史料綜覧 巻五 / 文永九年(1272)十一月二日条
「二日 仏眼法(注1)ヲ東寺ニ修シテ 異国降伏ヲ禱ラシム」
(天皇は亀山天皇、執権は時宗。この頃は元から第六回目の使節が来ていました。(『高麗史』巻二十七 世家二十七 元宗三 元宗十三年(1272)(四月)甲午(七日)の条「甲午、遣御史康之卲、護日本使還其國。」))
(注1)佛眼法の御本尊「佛眼佛母尊」は最強の仏とされ、また「発願」では確かに「天下泰平・風雨順時・五穀成就・万民豊楽・域内静謐・・」と祈願しますから異国降伏祈願にも用いられたのかもしれません。