フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

不注意が不注意を

2010-08-19 21:09:59 | 日記
8月19日 木曜日 曇りのち晴

急に富士宮の母の家にいくことになりました。
弟の都合でそうなったようなのですが、弟一人では家事も出来ませんしわたしも同行しました。
今日は午後から雨が降り、過ごしやすいと言う予報でした。朝7時頃、すでに時雨れていました。

多分富士宮も雨が降ると思って居たのですが、東名高速を下っていきましたら青空になってきました。
雲の動きがとても素敵でした。助手席に座っていられる特権で、携帯カメラで撮していました。

 

都夫良野トンネルの出口が見えて来たところです。
トンネルに入る瞬間を撮りたいのですがなかなか難しく、失敗ばかりです。
遠近法の構図、わたしの好きな構図です。もう少し鮮明に撮れれば嬉しかったのですが。



第二東名が大分出来てきています。
この間母が「第二東名が出来まで生きていないわね」とぽつりと言っていました。
ドライブの好きな母ですが、車の乗り降りも大変ですし、長く座っているのも大変なのに、
まだそのような気持ちが有る事に驚かされました。凄い母です。



母の家に着いた時、何時も門を開けてあるのですが今日は空いていませんでした。
弟が2つの門を開けて車を中に入れました。
当然玄関も閉まっています。裏口の鍵を開け入りましたら、母はまだベットに居ました。
母の感覚ではまだ9時ですし、私たちの感覚ではもう9時なのです。

母が起き、着替えて、神道の父と日蓮宗の母方の両親のお参りをするだけでも1時間はかかります。
その間に、離れています両隣へのご挨拶に伺う事にしました。
離れていましてもこの2軒のかた達が良くして下さるので、私たちも安心していられるのです。感謝です。

母が地続きの畑へスイカの収穫に行ったのですが、その時母の足を車のドアーで挟んでしまったとか。
今までに見た事がないほど、母の右臑が腫れあがっていました。
食事をしに行き、その後スーパーへ食料を買いに行くのが常で、今日もそうすると言います。

わたしは母の足が心配でした。
低血糖のなりましたら、糖尿の母は倒れてしまいますから先ず食事に行き、母がスーパーで買い物。
その間に、弟は薬局を探して湿布薬やその他を買いに行きました。

買い物を早めに切り上げ弟を出入り口で待ちましたが弟がなかなか来ませんでした。
弟が行った薬局は無くなっていたのだそうです。人に聞きながら焦って車を走らせスピード違反を。
40キロの処を36キロオーバーで走ったそうで、6点とか。免停になるのだそうです。

スーパーに居ましたわたしはわたしで、痛い足を引きずりながら勝手に動き回る母を気遣い、
わたしの貴重品を入れていますポーチを落としてしまったのです。
焦りました。遺失物の処にも届いていませんでした。

免許証やカード、保険証等々大事な物が入っていました。母からのオメガの時計も指輪も入っていました。
気分が悪くなるほどショックを受けました。母を置いたままでは動けません。
段ボールの箱を重ねて即席椅子を作って、それに座っているように母に頼みました。
わたしは再度店内に戻り、レジの方に聞きました。知らないと言われました。

母の処へ戻り様子を見て、再々度店内に戻り聞いて見ました。ありませんでした。
あきらめて母の処へ戻り掛けた時、違うレジの方が「これですか?」と。わたしのポーチでした。
別のレジに届いていたそうです。嬉しかったですね。本当に嬉しかったです。良い人に拾われました。

ちょっとした不注意で、母が怪我をし、弟が違反をし、わたしがポーチを落として・・・。
今日は仏滅と三隣亡が一緒にやって来たような日になりました。
母の足も心配でしたで、ケアマネさんにお願いしてお医者を捜したのですが木曜日の午後で駄目でした。

ケアマネさんもお出で下さって、明日もう一度母を見舞って下さると言って下さいましたので、
気になりましたがケアマネさんにお願いして帰宅しました。母も痛まないと言いますし。
看護士さんがお二人も一緒にお出で下さったので、賑やかなのが好きな母も嬉しかったようです。

人間は一人では生きて行かれない、この言葉が本当に身に染みた1日でした。
とても疲れた1日でした。
コメント
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