今朝修法していて突然「先祖供養は死んでからはできないのだ」と思いました。
死者は体を持ってないので修行できない、従って生きている者が代わりに功徳を積んでその功徳を死者に回向するほかない、当たり前のことですがこれを現代人は忘れています。
「死んだのち仏となると思うなよ死なぬうちこそ真の妙法(白隠)」という言葉があります。これなどもこの身体性のことを言っているのだと思います。
更に、密教でいう、身口意の「三密加持」とか「即身成仏」とかはすべて身体性を前提にしています。生きているうちに先祖供養だけでもしっかりと行っておかなければ死んでからは先祖供養はできません。
死者は体を持ってないので修行できない、従って生きている者が代わりに功徳を積んでその功徳を死者に回向するほかない、当たり前のことですがこれを現代人は忘れています。
「死んだのち仏となると思うなよ死なぬうちこそ真の妙法(白隠)」という言葉があります。これなどもこの身体性のことを言っているのだと思います。
更に、密教でいう、身口意の「三密加持」とか「即身成仏」とかはすべて身体性を前提にしています。生きているうちに先祖供養だけでもしっかりと行っておかなければ死んでからは先祖供養はできません。