格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

御用評論家田崎史郎氏が普天間問題でまた暴論

2010-06-01 18:22:18 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

御用評論家田崎史郎氏が普天間問題でまた暴論
報道各社は頻繁に世論調査を実施しているが、なぜ、最大の論点である普天間問題についての国民の声を問わないのか。


鳩山由紀夫総理大臣と小沢一郎民主党幹事長の去就について問うだけが世論調査の役割ではない。


鳩山政権は沖縄県名護市辺野古付近への移設案を日米合意として発表したが、海上滑走路建設には沖縄県知事の許可が必要である。


本年11月に沖縄県知事選がある。辺野古基地建設を容認する候補者は知事選で敗北する。辺野古基地建設を認めないとの公約を示す候補者だけに知事選勝利の可能性がある。


日米政府が基地建設を決定しても、実際には工事に着工できない。


結局、①辺野古案の実現可能性は低く、②現状維持、か、③グアム・テニアンへの移設、しか現実的な候補はない。


世論調査は日本を揺るがしている普天間問題をどのように解決すべきかについての国民の声を聞くべきである。世論調査で調査すべきことをまったく調べず、世論調査を民主党攻撃の道具としてしか使わないから、マスメディアはマスゴミと呼ばれるのだ。


①名護市民が基地移設拒絶の民意を表明したにもかかわらず、辺野古海岸に軍事基地を建設することを適切と思うか。


②海兵隊の沖縄残留が「抑止力」の視点から日本にとって不可欠だと思うか。


③グアム・テニアンが普天間基地移設受け入れを表明しているが、グアム・テニアンへの移設案を積極的に検討するべきだと思うか。


米国は海兵隊拠点をグアムに移す方針をすでに決めている。しかし、できれば、日本政府の費用負担で、沖縄に最新鋭の軍事拠点を確保したいのだ。自民党政権時代に日本政府が米国の要求を呑んだからには、この果実を手放したくないというのが米国の考えである。


鳩山総理はグアム・テニアンへの移設を決断するべきだった。そのうえで、2014年までにグアム・テニアンの受け入れ態勢が整わないことへの対応として、キャンプ・シュワブに必要最小限の設備を設置することを検討すべきだった。


普天間問題は現時点でまったく決着していない。今後の検討に際しては、グアム・テニアンへの移設を軸にして、付随措置として暫定措置を検討すべきである。


5月29日放送のTBS番組「ニュースキャスター」で、御用偏向評論家の田崎史郎氏がまた暴論を吐いた。


普天間問題に対して国民の関心がここまで高まったことは、鳩山総理の功績であって失点ではない。沖縄県がこれまでどれだけの犠牲と負担を強いられてきたか。現時点においても、在留米軍の75%が沖縄に集中しており、沖縄県の10%が米軍に占領されている。


普天間の県外・国外移設は沖縄に住む人々の心の叫びであり、普天間問題が拡大したことで、日本国民全体が問題の存在への理解をわずかでも深めたのは事実である。


それを、田崎氏は、やっと辺野古で決着しかかったのを鳩山総理がすべて台無しにしたとの発言を示した。


国論を分けるような重大な問題であるなら、問題の存在を明らかにして、主権者国民の審判を仰げばよいのだ。問題が表面に出て、全員参加で論議を深めた結果として、日本国中、どこへ行っても米軍基地建設拒絶の反応が示されているのではないか。


日本が民主主義国家で、国民に主権があるなら、主権者国民の総意で米軍基地拒絶の意思が確認できれば、これが日本国の決定にならなければおかしいではないか。


問題を表面に出して、じっくり全員参加で論議をすれば反対になるのだから、そのようなオープンな論議をせずに、どこかにうまく押し付けることができれば、それでいいじゃないか。せっかく寝た子を起こすのはけしからん。


田崎氏の主張はこのようなものだ。






同じく御用発言を繰り返す芸人の北野たけし氏。


麻生元首相としゃべったら、「せっかく辺野古にきめたのに」とぼやいていたと発言した。


二人の発言は、両名が国民主権の根本をまったく踏まえていないことを鮮明に示している。


全員参加の論議をして、米軍基地拒絶の結論が出るなら、それしか答えはない。密室で協議をして、利益誘導で一部関係者を籠絡し、主権者国民の総意を確かめることもなく政府が勝手に合意を作り、皆が知って大騒ぎになる前に既成事実を作ってしまえとの判断で政府が動くなら、そのような政府は反主権者の政府である。


主権者は国民であることを忘れてはならない。。主権者の意思と離れたところに政府が存在し、政府独自の利害が存在して、国民にはすべてを知らせず、ただ、政府が決めたことを受け入れさせる、被支配者として国民を捉えているなら、それは思い上がりも甚だしい。


そもそもの問題は、沖縄のかけがえのない大自然を破壊し、沖縄の人々に過酷な負担と犠牲を強いる、米国の要求した基地建設を旧政権が決定してしまったことにある。


鳩山総理がいま厳しい批判を浴びているのは、このような日本の主権者国民の意思に反する辺野古海岸破壊滑走路建設案に鳩山総理が回帰してしまったからなのである。


田崎氏は鳩山総理が普天間問題を重要政治課題として取り上げたことが間違いだったと批判するのだが、問題の本質をまったく理解していない。


普天間代替施設が沖縄に必要であるかどうかを決めるのは、主権者国民である。だから、この問題についての世論調査が不可欠なのだ。


田崎氏の主張を敷衍(ふえん)して考えれば、世論調査をして問題を国民全体で考えれば、辺野古海岸破壊滑走路建設に反対の国民の声が噴出するだろう。だから、そのような問題を提起した鳩山総理の罪は重い。このような問題は、皆が気付かないように処理すべきなのだ、ということになる。


言語道断の思考回路である。このような人物が大手を振ってテレビに登場しているのが、いまの日本の悲しい現実である。


国民に問題を提起し、国民が総意で、米軍基地建設拒絶の意思を示したのだ。


鳩山総理の最大の誤りは、このような民意が鮮明に示されたにもかかわらず、主権者国民の意思を無視して、米国の言いなりになってしまったことだ。この点で、鳩山総理は致命的な誤りを犯したと思う。自民党が犯した重大な誤りとまったく同じ誤りを犯したことが問題なのだ。


政局については稿を改めるが、現在日本の最大の問題は、日本の政治が主権者国民に支配されずに、米国に支配されている点にある。


対米隷属に賛成か反対か。この問題を今後の政治対立の軸に設定するべきであると思う。米国に言うべきことを言うためには、揺るがぬ政治信念と、強固な意志が不可欠である。社民党はひとつの筋を通したが、民主党内でこの大業を担えるのは小沢一郎氏しかいない。


政権を代えるなら、小沢氏が副総理・外務大臣として入閣することが強く求められる。


最悪のシナリオは、対米隷属の二大政党制が生まれることである。日本の支配者米国は、日本に対米隷属二大政党制を生み出そうと画策している。社民党排除はその第一ステップである。自民・民主大連立構想も、究極の狙いは対米隷属二大政党制構築にあったと思われる。


この重大な問題については稿を改める。


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政局動揺の裏側で世界経済危機が進行している

2010-06-01 18:04:20 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


政局動揺の裏側で世界経済危機が進行している
5月28日金曜日、『金利・為替・株価特報』2010年5月28日号=第109号を発行した。


巻頭タイトルは


「EUの経済政策能力が問われるユーロ危機」


である。


以下に目次を紹介させていただく。


<目次>


1.【政策】米国に押し切られた普天間問題


2.【政治】検察連続大失態の深層


3.【政局】参院選後の政局


4.【政策】増税で景気が良くなるという嘘


5.【株価】ユーロ危機は収束するか


6.【経済】世界恐慌の基本図式


7.【金利】遠のいた金利上昇


8.【地価】PBR1倍割れの解釈


9.【投資】投資戦略


鳩山総理は沖縄普天間基地移設地決定問題を政権の最重要課題に掲げた。本年5月末を決定期限と定め、「腹案」があり調整を進めていることを明言してきた。


昨年8月30日の総選挙で鳩山総理は「最低でも県外」と発言し、基地負担軽減を希望する沖縄の住民、国民は大いなる期待を持って対応してきた。


鳩山政権は主権者である国民との約束を守る必要があったが、鳩山総理は5月28日に記者会見を行い、沖縄県名護市辺野古地域に1800メートル滑走路を建設するとの、旧政権が米国と成立させた合意案とほぼ同じ案を日米政府共同での決定案として発表した。


鳩山総理は5月14日に、米国との同意よりも地元住民の同意を取り付けることを優先することを明言したが、結局、政府決定は米国との合意を優先させるものとなり、地元の意向は完全に無視された。


鳩山総理ならびに鳩山政権に対する主権者国民の信頼が失墜することは明白であり、鳩山政権は7月に予定される参院選で国民の厳しい審判を受けることになる。


参院選に前後して政局が一気に流動化する可能性が高い。


民主党内ではこれまでも小沢一郎氏支持の国会議員と反小沢一郎氏陣営の国会議員が対峙してきたが、鳩山政権が総選挙で厳しい現実に直面することと連動して、民主党内の政治抗争が一気に激化することが予想される。


政治を捉える際に重要なことは、政治を職業とする人々、政治屋と言ってよいのだが、政治屋が政治権力をめぐって争奪戦を繰り広げるのを、国民が観客として論じる、あるいは予想するのではなく、政治が本来主権者である国民のものであり、国民が望む政治を実現するために、主権者国民の代表者をどのように働かせるのかという視点である。


政治屋が上位にいて国民に政治状況を与えるのではなく、主権者国民が上位にいて、国民が政治家を代表者として活用して、国民のための政治を実現させるとの意識が重要である。


本来的に国民が政治の主役でなければならないのだが、残念ながらこれまでの日本ではそうではなかった。


日本では、長い間、米国、官僚、大資本が政治の実権を確保し続けてきた。政治屋とマスメディアはこの権力者の手先となって一般国民を支配する活動を続けてきた。


この構造を、根本から刷新しなければならない。そのためには、政界の大再編が必要である。この意味では、普天間問題を契機に政局が激動することにも一定の意義があると考える。


この問題については、稿を改めて論じる。






さまざまな問題が次から次に起こるために、重要な問題がはっきりとした決着をつけられずに曖昧に処理されてしまう傾向が強い。


鳩山政権が実施した事業仕分けにしても、重要なことは、最終的にどの問題について、どのようなことが実現するのかである。


事業仕分けのテーブルが用意され、テレビカメラがやりとりを面白おかしく放映し、お茶の間談義の格好の素材を提供するが、結局、現実がほとんど何も変わらない、のでは、事業仕分けに何の意味もないことになる。


最初の事業仕分けの会場に使われた独立行政法人国立印刷局の四ツ谷体育館も事業仕分けの対象になった。しかし、印刷局が体育館をいつまでに売却するかについての最終決定を政府は国民に示したのかどうか。


パフォーマンスだけを提示するだけなら、やらない方が健全である。


昨年3月3日の小沢一郎氏公設第一秘書大久保隆規氏の逮捕・起訴は、その着地点によっては、極めて重大な問題に発展する。


この問題がなければ小沢一郎氏は昨年秋に内閣総理大臣に就任していたはずなのである。大久保氏逮捕が、もし、この政局を踏まえた政治的な謀略であったなら、その全容が明らかにされ、適正な責任処理が行われなければならない。政治謀略が日本の歴史を変えてしまっているのかも知れないのだ。


警察・検察・裁判所制度の近代化は、日本が抱える重大問題のひとつである。これらの問題を風化させず、ひとつひとつの問題に決着をつけてゆかねばならないのだ。


『金利・為替・株価特報』2010年5月28日号では、経済問題に紙面を割いた。ギリシャ財政危機を背景にユーロが急落し、世界同時株価下落が広がった。


世界経済は2008年から2009年にかけてサブプライム金融危機で揺れ動いた。各国政策当局の懸命の政策対応により、昨年春以降、金融市場の安定と経済の緩やかな回復が実現し、不安心理が後退しつつあった。


ところが、欧州の財政危機を契機に為替市場が激動し、世界的な同時株価下落が一気に広がってしまった。


日本では、ギリシャが財政赤字拡大で危機に直面したことを踏まえて、財政赤字縮小策の重要性が強調され始めている。鳩山内閣でも菅直人副総理兼財務相や仙谷由人国家戦略相、岡田克也外務相、前原誠司国交相などが、増税早期実施に積極的な考えを有していると見られている。


背後には、財政再建原理主義者の財務省が存在する。


本当に緊縮財政による財政再建が、いま最優先で実施すべき政策であるのか。


世界の主要国が経済政策運営を誤れば、世界経済が甚大な被害を蒙ることも十分に考えられる。サブプライム金融危機がわれわれに与えている重要な教訓は、金融市場の取引残高を突出して拡大させてしまうことが、世界経済を不安定にする主要原因になるということだ。


現在、この反省に立った金融規制が検討されているが、残念ながら現状では、まだまだ金融市場という名の巨大な尾っぽが、世界経済という体の本体を振り回す状況が存在したままである。


1929年の株価大暴落に端を発する世界大恐慌が深刻化した主因は、世界経済が縮小均衡の方向に突き進んだことにある。現在の経済政策論議のなかに、この危険の萌芽が潜んでいることを注意深く察知することが極めて重要である。


日本の経済政策論議では、2011年度予算編成における国債発行金額44.3兆円という基準に、この危険が端的に示されている。


人々の関心は政局の動揺に向ってしまいがちだが、2010年の各国経済政策運営は極めて重大な意味を持つことを認識しなければならない。


東京証券取引所第1部上場企業の株式益利回りは6%弱に上昇している。株価が大幅割安に置かれているか、先行きの激烈な経済悪化が警戒されているか、のどちらかということになる。


政治の主役は主権者国民であり、政治は主権者国民の幸福を目指すものでなければならない。


国民本位の政治が実現する体制が整えられると同時に、国民から政治運営を委ねられる為政者が、高い能力を持って、経済政策を適切に運営することが強く望まれている。

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