■衆議院議員石井紘基著『日本が自滅する日「官僚経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』(PHP2002年1月23日発行)
第十三回目朗読 (2018.12.03)
第一章 利権財政の御三家ー特別会計、財投、補助金 (P33-110)
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1064.html
第一節 誰も知らない日本国の予算 (P34-51)
●決算せずに予算を組む国は危険 (P48-51)
わが国では、税金の使い方や配分には血道を上げるが、その金がどう使われ
たか、つまり、決算にはほとんど無関心である。
すなわち、わが国の決算は二一世紀になったというのにまだ平成九年度まで
しか行われていない。平成一〇年度分の委員会審議は、ついに平成一四年に持
ち越しというありさまなのだ。つまり決算がなくても予算が組める、決算の結
果が予算に影響を及ぼさない国会では四年前の決算が行われなくても何ら不都
合はない(!)、というのがわが国の現状なのである。
また、わが国には一応、会計検査院という機関がある。補助金や交付金など
国の予算が不正に使われていないかを検査する建て前だが、実際には使い途を
決める各省庁に対してほとんど口出しできない。
足し算引き算の間違いや水増し支出などを捜し出す程度で、幾多の議員の“
口利き”や利権による不正支出や無駄な“政策”をチェックする力はない。強
制権限もなく、比較的細かな不正を「指摘事項」などとして公表するのみだ。
これには財政や法律、政策を各省庁が所管し、権限も握っているという要因
がある。予算の多くは省庁が持つ特別会計、事業法、事業認可などの権限に基
づいて“合法的”に執行されるため、問題があっても、その限りでは不適正と
いえないのである。
また、九〇〇人程度の調査官では、調査対象の補助金交付団体等が七万団体
近くあるのだから、とうてい十分な検査もできるわけがないうえ、族議員が群
がる他省庁に比して補助金の配分先を持たない会計検査院には利権の手がかり
もなく、わが国政界から見向きもされない存在なのだ。私が仲間に呼びかけて
「国民会計検査院」を設立したゆえんである。
企業経理では、こんな監査制度はありえない。企業では監査役による監査が
義務づけられており、監査役がなれ合いの監査ですませていると背任に問われ
ることも珍しくない。国税庁などの監視の目も光っている。経理上の不正や不
当支出が見つかれば、すぐにフィードバックして、その不正の芽を摘むという
のが、企業経理の原則だろう。
国の決算がお座なりにされている理由はただ一つ、税金の本当の使途を国民
に知らせることができないからなのである。
ご承知のように、予算委員会ではもっぱら政策論議やスキャンダル追及が主
で、予算そのものについての具体的な議論は少ない。
これにはさまざまな要因があるが、根本はわが国の財政制度に問題があるの
だ。わが国の財政制度は行政権力による“事業”展開の体系として各省庁が所
管する「特別会計」を軸に構成される。その中で歳出については大半が「補助
金」 であり、それは行政権限による配分の形で決められる。
年間予算二六〇兆円のうち「一般予算」として提出されるのは八〇兆円余で
あり、それも大半は「特別会計」 に繰り入れられ、省庁による箇所付けに付
されるため、予算は事実上、決して憲法の定めるように国会で決められている
とはいえないのである。
国会で決めるのは単に抽象的な「予算」 に過ぎない。「予算」支出の中身
は省庁(官僚) が与党の指示や族議員の意向などを考慮して決めるのであ
る。
この節で示したようなわが国の全体予算の総額については、私が指摘するま
で国会で議論されたことはなかった。国の主たる予算に浮上した「特別会計」
についても、その実態については語られたことすらほとんどないのである。も
っぱら予算といえば「一般会計」 で論議されてきた。
しかし、「一般会計」はまさに“大本営発表”以外の何ものでもなく、実際
の国の会計とはまったく異なるものである。
このような“カモフラージュ (迷彩)”された 「一般会計」を重要な予
算として示すのは国民に対する欺瞞(ぎまん)であるし、これを真に受ける議
員も議員である。
なんと、わが国の国会やマスコミ、学会のほとんどがこの“大本営発表”に
マインドコントロールされてきたのである。このように、わが国では予算の実
態がわからない仕組みであることが、予算委員会をはじめとする国会の議論で
予算審議が空回りしている原因の一つである。
(第一章 第一節 ここまで)