日本国民=虫ケラ、意識
第二次世界大戦中、徴兵されていた作家の司馬遼太郎は、ロシア軍が日本海側から日本本土に上陸してきた場合の、戦闘計画の立案を眼のあたりにした経験を持っていた。
当時、ロシア軍が日本本土に上陸してきた場合、関東・東京方面に居る日本陸軍は総力を上げ、ロシア軍の迎撃に出動する事になっていたが、その場合、陸路で東京に向かうロシア軍と日本陸軍は、関東北部で衝突し戦闘を行う事になるであろうと日本軍の首脳部は予測していた。
関東北部に向けて出動した日本陸軍にとって最大の障害になるものは、実はロシア軍に追われ、命からがら逃げ惑い、東京方面へ押し寄せてくる圧倒的多数の日本人市民であった。逃げて来た市民が道路に溢れ、日本陸軍の戦車、軍人が関東以北に向かう道路を封鎖してしまい軍隊の進軍が不可能になる、という問題であった。
日本陸軍は、その逃げ惑う日本人市民を多数、全速前進する戦車でひき殺し、道路に「余白を作り」進撃する、と計画していた。ロシア軍に追われ、逃げてくる日本人を日本軍の戦車がひき殺して進軍する、という計画である。
司馬は、これを知った時、戦争と軍隊の本質を見たと悟り、神国日本、天皇陛下万歳と思っていた今までの幻想から全て覚めた。
21世紀の現在、自衛隊のイージス艦が起こした事故。日々の生活のために、小船で漁業を営む日本人の漁船をナギ倒し、平然と直進して事故を起こした自衛隊のイージス艦の姿に、不注意、緊張感の無さという問題以上に、漁船に乗った漁師の背後には、その幼い子供、妻、高齢の両親が居るという、ごく当たり前の「思慮」から来る本能的な配慮、つまり手動運転、徐行運航、警笛を連続させる、軍艦の入港航路の入港直前での漁民への告知、航路への民間船舶の進水排除という海上保安行為が欠如していた事が透けて見える。
敵国の市民を虫ケラのように殺害する訓練を受けた軍隊が、自国の市民を虫ケラのように扱っても、ある意味で当然である。
今回の事故のイージス艦の「不注意」の根底には、戦車で日本国民をひき殺そうと計画した日本帝国陸軍と同一の「日本国民=虫ケラ」意識が、露骨に存在する。