福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが先日の江戸33観音東京10社の参拝記録を作ってくださいました。3

2015-08-15 | 開催報告/巡礼記録
午前10時35分、白山神社に詣でます。
白山神社(東京都文京区白山5-31-26)准勅祭社・旧郷社 主祭神 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命

白山神社の由来によると、天歴2年(948年)加賀国一宮の白山比神社を、武蔵国豊島郡本郷元町に,勧請を受けて、創建した。建武4年(1338年)足利尊氏によって、国家平安御祈祷所に命ぜられ、百貫文を賜りました。元和2年(1616年)徳川秀忠の命で、巣鴨原[現、小石川植物園内]に、移転、、慶安4年(1651年)徳川家綱の用地になり、明暦元年(1655年)徳川綱吉の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座しました。その御縁で、綱吉と、生母である桂昌院の崇敬を受け、徳川将軍家から信仰されました。しかし、元禄16年(1703年)、さらに、享保3年(1719年)火災で、社殿がその都度、焼失しました。しかし、当時の有識者たちが、こぞって寄付金を出し合い、昭和8年には、社殿の全てを再興したと言います。再興するために時間はかかっても、神社の復権を願う一心で、根気よく忍耐強く、挫けることなく白山神社を再興し、今日に至らしめた、当時の人たちの心意気に頭が下
がる思いがします。
私たちが、白山神社に訪れた時、ご朱印を戴く社務所は、お留守になっていて、呼び鈴を鳴らしても返答がなく、5~6組の参詣者は、ご朱印を戴くことを諦めて無念の思いで、帰つて行きました。しかし、私たちは、講員のSさんが、社務所にNTTの電話をかけると、禰宜さんが、対応していただき、ご朱印を戴くことができました。Sさんは、巡拝の為に、ちゃんと巡拝ガイドを持ち、神社の連絡先もすぐに調べられるようにしておられたのです。何事も怠らず準備万端整えておられる様には、教えられる所、多でした。この日、社務所の禰宜さんは、外出の用事があり、呼び鈴を切って出かけ、戻ってきたのですが、呼び鈴をONにし忘れていたそうでした。
この神社で、偶然、現代中国革命の父と謳われている孫文(1866~1925)の名前を刻んだブロンズの石碑と、孫文の肖像の浮き彫りレリーフを見ることが出来ました。孫文は、欧米列強諸国が中国を占領し蹂躙していたとき、中国をどのようにして解放すべきか思いをはせていました。孫文は、日本に亡命していた時、僚友であった社会運動家で、浪曲師でもあった宮崎淊天(1871~1922年)と明治43年(1910年)5月のよる、二人でこの白山神社の境内に来て、石に腰掛け、夜空を眺めながら、中国の将来を語り、抱負をのべあった時、光芒を放つ一条の流星を見て、このとき、孫文は、祖国の革命を心に誓ったと言います。この誓いが、孫文は、中国に帰り、清王朝を打倒する辛亥革命を起こし、中華民国を樹立することになります。その時に、孫文と淊天が並んで座っていた石が残されてあり、これを記念して「孫文先生座石」の碑が建てられたということでした。ここ、久しく、孫文のことを忘れていましたが、久しぶりに思い出し、毛沢東も、孫文を尊敬して、中国革命を進め、今日の中国を建設したといわれる歴史的大事業に思いをはせました。
白山神社の御神徳
御祭神 菊理姫様(くくりひめ)・結びの神
伊弉諾命(いざなぎ)・伊冉弉命(いざなみ)・修理固成の神で、縁む
すび、商談成立・商売繁盛・受験・家内安全など多義にわたる
仲介がなされます。
航海安全をお守りしてくださる。海外旅行者に人気があり、
無事帰国の際、必ず、お礼参拝する人が多い。
霊峰白山に起源する「水の神」「農耕の神」でもあり、火防
の神でもあります。
御本宮(加賀一ノ宮]修験者が、荒行に耐え成し遂げたと
伝えられる虫歯[特に痛みを鎮める]に関するもの
(続)
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