河口慧海は1866年2月26日(慶応2年1月12日)に生まれ 、1945年(昭和20年)2月24日80歳で没しています。
仏教学者・チベット仏教研究の泰斗。大阪堺生。哲学館で学び五百羅漢寺住職もつとめる。鎖国状態のチベットへ密入国、チベット一切経などの多数の貴重な資料を将来。のち還俗して在家仏教を提唱。大正大教授。『チベット旅行記』『在家仏教』等著書多数。
『チベット旅行記』には、「チベット探検の動機」として以下のようにあります。「 私がチベットへ行くようになった原因は、どうか平易にして読み易い仏教の経文を社会に供給したいという考えから、明治二十四年の四月から宇治の黄檗山で一切蔵経を読み始めて、二十七年の三月まで外の事はそんなにしないで専らその事にばかり従事して居りました。その間に私が一つ感じた事があります。それは素人にも解り易い経文を拵いという考えで、漢訳を日本語に翻訳したところが、はたしてそれが正しいものであるかどうか。サンスクリットの原書は一つでありますが漢訳の経文は幾にもなって居りまして、その文の同じかるべきはずのものがあるいは同じのもあればまた違って居るのもあります。甚しきは全くその意味を異にして居るのもあり、また一つの訳本に出て居る分が外ほかの本には出て居らないのもあり順序の顛倒したのもあるというような訳で種々雑多になって居ります。
しかしその梵語の経文を訳した方々は決して嘘をつかれるような方でないからして、これには何か研究すべき事があるであろう。銘々自分の訳したのが原書に一致して居ると信じて居られるに違いあるまい。もし然らばそんなに原書の違ったものがあるのか知らん、あるいはまた訳された方々がその土地の人情等に応じて幾分か取捨を加えたような点もありその意味を違えたのもあるか知らん。何にしてもその原書に依よって見なければこの経文のいずれが真実でいずれが偽いつわりであるかは分らない。これは原書を得るに限ると考えたのです。
原書の存在地 ところでこのごろ原書はインドにはほとんどないらしい。もっともセイロンには小乗の仏典はあるけれどもそれはもちろん我々にとって余り必要のものでない。最も必要なのは大乗教の仏典であります。しかるにその大乗教の仏典なるものは仏法の本家なるインドには跡あとを絶って、今はネパールあるいはチベットに存在して居るという。その原書を得る為にはぜひネパールあるいはチベットに行かなくてはならぬ。なお欧米の東洋学者の説によるとチベット語に訳された経文は文法の上からいうても意味の上からいうてもシナ訳よりも余程確かであるという。その説はほとんど西洋人の間には確定説のようになって居ります。はたしてチベット語の経文が完全に訳せられてあるものならば、今日の梵語の経文は世界にその跡を絶ったにしてもそのまたチベット語に訳された経文によって研究することが出来る。なおチベットの経文と漢訳の経文とを比較して研究するのも余程学術上面白い事でもありまた充分研究すべき価値のある事であるから、これを研究するにはぜひチベットに行ってチベット語をやらなければならぬという考えが起りました。この考えがつまり
入蔵を思い立った原因 でありまして・・」
また「チベット旅行記」は読み物としても大変息おもつかせぬスリルに富んだものです。三蔵法師顔負けの途中の苦難、チベットの風俗、素性が露見しそうになるスリル等々今思い出しても面白い読み物です。
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