福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。

2013-02-28 | 法話
佛遺教經に「汝等比丘、若し人有って節節に支解するとも、当に自ら心を摂めて瞋恨 せしむること無かるべし。亦、当に口を護るべし。悪言を出すこと勿れ。若し恚心を縦にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失する。

忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名づけて有力の大人と為すべし。若し其の悪罵の毒を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者*は、入道智慧の人と名づけざるなり。

所以いかんとなれば、瞋恚の害は能く諸の善法を破し、好名聞を壊す。今世後世の人、見ること喜わず。当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に当に防護して入ること得せしむること無かれ。功徳を劫むるの賊は、瞋恚に過ぎたるは無し。白衣(俗人)で受欲非行道の人、法として自ら制すること無きすら、瞋猶おゆるすべし。出家行道無欲の人にして、而も瞋恚を懐くは甚だ不可なり。譬えば清冷の雲の中に霹靂の火を起こすは所応に非ざるが如し。」
とあります。


「山の修行、里の修行」と云う言葉があります。最近色々と低レベルの出来事が重なり、里の修行で「不瞋恚」を守るのは大変と改めてわかりました。「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり」とある所以がしみじみ分かります。当方の場合は「不瞋恚」というより、毎回唱える「衆生無辺請願度」の「衆生」の中へ一般論として怒りの相手も入れてしまい、意識を拡散させるのが良策と思いました。
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