細川ネガキャンに人物のあさましさを見る。(日々雑感)
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投稿者 笑坊 日時 2014 年 1 月 15 日 07:06:18: EaaOcpw/cGfrA
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2014/01/15 06:50
昨日元総理二人の細川・小泉会談の後囲み記者会見ながら細川護煕氏が都知事選に立候補することを表明し、小泉純一郎氏も都知事選で細川氏を「脱原発」を最大の争点として支援することを確約した。二人とも70歳過ぎの高齢ながら総理大臣当時は圧倒的な支持を得ていただけに都知事選は自公の支援する舛添氏で決まりと思われていた選挙情勢が一気に混沌として来たようだ。
二人の会談を報じるニュースが報じられるや、予想していたことだが自民党の元・現職の政治家たちから反発の声が相次いで出された。しかしそれらは「都知事選挙をシングルイッシュ―で戦うのはいかがか、福祉や地震対策や少子問題など都が抱える問題は多枝に亘る」とステレオタイプのオンパレードだった。
確かに都政が取り組むべき問題は多枝に亘る。福祉などに関しても介護や医療などの問題もそうだが、それらのほとんどは国のメニューの範疇でしか対応できない「極端な中央集権」国家だということを国会議員たちは忘れているようだ。東京都にどれほどの裁量権があるというのだろうか。
地震対策に関しても高速道路や環状線などの国道は国の所管で、都が維持・管理すべき都道はあるにはあるが、それらは都市計画に連動する計画街路として歳月のかかる整備計画の中で動いている。エイッヤッと都知事が決裁すれば直ちに地震対策が出来るというものでもない。
いや東京都知事にどのような人物がなるかということは国とは違った民主主義と地方自治の鏡のようなものではないだろうか。自公が政権に復帰するや選挙時に公約していた「脱原発」は選挙で勝つための「羊頭狗肉」の騙し公約であったと露呈している。その自民党の補完勢力に過ぎないみんなの渡辺氏などは「都知事に出るなら細川氏は佐川急便からの借り入れ一憶円疑惑について説明すべきだ」と見当違いの発言をしてオツムの程度を露呈している。
総理当時に事件とすべき疑惑があったなら非自民政権の総理だった細川氏に検察が遠慮したはずはないし、民法上の貸借関係の時効は10年で佐川疑惑と騒がれた当時から20年以上も経過している。それを渡辺氏が「説明責任がある」というのなら、既に時効になっている父親の後援会を継承した当時の6億円脱税疑惑のある安倍氏に関しても言及すべきだろう。
日本の首都の知事が「脱原発」を宣言することがどれほど世界に対して大きなインパクトを持つか、考えたことがないのだろうか。奇しくも昨日に立候補記者会見を行った舛添氏は「脱原発しかないのだろうか、都知事には福祉や地震対策や待機児童対策など多枝に亘るもんだいがあるのに」と自民党政治家と酷似したステレオタイプの発言をしているのには驚いた。
彼らは細川氏が「脱原発」を公約の第一に掲げると宣言していると思わないのだろうか。元総理が民生全般の政策を失念しているのではないかと思う方がどうかしている。彼らの原発再稼働に向け着々と手を打っている自公政権の危うさを警告していることに、この国のマスメディアは意図的にスル―しているとしか思えないのはなぜだろうか。
彼らは何を恐れているのだろうか。当時の中曽根総理が米国からお買い上げした30年分のウランを消費し尽くさなければならないとの強迫観念に苛まされているのだろうか。それとも放射能汚染の前に、既に原子力ムラがばら撒いた原子力マネーに汚染されているのだろうか。
この国が放射性廃棄物汚染列島になっている現実をマスメディアはなぜ報道しないのだろうか。全国各地の原発の燃料プールには使用済み核燃料棒がほぼ満杯の状態だが、最終処分場という行き場がないためドンドン貯まり続けているのだ。地震などで燃料プールから冷却水が喪失するとたちまち臨界・核爆発を起こすという危険な状況にあることを国民は知らされていないばかりに深刻に受け止めていない。
テレビのコメンテータやMCが暢気な顔をして「脱原発だけで都知事選挙とはどうしたものですかね」と冷笑しているのを見ると、彼らに使用済み核燃料棒の所在を報道しない無作為の責任を問いたい衝動に駆られる。彼らもまた原子力マネーに汚染された人種の一人なのだろう。
都民のほとんどは自分たちが使ってきた電気の何割かがそうした危険を各地が引き受けた上で成り立っていたと自覚すべきだ。便利さの裏返しというには放射能汚染の脅威に日常的に晒されている人たちの受ける恩恵は余りに少なくないだろうか。一事あれば彼らは郷里も家も仕事も何もかも失うのだ。それでも都知事選挙で「脱原発」を掲げるのは見当外れだろうか。