福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の10/13

2024-09-21 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の10/13

十,屋葺地蔵の事

天暦年中(947年から957年)に村上天皇の御宇平の京綾の小路猪熊(京都市下京区)の傍に住みける男、年来地蔵を信じ奉るといへども宿業のゆへか貧乏にして家内に何のたくはえもなし。されば供佛の道も絶果てぬれば栖近き所に古佛の地蔵御座るに常々歩みをはこびけるが、彼の寺建立の源遠くして破損に及ぶといへども修理を加る人もなく本尊雨露の為に犯されまいらせ玉ひけるをあはれにいたましく思ひ奉り、予家の葺板を以て寺の漏りける処をつくろひけれども、風の吹くごとに破れぬれば詮方なく思ひわずらひしが兎角此の上は大願ををこし修造を思立んとぞ巧ける。或夜の夢に若き僧来て男に向のたまはく、志は真切なれども此後はそれほどにはなげき玉はずともあるべし。我は自在神力ありて風雨は却て我が任(まま)なり。真に志あらば我ごとく修行すべし、との玉ふ。男の云く、我が身は世俗無道のやからなり。心得がたしと申せば、僧の曰、我はすなはち如来の室に入りて出ることなし。如来の衣を着て脱ぐことなし。如来の座に坐して起つことなし。如是の行を行ふべしと示し玉ふ。男猶も心得ず御僧涙を流し彼の俗を摩頂していはく、汝一切衆生の為に大慈大悲の心あらんに、何の悪(にくき)者かあるべき。是を室に入ると云ふぃうなり、柔和忍辱の心ありて日とを悪口し打擲することなく杖木をして人の為にうたれても怒る事なし。是を如来の衣を着すと云なり。静かに世間を観るに有るかとすれば忽ち焉としてなし。無きかと思ば歴々として眼に遮る。夢の如くにして幻に似たり。定相なし。此れを悟を以て得道の人と云ふ。亦は一切法空三昧に入るといへり、と易く御示ありければ夢中にありがたく感涙を催すと思へば覚めにき。然りといへども元より無智の下衆なれば真実の理を辨へることをしらず。有相に執着して動(ややもす)れば修理の願を起こし田舎に下り勧進し日数を経けるが人の嫌ふ病を受けて古き辻堂に引き、ふかく憂て伏したりける。都の女房は夢にも此の事をしらず長夜のねざめに独り言して申すは、夫の心ほどうたてしき物は世にあらじ、生信心を発し人見世の空本願に渡世を仕損じ逐電するも面目なく、勧進事によせに己が身をたすかりて情けなくも我をば捨て置きて明け暮れ物を思はすることのうらめしさよとかこちてこそ睡りけるが、其の夜の夢に僧来たりて云く、さのみなわびさせ玉ひそ夫の方より法師を頼み汝を扶持すべきの約束したり。明日家をもつくろひてまいらせんとの玉ふと思ふと見し夢はさめにける。夜明けて見れば法師二人葺板なんど持ち来たりて、ふきならして一の袋に米を入れて此の米毎日六合つ゛つ取り出して食すべし。夫の皈来たらんまでは尽きることあるべからずと云てかきけす如く失せ玉ふ。角て田舎に有りける夫は病苦にせめられ、あとさきもわきまへず打ち臥して居たりしが或時御僧一人来たり玉ひて口に水を含めしめ給ふが其の味甘露の如し。不思議や自此心氣快く次第に元氣になりぬ。又夢中に本腹して國へ皈らば此の杖を突いて行くべしと言が後に覚へて見れば錫杖なり。見聞の人々是をうやまひて地蔵の看病し玉ふ行人とてずいぶん奉加に入りければ本願終に成就しける。末世に至るまで屋葺地蔵と申し奉る。忝くも高祖大師の御作なり。綾小路猪熊に見在せり 来由疑心の輩は能々尋るべし云々。又云、

身心憂苦し衆病に悩まされんに乃至皆身心安楽にして衆病除癒するを得云々

引証。地蔵十輪經に云、若し諸有情種々希求求憂苦逼切せんに、地藏菩薩摩訶薩を能く至心に稱名念誦歸敬供養する者有らば。一切皆得如法の所求を得る等(大乘大集地藏十輪經序品第一)

「若諸有情種種希求憂苦逼切。有能至心稱名念誦歸敬供養地藏菩薩摩訶薩者。一切皆得如法所求離諸憂苦 隨其所應安置生天涅槃之道。隨所在處若諸有情身心憂苦衆病所惱。有能至心稱名念誦歸敬供養地藏菩薩摩訶薩者。一切皆得身心安樂衆病除愈」)。

 

 

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