福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

両部神道論その15(神仏習合年表6)

2014-10-23 | お大師様のお言葉
1018、春日社では興福寺の社僧が法華八講の法会を始める。そもそも春日社とは、神道集に「春日大   明神、この御神の大社は常陸國鎮守鹿島大明神是なり、佛法守護・鎮護国家のために人王四十八代   称徳天皇の御宇、神護景雲元丁未年(766)、三笠山に移る、春日の四所明神と申す、すでに五   百歳にあまる、南都に移したまひける時は一丈許の白鹿にて御友は二人なり、その二人の御友は時   風・秀行これなり、春日四社明神と一宮は本地不空羂索観音なり、此の仏は是れ三面九目にして八   臂なり、二手合掌なり、錫杖・白拂・羂索観音なり或はまた一面にして八臂なり、胎蔵界の図に云   う、白肉色にして四臂あり、右の第一手には念珠を持ち給へり、次の手には軍持の瓶を持ち給へ    り、左の第一手には蓮華を持ち給へり、この四臂とは東方大円鏡智、南方平等性智、西方妙観察    智、北方成所作智これなり、・・」仏法守護国家鎮護の為に、鹿島大明神(タケミカヅチ)と香取   大明神(経津主神ふつぬしのかみ)が御蓋山(三笠山)に遷座(春日大明神事)」とある。
1024、唯一宗源神道(吉田神道)の大成者兼俱は《唯一神道名法要集》を作成(卜部兼倶・万寿元年(1024)の奥書あり)、
 「唯一神道名法要集、
  問う、神道とは幾つ分別する子細有るや、答、一には本迹縁起の神道、二には両部習合の神道、三に  は元本宗道の神道、故に是を三種の神道と云う。
  問う、本迹の神道とは何ぞや、答、某宮、某社、仮現,降臨、勧請以来、縁起の由緒について一社の  秘伝を構える、口決の相承を以ては累世の祠官と称す、将に本地の法味を修しては内清浄の理教に准  え、祭祀の礼奠を捧げては外清浄の儀式に備ふ、是を本迹縁起の神道といふ、また社例傳記の神道と  いふ、
  問う、両部習合の神道とは何ぞや。答、胎金両界をもっては内外二宮と習ひ、諸尊を以ては諸神に合  す、故に両部習合の神道といふものか、
  問う、然る如く習合するものは何人の所意ぞや、答、伝教、弘法、慈覚、智証等この四大師の所意な  り、ゆえいかんとなれば、彼の真言の奥蔵を極めて吾神道の密意を悟り、第日本国の名を得て、大毘  盧遮那の霊地を覚り、神代の書籍によって、秘密の釈義を設けて、各一師の神書と号す、それよりこ  のかた、顕密の諸宗神道に入って末書を述べる者その数五百巻、故に大師流の神道という、
  問う、其の文証如何、答、諸師の書籍、事多きに依って之を略す、麗気記の頌に曰く、「諸仏正覚   金剛杵 往古菩薩 智法身 、樹下成道 常説法 大日本国 成鎮壇。弘法大師の啓白文にいわく、 「尊神、内宮外宮を占めて、以てとこしなえに日域を護り、金界胎界を示して以て正しく月殿を開く、  心城本位の聖衆を思えば、則ち當宮所属の眷神なり、」これらの文證 勝計べからざるものな   
  り・・」
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