福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の8/13

2024-09-19 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の8/13

八、爨(こしき)地蔵の事(この古事にもとずき、岐阜市近島の延命山蔵王院では今もこしき地蔵祭が行われています。

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中古美濃國小嶋(岐阜県揖斐川町)の傍に賤の下女一人侍りき。天性地蔵菩薩を信じ名号口唱やむときなし。さるほどに地蔵の尊形求めん事を願奉りき。家の前に河の流れあるを常に用水にしけるに、十二月二十四日の事なるに初春の用意とてこしきを

河にひたし置きたりけるが洗とて引き上げ見れば中に御長一尺五寸の古佛の地蔵あり。悦び取り上げ奉り恭敬礼拝して日来の所願も成就しけりと旦暮念じ奉るが男子を一人持けるを近付申しけるは、汝早四歳になりぬ。又此の御佛をあがめ奉り是の如く礼拝し奉れとて左右の手を取り推合て教けるに母の真似をして更に怠ることなし。角しけるに母俄かに病をうけて今をかぎりと思ひければ夫に向て我がなからんあとに又来ん人、此の地蔵を見て我持尊の佛なればあしざまにやし奉らんとなげかわしく思侍る。又子の今年四歳なり、いまだ東西の辨だもしらず。継母に目ををはしめられむ事の不憫さよと申しければ夫なみだをせきとめて申すは

心安れ七歳になるまでは全く別の妻をむかふことあるまじ。且又本尊の御事はいかで疎かにすべきぞや。此の大事に至らずともに二世をたのむ御事なり。況や御身のすぎ玉はばいよいよ後生善所のほど偏に祈り申さんと念比に云へば女房世に思い残すこと侍らずと一子を前に呼び寄せて本尊をあたへつつ成長なりて後我が成仏の縁をも弔ひ得さすべしと後の髪をかきなでて涙と共にうせにけり。かくて一年ばかりすぎて凢下の身のつたなさへほどなく後妻を迎へ愛執眼を暗ましけり。さるほどに女房継子を悪(にくみ)諸の事につき邪を言かけ類なくあしく當りけり。或時の事なるに継母志ありて酒を作るべき用意に米を水に浸し置き、夫は黒田の市(愛知県一宮市)に出たり。女房今日は吉日なりとて釜にこしきをすへて件の米を見ければ中をすくひとりてあり。女房怪しく思ひ何さま是は継子のわざなるべしと尋見てあれば家の傍につい居て米を地蔵の御前と己が母の位牌の前に高く盛りてひざまずき手を合わせて泣き居たり後母此のありさまを目て腹を立て打つにあきたらずとて引き去りこしきの中にをしこめて蓋をし下より火をつよくたけば釜に内は熱湯涌いてさながら八熱の獄もかくやらんをそろしき巧なり。さるほどに夫は例ならず胸さわぎて急ぎ家に皈り聞くに我が子の音なり。立ち寄りて見れば四十八ばかりの僧の我が子を御後ろに負給ひて立ちたまへり。男申しけるは其子はいかにやと問へば、僧の曰、此の子は継母の為に殺されんとしけるを身替に立ち爰に具して来れり。汝他の家に行あつ゛けおき育べきならばかへすべしとあれば、又畏まって拝受して御僧は何地の御座すと申せば、蔵王院の傍に住みけるなりとてかきけす如くなり玉ふ。是安和三年(1177年)三月中旬の事なり。父は夢の心地して或人の家に立ち寄りて只今道中にて捨て子を得たり。明日人をまひらせんとてあずけ置き家に皈りて見れば何かはしらず釜にこしきをたてて下よりここをせんどとたきけるが、夫の不意に皈るを見て俄かに火を消し亦赤面してあわてふためきこるこそ尤もなれ。角て夫の云やう、わが子は何方へ行きつつやと。女の云、何方へやらんしり侍らず。遊ぶにこそと云へば、夫氣色かはりて見へしををそろしやと思ひけん、自ら河の岸にゆきて身を投げてぞ失せにける。誠に自業自得果の理なり。それより彼の飯を移して見れば不思議や前の女房かしつ゛き奉りし地蔵尊御座す。夫肝をけしてつくずく思ふはさては我が子を煑殺さんとの方便なりしを地蔵菩薩の御助けましますこと有難くて声もをしまず泣きけり。見聞の人々も共に感涙をぞながしける。此の事四方にかくれなければ我も我もと拝し奉らんと集り、あまりのことの不思議さに或は疑心を抱くものも多かりけり。男思ひけるはかかる貴き靈佛を俗家に安置すること照覧いかが恐有り。多力をもて一宇を建立し本尊に立て申し自他莫大の結縁にあらんと案じくわだつる所に度々夢中に御告げありて、堂舎建立の義然るべからず。我をば蔵王院の傍に送り置くべしとの御示なれば佛意何如凢慮に及ばず、甑に銘を書き付けて蔵王堂の傍に安んじ申し其の身は出家して一心に地蔵の行人とぞなりにけり。美濃國桑田と云う里なり。若し疑ふ人有らば尋ねて見るべし。

引証。十輪経に云、若し諸有情火の為に焚かれ水に溺れ風の爲に飄されんに、地藏菩薩摩訶薩を至心に稱名念誦歸敬供養せば一切皆諸危難を離れて安隱にして無損を得ん等(大乘大集地藏十輪經序品第一「若諸有情爲火所焚爲水所溺爲風所飄。或於山巖崖岸樹舍顛墜墮落。其心。慞惶。有能至心稱名念誦歸敬供養地藏菩薩摩訶薩者。一切皆得離諸危難安隱無損」)。

 

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