今日の陽ざしを大切に…、との予報を聞き、お布団に陽を充てる事に。
肌掛け布団からシーツやカバーを外し竿に掛け、シーツなどは洗濯機へ。
独り分の寝具ですから、干すのも洗うのも嵩が無いので楽です。
それに当時は布団は、従来の木綿綿を使っていましたから、
家族中の寝具を2階のベランダの手すりに、広げるだけで大仕事でした。
ベッドパッドは柔らか過ぎるので、子供には木綿綿が良い、と言われました。
4人分の寝具を干し、シーツや布団カバーを洗い、アイロンをしてbed作り。
毎土曜日のこの作業は、きつかったです。
当時、小児喘息体質だった次女が、夜中に度々発作を起こし大変でしたので、
埃を最小限になるよう努力したり、疲労させないように健康管理をしたり、
喘息の発作が出ない様、いろいろ頑張っていました。
絨毯を濡れ雑巾で拭いたり、8時には寝られる体制にしたり…、
毎日、時間に追われる日々でした。
幼稚園の年長の頃が一番ひどく、後半の半年間は喘息から肺炎になり入院…。
時々幼稚園に行くだけ、ほとんど休園していましたから、
園の先生から”入学を、1年遅らせたら?”と言われた事もありました。
小学校に入学した年は、ゴールデン・ウイークまでは、わたしは仕事を休み、
次女の体調管理に専念。お昼寝をさせないと、夜中に喘息の発作が出ます。
わたしがどうしても休めない時は、夫が休んで娘をお昼寝させるのですが、
夫が先に寝てしまい、本人は夫の寝ている部屋で遊んでいたのだとか…。
”お父さんは直ぐ寝てしまったよね”との、娘たちの報告を聞きながら大笑い。
夫は、”○○が、なかなか寝ないから、眠たくなってしまった…”が、夫の弁。
入学した当初は、本人も疲れすぐ寝付きましたが、4月下旬には慣れたのか、
お昼寝の時間が短くなり、ゴールデン・ウイーク後はお昼寝は週2、3回に。
わたし一人分のお布団を干したり、シーツを交換しながら、
娘たちが幼かった頃を想い出し、独り懐かしんでいました。
喘息で大変だった次女が、昨日は階段の上の電球を取り換えたり、
玄関の外灯の電球を買いに行き、交換もしたのです。親としては感慨無量…。