2009年8月1日の朝となりました。6時45分頃に起床。ルートインの朝食はバイキング形式で、種類が多くはっきり言って東横イン以上です。
7時45分頃にチェックアウトして千歳駅を撮影。2面4線の構内をもつ高架駅です。この日は「一日散歩きっぷ」で回り、札幌に泊まる予定です。
改札をくぐって駅名標を。
8時5分発の3858M(721系F4102+F4202編成)にて出発。8時9分に南千歳駅に到着。今朝の北海道はなので、長袖を着てちょうどいいくらいです。
南千歳駅の駅名標。他の駅とは配色が違いますね。
次に乗る列車は「一日散歩きっぷ」が使えないので、一旦改札を出て乗車券・特急券を購入。ついでに、駅舎(自由通路入口)を撮影。近くには、名称は失念しましたが大型商業施設があり、日中は若いコの利用が多いようです。尚、この自由通路はR36まで続いていますが、駅施設から向こうが閉鎖されており、駅舎そのものは撮影できません。
8時29分発の「特急スーパーとかち1号」(キハ261系ST1102+ST1201編成)に乗車。土曜の朝早い時間帯からか自由席はガラガラ。8時58分に新夕張駅1番線に到着。4番線に停車中の2629D(キハ40 1704)に乗り継いで夕張支線に再び乗り込みました。
9時7分に沼ノ沢駅に到着。ここで見る限りは片面ホーム1面のみですが、かつては真谷地炭鉱の北炭への専用線が分岐し、広い構内を有していました。
駅舎に入る前に駅名標を。駅名表示が剥げている所がありますね。
昭和38年9月17日竣工と思われる木造駅舎です。現在は無人化されており、駅事務室が入っていた部分には「レストラン おーやま」が入居しています。この時間帯なので誰も居ませんでした。
駅舎内のギャラリー。初代駅舎などの写真(絵画?)が飾られています。
49分の滞在時間を利用して周辺散策。幹線道路沿いには住宅地が続いてますが、近くにある中学校は今年度(2009年度)いっぱいで閉校だそうです。小中学校の統廃合はここに限ったことではないですが、炭鉱が無くなり働き口が大幅に減少した夕張の現状をまざまざと見せつけられました。
その足でマヤチ川に架かる橋まで行ってきました。川面まで推定50mはある深い谷です。夕張は思った以上に険しい土地ですね。
つづく
駅舎に戻って時刻表を。夕張支線は1日9往復ですが、間隔が実に不均等で、時間帯によっては同一方向で3時間近くも空白になります。炭鉱が閉山した今では貨物列車は無いし。
構内に入って駅名標を。「しみずさわ」の「し」が何者かによって消されています。
申し遅れましたが、南清水沢駅の構内は片面ホーム1面のみです。17時30分発の2641D(キハ40 1706)に乗車して終点・夕張へ。ここから乗ったのは私1人!
17時47分に夕張駅(Y25)に到着。御覧の皆様には御存知かと思いますが、終端駅の1つです。3度の移転を経て現在地に落ち着きました。
連絡通路を通って駅舎に出ました。駅自体は無人ですが、今年(2009年7月17日)に「カフェ・ダイニング ル・ソラーレ」が開業し、南欧風のデザインに変わりました。飲み食いしたかったのですが、滞在時間が28分だけなので感じて終わり。背景にある大きな建物は、Mt.レースイリゾートホテルです。
駅入口の様子。「夕張夫妻」の記念撮影ブースがあり、夕張市が映画のロケ地をアピールすることによって一日でも早く再建団体を脱しようと努力しているのがうかがえます。
こんどは紫陽花と絡めて。7月末でも萎れておらずです。
歩いて数分の所にゲレンデがあったりします。何せ夕張支線があの本数ですから、で訪問するのは中高生くらいか。
セイコーマートでアイスクリームを買い、折り返しの18時15分発の2640Dで本日最後の下車駅へ。
18時38分に新夕張駅(K20)に到着。2面4線の構内をもつ駅です。
連絡通路を通って駅舎に出ました。条件は「1/30 F8.0」でしたが、夏の北海道は日が長くブレなく撮れました。(この時期に石勝線全駅下車を実行した理由の1つだったりする)
旧駅名の駅名標と案内図。
次に乗る列車は「青春18」が使えない為、乗車券等は別買いになりますが、誠に遺憾なことに窓口の営業が15時10分で終了しており(開始は7時25分から)、その上、券売機では万札が使えない!セブンイレブンで土産物を買ってやっとくずし、車掌を呼ばずに済んだ次第です。
夜になり半袖ではすっかり寒くなりました。「特急スーパーおおぞら12号」(キハ282-102に乗車)と「快速エアポート197号」(721系F4202+F4102編成)で千歳駅に出て本日の行路を終えました。駅から歩いて3分の所にあるルートインで一泊します。
つづく
新夕張から急坂を上り、16時8分に鹿ノ谷駅に到着。ホームは片面1面のみです。で先着した「同業者」夫婦が一組いました。
駅舎に入る前に駅名標を。「Y24」と表記されており、「Y」は「夕張」を意味します。
駅舎に入ります。広々とした待合所ですが、かつては駅員が居たようです。所狭しとギャラリーが形成されており、大部分は健康関連です。
いよいよ駅舎の撮影。昭和10年2月21日築の木造駅舎です。トイレはありません。
鹿ノ谷での滞在時間はたった14分ですが、集会所にある千手観音に入ってきました。尚、駅舎から国道までは急な下り坂です。
16時22分発の2636D(キハ40 1703)で新夕張方面へ。鹿ノ谷駅は、もともと側線を何本も有しており広い構内だったかも知れません。
16時29分に清水沢駅(Y23)に到着。ホームは片面1面のみです。実は、この駅に降り立ったのは2度目です。
これより駅舎に入ります。かつては大夕張鉄道が分岐していた駅ですが、駅舎側の専用ホームや交換設備などが撤去されて長い通路になっています。7年前に初めて訪問したときには、使用を停止した交換設備があり錆び付いたレールもありました。
例によって駅舎撮影。木造モルタル駅舎そのものは、7年前と何ら変わっておりません。駅員が配置されてはいますが、窓口営業時間は7:10~14:00です。
南清水沢駅までは距離がさほどなさそうなので駅間徒歩を敢行します。駅前の商店街では次週土曜(8月8日)の「ゆうばり夏祭り」のポスターがあちらこちらに。このあたりが会場の最寄駅と記されてました。
セイコーマートの交差点でR452に乗り、踏切を渡ってひたすら南下。「札幌 79km」とあるので、夕張から札幌まではだと時間がかかるけどで行けば案外近いかな。何だか狐に騙されたような気分です。で、目的地に着く手前、のように絵になる光景に出会いましたが、行程の都合上そのまま素通り。
16時58分に南清水沢駅(Y22)に到着。昭和37年12月開業。夕張高校へのアクセス駅で委託駅員が配置されていますが、夏休みに入ったこの日は無人です。
つづく
駅舎に出る前に跨線橋から見える風景を。ユニトピア・パークゴルフ場で、ホームからはコースの様子が間近に見えます。今日みたいな日は絵になります。連絡通路があるにはありますが、閉鎖されています。
ついでに駅名標も。9分ほど乗ったとはいえ滝ノ上駅からわずか1駅ですが、途中に滝ノ下信号場があります。
駅舎に出ました。滝ノ上駅と同様のつくりの無人駅で、財産票も同じ「昭和56年12月8日」です。トイレは使用可能なものの、由仁町の方針でゴミ箱が撤去されています。
近くの酒屋で購入したサッポロクラシックで一休みした後、少しばかり周辺散策。トウモロコシ畑がどこまでも続いてるかのようです。
入線音を録音した後、14時10分発の2634Dで東追分駅に向かいます。追分終着ですが接続列車がが事実上無く、この「キハ40 789」の車内はご覧のような状況です。3分くらい遅れていましたが、先方にしてみれば別にどうってこと無いし…。
14時19分に東追分駅に到着。交換可能駅で対面式ホームを有していますが、駅舎のようなものが信号機器室で、跨線橋の袂が待合所になっている無人駅です。
下りホームの駅名標を写してみました。「K16」と表記されており、背景は一面のトウモロコシ畑です。
時刻表です。下り6本、上り7本とアンバランスです。現在のところ、東追分での滞在可能時間は52分です。
東追分駅の周辺には牧場を営んでいる民家が数軒だけで、うっしーさんのサイトに載るレベルの「秘境駅」です。待合所にはベンチが無いですが、が備え付けられており、当然、私もカキコしました。でも、この駅の本当の面白みはこれから分かります。
「スーパーおおぞら8号」を見送って、踏切を渡ります。この道は一体、何処へ繋がっているのだろうか。
右側に目をやれば、富良野とか美瑛とかを思わせる丘の上に麦畑(金麦?!)が広がっていました。
突き当たった舗装道路からは、どこまでも続く牧草地。北海道は矢張り「でっかいどう」です。時折すれ違うトラクターも初めて見る大きさだし。これまで本州の駅にハアハアしたのは何だったんだ!
トウモロコシ畑から先ほど下車した駅を俯瞰。スノーシェッドの存在感が大きすぎですけど。それにしても、今年の夏は冷夏といわれるほど天候不順で、玉蜀黍はまだ青々としています。
北海道の大きさを心行くまで体感した後、15時11分発の2639D(キハ40 1703)にて再び夕張市へ。
つづく
石勝線2633Dは、定刻11時48分に十三里駅に到着。ホームは対面式で、上下線は跨線橋で結ばれています。
つづいて駅名標。「K」というのは「釧路」を意味します。ちなみに、駅裏は畑です。
ついでに時刻表。下りは5本、上りは7本とアンバランスです。後述しますが、このようなダイヤなので、石勝線の駅巡りには特急列車も活用せざるを得ません。
いよいよ駅外観。跨線橋の袂に其々3つのベンチがあるだけの無人駅で、駅舎のようなものは信号機器室(昭和55年9月2日築)です。夕張市の駅らしく、国道を挟んだ向かいにメロン農園があります。
プランの都合上、駅調査終了後、滝ノ上駅まで国道274号上を歩きます。ほとんどの区間で歩道があったので歩きやすかったですが、4km以上の駅間徒歩は久しぶりなので疲れました。
滝ノ上駅まであと1km余りのところで面白そうなポイントを見つけたのでロケハン。ちょうど「おおぞら5号」が通過していきました。夏の北海道の爽やかな空と最高のコラボレーションになりました。
もうすぐ滝ノ上駅に到着。でもその前に、滝ノ上神社にて旅の安全を祈願してきました。尚、滝ノ上地区の開基は明治23年です。
十三里駅を出発してちょうど1時間、滝ノ上駅に到着です。駅舎は昭和56年12月8日築で、待合室は広いものの無人駅となっています。左端にはトイレがありましたが、夕張市が再建団体に陥落したのに伴って、平成19年4月1日より使用不可となりました。
駅名標。札幌から18駅目だそうです。
構内を跨線橋の上から俯瞰。退避する普通列車は無いですが、一応2面3線を有しています。石炭輸送が盛んだった頃の名残だと思われます。
JR北海道のローカル駅の典型的な入線音で懐かしさを覚え、13時15分発の2632D(キハ40 1703)に乗車します。新得方面からの接続もあり、可也乗っていました。
13時24分に川端駅に到着。滝ノ上駅と同様に、一応2面3線の構内を有しています。
つづく
それでは、2009年7月31日(金)~8月2日(日)の北海道地区の乗り継ぎ旅行の模様をお伝えします。今回は北海道の駅巡りの入門篇ということで、石勝線と千歳線をチョイスしました。
出発は、新津0時6分発の快速ムーンライトえちご(485系K2編成)で。木曜夜の発車ですが、どこからかチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』が流れてくるような低調な乗車率。勿論、私の隣には誰も座らず、臨時列車化とはこのことなのかと実感しました。
「春」が鳴り、定刻5時10分に新宿駅7番線に到着。その後は定石通りに、山手線内回り電車400G(E231系511編成)で品川に出て、京急の快特で羽田空港へ。乗車口近くのスターバックスで朝食をとりましたが、サンドイッチが高かったです。
今回は北ウィングからの出発。7時25分発のJAL507便で一気に新千歳へ。B747-400型機(JA8904)による運航で、折角なので2階席に乗りました。(←実はこれが目的だったりする。)離陸直後に東京の街並みを見せ、山形上空に出た後に奥羽線~秋田内陸縦貫鉄道に沿って北上し、下北半島の上空を経て函館の通過し、鵡川VORから一旦北上してランウェイ19Lに着陸するというルートでした。尚、JA8904は、今年(2010年)6月9日のJL914便がラストフライトとなり、現在は羽田空港でストアされた状態です。(2010.8.28追記)
9時ちょうどに新千歳空港に到着。思いのほかアクセスが良く19分発の3859M(721系F5201+F5101編成)に乗れ、最初の下車駅を恵庭に選定しました。9時32分に恵庭駅に到着。
最初に出たのは西口(相生町口)。昭和61年に改築され、平成17年2月にバリアフリー設備が完備された橋上駅舎です。およそ7年ぶりにJR北海道の駅に降り立ってめっちゃ興奮しました。
食料調達のためにセブンまで歩くと、煉瓦つくりの農業倉庫を見つけました。庄内地方にも多く見られますが、こちらは完全に冷気を避けられる頑丈なものです。
恵庭で見つけたものをもう1つ。7月も終わろうとしているのに紫陽花が「普通に」咲いていました。本州とは気候が全然違いますね。
一方、東口(黄金口)は、目の前にえにわ病院があり、付近には北海道文教大学などもあります。平日なので、おじさんが駅前ロータリーを整備していました。
続いて駅構内の紹介です。対面式ホームの2面2線ですが、中線の跡なのか上下線は広く開いています。
ついでに駅名標。「H10」と付されていますが、「H」は函館を意味し、「10」は札幌から10駅目を意味します。
入線音の録音までやった関係で、恵庭駅で滞在したのは延べ55分に。10時27分発の1744M(731系G102編成)でようやく後にし、千歳にて2633D(キハ40 789)に乗り継ぎ石勝線の旅が始まりました。南千歳~追分では広々とした牧場が2箇所も見られるなど、本州では決して味わえない車窓が展開されていきます。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問