座禅や瞑想しているとき、雑念に悩まされる時があります。雑念がおこると何か修行になってないと思い込みますが、そう深刻に考えなくてもいいということです。
盤珪語録より
・・俗士問う「起こる念をはらへば又跡より起こり続き、やむことなし。此の念いかようにをさめんや。」
師曰く「起こる念を払うは,血にて血を洗うがごとし。始めの血は落ちても洗う血にけがれる。いつまで洗うてもけがれはのかず。この心もとより不生不滅にして迷いなきことを知らば、念を有るものに思い、生死流転する也。念は仮の仮想なりと知りて、取らず嫌わず、起こるまま止むままにすべし。たとえば鏡にうつる影の如し。鏡は明にして向かう程の物を映せども鏡の内に影を止めず。仏身の鏡よく万倍明にしてしかも霊妙なるかな。一切の念はその光内に消えて跡なし。この道理をよく信得すれば念はいかほど起こりても妨げなし。」
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