問曰。修多羅(経典)の中に具に此法あるに何ぞ重ねて説くを須いんや。
答曰。修多羅の中に、此法ありと雖も、衆生の根行等しからざると受解の縁別なるとを以ってなり。(多くのお経に説いてあっても人々の心根や受け入れる縁はさまざまであるから)
所謂如來の在世には衆生利根にして能説之人は色心の業勝れたれば、圓音(仏の完全なお声)一たび演ぶるときは異類(人間・鬼神)等しく解して、則ち論を須いざるも、如來滅後 . . . 本文を読む
大乗起信論は全ての宗派で重要視するお経です。私は「大乗とは衆生の心なり」という句に限りない感動を覚えています。このにすべてが込められているとおもいこの経典を稚拙な訳をしつつ載せていきます。 . . . 本文を読む
「・夫れ真言密宗安心の至要を示さば、大日経王には、実の如く
自心を知なりと説給ひ、高祖大師は、真如外に非ず身を棄てゝ
何か求めんと述給へり、されば朝夕に妄念妄執にほだされ、貪
瞋邪見にまつはるゝ有漏雑染の我等が胸中に五智四身の徳、一
も闕ることなく、本来円満して備れりと達悟する是を凡聖不二
の宗要とす。
但下根劣慧の者は、偏に此旨を信じて疑はず、深
く大日如来の普門の誓願にすがり奉りて、一真言に . . . 本文を読む
七には本とは法身なり。法佛はいわく諸尊の本なるが故に、源なるがゆえに、体なるがゆえに、宗なるがゆえに。不とは応身如来なり。応とは相応等の義なり。いわく衆事意にかなうて皆法楽を作す。万徳念にしたがって悉く禅悦を成ず身法界と相応し、語真如に階當せり。三密互に瑜伽し六大相渉入せり。これを自受用といふ。地上の菩薩に応同して彼をして法界の理と相応せしむるがゆえにかくのごとく自他二応の義を不の義と相応せり。不 . . . 本文を読む
四には正覚等持の義、大日経ならびに疏に依らば、ただ本不生を覚るをもっての故に三昧と名ずくと云々文の如し之を知るべし。
五には二字義に云く、自性清浄にして改転無し故に本不生と名ずくといへり。意の云はく一切諸法は本より染と云ひ塵といふ等、無明染法を離れて常にこれ浄妙法身の凝然不変の理体智体法体といはんとぞ。
六には三句の義をもて本不生といふ、本とは菩提心為因の句、菩提心の種子の因は行果の本源本初な . . . 本文を読む
1、お経には[念經、看經、誦經、書經、受經、持經あり]
と正法眼蔵第三十「 看經」にでています。
正法眼蔵第三十 「看經」です。「阿耨多羅三藐三菩提の修證、あるいは知識をもちゐ、あるいは經卷をもちゐる。知識といふは、全自己の佛 なり。經卷といふは、全自己の經卷なり。全佛 の自己、全經卷の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と稱ずといへども我 の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。
しかあ . . . 本文を読む
阿字秘釈和訳 興教大師撰
問ふ、阿字本不生の義とは何といふ事ぞや
答ふ、これに略して二義あり。一には遮情の義、二には表徳の義なり。
第一の義とはいわく、これにまた二義あり。
一にはいわく一切有為有漏の無明染法はもとよりこのかた自性空無にして畢竟不生なり。故に本不生といふなり。
二にはいわく一切の無明妄想の分別執着より生ずる諸法は若しは染法、若しは浄法、あるひは功徳、あるひは過患、みなことごと . . . 本文を読む