華厳経巻十夜摩天宮菩薩品第十六「衆生は過去現在未来の中にいる。この過去現在未来の中の衆生は色・受・想・行・識の五陰によりて生じている、色・受・想・行・識の五陰は業によりて生じており、この業は心が生じさせているのである。心に因りて生じている外界は幻であり、衆生自体も幻である。世間は自ら作り出したものでもなく、他が作り出したものでもない。真実を知らないので衆生は生死を繰り返す。生死という世間に生まれ変わり死に変わりする元は『苦』がそうさせているのである。こういう真理を知らないので衆生は常に生死を繰り返すのである。 」
(一切衆生の類は悉く皆三世に摂す。三世の諸の衆生は皆是五陰の摂なり。五陰は業よりおこり、諸の業は心に因りて起こる、心法はなお幻の如く、衆生も亦この如し。世間はみずから作に非ず、亦復他の作るに非ず、真実の性を知らざれば生死の輪廻常に転ず。所謂世間の転ずるは皆悉く是れ苦の転ずるなり。衆生は知らざるが故に生死の輪常に転ず。・・)
(一切衆生の類は悉く皆三世に摂す。三世の諸の衆生は皆是五陰の摂なり。五陰は業よりおこり、諸の業は心に因りて起こる、心法はなお幻の如く、衆生も亦この如し。世間はみずから作に非ず、亦復他の作るに非ず、真実の性を知らざれば生死の輪廻常に転ず。所謂世間の転ずるは皆悉く是れ苦の転ずるなり。衆生は知らざるが故に生死の輪常に転ず。・・)