「いかにも人の為、世の為よからむとおもひ給ふべし。行く末の為と申す也。白き鳥の子はその色白し。黒きはその子も黒し。蓼といふ草、からくしてその末をつぐなり。あまき物の種は劣ふれども、その味甘し。されば人の為よからむとおもはば、末の世、かならずよかるべし。我が身をおもふばかりにあらず。(どんなことをしていても人の為、世の為と努力せよ。それは将来の為になる。蓼は生え変わっても辛い。甘いものの種はいくら衰 . . . 本文を読む
柳田国男「七生報国」(『先祖の話』より。「先祖の話」は空襲で無数の日本人が犠牲になって居た最中の昭和20年4月から5月の終戦直前に書かれています。)
それは是から更に確かめて見なければ、さうとも否とも言へないことであらうが、少なくとも人があの世をさう遥かなる国とも考へず、一念の力によつてあまたゝび、此世と交通することが出来るのみか、更に改めて復立帰り、次次の人生を営むことも不能では無ひと . . . 本文を読む
今日永治2年2月26日は絶世の美女・待賢門院璋子が42歳でわが子・仁和寺覚性法親王の下で落飾し真如法尼となった日です。崇徳天皇や後白河天皇も産んでいます。璋子は西行法師の出家の原因ともいわれ絶世の美女ぶりのみが騒がれますが当時の人は晩節を全うするこういう隠世の仕方があったのです。現代の日本人が軽薄に見えるのもこういう故事が失われて行っているからでしょう。ちなみに覚性法親王は仁和寺門跡等おおくの名刹 . . . 本文を読む
般若心経の霊験
・お大師様の「般若心経秘鍵」には「(般若心経を)誦持講供すれば則ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあります。(般若心経を読誦すれば抜苦与楽し、意味を考えれば覚りを得、真理を体得できる。即ち現世利益も覚りもともにいただけるということです。)
・訳経者の玄奘三蔵自身が印度への求法の旅の途中で悪鬼に襲われたとき般若心経を唱え . . . 本文を読む
「我が為をなすは我が身の為ならず、人の為こそ我が為とはなれ」ということわざがあります。これこそ俗世の真理です。自分もこの言葉がもっと早く身についていれば余計な苦労をしなくて済んだかもしれません。1、仕事でも自分が助かる方法は人を助けること。出世している人は自分の功績を独り占めしていません。必ず周囲の人のお陰で成功したといいます。ノーベル賞受賞者も必ず周囲の人のお陰といっています。IPS細胞の山中教 . . . 本文を読む
今日は叡尊が聖徳太子廟で502人に授戒した日金剛仏子叡尊感身学正記「寛元四年丙午1246四十六歳二月二十六日太子廟において五百二人に菩薩戒(注)を授く。」(注)菩薩戒の典型と考えられているのは瑜伽師地論の三聚浄戒(摂律義戒・・・止悪門から五戒八戒具足戒を含める戒。摂善法戒・・・すべての善を修する戒。摂衆生戒・・・饒益有情戒。) . . . 本文を読む
1、今日は二二六事件から87年目です。小泉時代からの「拝金主義」「弱肉強食のための売国規制緩和」「市場原理至上主義」の跋扈の後遺症による重い閉塞感の漂って居る最中に前世紀の帝国主義の復活と核威嚇という地獄の蓋を開けたプーチンのウクライナ侵略大量殺人がおこりました。これにとどまらず北方領土は既成事実化され、北朝鮮は日本列島越の大陸間弾道弾を発射、中国は平気で領海領空不法侵入をくりかえしてきています。 . . . 本文を読む
覚った眼から見れば『運勢』などということを問題にするのはそもそも自他の区別に憑りつかれ『我』に憑りつかれている、迷いの真っ只中にいる愚者のいうことですが、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という句もあります。いくら自他平等といってみても、「苦しみ」の真っ只中にいるときは、「どうして自分の運勢はこうも悪いのか」と嘆くのも人情です。運命論、運勢論の仏教・密教からみた全体像はおいおいかいていきますがとりあ . . . 本文を読む
今日は良忍上人忌です。大阪市平野区にある融通念仏宗総本山大念佛寺では「元祖聖應大師(良忍)御忌法要」が営まれます。大念仏寺のホームページには「2月26日 元祖聖應大師御忌法要 」とあります。 良忍上人(聖應大師)は延久5年1月1日(1073年2月10日)生まれで天承2年2月1日(1132年2月19日)示寂されています。大念仏時のホームページには「『融通念仏縁起』には、良忍上人が46歳のとき、阿弥陀 . . . 本文を読む
今日寛元二年1244、2月25日は忍性菩薩が興正菩薩叡尊を屏風里に請じ亡母の13回忌を修した日です。金剛仏子叡尊感身学正記に「寛元二年甲辰四四歳、(二月二四日の)翌日忍性亡母十三年の追善の為、結崎屏風(奈良県磯城郡)に移住す。心地観経報恩品読文講義・・」とあります。 . . . 本文を読む
今日は大般若会が年四回とされた日です。現在は大般若会はお正月に修せられるのが恒例となっていますが昔は四回という時期もあったのです。三代実録・貞観元年860二月二十五日の条に「二十五日辛亥六十四僧を請じて東宮に於いて大般若経を転読す。今日を起首として三日を限り訖る。凡そ貞観の代、四季大般若を転読す。他皆之に効ふ。」 . . . 本文を読む
「日本三大實録(貞観元年859二月二十五日の条)「六十四僧を請ひ東宮に於いて大般若経を転読す。今日を起首とし三日を限り訖。凡そ貞観の代、季毎に四季大般若を転読。皆此に効ふ。」
参考1,「公事根源」には「季の御読経 二月八月大般若経を百敷にて講ぜらる。四か日の事にて第二日には引茶とて僧に茶を給ふ事あり。天平元年四月八日に始めらる。貞観の比ほひには毎季 . . . 本文を読む