8月15日 日曜日 晴
終戦記念日です。わたしも幼かったのですが覚えています。
母や大叔母たちが村の小学校へ行って玉音放送を聞きに行きました。
父は軍属でシンガポールへ行っていました。母が「お父さんが帰ってくるかも知れない」と一言。
父の顔は写真の顔だけではっきり覚えていませんでした。
3ヶ月後に父は突然帰国して来ましたが、兄は直ぐ分かったようで母に知らせに走りました。
わたしは瞬間父とは分かりませんでした。わたしを抱き上げてくれましたが、声が出ませんでした。
疎開先の柿の木の下に小さい子供の畑を作って遊んでいた時の情景だけは、はっきり覚えています。
父は大きなリュックを背負い足にはゲートルを巻いて、よく見る復員者のスタイルでした。
渋柿でしたが、真っ赤に熟れた柿が沢山なっていた頃の事です。
あるじを亡くした寂しさからまだ抜けきれないわたしだからなのでしょうか、
父の復員の事は楽しい想い出のはずなのですが、でも駄目なのです。
戦争の悲しい映像を見ていますと涙が止まらず、一人ではとても見ていられないのです。
今日はラジオをCDを聴きながら、エプロンの仕上げやらタオルエプロン作りの準備をしていました。
汗が肌にびったりつくようで気持ちが悪かったのですが、リコーダーは息苦しく吹けませんでしたし、
刺繍にも気が乗らないので、仕方なく洋裁に手を出したのです。手がければ暑さは何於曽能です。
何度か座っているのも嫌になるほど怠くなりましたので、汗を拭いてベットで小休止。眠ったようです。
夕方早めに水まきをしに外へ出ましたので、庭に咲いています花たちを撮してみました。
このピンクの百合は娘たちが子供の頃、「進研ゼミ」と言う雑誌の付録に付いてきた物です。
庭に植えて観察をしようと言う事だったのでしょうか。もう30年近く前の事です。
毎年綺麗に沢山お花を咲かせてくれます。毎年あるじは、花をとても楽しみにして居ました。
立ち位置を変えて撮してみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/70/7d7c46bc7767954ce96afad4717cc663.jpg)
この黄色のお花はわたしは好きです。ウドベキアという名のようです。
昨年このお花を「株分けして欲しい」と言って居られた友人がいらしたので、鉢に株分けしました。
でももう彼女はわたしの家にやって来る事は無いでしょう。鉢に水まきする時、何時も悲しいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/6d/e56fe80bc6b670bb8ee40a9054332f63.jpg)
このお花は引っ越しされたお隣さんから株分けして頂いた物です。
お花の名前をお聞きした時、笑いながら「ジジババというのだそうですよ」との事でした。
お隣のご主人は母と同じ年齢でしたから、ふざけて言われたのか・・・。
本当の名前が先日分かりました。「ベロペロネ」、和名は「小海老草」と言うのだそうです。
それにお花のような赤い部分は花ではなく、その先に出て来る白く細い部分が、花なのだそうです。
戴いた頃は珍しかったのですが、この頃はあちこちで見られるようになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/cd/8ec2be7aa5ba5a3e573791234162c1fc.jpg)
狭い庭にいろいろ沢山植えていますから、少しずつ整理しなくてはいけないと思っています。
今回シルバーの方が、大分草花を抜いてしまいましたので、これを維持するのも一策かもしれません。
ただ藤棚だけは困りものです。棚の上は50センチ以上上に立ち上がった感じになっています。
少しは高枝鋏みでわたしでも切れますが、棚の中央はとても手が届きません。
なんとか再度、シルバーの方に切って頂かないと駄目かもしれません。
気楽に来て下さるとお聞きしたから植木屋さんを変えてしまって失敗だったかも・・・。
明日、先方に連絡して、それから対策を考える事に。
終戦記念日です。わたしも幼かったのですが覚えています。
母や大叔母たちが村の小学校へ行って玉音放送を聞きに行きました。
父は軍属でシンガポールへ行っていました。母が「お父さんが帰ってくるかも知れない」と一言。
父の顔は写真の顔だけではっきり覚えていませんでした。
3ヶ月後に父は突然帰国して来ましたが、兄は直ぐ分かったようで母に知らせに走りました。
わたしは瞬間父とは分かりませんでした。わたしを抱き上げてくれましたが、声が出ませんでした。
疎開先の柿の木の下に小さい子供の畑を作って遊んでいた時の情景だけは、はっきり覚えています。
父は大きなリュックを背負い足にはゲートルを巻いて、よく見る復員者のスタイルでした。
渋柿でしたが、真っ赤に熟れた柿が沢山なっていた頃の事です。
あるじを亡くした寂しさからまだ抜けきれないわたしだからなのでしょうか、
父の復員の事は楽しい想い出のはずなのですが、でも駄目なのです。
戦争の悲しい映像を見ていますと涙が止まらず、一人ではとても見ていられないのです。
今日はラジオをCDを聴きながら、エプロンの仕上げやらタオルエプロン作りの準備をしていました。
汗が肌にびったりつくようで気持ちが悪かったのですが、リコーダーは息苦しく吹けませんでしたし、
刺繍にも気が乗らないので、仕方なく洋裁に手を出したのです。手がければ暑さは何於曽能です。
何度か座っているのも嫌になるほど怠くなりましたので、汗を拭いてベットで小休止。眠ったようです。
夕方早めに水まきをしに外へ出ましたので、庭に咲いています花たちを撮してみました。
このピンクの百合は娘たちが子供の頃、「進研ゼミ」と言う雑誌の付録に付いてきた物です。
庭に植えて観察をしようと言う事だったのでしょうか。もう30年近く前の事です。
毎年綺麗に沢山お花を咲かせてくれます。毎年あるじは、花をとても楽しみにして居ました。
立ち位置を変えて撮してみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/2d/8cc7955e89f57b7dbb203b1c48e46851.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/70/7d7c46bc7767954ce96afad4717cc663.jpg)
この黄色のお花はわたしは好きです。ウドベキアという名のようです。
昨年このお花を「株分けして欲しい」と言って居られた友人がいらしたので、鉢に株分けしました。
でももう彼女はわたしの家にやって来る事は無いでしょう。鉢に水まきする時、何時も悲しいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/6d/e56fe80bc6b670bb8ee40a9054332f63.jpg)
このお花は引っ越しされたお隣さんから株分けして頂いた物です。
お花の名前をお聞きした時、笑いながら「ジジババというのだそうですよ」との事でした。
お隣のご主人は母と同じ年齢でしたから、ふざけて言われたのか・・・。
本当の名前が先日分かりました。「ベロペロネ」、和名は「小海老草」と言うのだそうです。
それにお花のような赤い部分は花ではなく、その先に出て来る白く細い部分が、花なのだそうです。
戴いた頃は珍しかったのですが、この頃はあちこちで見られるようになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/cd/8ec2be7aa5ba5a3e573791234162c1fc.jpg)
狭い庭にいろいろ沢山植えていますから、少しずつ整理しなくてはいけないと思っています。
今回シルバーの方が、大分草花を抜いてしまいましたので、これを維持するのも一策かもしれません。
ただ藤棚だけは困りものです。棚の上は50センチ以上上に立ち上がった感じになっています。
少しは高枝鋏みでわたしでも切れますが、棚の中央はとても手が届きません。
なんとか再度、シルバーの方に切って頂かないと駄目かもしれません。
気楽に来て下さるとお聞きしたから植木屋さんを変えてしまって失敗だったかも・・・。
明日、先方に連絡して、それから対策を考える事に。