・日本紀略 / 寛弘七年(1010)十月十日乙卯条
「十日乙卯 奉幣廿一社 依去八九月間霖雨也」
天皇は一条天皇
・史料綜覧巻五 / 弘安九年(1286)十月十日発卯条
「十日発卯 七社に奉幣使を発遣せらる。霖雨による也。」
天皇は後宇多天皇。執権は北条貞時。 . . . 本文を読む
今日は沙石集を著した無住一円の没した日です。無住は1227年1月17日(嘉禄2年12月28日) 生れ 1312年11月9日(正和元年10月10日)没。以下ウキぺデアに依ります。「宇都宮頼綱の妻の甥。臨済宗の僧侶と解されることが多いが、当時より「八宗兼学」として知られ、真言宗や律宗の僧侶と位置づける説もある他、天台宗・浄土宗・法相宗にも深く通じていた。 梶原氏の出身と伝えられる。18歳で常陸国法音寺 . . . 本文を読む
「(日本が)支那から文字その他を取り入れたときも印度から仏教を取り入れたときも、今西洋から物質文明を取り入れたときも、いとも易々とそれをやっている。まるで掌を指すようである。どうしてこういうことができるのかというと、それはいわば全てを既に知っていて、ただ名前を知らなかっただけのことである。・・日本が有形の文化を取り入れることができたのは、無形の文化をもっていたからである。いともたや . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の2/10
二、虚夢想の事(沙石集巻二の六にあり)
近比(ちかごろ)勘解由の小路に、利生あらたなる地蔵おはします。京中の男女市をなして詣る中に若き女房の、みめかたちならびなきが、常に通夜しけり。また、若き法師、常に参籠しけるが、この女房に心をかけて、いかにしてか近づかむずると思ひけるあまりに、同じくは本尊の示現の由にて近づかむと思ひ巡らすに、この女房、宵のほどつ . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の1/10
地蔵菩薩三国霊験記巻之十目録
一鎌倉の濱地蔵材木はこび給ふ事
二虚夢想の事
三殺生の人を助給ふ事
四遁世者耕作止事
五恵心僧都妹蘇りたまふ事
六中夭を助給ふ事
七田に水を入れ給ふ事
八神女尸を蔵し給ふ事
九噁に前世を知らしめ玉ふ事
十下女火印を免る事
地蔵菩薩三国霊験記巻之十
一、鎌倉の濱地蔵材木 . . . 本文を読む
続日本記・霊亀元年(715)十月七日「(元正天皇)詔して曰はく、国家の隆泰は、要ず、民を冨ましむるに在り。民を冨ましむる本は、務、貨食に従ふ。故に、男は耕耘に勤め、女は機織(はたおり)を脩(おさ)め、家に衣食の饒(にぎわい)有りて、人に廉耻の心生ぜば、刑錯の化、爰に興り、太平の風致るべし。凡そ厥の吏民、豈勗(つと)めざらめや。今、諸国の百姓、産術を尽さず、唯、水沢の種に趣きて、陸田の利を知らず。或 . . . 本文を読む
「金剛佛子叡尊感身学正記」(文永六年己巳1269六十九歳十月)「七日名草郡神宮寺(注1)御領十九郡の内を殺生禁断す。御読経所・神宮寺及び散在する諸堂三十餘所堂内は飲酒亂舞・寺中の酷酒酒宴停止の状、之を奉ず」(注1)名草郡神宮寺とは和歌山市内にある日前・国懸の両大神宮の神宮寺 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の13/13
十三、 雪佛利益の事
清和天皇の御宇貞観十七年(875年)二月中旬に大雪降りけるが白川の邊岡崎と申す所に童子ども集り居て雪を愛して居たりける中に十人ばかり力を合わせ雪を轉がし佛の形につくりて地蔵菩薩と申して花瓶香炉に至るまで雪を以て作りて供養をなす。其の中に十二三ばかりの小児を供養の導師として役者どもをもひおもひに勤めけり。小児の導師は高 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の12/13
十二、 生身地蔵を拝する事
伯州(鳥取県)大山に弘誓房明願(栃木県の岩船山高勝寺も建立した名僧)と申す法師あり。安心精進にして誓のほども勇猛なり。年来地蔵を信じ奉ること他なし。あまりのことに畫像木心やさしくて子細なく宿しける。遠旅の人なればいかばかり苦しかるらんとて休みなぐさめてさまざま言いたわりけるが、さて客僧はいずくより何方へ通り玉ふ . . . 本文を読む
「高野山秘記」
「右追て祖師贈大僧正法印大和尚位空海の諡名を賜はるべきの状。先年陳請以聞す、而して天許の後未だ明詔を蒙らず、觀賢今遺跡を拜せんが爲めに遙かに南岳に向ふ、望み請ふ諡名將さに廟前に告げん。然らば則ち久亡の靈魂新に天恩に感ぜん、觀賢懇切の至りに任へう重ねて以つて陳請以聞す。觀賢誠惶誠恐謹言。
延喜二十一年十月五日 権大僧都法眼和尚位觀賢」
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地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の11/13
十一、 女人活る事
摂州有馬郡にあやしき女人貧にして栖みけるが、地蔵を信じ奉ること年久く形像を求めてまつりたきことを願へども元来貧なれば得がたし。かく年月を経るほどに或ときあやしげに作りなしたる像を人の持ち来けるを直(あたひ)百錢にて停奉りて喜ぶことかぎりなし。とてもあはれ供養をのべ奉りたきと願の中に不慮に卒病(急病)にて身退きける。され . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の10/13
十、正直に依りて神通を得る事
豊後國のかたはらに住みける下男、自ら一生不犯にして正直を第一とす。常に地蔵の名号を唱てをこたらず、人呼んで地蔵三郎とぞ申しける。或時主人申しけるは今日は吉日なり、ことさらにのどかに天気よき折なれば田をかるべきぞ他行すべからずと申し付けたりければ、承はると申す。主人心安く思ひ同縣の観音寺に詣で見れば件の地蔵三郎人の供したり . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の9/13
九、半作地蔵靈験の事
東山雲林寺の傍に老尼あり。地蔵菩薩を信ず。此の尊は今世後世能く引導し玉ひまことに利益の程きはまりなきと聞きけるほどに佛師定朝にあつらへて地蔵を造り奉る所に代を聞きければ御長一尺ばかりの小僧は三貫文(20万円)にて造るべしと申しければ先ず半分をあたへける。さるほどに自然の懈怠にとりまぎれて二三年過ごしけるぬ、彼尼にわかに大切の病に犯 . . . 本文を読む