、外国人との違いも書いています。
ベットやゴム製のお風呂を持って旅をしていたのです。蚊帳も持っていたようです。
その大荷物を馬の背に乗せ、路が無いような未開地を旅し、
その様子を手紙に書いてイギリスの妹に送った書簡をまとめた一冊のようです。
これだけの手紙を過酷な奥地旅を続けながら、良く書けたと言うのがメンバーの言葉でした。
電灯が無い時代ですし、蚤や蚊に悩まされたり蒸し暑さに悩まされて居るのです。
日本奥地紀行はそんな3ヶ月間の壮絶な旅の様子を記録したものです。
ひとまずイギリスへ帰国したのですが、その後5回ほど日本にやって来てまた旅をしたようです。
日本がお好きだったようです。
台風模様の雨が早めに降って来始めました。
イマイチ元気になれないので、美容院へ行ってカットして戴こうかと思いました。
ただ2時からほのぼの編集会がありますから、遅くとも1時40分には家に居ないといけません。
電話をしたのが12時55分。45分しかありません。
でも美容師さんは「直ぐお出で下さい」と言って下さいました。間に合わせて下さるそうです。
メンバーのかたが来られても入れるように玄関はノーロックで出掛けました。
玄関が空いて居てわたしの姿がなかった時、トイレやお風呂場も探しに行ったというので、
今日は玄関の上がり口に、帰宅時間と行き先を書いておきました。物騒な事です・・・。
美容院まで徒歩1分程ですから、エプロンをしたまま飛び出し、時間通り帰宅出来ました。
冒険、大成功!!!大満足!!!
ほのぼの43号の2度目の編集会ですから、まだ原稿が半分ほどしか集まっていません。
オイリュトミーの集会参加のため、編集長はスイスに行ってこられましたので、
そのお土産話に華が咲き、編集会はまだまだ序の口ですから和やかでした。
発行間際になりますと結構密な仕事になりますが・・・。
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昨日の読書会の報告を書いてい無い事に気がつきました。
テーマ本はイザベラ・バード著「日本奥地紀行」でした。
そもそも何故この本に辿り着いたのか、先ずその説明をしたいです。
4月に田邊聖子著「姥盛り花の旅笠 小田宅子の東路日記」を読んだ事から、
6月に清河八郎著「西遊草」を読む事になり、8月にこの「日本奥地紀行」に辿り着いたのです。
江戸時代後期から明治11年頃の旅日記ばかりです。
4月の本は商家の女将さんたちの女旅、伊勢参りから日光まで足を伸ばしています。
6月の本は幕末の志士、清河八郎が母親孝行旅です。庄内から出発します。
この2つの日記と、全く違ったコースを歩きましたイギリス女性の目線で書かれています。
景色の描写は克明で読んでいますと情景が浮かんできます。
日本人を賛美していますが、ひたすら「蚤」の事を書いています。驚きました。
何処へ行っても蚤に困惑させられたようなのです。
東路日記にも西遊草にもそのような事はチラッとも書かれていません。
日本人は蚤の存在に慣れていたから、記述が無かったと言う事なのか・・・と言う意見も出ましたが、
西遊草の著者は裕福な家柄ですし、東路日記の著者も裕福な商家です。蚤には慣れて居ないはずです。
イザベラ・バードが未開の農村を旅をしたから蚤に悩まされたのか等々、意見はいろいろでした。
ただイザベラ・バードは脊椎の病気を持っていて、旅の途中も何度か痛くて動けなくなったようです。
それでも雨に濡れ、駄馬に落とされたり、大水の出ている激流を渡ったりと凄い気力の持ち主です。
函館から室蘭に行きアイヌ村に入りアイヌの生活習慣や宗教、言葉などを調べ、詳しく書いています。
日本人とアイヌ人との違い、外国人との違いも書いています。
ベットやゴム製のお風呂を持って旅をしていたのです。蚊帳も持っていたようです。
その大荷物を馬の背に乗せ、路が無いような未開地を旅し、
その様子を手紙に書いてイギリスの妹に送った書簡をまとめた一冊のようです。
これだけの手紙を過酷な奥地旅を続けながら、良く書けたと言うのがメンバーの言葉でした。
電灯が無い時代ですし、蚤や蚊に悩まされたり蒸し暑さに悩まされて居るのです。
日本奥地紀行はそんな3ヶ月間の壮絶な旅の様子を記録したものです。
ひとまずイギリスへ帰国したのですが、その後5回ほど日本にやって来てまた旅をしたようです。
日本がお好きだったようです。