第六講 因縁に目覚める
無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。
商人の話
昭和九年の春、AKから『般若心経』の放送をしている時でした。近所の八百屋やおやさんが宅へ参りまして、家内に、冗談のように、「この頃は毎朝、お宅の先生のラジオ放送で、空くうだの、無だのというような話を聞かされているので、損をした日でも、今までと違ってあんまり苦にしなくなりました」といって笑っていたということですが、たとい、空のもつ、ふかい味わいが把つかめなくても、せめて「裸にて生まれて来たになに不足」といったような、裸一貫の自分をときおり味わってみることも、また必要かとおもうのであります。その昔幕末のころ、盛んに廃仏棄釈はいぶつきしゃくをやった水戸の殿様に、ある禅寺の和尚おしょうさんが、
「君は僅わずかに是これ三十五万石、我れは是れ即すなわち三界無庵むあんの人」
といったという話がありますが、あなたはたった三十五万石だ、私は「三界無庵の人」だといった、その心持には味わうべき貴いものがあるかと存じます。おもうに三界無庵の人こそ、その実、いたるところに家をもつ三界有庵の人です。「無一物中無尽蔵」です。そこには、花もあれば、月もあります。私どもは、般若の「空」がもっているほんとうのもち味をかみしめつつ、いたずらにくよくよせずして、ゆったりと落ちついた気分で、お互いの人生を、社会を、広く、深く、味わってゆきたいものです。
さてこれからお話ししようとする所は、
「無明むみょうもなく、また無明の尽くることもなく、乃至ないし、老死もなく、また老死の尽くることもなし」
という一節であります。すでに私は「仏教の世界観」を契機きっかけとして、それによって「一切は空なり」ということをお話ししたのですが、これからは「仏教の人生観」の上から、「一切は空なり」ということをお話しするわけであります。ところで最初の所は、有名な「十二縁」の問題を取り扱っているのですが、『心経』には「十二因縁」の一々の名前はなくて、ただ最初の「無明むみょう」と、最後の「老死」とを挙げてあるのみで、その中間は、「乃至」という文字でもって省略してあるのです。そして「無明もなく、無明の尽くることもなく、老死もなく、老死の尽くることもなし」とて、十二因縁の空なることを説いてあるのですが、いったい般若の真空しんぐうの上よりいえば、客観的に宇宙の森羅万象すべてのものが空であったがごとく、主観的にも、宇宙の真理を語る所の、智慧ちえそのものもまた空だ、というのが、「無明もない」、「老死もない」ということ、すなわち十二因縁もまた空だというのがそれです。ところで、この「十二因縁」の一々についての、詳しい説明は、かえって煩瑣はんさですし、またここではその必要を認めませんので省略しておきますが、ただここで、ぜひとも注意すべき大切なことは、「十二」という数字よりも、むしろ「因縁」という二字が大事だということです。すなわち十二という数が、必ずしも特別に重要な位置を占めるものではなくて、「因縁」ということが必要なのです。「因縁」ということ、因縁の内容をば、十二の形式によって説明したものが、この「十二因縁」でありまして、これは結局、「因縁」という一語につきるわけです。したがって、開けば十二、合すれば因縁の一つというわけです。
因縁の体験
さてこの因縁が、どんなに重要な意味をもっている語ことばであるかは、すでに、しばしば反覆くりかえし説いてまいりましたが、要するに、縦から見ても横から見ても、内から見ても、外から見ても、「仏教の根本思想」は、所詮この「因縁」の二字につきるのです。もちつ、もたれつという「相対依存いぞん」の関係も、万物は移り変わるという「万物流転」の原理も、ことごとくみなこの「因縁」という母胎から生まれてくる真理であることは、すでに述べたとおりです。かかるがゆえに、人間の子釈尊が、仏となったことも、実は、この因縁の自覚にあったのです。しかもこの因縁の法を自覚した釈尊、仏となった釈尊が、その因縁の道理をば、自己の体験を通じて「教え」として説いたものが、すなわち仏教です。したがって仏教は、「仏陀ぶっだの教え」とはいうものの、仏陀は自覚せる人間ですから、所詮、仏教は人間の教えです。神の宗教ではなくて、人間の宗教です。天上の宗教ではなくて、地上の宗教です。昔あるクリスチャンが、神さまは天上にいられると思って、ある日のこと、高い塔の上に登って、「神さまア、神さまア」と、大声で叫びました。すると不思議にも「オーイ」という神さまのお声が聞こえてきたのです。「さては天上に神さまがいられる」と思いつつ、彼はなおもよく耳をすましていると、豈あに図はからんや、神の声は高い天上ではなくて、低い地上から聞こえてきたのです。しかも多くの人たちが群集ぐんしゅうし、雑沓ざっとうしている中から神の声は聞こえてきたのです。もちろんそれは一つの寓話ファブルでしかありません。しかしです。神の声はあった、だが、その声は、高い天上にはなくて、低い地上にあった。しかも、多くの人々の雑沓している、その群集の中にあったということは、そこに、ふかき「何物かエトワス」を物語っていると存じます。キリストは「天国を地上」にといっています。少なくともほんとうの宗教は、神の宗教ではなくて、人間の宗教です。天上の宗教ではなくて、地上の宗教でなければなりません。まことに、宗教のアルファもオメガアも、始めも、終わりも、結局は人間です。「迷える人間」より「悟れる人間」へ、「眠れる人間」より「目覚めた人間へ」、そこに宗教の眼目があるのです。けだし「仏法遥はるかにあらず」です。「心中にして即すなわち近し」です。「真如しんにょ外ほかに非あらず」です。「身を捨て何処いずこにか求めん」です(弘法大師の般若心経秘鍵にあります)。
少なくとも、私ども人間の生活を無視して、どこに宗教がありましょうか。「なにゆえに宗教が必要なのだ」という質問は、つまりなにゆえに、「われらは生きねばならぬか」という質問と同一です。宗教の必要を認めない人は、人間として生きる権利を抛棄ほうきした人です。人間としての、尊き矜持ほこりは「生きる」ということを、考えるところにあるのです。しかも、一度でも「いかに生くべきか」ということを、真剣に考えたとき、それはもはやすでに「宗教の世界」にタッチしているのです。宗教に入っているのです。いや、宗教を離れては、どうしても「生きる」ということのほんとうの意味を、把つかむことはできないのです。
惑と業と苦の連鎖
話がつい横道にそれました。さてこの十二因縁ということですが、これについては、昔からいろいろとめんどうな、むずかしい議論もありますが、こういったらよいかと存じます。いったい、仏教では、私どもの生活は、この現在の一世だけではなく、過去と、現在と、未来との三世に亙わたって、持続するというのです。「三世輪廻」というのはそれです。ところがその生活の過程は、結局、惑と、業ごうと、苦の関係だというのです。いわゆる「惑業苦の三道」というのはそれです。いうまでもなく惑とは、「迷惑」と熟するその惑で、無明、すなわち無知です。智慧ちえが病にかかっている愚痴です。ものの道理をハッキリ知らないから、惑が起こるのです。無知の迷いが生ずるのです。下世話に「一杯、人、酒をのみ、二杯、酒、酒をのみ、三杯、酒、人を飲む」と申しますが、飲み友だちをもった人には、この辺の呼吸がよくおわかりでしょうが、飲酒の害をよく知りつつも、「憂いを払う玉箒たまぼうき」などと、酒杯さかずきを手にします。一杯やりますと、もうたまりません。陶然とした気持になって、飲酒の害も、どこへやらふっ飛んでしまって、酒のいけない人を、かえって馬鹿ばかにするようになります。「痛狂は酔わざるを笑い、酷睡こくすいは覚者を嘲あざける」と弘法大師もいっていられますが、狂酔の人からみると、酒をのまぬ連中がかえって馬鹿に見えるのです。しかし、それは所詮、酒飲みの錯覚です。いうところの「惑」です。だが、メートルが上がると、もうたまりません。一たび、この「惑」が生ずると、酒、酒を飲むようになって、それこそだらしないことをしでかすのです。それが所詮「業ごう」です。はては、他人さまにも迷惑をかけ、自己おのれも苦しむのです。経済上の苦しみはいうまでもありません。身体も精神こころも、苦しめるようになるのです。これがいわゆる「苦」です。三杯、酒、人を飲むというようになると、もう恥も外聞もありません。だが、いったん酔いがさめると、それこそしみじみと酒の害毒を痛感します。もう再び酒杯などは手にすまいとまで思います。しかし、それもほんの束つかの間です。アルコール中毒に罹かかったものは、また何かの機会に杯を手にします。そして飲んだが最後、またいろいろと、だらしのないことをしでかしたすえは、やっぱり自分で自分を苦しめているのです。かくて飲酒家は、断然、禁酒しないかぎり一生いつまでも同じことを、何遍もくり返しているのです。それが、いわゆる惑業苦の関係です。ちょうどあの酒飲みの一生のように、私どももまた同じことを、繰り返し繰り返しやっているのではありませんか。この因果関係、この縁起の関係を十二の形式によって示したものが、つまりこの「十二因縁」です。「十二縁起」といわれる「因縁の哲学」です。だから、無明に出発している私どもの人生は、苦であるのはあたりまえのことです。無明の無知を、根本的に絶滅しないかぎり、苦の世界は、いつまでも無限に継続してゆくのです。したがって、はじめから無明がなければ、無明の尽きることもなく、自然、老死もなく、また老死のつきることもないわけです。
死は生によって来る
今からおよそ千三百余年前に、支那に嘉祥かじょう大師というたいへん有名な方がありました。彼は三論宗りんしゅうという宗旨を開いた高僧でありますが、その臨終の偈げに、こんな味わうべき偈文ことばがのこされているのです。
「歯を含み、毛を戴いただくもの、生を愛し、死を怖おそれざるはなし。死は生に依って来たる。われ若もし生まれざれば、何によって死あらん。宜よろしくその初めて生まるるを見て、終ついに死あることを知るべし。まさに生に啼ないて、死を怖るること勿なかれ」 後世、この遺偈を「死不怖論しふふろん」と称しております。
有名な万葉の歌人山上憶良やまのえのおくらも、「生るれば必ず死あり。死をもし欲せずんば、生れざらんには如しかじ」といっています。ほんとうのことをいえば、たしかにその通りでしょう。生があればこそ、死があるのです。「死ぬことを忘れていてもみんな死に」です。忘れる、忘れないはともかく、みんな一度は、必ず死んでゆくのです。だから、死は生によって来る以上、生だけは楽しく、死だけが悲しい、という道理はないわけです。理窟りくつからいえば、母胎を出でた瞬間から、もはや墓場への第一歩をふみ出しているのです。だから応まさに生に啼いて、死を怖るること勿れです。死ぬことが嫌いやだったら、生まれてこねばよいのです。しかしです。それはあくまで悟りきった世界です。ゆめと思えばなんでもないが、そこが凡夫で、というように、人間の気持の上からいえば、たとい理窟はどうだろうとも、事実は、ほんとうは、生は嬉うれしく、死は悲しいものです。「骸骨がいこつの上を粧(よそ)うて花見かな」(鬼貫)とはいうものの、花見に化粧して行く娘の姿は美しいものです。骸骨のお化けだ、何が美しかろうというのは僻目ひがめです。生も嬉しくない、死も悲しくない、というのはみんな嘘うそです。生は嬉しくてよいのです。死は悲しんでよいのです。「生死しょうじ一如にょ」と悟った人でも、やっぱり生は嬉しく、死は悲しいのです。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は囚われないことです。執着しないことです。あきらめることです。因縁と観ずることです。けだし「人間味」を離れて、どこに「宗教味」がありましょうか。悟りすました天上の世界には、宗教の必要はないでしょう。しかしどうしても夢とは思えない、あきらめられない人間の世界にこそ、宗教が必要なのです。しかもこの人間味を、深く深く掘り下げてゆきさえすれば、自然おのずからに宗教の世界に達するのです。自分の心をふかく掘り下げずして、やたらに自分の周囲を探さがし求めたとて、どこにも宗教の泉はありません。
まことに、「尽日春を尋ねて春を得ず。茫鞋ぼうあい踏み遍あまねし隴頭ろうとうの雲。還り来って却かえって梅花の下を過ぐれば、春は枝頭に在って既すでに十分」(宋戴益)
です。
「咲いた咲いたに、ついうかされて、花を尋ねて西また東、草鞋わらじ切らして帰って見れば、家じゃ梅めが笑ってる」
です。一度は、方々を尋ねてみなければ、わからないとしても、「魂の故郷」は、畢竟ひっきょうわが心のうちにあるのです。「家じゃ梅めが笑ってる」です。泣くも自分、笑うも自分です。悩むも、悦よろこぶも心一つです。この心をほかにして、この自分をのけものにして、どこにさとりの世界を求めてゆくのでしょうか。求めた自分おのれは、求められた自分なのです。求めた心は、求められた心なのです。だから釈尊は、人間の苦悩くるしみはどうして生ずるか、どうすればその苦悩を解脱することができるか、という、この人生の重大な問題をば、この「十二因縁」という形式によって、諦観たいかんせられたのです。そして無明を根本として、老死の道を辿たどり、同時にまた、老死を基礎として、無明への道を辿り、ここに「十二因縁」の順と逆との二つの見方によって、ついに「十二因縁、皆心に依る」という、さとりの境地にまで到達されたのです。十二因縁皆心に依るとは、まことに意味ふかい言葉ではありませんか。こんな唄うたがあります。
「鏡にうつるわが姿、つんとすませば、向こうもすます。にらみ返せば、にらんでかえす。ほんにうき世は鏡の影よ。泣くも笑うもわれ次第」
まったくそのとおりです。所詮、一心に迷うものは衆生です。一心を覚さとるものが仏です。小さい「自我」に囚われるかぎり、人生は苦です。たしかに人生は苦です。しかし、一たび小さい自我の「繋縛けいばく」を離れて、如実にょじつに一心を悟るならば、一切の苦悩は、たちまちにしておのずから解消するのです。要は、一心の迷いと悟りにあります。まことに、
「眼裏がんり塵ちりあれば三界は窄せまく、心頭しんとう無事ぶじなれば一床しょう寛かんなり」(これは夢窓国師「山居の詩」で「青山(せいざん)、幾度(いくたび)か黄山(こうざん)と変ず、浮世(ふせい)の粉紜(ふんうん)、総に干(かか)わらず。眼裏(がんり)に塵(ちり)有れば、三界(さんがい)窄(すぼ)く、心頭(しんとう)無事なれば、一牀(いっしょう)寛(ひろ)し。」というもの。)
です。一心に迷うて、あくまで小さい自我に固執するならば、現実の世界は、畢竟ひっきょう苦くの牢獄ろうごくです。しかし、一たび、心眼を開いて、因縁の真理に徹し、無我の天地に参ずるならば、厭いとうべき煩悩ぼんのうもなければ、捨てるべき無明まよいもありませぬ。「渋柿しぶがきの渋がそのまま甘味かな」です。渋柿の渋こそ、そのまま甘味のもとです。渋柿を離れて、どこに甘柿がありましょうか。
釈尊の更生
その昔、釈尊は人間苦の解脱のために、出家せられました。妻子と王位とをふりきって、敢然として、一介の沙門しゃもんとなり、そして決然、苦行禁慾の生活に入られました。しかし、六か年に亙る苦行の生活は、どうであったでしょうか。それは、いたずらに肉体を苦しめるのみで、そこにはなんら解脱の曙光ひかりは見出されなかったのです。ここにおいてか、最後の釈尊の到達した天地は、実に自我への鋭き反省でした。しかも、一たびは家を捨て、人を捨て、肉体までも捨てんとした釈尊は、菩提樹下ぼだいじゅかの静観によって、ついに心において復活したのです。「十二因縁は一心による」という、無我の体験によって、人間としての釈尊は、まさに仏陀としての釈尊となって更生されたのです。迷える人間の子悉達シッダルタは、ついに「因縁」、「無我」の内観によって、三界の覚者、仏陀ほとけとして、まさしく誕生したのです。仏誕ここに二千五百余年、釈尊は生まれ、そして彼岸へ逝ゆきました。だが、「因縁」、「無我」の原理は、宇宙の光として、今もなお、燦然さんぜんとして輝いています。いや、人間がこの地上に生活するかぎり、未来永遠に輝いてゆくことでありましょう。
仏陀釈尊はわれわれに教えています。
「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」
と、まさしくそれは偽りなき真理のことばです。ライプニッツのいっているとおり、現在は、実に「過去を背負い、未来を孕はらめる」現在です。ゆえに、過去の因は、とうぜん現在の結果によって知られるのです。永遠の過去を背負った今日は、同時に永劫の未来を孕める今日です。今日は単なる今日ではない。まさしく、「永遠なる今日」です。歴史的現実です。現在なくして昨日もありません。今日という現在は、一切の過去を含み、そしてまた一切の未来を孕んでいるのです。詩人グレークの「刹那せつなに永遠を掴つかむ」というのも、まさしくこの境地をいったものです。ほんとうに詩人のいっているごとく、「昨日は生きた。今日は生きている。明日も生きるだろう」です。生きたのは昨日です。生きるだろうは明日です。真に生きているのは今日です。昨日の私も私でした。明日の私も私でしょう。しかし、今日の私は昨日の私ではありません。明日の私もまた今日の私ではありません。所詮、世の中のこと、すべては「一期ご一会え」です。一生たった一度きりです。「一生一別」です。「世の中は今日より外はなかりけり」です。昨日は過ぎた過去、明日は知られざる未来です。
『中阿含経ちゅうあごんぎょう』は、われらにこう語っています。「過ぎ去れるを追い念おもうこと勿なかれ、未いまだ来きたらぬを待ち設くること勿れ。過去は過ぎ去り、未来は未だ来らざればなり。ただ現在の法を観みよ。うごかず、たじろがず、それを知りて、ただ育てよ。今日なすべきことをなせ。誰たれか明日、死の来るを知らんや。かの死魔の大軍と戦うことなきを知らんや、かくの如ごとく熱心に、日夜に、たじろぐことなく、住するを、げに、聖者は、よき一夜と説きたまえり」
とかく老人は、「昨日」を語りたがります。青年はえてして「明日」を語りたがります。しかし、もはや「昨日」は過ぎた「過去」ではありませんか。「明日」は未だ来らざる「未来」ではありませんか。老人も青年も、共にまさしく握っているものは、「今日」です。過去はいかに楽しくとも、結局、過去は過去です。未来はいかに甘くとも、所詮、未来は未来です。
一日暮らしのこと
かつて白隠禅師の師匠、正受老人は、私どもにこんなことばをのこしております。それは「一日暮ぐらし」というのです。
「いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪え易し。楽しみもまた一日と思えば、ふけることもあるまじ。親に孝行せぬも、長いと思う故なり。一日一日と思えば、理窟はあるまじ。一日一日とつもれば、百年も千年もつとめ易し。一生と思うからに大そうなり。一生とは長いことと思えども、後のことやら、知る人あるまじ。死を限りと思えば、一生にはたされ易し。一大事と申すは、今日、只ただ今の心なり。それをおろそかにして、翌日あることなし。凡すべての人に遠きことを思えば、謀はかることあれど、『的面の今』を失うに心つかず」
まことに一大事とは、今日只今の心です。その心をほかにして、ほんとうに生きる道はないのです。有名な山鹿素行やまがそこうはまたわれらにこんな言葉をのこしています。
「大丈夫ただ今日一日を以て極とすべきなり。一日を積んで一月に至り、一月を積んで一年に至り、一年を積んで十年とす。十年相累かさなりて百年たり。一日なお遠し、一時にあり。一時なお長し、一刻にあり。一刻なおあまれり、一分にあり。ここを以っていう時は千万歳のつもりも、一分より出で、一日に究きわまれり」
ほんとうに考えさせられることばです。「いうことなかれ、今日学ばずして、来日ありと」です。「いうこと勿れ、今年学ばずして、来年ありと」です。「日月逝きぬ。歳月われを待たず」です。「鳴呼ああ、老いぬ」と歎じてみたとて、「これ誰のあやまちぞや」です。くり返していう。一大事とは、実に今日只今の心です。今日只今の心こそ、まさしく一大事です。ゆえに、今日をただ今日としてみる人は、真に今日を知らざる人です。今日の一日を「永遠なる今日」としてみる人こそ、真に今日を知れる人です。刹那に永遠を把む人です。掌たなごころに無限を把握はあくしうる人です。しかも、この今日に生きる人こそ、真に過去に生き得た人です。未来にも生き得る人です。まことに、空に徹し、般若はんにゃの智慧を体得した人は、「永遠の相すがた」において、人生を熱愛する人です。しかも永遠の相において人生を眺ながめうる人は、断じて人生を否定し、人生を拒否する人ではありません。冷たい白眼をもって、いたずらに人生を批判する人ではなくて、暖かい青眼をもって人生を享受する人です。空に徹した、あの観自在菩薩かんじざいぼさつの世界には捨つべき煩悩まよいもなく、とるべき菩提さとりもありません。したがって厭いとうべき娑婆しゃばもなければ、往ゆくべき浄土もありません。娑婆即寂光、娑婆こそそのまま浄土です。「無明なく、無明の尽くることなく、老死なく、老死の尽くること」もありません。生死涅槃しょうじねはんは、畢竟ひっきょう昨日の夢です。煩悩はそのまま菩提です。生死は即ち涅槃です。しかも「永遠に立脚して、刹那せつなに努力する人」こそ、はじめてかかる境地を、ほんとうに味わうことができるのであります。
無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。
商人の話
昭和九年の春、AKから『般若心経』の放送をしている時でした。近所の八百屋やおやさんが宅へ参りまして、家内に、冗談のように、「この頃は毎朝、お宅の先生のラジオ放送で、空くうだの、無だのというような話を聞かされているので、損をした日でも、今までと違ってあんまり苦にしなくなりました」といって笑っていたということですが、たとい、空のもつ、ふかい味わいが把つかめなくても、せめて「裸にて生まれて来たになに不足」といったような、裸一貫の自分をときおり味わってみることも、また必要かとおもうのであります。その昔幕末のころ、盛んに廃仏棄釈はいぶつきしゃくをやった水戸の殿様に、ある禅寺の和尚おしょうさんが、
「君は僅わずかに是これ三十五万石、我れは是れ即すなわち三界無庵むあんの人」
といったという話がありますが、あなたはたった三十五万石だ、私は「三界無庵の人」だといった、その心持には味わうべき貴いものがあるかと存じます。おもうに三界無庵の人こそ、その実、いたるところに家をもつ三界有庵の人です。「無一物中無尽蔵」です。そこには、花もあれば、月もあります。私どもは、般若の「空」がもっているほんとうのもち味をかみしめつつ、いたずらにくよくよせずして、ゆったりと落ちついた気分で、お互いの人生を、社会を、広く、深く、味わってゆきたいものです。
さてこれからお話ししようとする所は、
「無明むみょうもなく、また無明の尽くることもなく、乃至ないし、老死もなく、また老死の尽くることもなし」
という一節であります。すでに私は「仏教の世界観」を契機きっかけとして、それによって「一切は空なり」ということをお話ししたのですが、これからは「仏教の人生観」の上から、「一切は空なり」ということをお話しするわけであります。ところで最初の所は、有名な「十二縁」の問題を取り扱っているのですが、『心経』には「十二因縁」の一々の名前はなくて、ただ最初の「無明むみょう」と、最後の「老死」とを挙げてあるのみで、その中間は、「乃至」という文字でもって省略してあるのです。そして「無明もなく、無明の尽くることもなく、老死もなく、老死の尽くることもなし」とて、十二因縁の空なることを説いてあるのですが、いったい般若の真空しんぐうの上よりいえば、客観的に宇宙の森羅万象すべてのものが空であったがごとく、主観的にも、宇宙の真理を語る所の、智慧ちえそのものもまた空だ、というのが、「無明もない」、「老死もない」ということ、すなわち十二因縁もまた空だというのがそれです。ところで、この「十二因縁」の一々についての、詳しい説明は、かえって煩瑣はんさですし、またここではその必要を認めませんので省略しておきますが、ただここで、ぜひとも注意すべき大切なことは、「十二」という数字よりも、むしろ「因縁」という二字が大事だということです。すなわち十二という数が、必ずしも特別に重要な位置を占めるものではなくて、「因縁」ということが必要なのです。「因縁」ということ、因縁の内容をば、十二の形式によって説明したものが、この「十二因縁」でありまして、これは結局、「因縁」という一語につきるわけです。したがって、開けば十二、合すれば因縁の一つというわけです。
因縁の体験
さてこの因縁が、どんなに重要な意味をもっている語ことばであるかは、すでに、しばしば反覆くりかえし説いてまいりましたが、要するに、縦から見ても横から見ても、内から見ても、外から見ても、「仏教の根本思想」は、所詮この「因縁」の二字につきるのです。もちつ、もたれつという「相対依存いぞん」の関係も、万物は移り変わるという「万物流転」の原理も、ことごとくみなこの「因縁」という母胎から生まれてくる真理であることは、すでに述べたとおりです。かかるがゆえに、人間の子釈尊が、仏となったことも、実は、この因縁の自覚にあったのです。しかもこの因縁の法を自覚した釈尊、仏となった釈尊が、その因縁の道理をば、自己の体験を通じて「教え」として説いたものが、すなわち仏教です。したがって仏教は、「仏陀ぶっだの教え」とはいうものの、仏陀は自覚せる人間ですから、所詮、仏教は人間の教えです。神の宗教ではなくて、人間の宗教です。天上の宗教ではなくて、地上の宗教です。昔あるクリスチャンが、神さまは天上にいられると思って、ある日のこと、高い塔の上に登って、「神さまア、神さまア」と、大声で叫びました。すると不思議にも「オーイ」という神さまのお声が聞こえてきたのです。「さては天上に神さまがいられる」と思いつつ、彼はなおもよく耳をすましていると、豈あに図はからんや、神の声は高い天上ではなくて、低い地上から聞こえてきたのです。しかも多くの人たちが群集ぐんしゅうし、雑沓ざっとうしている中から神の声は聞こえてきたのです。もちろんそれは一つの寓話ファブルでしかありません。しかしです。神の声はあった、だが、その声は、高い天上にはなくて、低い地上にあった。しかも、多くの人々の雑沓している、その群集の中にあったということは、そこに、ふかき「何物かエトワス」を物語っていると存じます。キリストは「天国を地上」にといっています。少なくともほんとうの宗教は、神の宗教ではなくて、人間の宗教です。天上の宗教ではなくて、地上の宗教でなければなりません。まことに、宗教のアルファもオメガアも、始めも、終わりも、結局は人間です。「迷える人間」より「悟れる人間」へ、「眠れる人間」より「目覚めた人間へ」、そこに宗教の眼目があるのです。けだし「仏法遥はるかにあらず」です。「心中にして即すなわち近し」です。「真如しんにょ外ほかに非あらず」です。「身を捨て何処いずこにか求めん」です(弘法大師の般若心経秘鍵にあります)。
少なくとも、私ども人間の生活を無視して、どこに宗教がありましょうか。「なにゆえに宗教が必要なのだ」という質問は、つまりなにゆえに、「われらは生きねばならぬか」という質問と同一です。宗教の必要を認めない人は、人間として生きる権利を抛棄ほうきした人です。人間としての、尊き矜持ほこりは「生きる」ということを、考えるところにあるのです。しかも、一度でも「いかに生くべきか」ということを、真剣に考えたとき、それはもはやすでに「宗教の世界」にタッチしているのです。宗教に入っているのです。いや、宗教を離れては、どうしても「生きる」ということのほんとうの意味を、把つかむことはできないのです。
惑と業と苦の連鎖
話がつい横道にそれました。さてこの十二因縁ということですが、これについては、昔からいろいろとめんどうな、むずかしい議論もありますが、こういったらよいかと存じます。いったい、仏教では、私どもの生活は、この現在の一世だけではなく、過去と、現在と、未来との三世に亙わたって、持続するというのです。「三世輪廻」というのはそれです。ところがその生活の過程は、結局、惑と、業ごうと、苦の関係だというのです。いわゆる「惑業苦の三道」というのはそれです。いうまでもなく惑とは、「迷惑」と熟するその惑で、無明、すなわち無知です。智慧ちえが病にかかっている愚痴です。ものの道理をハッキリ知らないから、惑が起こるのです。無知の迷いが生ずるのです。下世話に「一杯、人、酒をのみ、二杯、酒、酒をのみ、三杯、酒、人を飲む」と申しますが、飲み友だちをもった人には、この辺の呼吸がよくおわかりでしょうが、飲酒の害をよく知りつつも、「憂いを払う玉箒たまぼうき」などと、酒杯さかずきを手にします。一杯やりますと、もうたまりません。陶然とした気持になって、飲酒の害も、どこへやらふっ飛んでしまって、酒のいけない人を、かえって馬鹿ばかにするようになります。「痛狂は酔わざるを笑い、酷睡こくすいは覚者を嘲あざける」と弘法大師もいっていられますが、狂酔の人からみると、酒をのまぬ連中がかえって馬鹿に見えるのです。しかし、それは所詮、酒飲みの錯覚です。いうところの「惑」です。だが、メートルが上がると、もうたまりません。一たび、この「惑」が生ずると、酒、酒を飲むようになって、それこそだらしないことをしでかすのです。それが所詮「業ごう」です。はては、他人さまにも迷惑をかけ、自己おのれも苦しむのです。経済上の苦しみはいうまでもありません。身体も精神こころも、苦しめるようになるのです。これがいわゆる「苦」です。三杯、酒、人を飲むというようになると、もう恥も外聞もありません。だが、いったん酔いがさめると、それこそしみじみと酒の害毒を痛感します。もう再び酒杯などは手にすまいとまで思います。しかし、それもほんの束つかの間です。アルコール中毒に罹かかったものは、また何かの機会に杯を手にします。そして飲んだが最後、またいろいろと、だらしのないことをしでかしたすえは、やっぱり自分で自分を苦しめているのです。かくて飲酒家は、断然、禁酒しないかぎり一生いつまでも同じことを、何遍もくり返しているのです。それが、いわゆる惑業苦の関係です。ちょうどあの酒飲みの一生のように、私どももまた同じことを、繰り返し繰り返しやっているのではありませんか。この因果関係、この縁起の関係を十二の形式によって示したものが、つまりこの「十二因縁」です。「十二縁起」といわれる「因縁の哲学」です。だから、無明に出発している私どもの人生は、苦であるのはあたりまえのことです。無明の無知を、根本的に絶滅しないかぎり、苦の世界は、いつまでも無限に継続してゆくのです。したがって、はじめから無明がなければ、無明の尽きることもなく、自然、老死もなく、また老死のつきることもないわけです。
死は生によって来る
今からおよそ千三百余年前に、支那に嘉祥かじょう大師というたいへん有名な方がありました。彼は三論宗りんしゅうという宗旨を開いた高僧でありますが、その臨終の偈げに、こんな味わうべき偈文ことばがのこされているのです。
「歯を含み、毛を戴いただくもの、生を愛し、死を怖おそれざるはなし。死は生に依って来たる。われ若もし生まれざれば、何によって死あらん。宜よろしくその初めて生まるるを見て、終ついに死あることを知るべし。まさに生に啼ないて、死を怖るること勿なかれ」 後世、この遺偈を「死不怖論しふふろん」と称しております。
有名な万葉の歌人山上憶良やまのえのおくらも、「生るれば必ず死あり。死をもし欲せずんば、生れざらんには如しかじ」といっています。ほんとうのことをいえば、たしかにその通りでしょう。生があればこそ、死があるのです。「死ぬことを忘れていてもみんな死に」です。忘れる、忘れないはともかく、みんな一度は、必ず死んでゆくのです。だから、死は生によって来る以上、生だけは楽しく、死だけが悲しい、という道理はないわけです。理窟りくつからいえば、母胎を出でた瞬間から、もはや墓場への第一歩をふみ出しているのです。だから応まさに生に啼いて、死を怖るること勿れです。死ぬことが嫌いやだったら、生まれてこねばよいのです。しかしです。それはあくまで悟りきった世界です。ゆめと思えばなんでもないが、そこが凡夫で、というように、人間の気持の上からいえば、たとい理窟はどうだろうとも、事実は、ほんとうは、生は嬉うれしく、死は悲しいものです。「骸骨がいこつの上を粧(よそ)うて花見かな」(鬼貫)とはいうものの、花見に化粧して行く娘の姿は美しいものです。骸骨のお化けだ、何が美しかろうというのは僻目ひがめです。生も嬉しくない、死も悲しくない、というのはみんな嘘うそです。生は嬉しくてよいのです。死は悲しんでよいのです。「生死しょうじ一如にょ」と悟った人でも、やっぱり生は嬉しく、死は悲しいのです。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は囚われないことです。執着しないことです。あきらめることです。因縁と観ずることです。けだし「人間味」を離れて、どこに「宗教味」がありましょうか。悟りすました天上の世界には、宗教の必要はないでしょう。しかしどうしても夢とは思えない、あきらめられない人間の世界にこそ、宗教が必要なのです。しかもこの人間味を、深く深く掘り下げてゆきさえすれば、自然おのずからに宗教の世界に達するのです。自分の心をふかく掘り下げずして、やたらに自分の周囲を探さがし求めたとて、どこにも宗教の泉はありません。
まことに、「尽日春を尋ねて春を得ず。茫鞋ぼうあい踏み遍あまねし隴頭ろうとうの雲。還り来って却かえって梅花の下を過ぐれば、春は枝頭に在って既すでに十分」(宋戴益)
です。
「咲いた咲いたに、ついうかされて、花を尋ねて西また東、草鞋わらじ切らして帰って見れば、家じゃ梅めが笑ってる」
です。一度は、方々を尋ねてみなければ、わからないとしても、「魂の故郷」は、畢竟ひっきょうわが心のうちにあるのです。「家じゃ梅めが笑ってる」です。泣くも自分、笑うも自分です。悩むも、悦よろこぶも心一つです。この心をほかにして、この自分をのけものにして、どこにさとりの世界を求めてゆくのでしょうか。求めた自分おのれは、求められた自分なのです。求めた心は、求められた心なのです。だから釈尊は、人間の苦悩くるしみはどうして生ずるか、どうすればその苦悩を解脱することができるか、という、この人生の重大な問題をば、この「十二因縁」という形式によって、諦観たいかんせられたのです。そして無明を根本として、老死の道を辿たどり、同時にまた、老死を基礎として、無明への道を辿り、ここに「十二因縁」の順と逆との二つの見方によって、ついに「十二因縁、皆心に依る」という、さとりの境地にまで到達されたのです。十二因縁皆心に依るとは、まことに意味ふかい言葉ではありませんか。こんな唄うたがあります。
「鏡にうつるわが姿、つんとすませば、向こうもすます。にらみ返せば、にらんでかえす。ほんにうき世は鏡の影よ。泣くも笑うもわれ次第」
まったくそのとおりです。所詮、一心に迷うものは衆生です。一心を覚さとるものが仏です。小さい「自我」に囚われるかぎり、人生は苦です。たしかに人生は苦です。しかし、一たび小さい自我の「繋縛けいばく」を離れて、如実にょじつに一心を悟るならば、一切の苦悩は、たちまちにしておのずから解消するのです。要は、一心の迷いと悟りにあります。まことに、
「眼裏がんり塵ちりあれば三界は窄せまく、心頭しんとう無事ぶじなれば一床しょう寛かんなり」(これは夢窓国師「山居の詩」で「青山(せいざん)、幾度(いくたび)か黄山(こうざん)と変ず、浮世(ふせい)の粉紜(ふんうん)、総に干(かか)わらず。眼裏(がんり)に塵(ちり)有れば、三界(さんがい)窄(すぼ)く、心頭(しんとう)無事なれば、一牀(いっしょう)寛(ひろ)し。」というもの。)
です。一心に迷うて、あくまで小さい自我に固執するならば、現実の世界は、畢竟ひっきょう苦くの牢獄ろうごくです。しかし、一たび、心眼を開いて、因縁の真理に徹し、無我の天地に参ずるならば、厭いとうべき煩悩ぼんのうもなければ、捨てるべき無明まよいもありませぬ。「渋柿しぶがきの渋がそのまま甘味かな」です。渋柿の渋こそ、そのまま甘味のもとです。渋柿を離れて、どこに甘柿がありましょうか。
釈尊の更生
その昔、釈尊は人間苦の解脱のために、出家せられました。妻子と王位とをふりきって、敢然として、一介の沙門しゃもんとなり、そして決然、苦行禁慾の生活に入られました。しかし、六か年に亙る苦行の生活は、どうであったでしょうか。それは、いたずらに肉体を苦しめるのみで、そこにはなんら解脱の曙光ひかりは見出されなかったのです。ここにおいてか、最後の釈尊の到達した天地は、実に自我への鋭き反省でした。しかも、一たびは家を捨て、人を捨て、肉体までも捨てんとした釈尊は、菩提樹下ぼだいじゅかの静観によって、ついに心において復活したのです。「十二因縁は一心による」という、無我の体験によって、人間としての釈尊は、まさに仏陀としての釈尊となって更生されたのです。迷える人間の子悉達シッダルタは、ついに「因縁」、「無我」の内観によって、三界の覚者、仏陀ほとけとして、まさしく誕生したのです。仏誕ここに二千五百余年、釈尊は生まれ、そして彼岸へ逝ゆきました。だが、「因縁」、「無我」の原理は、宇宙の光として、今もなお、燦然さんぜんとして輝いています。いや、人間がこの地上に生活するかぎり、未来永遠に輝いてゆくことでありましょう。
仏陀釈尊はわれわれに教えています。
「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」
と、まさしくそれは偽りなき真理のことばです。ライプニッツのいっているとおり、現在は、実に「過去を背負い、未来を孕はらめる」現在です。ゆえに、過去の因は、とうぜん現在の結果によって知られるのです。永遠の過去を背負った今日は、同時に永劫の未来を孕める今日です。今日は単なる今日ではない。まさしく、「永遠なる今日」です。歴史的現実です。現在なくして昨日もありません。今日という現在は、一切の過去を含み、そしてまた一切の未来を孕んでいるのです。詩人グレークの「刹那せつなに永遠を掴つかむ」というのも、まさしくこの境地をいったものです。ほんとうに詩人のいっているごとく、「昨日は生きた。今日は生きている。明日も生きるだろう」です。生きたのは昨日です。生きるだろうは明日です。真に生きているのは今日です。昨日の私も私でした。明日の私も私でしょう。しかし、今日の私は昨日の私ではありません。明日の私もまた今日の私ではありません。所詮、世の中のこと、すべては「一期ご一会え」です。一生たった一度きりです。「一生一別」です。「世の中は今日より外はなかりけり」です。昨日は過ぎた過去、明日は知られざる未来です。
『中阿含経ちゅうあごんぎょう』は、われらにこう語っています。「過ぎ去れるを追い念おもうこと勿なかれ、未いまだ来きたらぬを待ち設くること勿れ。過去は過ぎ去り、未来は未だ来らざればなり。ただ現在の法を観みよ。うごかず、たじろがず、それを知りて、ただ育てよ。今日なすべきことをなせ。誰たれか明日、死の来るを知らんや。かの死魔の大軍と戦うことなきを知らんや、かくの如ごとく熱心に、日夜に、たじろぐことなく、住するを、げに、聖者は、よき一夜と説きたまえり」
とかく老人は、「昨日」を語りたがります。青年はえてして「明日」を語りたがります。しかし、もはや「昨日」は過ぎた「過去」ではありませんか。「明日」は未だ来らざる「未来」ではありませんか。老人も青年も、共にまさしく握っているものは、「今日」です。過去はいかに楽しくとも、結局、過去は過去です。未来はいかに甘くとも、所詮、未来は未来です。
一日暮らしのこと
かつて白隠禅師の師匠、正受老人は、私どもにこんなことばをのこしております。それは「一日暮ぐらし」というのです。
「いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪え易し。楽しみもまた一日と思えば、ふけることもあるまじ。親に孝行せぬも、長いと思う故なり。一日一日と思えば、理窟はあるまじ。一日一日とつもれば、百年も千年もつとめ易し。一生と思うからに大そうなり。一生とは長いことと思えども、後のことやら、知る人あるまじ。死を限りと思えば、一生にはたされ易し。一大事と申すは、今日、只ただ今の心なり。それをおろそかにして、翌日あることなし。凡すべての人に遠きことを思えば、謀はかることあれど、『的面の今』を失うに心つかず」
まことに一大事とは、今日只今の心です。その心をほかにして、ほんとうに生きる道はないのです。有名な山鹿素行やまがそこうはまたわれらにこんな言葉をのこしています。
「大丈夫ただ今日一日を以て極とすべきなり。一日を積んで一月に至り、一月を積んで一年に至り、一年を積んで十年とす。十年相累かさなりて百年たり。一日なお遠し、一時にあり。一時なお長し、一刻にあり。一刻なおあまれり、一分にあり。ここを以っていう時は千万歳のつもりも、一分より出で、一日に究きわまれり」
ほんとうに考えさせられることばです。「いうことなかれ、今日学ばずして、来日ありと」です。「いうこと勿れ、今年学ばずして、来年ありと」です。「日月逝きぬ。歳月われを待たず」です。「鳴呼ああ、老いぬ」と歎じてみたとて、「これ誰のあやまちぞや」です。くり返していう。一大事とは、実に今日只今の心です。今日只今の心こそ、まさしく一大事です。ゆえに、今日をただ今日としてみる人は、真に今日を知らざる人です。今日の一日を「永遠なる今日」としてみる人こそ、真に今日を知れる人です。刹那に永遠を把む人です。掌たなごころに無限を把握はあくしうる人です。しかも、この今日に生きる人こそ、真に過去に生き得た人です。未来にも生き得る人です。まことに、空に徹し、般若はんにゃの智慧を体得した人は、「永遠の相すがた」において、人生を熱愛する人です。しかも永遠の相において人生を眺ながめうる人は、断じて人生を否定し、人生を拒否する人ではありません。冷たい白眼をもって、いたずらに人生を批判する人ではなくて、暖かい青眼をもって人生を享受する人です。空に徹した、あの観自在菩薩かんじざいぼさつの世界には捨つべき煩悩まよいもなく、とるべき菩提さとりもありません。したがって厭いとうべき娑婆しゃばもなければ、往ゆくべき浄土もありません。娑婆即寂光、娑婆こそそのまま浄土です。「無明なく、無明の尽くることなく、老死なく、老死の尽くること」もありません。生死涅槃しょうじねはんは、畢竟ひっきょう昨日の夢です。煩悩はそのまま菩提です。生死は即ち涅槃です。しかも「永遠に立脚して、刹那せつなに努力する人」こそ、はじめてかかる境地を、ほんとうに味わうことができるのであります。